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『そして世界が終わるまで 〜繰り返される恋の、その先へ〜』  作者: 白雛
織姫リフレイン編

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9. 『遊園地の日』




 父の妄執は日に日に強まっていった。


 きっかけはたぶん、麻倉さんの言葉と私の態度。私は白上 結斗を好いている。それも既にそれは、少女の想う恋のようなものではない。れっきとした愛の片鱗を見せている。

 それら一切が、父に完全に把握された。


「まったくみっともなかった。なんだ、織姫、あの取り乱し方は」

「…………」

「あんな風に騒いで、下品に声を荒げて、おまけに止めに入ろうとしていた教師にも手をあげて、暴れて……」


 父は言って、長く、深いため息をもらした。


 本気で頭を抱えているようだ。

 当然だろう。それがこの人なのだ。


 そんなつまらないことで頭を抱えるくらい、そしてそれを当人の心に押し付けるかのように見せつけるくらい、思慮しりょに欠け、想像力に乏しいのが、この人なのだ。


 どれだけ個人的に敵意や憎悪を覚えようとも、それを正義だとか悪だとか、そういった二元論で表すことは幼稚だ。


 この人はそうして生きてきた。それがこの人の脳内に浮かぶ宇宙なのだ。変えようがない世界の一つなのだから。


 だが、だから、戦争は起こるのだろう。

 言っても、なじっても、どれだけ矯正しようとも、その想いも言葉も届かない人もいる。変わらないから。だから、最終的に人は、その人物を殺して排除するしかなくなるのだ。


 それが出来なければ無視をする。やはりそれもある意味で自分の世界からの一方的な排除で、前述と同義であって、それ以外に対処のしようが無い。


 他人ならばそれで済む。しかし、それが親である場合、子供はどうすればいいというのだろう。


 毒親から解放されるには、その家族から離れるのが一番だと言う。けど、私はその対処法を聞いたとき、心理学の研究者の見解だとかいうそれを鼻で笑った。


 どうやって?

 それが出来るのなら、誰も子供は、病んだり、ましてや自殺なんかしないだろうに。


 逆に、私はそうした解説を読むたび、どんどんと心によどみが溜まっていくような感覚がしていた。

 川底の泥のようなどろどろとした黒い何かが。


 所詮、その心理学の研究者だとかいう人のように、他人は上辺だけをなぞるだけで、誰も助けてなどくれないのだ。


 だから、私たちは死んでいくんだ。


「まぁまぁ。いいじゃない。恋くらいするでしょ。織姫だって」

「あのな。お前がそうやって甘やかすから、織姫がこうなったんだろ。それで、最近の若者みたいに育てられもしないくせに早晩子供なんか作ってみろ。俺は許さないからな。そんなの、絶対に」

「そんなこと言って、貴方だって、最近はあまり帰ってこなくなって、織姫の面倒なんかろくにみてないじゃない。それでいきなり帰ってきて、偉そうなこと言わないでよ」


 そして、喧嘩。喧嘩。喧嘩だ。


 あーもういやだ。


 どうしてこの二人はこんなに嫌いあっているのに、結婚なんかしたんだろう。

 ましてや、私なんか作ったんだろう。


 望まれない妊娠とかいうけど、一番望んでないのはその子供だろう。笑。


 宇宙人と交信なんかしてみたくなる気分だった。


 助けてください。誰か助けてください。ピピピー。宇宙人のキャトルミューティレイションでも未来人のカタストロフィ、アポカリプスでも、AIのシンギュラリティでもいいから、私ごと、今、この家を消滅させてくれたらいいのに。


「とにかく、二度とあの白上とかいうガキには近寄らせるなよ。今度会ったら、転校させるから」

「また子供みたいなことを言って」

「うるせぇな。お前がしっかりしないからいけないんだろ」

「なによ」


 それが毎晩のように続いた。


 私はしばらく結斗を自ら遠ざけることにした。


 もし本当に私の脳波が宇宙に伝播したり、未来に伝わり、人工知能の誤作動を誘発したりして、そのレーザーが突然この地に降り注ぎ、この身を焼き尽くすとしたら、その近くにいる結斗まで巻き込まれてしまうと思ったからだ。


 幸い、その頃から私の学校帰りは全て習い事で埋まっていたので、雑念でおつむを濁らせるのには最適だった。


 月金が母の運転する車でエレクトーン教室、火曜日に書道、水曜はお琴に木曜日は塾だった。


 来る日も来る日も、感情のない習い事。


 帰りは大体九時前後。

 家で食べても美味しくないので、ファストフード店で一人気ままに食べるハンバーガーの類が、この頃の唯一の慰めだった。


 慣れてくると、こんなものかとも思う。


 夜の街で変なおじさんに声をかけられることもあったし、何ならついていくと周囲の人たちはどんな顔をするだろうかと想像して楽しんだ。


 私は既に知っているのだ。


 お前らの頭の中に渦巻く、よこしまな夢の一欠片さえ、私はもう手に取るようにわかっている。

 次第に夜は味方のような気さえするようになった。


 夜の街を歩く時、ファストフード店に寄る時、おじさんや周囲の青年たちの怪しげな視線に気付いた時、得も云われぬ恍惚こうこつとした気分になる。


 やろうと思えばいつだって——。


 簡単に支配できると思った。


 ゴジラみたいに放射線のこもったレーザーを放ちたい。


 この空のずっと向こうから、私たちの世界を見下ろして、その一片まで焼き尽くすように、街の隅々まで火を放ちたい。


 壊れてしまえ、こんな世界。


「——違うっ!!」


 私はベッドの上で毛布にくるまりながら、声を押し殺して叫んだ。


 いやだ。そうじゃない。

 呑まれるな。

 こんなの、私じゃない……!!


 私は頭を抱えて苦悶した。


 心の中に黒い感情が侵食してくる。耳を閉じても入ってくる。浮かんでくる。まるで部屋中の暗闇が囁いてくるようだった。


 どうして、いつも、こうなってしまうんだろう。


 四年の時もそうだ。


 私は、いつも。いつも。


 いつも——。


 結斗が好き。

 ただ、それだけでもう、幸せだったのに。


 落ち着いて時間を確かめると、深夜だった。耳を澄ませば隣の寝室から両親の平常な寝息が聞こえてきて、私はほっと胸を撫で下ろした。


 アルタイルがむくりと顔をあげていて、こちらを心配そうに見て、鼻を鳴らした。


「ごめんね……起こしちゃったね」


 私が頭や鼻先を撫でてやると、アルタイルは何を言うでもなく、再び顎を毛布の上に落とした。


 でも、まだ私を見ている。私の気持ちに寄り添うように、つまらなさそうな顔をしている。


 私は隣に寝転んで、その毛むくじゃらな身体をぎゅっと抱きしめる。


 犬臭いなんていう人もいるけど、私はこの匂いが好きだ。私はよくアルタイルに顔を押し付けて、その匂いを肺いっぱいに吸い込んだ。この時もそうした。


「良い匂い……」


 そうだ。


 夜の街で食べるハンバーガーなどではない。

 私にはまだアルタイルもいるじゃないか。


 負けてたまるものか。

 例え……例え——、結斗といられなくなったとしても。

 

 こんな世界の仕組みなんかに。

 負けたくない。


 ◯


 足早に春が過ぎ、気がつけば小六にあがってて、また夏が来て、私たちは近所の神社の祭りに出かけた。


 皆で屋台を巡り、ゲームをして、神社にお参りもした。普遍的な光景はけれど、家族という現実から解放された瞬間でもあって、すごく楽しかった。


 結斗の切り出した話は困った内容もやっぱりあったけれど、それ以上に嬉しい言葉も聞けて、久方ぶりに心が躍る。そして、続く麻倉さんの発言から、私は思い出していた。


 今もまだ子供だけど、もっとずっと幼かった頃のこと。


 あの頃はまだ目に映る何もかもが新鮮で、毎日が冒険に満ち溢れていて、その一端に結斗とお風呂に入った時の記憶もある。私はその頃の気持ちごと思い出すようにして笑いながら、気持ちがすっと軽くなっていくのを感じていた。


 諦観の極みがもたらした、開き直った境地に、私は辿り着いていた。


 だから、そこからの半年は幼児期以来、最高に自由に思えた日々だった。表面上は何も変わらない、けれども私の心境はまるで違う。


 朝、家を出て登校し、結斗を中心としたいつものメンバーで昨日見たドラマやバラエティのことを話す。それから、一緒に勉強をして、芸術を嗜み、給食は、結斗の嫌いなものが出れば私が食べ、私が嫌いなものが出れば結斗に食べてもらう。本気で向き合えば習い事だって趣味になる。音楽は好きだったから、エレクトーンやお琴は言うほど苦痛ではなかったし、書道で集中力を研ぎ澄ませるとあっという間にその時間は終わった。帰り道に夜の街を大人たちに混じって、散歩して、蛍光灯のいやに白くて眩しい量販店や閉店時間を控えたデパート内の閑散とした本屋を何の気もなくぶらつき、立ち寄ったファストフード店で気ままに食事を済ませて、帰宅すると、飛び跳ねて喜ぶアルタイルを愛でた。


 現実逃避だ。

 そういう、夢を見ることにした。


 もうそうすることでしか、自分の心を守れなかった。


 ◯


 遊園地の時も、最後までそうするつもりでいた。

 結斗がいなくなっても、私にはアルタイルがいるように、私がいなくなっても、結斗にはもう麻倉さんがいる。


 彼女ならきっと、うまく結斗を導いてくれるだろう。それだけが唯一の救いだった。


 観覧車の中、結斗の肩に手をついて、もたれかかるように項垂れる。気持ちの一端を告白するうち、次第に込み上げてきた情動に我慢がならず、突き動かされてしまった。


 身体が芯まで熱かった。未体験の高揚感が私を支配していた。


 しかしこれが最後の夢ならば、結末としては決してそう悪いものではない。


 してしまった。

 ついに。


 痛いくらいに心臓が高鳴って、私の雑念を吹き飛ばしていた。結斗の唇の感触が、まざまざと残っている。それが夢ではないことを確かめるみたいに、私は顔を隠して指先で触れる。


 ごめん、麻倉さん……。

 最後にするから。

 だから、もう少しだけ、甘えさせて。


「織姫——」


 結斗はまだ何が起きたか分からないみたいに目を丸くして私を見ている。私は心の中で謝罪すると、その気持ちに甘えるように言った。


「せめて思い出をください。大人になっても、きっと、それで生きていけると思う——」


 私はもう諦めていたのだ。六年になった時には既に心は折れていた。


 私では麻倉さんには勝てない。

 私は結斗に相応しくない。

 麻倉さんの方が相応しい。

 私はそこへはいけない。

 私は彼女のようには振る舞えない。


 だから、束の間の夢を見ることにしたのだ。

 それが覚める瞬間まで。


 しかし、結斗は違った。きっと、麻倉さんも。


「何があったよ」


 一年つづいた夢の果てのように思えて、その日まだ夢は続いていた。


「俺に言った以上、絶対死なせねぇから。観念して話せ」


 父との直接対決はしかし、無情にも、より一層私のかせの重みを強調するような結末に終わった。


 父に突き飛ばされた結斗。

 包丁を握り、父に迫った結斗。

 そして、父に押し倒され、喉に包丁を突き立てられた結斗。


 どれも一つ間違えれば、その時点で全てが終わっていた。私は横で泣いてるだけ。そしていつも、戦い、傷つくのは、結斗だ。


 もういいよ。

 もう、やめてよ。


 結斗が、麻倉さんではなく、私を未来のお嫁さんだと言ってくれたのが、飛び上がるくらい嬉しかった。


 けれど同時に、その事実が、結斗を死に追いやるのだ。


 私もそうなりたかった。

 ——けど、そのわがまま一つがどうしても叶わない。


 今生で——まっすぐ生きていこうと思う限り。


 私は、結斗をそうして帰らせて、一人、部屋に戻り、そこに閉じ込められるようにしていたアルタイルを抱きしめて慟哭する。


 翌朝、目が覚めたとき、私の気持ちは決まっていた。


 私は着替えると、机の中から工作用のカッターを取り出してポケットに忍ばせ、階段を降りた。


 そして、何も言わずに家を出て、結斗の家に向かった。




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