16. 『リフレイン』
私は彼を愛している。
それがあればこそ、自罰と称して手前の快楽を貪ってるだけの愚かで救いようもない頭空っぽのメンヘラカスビッチのように、この身を蔑めることは一度としてしなかった。
私は、私の望むがまま、彼に望まれるがままの無垢でありたかったのだ。
一片の社会通念的な価値観に穢されることもない、子供のままでいたかった。
否、取り戻したい、というべきか。
かつてのような私を縛り付けるものはもうない。
彼とどうにか再会して、生きていくということももちろん何度となく考えられた。
けれども、この世界で、生きていく、ということと、社会との契約は切って離せない。
どちらか、あるいは両方なり、どこかの会社に所属して給料を得ていかなければならないだろう。
より自分たちの望むような環境を手にせんとすれば、自ずとその時間ばかりが増えていき、代わりに自分たちの望むような環境で、その人と共にいられる、当初の目的は果たせなくなっていく。
歳月をかけてそれをやって、十分な資産と時間の余裕ができたころには、もう何もできない老人に成り果てている。そんな人生なんて、詮無い。
彼と逃げ延びて、どこか田舎の果てで、ゆっくり自給自足の暮らしに埋没することも考えられた。
本当は早くから、そうしたかった。けれどもそれで私自身はともかく、そうして結斗の人生を、その可能性を封じ込め、退屈な何もない日常に縛りつけて殺すことも忍びなく、厭われた。
彼方を立てれば此方が立たない。
人間は社会を形成したその時既に、そうして詰んでいるのだ。
形成するまでが人間の主体的な役割であると言ってもいいかもしれない。
子供の頃、浜や公園に作った砂の城のように、それを構築することに夢中になれるうちはいい、けれども、それを過ぎて維持しようとなると、とたんに億劫になる。なぜなら、それは創造性のない、単なる作業に堕するからだ。早々に機械人形などこしらえて、後はそいつらにやらせるべきことなのだから。
あるいは、本当に砂の城ならば、また崩して、一から作り直せばよかった。
しかし、実社会となると、そこで暮らす人がいる以上、そうもいかない。だから、文明は必ず行き詰まってしまう。無作為かつ無情に壊して、一からやり直すことが容易にできないから。
創造には破壊が不可欠なのだ。
けれども杓子定規に整然とされた社会では、それが叶わない。だから、この先の戦争は、そうしてデザインされた出来レースになるだろう。余分な人畜を、ただお膳立てされた正義の元に排除するための。
そして創作の神であった人間たちは、無事そこで暮らすだけのNPCと成り果てた。霞を栄養分に変えて生きていけるなら、それでもいい。けれども、人はそうではないから、その秩序の中で、栄養の獲得に追われなければならない。
誰かの作り、強いた、納得のいかない秩序の中で、行われる無意義なそれは、つまるところ、延命である。
人類の寿命は、とっくに尽きている。
殊、延命の先端たる私たち若年層などは、生まれた時既にその運命になく、代わりに背負わされるものは、既に出来上がった社会を維持して回す歯車の宿命であるから、時々ゲームや映像の世界にそれを求める。
あまりにも侘しい。
これが人類の行き着いた先なのか。
自分で作った社会の重みに耐えかねて自然な自壊を待つだけの。
昔にも私とまるで同じことを思い、果てに入水した作家がいる。いつの時代にも、私のようなものはいたに違いない。
だからきっと、私の求める未来においても何も変わらないんだろう。
数十、数百、数千、数万年後……いや実際にはそこまで遠くはなくて、もっと早い時期に巡回するように出来ているのかもしれないが……と経て、見た目は様変わりすることになっても、人は、何も変わらないだろうことが、そこからも想像できる。
この整然とされつくしてしまった秩序の、あとは延命するだけの世界の中で、生きる人は、そのことを問題視もしていないどころか、そこで生きる軸になることに精一杯で、その前にある人生の個人的意義などはどうでもいいのだろう。
私がモブの人生をどうでもいいと思うのと同じように。
生まれ変わっても、何も変わらない。
私が来世で、また今の自分と同じような性格になり、結斗の魂を持つものと再会したとしても、世界やそこに住まう人たちが同じならば、そして自分たちだけが同じで、周りが違うなんて、そんな都合良く条件が整うこともあるわけがないのだから(自分たちが同じというだけ、それで再会できるだけで奇跡だ)、まるで同じ結末を迎えるだろうし、全く別の人を前世からの恋人のように想い、接するかもしれない。
否、誰だって、間違いなくそうしているのである。
この水瀬 織姫という私だって、前世の記憶なんかないから、そこでは全然違う人と結ばれていて、今世で生まれ変わったものが名前も認知していないあの画家であるかもしれないのだ。
私たちに確かめる術がない以上、それは詮無いことであって、この世で抱いた感情全ては、それが今、例え、どれほど大切で重大で、愛おしく抱きしめている切なる想いだとしても、全て、今世限りの一過性のものであると言えると同時に、私という魂が死してなお、そうして次へ続いてきたモノだとしても、それ故に、未来永劫、私たちは変わることがなく、何度となく同じ結末を迎えるのだろうと言えてしまう。
運命や世界、命という概念そのものが、変わりでもしない限り。
だから、転生には意味がない。生まれ変わって、別のものに代わるなら、それはもう私の人生じゃないし、同じなら、それ故に結末も変わらない。
いつの日か、時間も空間も破綻し尽くして、文明の一雫までもブラックホールに飲み込まれ、この宇宙が寿命を迎えるまで、私たちはどんなに生まれ変わってきても、私たちのままなのだ。
そうして再会に気づくこともなく出会い、身に覚えのない想いの出所を悟る間も無く別れ、泣き、次の朝日を笑って迎えてきたように。
そんな灰色の世界が、延々と続いてきて、今があるのだけなのだから。
これは、いつから始まったんだろう。
そしていつ終わるの?
死んだくらいでは終われないことは歴史が証明している。
人類全てを殺し尽くせば終わるのだとしても、現実、そんな術はない。
過去には戻れない、未来には届かない、しかし今にも留まれない。
今生を終えたところで、私たちは、また誰かに生まれ変わって、誰かを忘れ、誰かと出会わされ、誰かを愛させられていく。
そして繰り返す刻の果てに、世界が終わるまで。
それが永遠に続く。
なんてひどい。
虚しい。
これでは牢獄だ。
私たちが何をした?
無限に続く魂の回廊に囚われて、そして気付いた時にはもう出られなくなっている、それほどまでのどんな罪を人間が犯したというのか。
私はだから、産まれたことを後悔した。
私はそれが嫌だった。
抗いたかった。
解き放たれたかった。
脱出したかった。
この世から、放たれたかったのだ!!
そして物言わぬ石ころとなり、彼と永遠に宇宙を漂ってさえいられればよかったのだ!!
だのに、なぜ意識なんてものが生まれてしまったのか。
なぜ、人は産まれなければならなかったのだ。
それこそが、この世全ての諸悪の根源、悲劇の始まりだろう。
私は産まれたくなんかなかった。
初めから、この絶望的なサイクルになんて、囚われたくなかったのだ。
私はそんな虚無感と、復讐のために思考する時間とを行き来するような日々を過ごし、年々そのバランスが崩れて、ブラックホールに呑まれる光のように、歪み、堕ちていくのをひしひしと感じた。
しかし、私は作業の手を止めなかった。
ひたすら、毎日、絵を描きつづけたのだ。
私と結斗を繋ぎ止める、たった一枚の表現を掴みたかった。
今世はもうどうしたってやり直せないから、私にできることはもうこれだけなのだ。
有名な絵画を具に眺めて技術を模倣し、絵に起こしてみる。上手くいかない。こうではない。もっとあり得べき表現があるはずだと、それは次第に絵画に留まらず、この世のありとあらゆる表現技法を貪欲に漁るようになった。
アニメでも良い。漫画でも良い。
自分がこれぞと思う心を動かされた作家の、魂を、その筆の入れ方を自分の手で書き起こすように模写し、模倣し、模倣し、自分の腕を通して、研鑽する日々。
来る日も、来る日も。
私は画家のアトリエに閉じこもり、寝食も忘れ、シャワーも忘れ、下着を変えることさえ忘れて、一人、そうして己の現在の技術の限界に悩み、打ちひしがれ、何度となく苦悩してはそんな暇はないとまた立ち上がり、身体に鞭打ち、筆をとって、一枚一枚、絵に起こし続けた。
成功も、失敗もあった。表現するということに正解も間違いもなく、あるのは自己満足だけなのだから、そしてそれが最も、極めて難しく、針の穴を通すような悩ましい極限の追求であって、日々頭を悩ませ、上手く出来たかと思えば、有名な絵画との落差に愕然とし、その時はダメだと思っていたものが明くる日見返してみると、なかなか味があるように思われる。
浮いては消え、消えてはまた浮いてくるアイデアの数々を寝しなにもメモに残し、ほんの少しの怠惰にそれをサボって、目覚めてから浮いてこないことに後悔して、癇癪を起こして。
届くかもしれない、いや届きようもない未来の果てを思って失望し、上手くいく未来を思い描いて時にアルコールを煽り、浮かれもしながら。
夢を見るように。
一枚一枚、一日、一日を、ずっと、ずっと。
そうして私は、絵を描きつづけることに没頭した。
それだけをしつづけた。




