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『そして世界が終わるまで 〜繰り返される恋の、その先へ〜』  作者: 白雛
現代編

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5. 『残酷な天使のテーゼと初恋』




 放課後だった。


 そんな日もある、というように、その日はひどく気分が落ちていた。物憂げだった。別に女の子の日とかそういう意味でもない。


 ただ漠然と、消えてしまいたくなる日だったのである。


 窓から差し込む真っ白の日光と、その強さに反比例して廊下側の真っ黒に暗くなる教室で、私は幼馴染の晴子と雑談を交えながら、いつもの、物足りない気持ちを抱えて、ふと窓からグラウンドを見た。


 瞬間的にボールを強く蹴る男子の足が、そうしてはぜるような音と掛け声を空に運ぶ。


 眼下では数人ごと束になった生徒たちが見え、その話し声が、木々の葉擦れのように言葉でなく耳に入ってくる。


 外を行き交う車の音が、

 飛び交う鳥の羽音が、風に乗って、校舎二階の私のところまで届く。


 今の私には形容し難い、一つ言に収められない、複雑な想いの波紋を広げながら。


 そもそも先んじて白状してしまえば、これが自分で一番、らしいと思う私であった。普段の支離滅裂としたあれこそ私のペルソナであって、外部から柔い中身を守るべく、幼少の私が産み出した偶像にすぎない。


 それを特別なことだと感じたこともない。

 きっとそんな風に、誰もが、自分だけが知る内なる自分を守っている。


 私はそう思う。

 世界と自分との距離感を保つため、主人公にもヒロインにもなれない、取るに足らない自分を、夢のうちに秘めて労わるために。


 何も見つからないまま。不思議なことや心躍る出来事もなく、つまらない、叫び出したくなる、内なる自分を、無言のうちに堪えながら。


「今日、どこいこっか」


 そう言おうとして、振り返った私の視界の隅で、がらっと勢いよく教室のドアが開いた。それは紛れもない雑音だったので、私の発声は遮られて、全身の注意もそちらに向く。


 晴子も、後ろの方で私たちと同じように駄弁っていた二人組も、同様だった。


 一瞬、外の音も忘れたようにそうして静まり返った室内を、反比例した黒い影の中から出てきたのはクラスメイトのみほち。

 佐藤さとう 瑞穂みずほ。略してみほち。


 みほちはクラスで一番騒がしいっていうか、夢見がちな女の子だった。けれどそれは私からすると男の子らしいにも変換される。


 ドアを開けるときの乱暴さも、教室を横断するときの大股開きの足取りも、後ろの二人に話しかけるときの前のめりになった厚かましさも、呼吸の仕方の一つまでも、まるでそう、少年のもの。


 まだ女にも男にもなっていない曖昧な見栄え。

 たぶん処女だ、と私はぶすいに思った。


「ねぇ聞いて聞いてー。知ってる? 初恋の人ってー、前世の恋人なんだって」


 みほちは二人が囲んでいる机に両手をついて切り出した。


「みほち、そういうの好きだねー」

「また今度は誰に騙されてきたん?」


 伊槌(いづち) 芽衣子(めいこ)宮前(みやまえ) (かえで)の二人はけれど、気だるげにしながらも、みほちの話に付き合う。みほちは話す分の息の量も考えずに、忙しなく口を動かした。その挙動に釣られて、安っぽいプラスチックの玉がついた細いツインテールがぴょんぴょん跳ねる。


「騙されてなんかないよ! 今度は本当!! ええと、なんだっけ。そうだ、人間ってフェロモン……とかあるじゃん? 第六感っていうか……それで第一印象が決まるとかいうじゃん? その感覚が一番鋭い時期が、思春期。つまり、今! 一目惚れは相性の良い相手を無意識に選んでるんだっていうでしょ。それが発展して、実は前世での相手を覚えていて、それに近い人を探してるっていうのが、最新の科学で分かったらしいよー」

「確かに。そう言われると理に適ってなくはないかも」

「最新の科学、何研究してんだよ」


 存外ノリがいいのが芽衣子、少しひねたようにして笑ったのが楓だ。


 しかし、その二人も何だかんだで嫌いではないのだ。こういう時間。都合の良い条件を設定して、その上で発想を語り合い、遊ぶ、夢の話。宝くじ当たったら、何に使う? と同じ意味である。


 奇しくもみほちの物言いは妙であった(と私は思う)。


 けれども彼女は自分で言って、おそらく、きっとまだ気付いていない。


 その寂しさと、絶望に。


 初恋以上に恋する気持ちは味わえない。

 大人になればなるで、それは、別の見方に変わる。

 さみしいけれど、人間ってそういう薄情さがあるから生きてもいけるのだ。


 つまり、

 私たちはすでに終わり始めている、ということなのだ——、

 ということに。


 その残酷さに、彼女はまだ気がついていない。


(何してんだろ……私たち)


 私はふと気が付いたように、むしろ眠たげに、思考を切り替えると、今日どこ行こっか、と改めて目の前の晴子に尋ね、その三人に別れの挨拶をしつつ、教室を後にした。


 高校に上がったばかりの頃、それは犬飼くんとのコミュニケーションよりも古い、去年の春先でのことである。


 ◯


 そして現在、一年後の初夏。


 その時()かれた種が、目の前で発芽していた。


「は、華藤くん、おはよー」

「おはよう、佐藤さん」

「き、今日もいい天気だねー」

「そうだね」

「ふ、藤と藤で被ってるねー」

「あ、そういえばそうだね」

「よ、よかったら、教室まで……」

「うん、一緒に行こうか」

「は、はわわわっ。やったぜ!」

「ふふふ、佐藤さんって面白いね」

「え、えー、そ、そうかなぁ……えへへ」

「うん、さっきの藤と藤で名前が被ってるのは、俺も気付かなかったし、同い年のはずなのに、一緒に歩いているとなぜだか犯罪の匂いが漂ってくるとことか、すごくハラハラドキドキするよ」

「ど、どきどきって……!」


 朝の登校中、私は例によって、片手にだらしなく学生鞄をぶら下げ、前方5、6メートルというところでぴょんぴょん跳ねる二つの触手を、海溝の底よりもくらい眼差しで眺めていた。


 念のために言っておくと、誰もしりとりなどしているわけではない。


 みほちは念願かなって遂に見つけたらしいのである、つまり、前世の恋人を。そして、全身をすくませ、心を縛り付ける恥じらいを堪えて、健気にも甲斐甲斐しく頑張っている、その真っ最中なのであった。


(初恋が前世の恋人ねー……はいはい、すんげぇ可愛らしい、まるでハダカデバネズミみたーい)


 一方、そんな乙女の勝負処に、妄想の中で得意げに冷や水を浴びせかけては、猛暑に胸元を腐らす乙女が一人、豆腐の角に頭をぶつけるどころか、自ら額を叩きつけて脳漿(のうしょう)を一帯にぶちまけたくなっていると——、


 ふとその思考を切り裂く自転車の鈴の音と、殿方の凛々しい気配がした。


(私の王子様……?!)


 私はとっさに往年の少女漫画のキラキラした巨大な眼もかくやと思われるほど瞼をひん剥いて振り返ると、


「お前な、朝からなんて顔してんの……」


 そこにあるのは、柴田のあばたヅラであった。


 私は鋭く深呼吸をして、内なる自分を宥める。歯の隙間から漏れる吐息は、マグマが噴き出す蒸気かあるいは、魔界の瘴気に酷似している。


「ふしゅぅううう………」

「なんて顔してんの?!」

「なんだ……柴田かぁ……ふぅぅぅう、なんだぁ……しばたかぁぁぁぁ……」

「はぁ? んだよ……珍しく落ち込んでるみたいだから声かけてやったってのに!」

「あ、しばたかってひらがなにすると、一瞬ばかにみえるよね」

「あぁ? 喧嘩売ってんのか」

「…………」


 私はいたく不満ありげに、横目で柴田を見た。


 私の初恋という、名称を入れただけの空っぽで真っ白な記憶フォルダを紐解くに、やはりそこには何もなく、他方のゴミ箱で完全に消去されずにアーカイブをギリギリ残しているのが、この男だった。


 この男は私を好いているのである。

 否、最終更新日はもう一年以上前になるため、今は知らないけど、少なくとも、過去には好いていたという紛うことなき事実が、実際の出来事と共にゴミ箱フォルダにある。


 男女の違いはあれど、ともすると、この状況は目の前の二人と同じもののはずではないのか?


 なのに、双方の見栄えには桶狭間における両軍の総大将ほども明暗が分かたれているように思われるのは果たしてなぜだろうか。


 一方では白く黄色い花色の初々しさに満ちたみほちと猿彦の心ときめく登校風景——、


 他方、その背後で酷暑に汗と魔界の瘴気を垂れ流し、のっそり歩を進める私と、自転車を転がすオレンジ頭のニキビの化身。


 まったく納得がいかない。四畳半に潜み続けたとある大学生のように、責任者に問い正す必要性を私は禁じ得ない。


 責任者はどこか?

 私だ。


「うるさいなー……ちょっと私には眩しすぎただけ」

「眩しい? あーあれ?」


 そう言うと、柴田はガードレールの向こうから、前方を見やって、また私を見た。私は独り言のように呟く。


「私の濁った水晶体の前に、あれは眩しすぎる……」


 とたん、柴田は大口を開けて唾を四方に飛ばしながら笑った。


「だっはっはっ。確かに。お前と佐藤じゃ、もうジャンルからして違うっつーか……」


 私は即座にガードレール向こうに腕を突き出して、柴田の腹に渾身の裏拳を叩き込んでやる。袖先の硬いボタンがわりかし凶悪で、当たりどころが良ければ女性の腕力でもなかなかの威力を誇るのだ。


 ただし、目などガチの急所は決して狙ってはいけない。マジで身の危険を感じた場合には、狙ってもよい。そして何より、半袖の夏服ではそもそもそこまでの袖がなく、私は腕周りの丸くなった二の腕を、肩に沿って晒しただけであった。


 柴田は一度バランスを崩しながらも、懲りもせずまた隣にやってくる。


「っぶねぇだろ!?」

「そういうのの積み重ねなんじゃ、アンタはー」

「はぁ? いやちげーって。ジャンルが違うっつーのは……おい!」


 私は無視して、早足になる。どのみちもう校門は目の前だった。すると柴田はすぐに駐輪場へと向かい、道行も離れざるを得ないだろう。そこまでの辛抱だ。


「おーはよ。千歳」


 教室について、少しして晴子が来ても、有名な絵本の怒りつづけた少年のごとく、私の気は晴れていなかった。私は机の上表面を抱きかかえるかのような体勢で突っ伏し、首だけ回して、晴子を迎えた。


「うす……」

「……どした。朝から。不景気通り越して、戦場帰りの帰還兵みたいな顔して」


 晴子は曰くありげに、柴田を見る。柴田は顔をしかめ、肩をすくめて返していた。


「……晴子、お願い。何も言わずにぎゅーってして?」

「いいよ? ちゅーは?」

「それは流石に大丈夫」


 晴子の舌打ちを聞き流しながら立ち上がると、私は登校したての彼女の抱擁に温められて、精神力を回復させる。


 男子の目もあるが、もはやどうでもいい。私は晴子だ。晴子一筋でいい。それが一番、平和なのだとしみじみ思った。嘘だ。そんなものが平和であってたまるものか。本当は晴子ではなくて、健康優良男子と恋がしたいし、健康優良男子とハグがしたい。


 金髪の凛々しい顔した転校生と一緒にキャッキャしながら登校して、周囲に花弁散らばるフレグランスな空気をさらりとお届けした上、ごく自然に下級生から憧れられる人生に産まれたかった、さらさらした横髪をかきわけ、ふふふって言いながら、ふわっと後ろへ梳いてみたりしたかった。


 てか、週末の丘の出来事からすれば、そこは私の立ち位置ではなかったのか。なんで隣にみほちがおんねん!! どっから出てきたみほち!! 私だろ、どう考えても!! おかしいだろ、神様てめえ。なんで柴田と……云々。


 理不尽な外圧に、机に乗り上げて抗議する先頭集団に続いて、一人また一人と席を立ち、網膜の映像に野次を飛ばし、資料をぶちまけ、愉快犯が指笛を鳴らす退屈な日々の憂さ晴らしもとい、伝統の乱痴気騒ぎが始まり、私の頭の中の議会は荒れに荒れた。


 それは放っておくこととして、その間、晴子について注釈すると、そもそも晴子はこう見えて、陸上部期待のエースで県大会の常連という猛者なのである。


 日々の研鑽によって育まれたスタイルの良さは然ることながら、カーリング選手のお手並もかくやと思われるほど丁度いい塩梅で日に焼け、筋肉のついた肢体は、クラスはおろか全学年の男子たちの精通を率先して促す側の一人であって、異性からは情欲の的、女子からは憧憬の的、私などが気を配るまでもなく、晴子は選び放題なのであった。


 ただ一つの越え難きジェリコの壁を除いては。


 さりとて、そんな晴子も夏の大会に向けて、そろそろバイトもやめ、本格的なトレーニング漬けの日々に入っていくことだろう。


 というわけで、その日も晴子は部活で忙しく、私は一人、ぶらぶら帰路につくことになる。




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