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『そして世界が終わるまで 〜繰り返される恋の、その先へ〜』  作者: 白雛
織姫リフレイン編

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7. 『乙女の戦い』




 五年に上がり、破裂しそうな心臓を抱えながら、クラス表を見上げた時は、感動で踊り出したくなるくらいに嬉しかった。私は知らされずとも、それが樹本先生の懸命な計らいであると信じた。


 初めての教室に入る時は、それだけに少し緊張していた。けれど、励ましを思い出す。


 私は大きく深呼吸すると、自分を取り戻す。


 負けてなるものか。


 極めて優雅な振る舞いで行こう。そして惚れ直させてやる!! 貴方には私しかいないんだって——。


 内心で意気込みながらも、身体は冷静さを保って動いた。この二年で培った技術だ。


 私は自分の席に付き、三〜四年次で築いた交友とのコミュニケーションを図りながら、視界の隅で入り口を押さえて、待った。


 結斗が入ってくる。


 彼の印象はまるで変わらなかった。


 というのも、私は先月も、何ならつい一週間前にも一緒に遊んでいる。そこから数日で目に見えた変化があるはずもないのだが、この時、私はそれが涙が溢れそうなくらいに嬉しかった。


 笑うふりをして手で口元を押さえて、震え出したくなるのを懸命に堪えた。


 あぁ、彼だ。

 彼の声がする。


 同じ教室で、同じ空間に、彼の存在を感じられる。


 感動と安心が去来して、私はもうニヤケ顔を抑えられなくなっていた。程なく心を決めると、話を切り上げて、その方へと向かう。


 もう気持ちをそのままぶつけるだけでいいや。周りの目など知ったことか。

 私は結斗のことが好きだ。


 それを自覚するだけで、反芻(はんすう)することですら、

 こんなにも満たされているのだから。


 私は彼の背面、右手側から、そろっと忍び寄るように近づくと、軽く背を小突いて脅かすように言った。


「白上 結斗くん!」

「は、はい?!」


 結斗は雷に打たれたようにびくっと大きくリアクションして、私はその効果を実感して、頬が緩んだ。


 きっとドキドキしているはずだ。

 心臓が爆発しそうなはずだ。


 だって、私がそうだから。


 私は樹本先生がするように、柔らかく頬を緩めて、口に手を当て、笑いかける。


「なにそれ。どうしたの?」

「え、あ、いや……あはは。なんだろうか……」

「せっかくまた、同じクラスになれたっていうのに」

「あー……な? うん、そうだな」

「変なの」

「あ、あー……うん。だな」


 樹本先生に倣った男落としの作法のオンパレードであった。私はこの二年間の研鑽(けんさん)の披露をしている。結斗が狙い通りに身体を強ばらせるので、効果はばつぐんであることが手に取るようにわかって、ますます楽しくなった。


「元気してた? ……なんて、おかしいか。ずっと会ってはいたんだし」

「うん……おかしいんじゃねー?」

「ひど。結構、楽しみにしてたのに」

「えーー……」


 私は終いに、つま先で立つと、彼のおでこに指をそろえて手のひらをあてがう。これは私のオリジナルであった。


「背、伸びたよね。なんか、もしかしたら違う人なんじゃないか、とか思って、実は話しかけるの、ちょっと怖かった」

「なんでだよ。別に……そう、隣のクラスにいただけなのに。気にすることなんかないだろ、別に」

「ほんと、なんでだろね」

 

 私は気付いていた。

 この時、結斗の背後にいた麻倉の存在にも。


 けれど、こればかりは譲れない。

 とらないで。そっとしておいて。

 お願い。この人だけは。


 五ヶ月後、その強烈なエゴは、まっすぐ自分にはね返ってきた。


 陸上クラブの外周ランニング中、麻倉 凛に呼びつけられて、コースを外れた小径に出向いたところ、麻倉は単刀直入にこう言った。


「水瀬さんってさ、白上のことどう思ってるの? 好き?」


 麻倉の顔つきは真剣そのものだった。


 クラスやその他どこで見たものとも違う。鬼気迫る表情の強張こわばり。その目線は鋭く、真っ直ぐこちらの目を見据えている。外せばとたんに、敗北の空気がそちらの方に集中して、二度と元に戻らない気がした。


 それが大袈裟でないことが、去年の私自身の経験からも分かる。


 退けない。負けられない。

 私は受けて立った。


 麻倉は続けた。


「私は好きだよ。転校してきて、馴染めなくて、心細かった私みたいな奴に声かけてくれて、優しくしてくれて」


 震えている。


 怖いのだ。失うことが。

 予感しているのだ。だからこそ。


 必死さは、その恐怖の大きさに比例する。同時に、どれだけ想いが強いかの証明でもあった。


「水瀬さんはさ、いいじゃん。顔もいいし、誰とでも仲良くできるし、気も遣えるし、モテるよ。誰でも選べるじゃん。私は違うんだ。アイツしかいないんだ。アイツじゃなきゃダメなんだ。こんなに人を好きになること、これから先もきっとないってくらい、もう好きなの。醜いってわかってるよ、でもお願い……お願い。私から白上をとらないでよ」


 体操着の裾を、指先が白くなるまで強く握りしめたその立ち姿は、切に可憐だった。


 去年までの私のようだ。


 必死だ。

 切ないくらいに、皆、必死だ。


 それを諦めなければならないと宣告される恐怖も私はよく知っている。否、私の方がよく知っている。必死なのは、私だって同じだ。私だって、神様の前に、ごく普通のどこにでもいる誰かにすぎない。この世に特別なんてない。その理解に、きっと、麻倉はまだ至っていない。


 私が何か、特別だと勘違いしている。


 心臓の鼓動がひどく乱れていた。

 違うんだよ。と言ってやりたかった。


 この世には正義も悪もない。才能もない。

 ヒーローもヒロインもいない。


 あるのは、いつだって、ただ必死な、個人の涙と血のにじむ足掻きなんだ。


 私は短く瞼を閉じると、その間に覚悟を決めた。


 見せつけなければならない。

 これもまた、愛であるはずだ。私のだって、愛であるはずだ。


 私の方が——じゃない。どっちも、そうなんだ。


 だからこそ。


 瞼を開けると、私は自分にできる最高の余裕をイメージして微笑んだ。


「取る? 取らない? ……いいな、まだその次元なんだ。すごく勇気出して言ってるの分かるし、悪いんだけどさ、麻倉さん、それ、言う相手、間違ってると思うよ。結斗は誰のものでもないよ。それは結斗自身が決めることだし……でも、結斗がどう答えるかは、私は知ってる。——試してみようか。結斗に、私が適当な先輩のこと好きだって言ってみなよ。彼もたぶん、同じこと言うとおもう。その次元なんだよ、私たち」


 だから、お願い、諦めて。


 最後に言おうとした言葉は——、けれど口に出しては言えなかった。


 自分に返ってきたらと思うと、それは自分で口にすることさえ、はなはだ、恐ろしかった。


 翌日、昼の外掃除を済ませると、私はグループを一足早く抜け出して、教室に直行した。


 早ければ麻倉が行動に移していてもおかしくない。その確かな予感があった。


 五年二組の教室は、昇降口を抜けて正面の階段を登り、三階の踊り場を出てすぐ目の前、廊下の一番手前側にある。


 そうして二階〜三階間の階段を登り詰める途中から、二つの声は聞こえていて、私はしめた——、と思い、足音を立てないようにそっと壁に貼りついた。


 壁一枚隔てた廊下の向こう側で交わされているのは、一方は紛うことなき結斗、もう一方は麻倉の声である。その二つが軽く口論をしている。


 経過を聞いて、私はまさしく、麻倉が吹聴したのだと悟った。


「……と、とにかく! アンタ、このままじゃ、水瀬さん、先輩に取られちゃうんだからね! しかも向こうヤンキーっぽくて、超強そうな先輩だし。シラガじゃ絶対勝てないわ。あーかわいそう」

「あのさ」


 壁の向こう側で結斗の声が言う。


「取るとか取らないとかさ、よく俺に言ってくるやついるけど、別にアイツ、俺のものとかじゃないから。アイツ自身のもんだから。で、俺、アイツの幼馴染だから。偉そうでムカつくんだよね、アイツのこと、そんな風に言う奴」


 私は白いモルタル塗の壁越しに——寄りかかって、そのやりとりを聞いていた。


 麻倉の声が食いかかるように続いて、一段と低くなる。


「ちょ——は? ……なにマジになってんだよ」

「口に気をつけろって言ってんの。シラガもやめろ。女だからっていい加減しないと殴るぞ。俺は」

「白上、アンタ、本当に水瀬さんのこと……」


 私は座り込む。


「どうでもいい。でも、次、そんな風に言ったら——お前でも許さねぇ」


 気付くと私は、畳んだ膝の上に腕を乗せ、その中に顔を埋めて、震え立つほどの感情に咽び泣いていた。


 声を押し殺すのが大変だった。口を手で押さえて、どうにか止めていた。


 すぐにもこの壁から出て行って伝えたい——。


 私がどれほど貴方に恋焦がれているか。

 私がどれほど切実に貴方を求めているか。


 けれど、じっともしていられない。階下の方からも、廊下の反対側からも、誰かの足音が聞こえて、私は目元を強く拭い、何事もなかったように立ち上がると、足早にその場を離れ、一つ下の階のトイレに駆け込んだ。


 すぐの洗面台で顔を洗う。こんな顔は見せられない。幸いにして、トイレには誰もいなかったが、拭っても、そうして顔に水を浸しても、その度、涙はより大粒になって溢れ出て、その度より強く、嗚咽が漏れた。


 もうだめだと諦めて、少しの間、その場にしゃがみ込んで感情の芯まで絞るように号泣した。


 抑制なんてできるわけがない。出し切るしかない。

 私は手のひらで握るように口元を押さえて、その中に溜まった想いを一頻り吐き出した。


 次第に目元の刺激は緩くなっていく。


 冷静に思考が働くようになり、そろそろ戻らないと変に思われると考えて、段々と涙は止まり、喉のひきつけも治まり、全身に気だるさを覚えてきても、ふとすると、また指先に力が灯った。


 涙腺の刺激がそこへ降りてきている、と最初は思った。痛みに似た鋭いむず痒さが、心臓の静かな鼓動のように、お腹の底に走っている。


 私は起き上がって今一度顔を洗い、鏡を前にして、おへその下辺りを撫でた。


 呼吸はもう落ち着いている。

 頭の中は冷静だ。

 それなのに、身体の奥が、火が灯ったように熱かった。


 あの人の子供がほしい。

 そう思ってることに気づいた。


 私は何食わぬ顔で教室に戻ると、他の生徒に混じって掃除を手伝い、結斗の話にも付き合った。


 その夜、私は初めて自慰をした。


 女は初潮を過ぎれば、皆、もう大人だ。初潮は強姦にも似た強引な本能の通過儀礼であって、その自覚といつ向き合うか、が次の大事になってくるが、そんな個々の気持ちはさておき、身体は否応なく、その準備を勝手に進め、終えてしまう。


 それからは毎月、必ずその認知を急かされるようにもなる。


 でも、私はそれが嫌じゃなかった。


 その時にはもうすでに、心に決めた人がいたから。むしろ、嬉しかった。これでいつでも、私は結斗のお嫁さんになれる。


 いつだっていいのだ。


 何なら、今、この時、突然結斗が私の寝てるこの部屋にやってきて、求婚されたって、私はその全てを受け入れられる。


 たぶん、後の人生が長すぎるのがいけない。


 私の理想は二十歳だが、三十くらいで死ねれば、人間は誰も歪んだりしないのだろう。壊れることなく、その命を惜しみながら逝けるのだろう。


 私ももう、気付けば女だった。子供ではなくなっていた。

 その作り方も知っている。


 それがどうして、女の子にはないのか。男の子にはついているのか、その用途を知っている。


 それを思うと……でも、やっぱり。


 引き返せなくなったことを悟って、その夜は寂しくて、涙が出てきた。


 そうして、やっぱり、お姫様だった頃の私は死んだのだ。

 この世のどこにももういない。


 樹本先生は優しいから、その全部が誤魔化しではないにしても、優しい嘘をついた。


 今の織姫を形作る私は、もう好奇心に突き動かされていた頃のお姫様でもヒロインでもない。


 私は、それを可愛いとも思えない。


 がりがりとドアを擦る音に起きて、アルタイルを部屋に迎え入れると、私は一緒に布団にくるまれて寝た。


 アルタイルももう大人だった。ずっとずっと身体が大きくなって、アルタイルが乗ると、ずっしりとマットが沈み込み、寝転がれば私など簡単にその毛皮で包み込まれてしまう。そして今や、この家にいる誰よりも頼もしい。


 そして寝しなに思い出していた。


 まだ小さかった頃のこと。小さかったアルタイルと夜空を見上げた時のことを。

 あの時も似たようなことを、私は思っていた。


 子供は天才だから、既に、ずっと昔から分かっていたのだ。


 誰もが変わらないではいられないのだ。

 こうして、何もかも、変わっていく。


 それでも、私は子供のままでいたかったのだ。

 結斗とアルタイルと共に、永遠とわに駆けていたかったのだ。




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