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『そして世界が終わるまで 〜繰り返される恋の、その先へ〜』  作者: 白雛
織姫リフレイン編

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6. 『眠り姫』




 それから間もなくして、私の話を聞いてくれた昨日の若い女教師が教室に入ってきて、浅野に代わり、このクラスの担任を受け持つと説明した。そんなささやかな出来事が、私の寂しさを慰めた。

 

 この担任、樹本(きもと) 紀佳(のりか)先生はまだ25で、それにとっても美人で、時々地元の方言が出て面白く、人気があり、私もとても好きな先生だった。


 この人のおかげで、私は目に見えて結斗と付き合う時間の減った三年〜四年次を乗り切れたといっても過言ではない。


 彼女の思考は柔軟で、常に他の年老いた教師たちよりも私たちに近い目線で接してくれ、私の好奇心と内々の気質にも深く注目して、クラス委員長などをやらせ、リーダーシップとそのカリスマ性を引き伸ばしてもくれた。


 ちなみに実は、中学最後の年の修学旅行先にも駆けつけてくれる。京都が彼女の地元だからだ。結斗も会っている。


 何度か、私のクラスに訪れた時や校外学習の際に、結斗は生意気にも、樹本先生の美人ぶりに照れながら妙に固くなったりしていた。しかしそのたびに、樹本先生はうすく上品でいながら、悪戯っぽく笑ってあしらう。もう立派な大人のはずなのに、こんなにも子供っぽく魅力的に振る舞える人もいる。


 その発見が喜びであり、その姿こそ、私の憧れであり、その後の資本にもなった。


 そんな先生が結婚をして、退職するという報告をしたのは、四年になってそう日も経たないうち。


 先生は朝の会でそれをとても満足そうな顔で私たちに話して聞かせ、だけどこの一年は私たちに尽くすことを約束してくれた。


 それはまた寂しい、だったけれど、私は堪える。


 樹本先生はそうしてようやく結ばれるのだ。できればずっと私たちの先生でいてほしかったけれど、それを止めることはできない。

 わがままではいられない。


 それはなぜだろう?


 樹本先生を想えばこそ、元気な姿を見せようと誰かが言い出し、そうして一年、落ち込むクラス全体を励まし続けた。


 好きなのに、自ら進んで別れを受け入れるようなことをしている。


 矛盾している。

 矛盾ではないのか?

 本当は嫌なのに、嫌ではないふりをする。


 もしかして、それが愛なのか——。


 嫌だ!!


 心の中の幼いあの頃のままの私が叫んだ。


 至りたくない……。

 そんな残酷な答えになんて……。


 この年、二組に転校生がきたことも、私の精神のひずみに拍車をかけた。


 とある帰り道のこと、私は帰路の先を行く結斗を見かけて、声をかけようとした——その時、一足早く私の後ろから声があがって、一人の女の子が瞬く間に私の横を追い越していった。


 女の子は、私の視界の中で結斗の隣に並んで、楽しそうに頬を緩ませる。結斗も自然に応対している。


 私は虚を衝かれた思いで立ち止まる。


 それが、その年の春に転入してきた麻倉 凛だった。


 この頃、既に形成されつつあった私自身の対外的なイメージとは対照な、はつらつとしたその勢いと力強さ、裏表のない感じが、いやに眩しく見えた。


 樹本先生の影が、その時の麻倉に隣立つ結斗の背中にダブって見えて、私は全身が総毛立つ思いがした。


 愛する人のために、その人といることを諦められること。

 それが、愛だっていうのか。


 私は認めたくなかった。


 だって、そんなの……恐ろしい、なんてひどい……絶望的な真理じゃないか。


 生きていられなくなる、と直感して思い、私はそれについて考えることをやめた。


 けれど思考を止めることは極めて難しい。何をしていても、どこかで抜け道を探すことを考えてしまう——、抜け道? 違う、そうじゃない。それではまるで、私のこの気持ちが外法であるかのようだ。


 私は人を好きでいたい、その人と一緒にいたいだけだ。


 その気持ちが、過ちであるわけなんか……ないんだ。


 そんな混沌とする気持ちをはぐらかすのに、この頃急速に増えつつあった習い事の数々が役に立った。


 初めこそ、父親に対する反抗心で拒絶していたが、何か手を動かしている時だけは、そちらに集中できたからだ。


 父親を調子づかせるようで、気持ちの良い状況ではないものの、反面、九死に一生を得た感覚でもあった。


 母に関しても、そうだ。私はもう両親を同じ人としては認めていなかった。例えるなら、機械的な検閲システムのようなものである。


 時にカードキーを細工し、内通者を駆使して、如何に彼らのサーチライトを騙しおおせて、その向こうに潜り抜けられるか。


 彼らに対して考えるのは、その対策だけであり、人間的な情は顔に張り付くダニほども、もはやない。


 父の出張の隙をいたり、成績表で取引に打って出たり、母は口八丁手八丁で脅したりすかしたりして、私は結斗との時間を作った。そのことに躍起になっていたと言ってもいい。その甲斐もあって、ホリデーシーズンのイベントは欠かさず行えた。


 それだけが、麻倉 凛に対するアドバンテージのように思えた。


 そんな溜まったガスがパンパンに張り詰めた風船のような胸中が突然、文字通り、爆発したことがあった。


 クラス委員でいつもの通りに樹本先生の事務を手伝っていた時、私は、ふいに涙が止まらなくなる。


 完全に不意の、自分でも感知しない肉体の挙動だった。


 ただ自然と、唐突に、涙が網膜をついて流れ出していた。私が自分の状態に気付いたのも、先生に指摘されたからである。


 どうして、なんで。

 自分でも分からない。


 あれほど楽しかった、夢中だった毎日が、どうして気付けば、こんな焦燥に過ぎ去るだけのものになってしまったのか。


 好きという気持ちが、他者と競い合い、互いの精神を削り合うものに成り果ててしまったのか。


 醜い……、なんて醜い……。

 こんなのがお姫様であるはずがない。


 かつて自分自身に抱いていた憧憬と希望はもはやかけらもない。


 私は、私はもうただの……愛憎に塗れたみにくい豚も同然だ。


 すると、先生は涙を拭い、止まらない私を優しく抱きしめてくれた。


「辛いよね……女の子は。早すぎるよね……」


 そして言いながら、綺麗に一雫の涙を零すのだ。


「でもね、水瀬さん。それは醜いとか、ましてや汚いなんてことではないの。むしろ、それが人間は可愛いのよ」

「可愛い……ですか?」


 私には理解のできない形容に、初めて樹本先生に対し、反骨心を抱いて、含みをこめる。


「これが? こんなのが?」

「そうよ。いつかそう思える時がくる。それまで一回、女の子の中のお姫様は眠りにつくのね。そしていつか——そうして一度は眠りについた、自分の中のお姫様を揺さぶってくる男の子が現れる。その時に、分かると思う」

「今、目の前にいる人ではいけないの?」

「白上くんね?」


 改めて問われると、それは大好きな樹本先生の前でも……ううん、尚更、恥ずかしかった。


 私は小さく頷くと、先生は「うーん」としばらく考えてから切り出した。


「子供の頃って多感だから、過ぎ去ってしまえば——というのは一般論だけど、私も正直言ってつまらないと思うし。水瀬さんはもちろん、そうじゃない。本当の本当に白上くんのことが好きなんだよね?」


 樹本先生は念を押すように繰り返し尋ね、私ももう一度頷いた。樹本先生は、すると、いとも容易げに続けた。


「それなら簡単だよ。白上くんもきっと同じ気持ちなら、いつか必ず来るその時——そこに、彼がいると思う。彼が、もう一度水瀬さんの中の眠ったお姫様を起こしにくる。揺さぶってくる。そうしたら、水瀬さんはその気持ちに正直に応えてあげればいいだけ。だけど、一つ注意だよ。絶対に、その時を逃してはダメ。その時が来たら、彼に任せきりじゃなくて、自分からお姫様を起こすの。勇気を出すんだよ。そこが勝負なんだ」

「勝負……」


 その時の私にはまるで想像もつかない、実際に起こりうるのかも半信半疑のことだったが、誰あろう、樹本先生の言うことだ。


 私は何か、き物が落ちたように肩が軽くなるのを感じた。勝負したい……!! そう思うと、その日が待ちきれなくて、さっきまで絶望にベソをかいていたのが嘘のように居ても立っても居られなくなる。


「そうだよ。女の勝負処だよ、負けんなよー」

「私、絶対、勝ちます。勝って、結斗と……あー」


 口に出すのは恥ずかしくて、すんでのところで口籠もると、先生はクスッと笑い、私を再度抱きしめ、頭をわしわしした。


「あーもう、可愛いなー水瀬さん。白上くんはほんと、幸せもんだよ」


 私は恥じらうあまり、何も言い出せなくなって、しばらく樹本先生にされるがままでいた。それから、結斗みたいに頭の上に手を乗せかえると、樹本先生はからかうように微笑んで続ける。


「大丈夫。私は水瀬さんの頑張りと、めっちゃくちゃ強いとこ知ってるから。応援してる。負けないで。相手にじゃないよ? その時の、逃げ出そうとする、弱い自分に」




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