3. 『織姫と麻倉』
今でこそ春とかにやるのが定番の運動会だけど、俺の時代ではまだ秋に開催するのが恒例の行事で、夏休み明けの最初の大イベントになる。
俺は体格にも恵まれて、毎年学年合同のリレー選手に選ばれていたが、正直朝練が辛いので、今年は手を抜こうと思っていた。なんかそんなのよりも、一年前に戻った感覚で、織姫と何でもないことを話しながら、登校する時間の方が大切だった。
その矢先、クラスの麻倉 凛という女子が腰巾着を一人連れ立って、俺を呼び出した。
コイツは四年の時に俺と同じクラスに転校してきた奴で、一年間甲斐甲斐しく面倒を見てやったにも関わらず、最近になってなぜだか、俺を敵視してくる、ちょっと嫌な奴になっていた。
だから、この時も、その第一声からして、俺は嫌な予感しかしなかった。
「シラガァ、ちょっと」
「は? なに? 今、忙しいんだけど」
「いぃからー、ちょっと」
掃除の時間だった。
俺がいつもの面子で、一人を箒に跨らせ、あとの二人で両側を思い切り持ち上げるハリー○ッターという遊びをやっていたところに、そいつは気怠げに声を掛けてきて、廊下から手招きしていたのだ。
まるでドラマで見た薬の売人みたいだ。
そう思いながら、俺が仕方なく葛西の尻責めを諦め、二人には肩をすくめながら廊下に出向くと、単刀直入に麻倉は切り出した。
「シラガ、知ってる? 水瀬さんって六年生の須藤って先輩が好きなんだって」
「は? 誰それ?」
「さぁ? なんかー陸上クラブで一緒になって、大人っぽくて、すごく格好良かったーって言ってたよー? シラガー、どうするのー?」
シラガとは、名字が白上である俺の当時の蔑称である。
四年の時には嫌いな奴からこれをしつこく言われて、度々取っ組み合いの喧嘩になったりもしている。麻倉もそれを見ている。それを分かってて、春から急に使い出したのだ。
基本的に男に使われたら、それは喧嘩を売っているとみなして実力行使で黙らせに行くところだが、女に手を出すわけにもいかないので、しょうがなく黙っている。
「どうもしねーし。暇なの? ちゃんと掃除しろよ」
「オメーに言われたくねーよ。てか、うーん? べっつにぃー? 私たち、水瀬さんの好きな人言っただけじゃん。……ねー? シラガこそ、なに? どうしたのー?」
麻倉は目元から顎の先まで、悪魔のようにぐちゃぐちゃに歪めながら、隣の女子と意地悪くニヤニヤ笑い合った。
コイツらは自分たちに矛先がいかない暇を持て余すばかりに、こうやって他人の恋路を弄んで楽しんでやがるのだ。いや、恋路とか、別にそんなんじゃないけど。
心底醜いと思ったし、憎らしいとも思う反面、俺は少し哀しくもあって、嘆息すると、憐れみを目線に込めて言った。
「俺は哀しいよ」
「ハァ……?」
「ちょっと前まではさ、白上ー白上ーって、ずっと俺の後をちょこちょこちょこちょこついてきててさー。あんなに人懐っこい奴だったのに……」
俺が舞台俳優さながら、大袈裟な演技を混じえて語ると、腰巾着の女子が麻倉の顔を覗き込んで、震え出した。
麻倉も言葉を失って、同じく震え出した。
「なんでこんなになっちまったんだ!! おまけに、最近、化粧くせーし」
「そうそ……あ」
腰巾着の女子は我慢できずに吹き出し、すぐに麻倉に睨みつけられた。
気を取り直した麻倉が平静を保って言う。
「は、ハァ? ちょ、何言ってんの、アンタに懐いてたとか、そんなわけないじゃん。え、なんか勘違いして、調子乗っちゃってない?」
「え、俺に懐いてたなんて言ってないけど。人懐っこいって言ったんだけど」
「……と、とにかく! アンタ、このままじゃ、水瀬さん、先輩に取られちゃうんだからね! しかも向こうヤンキーっぽくて、超強そうな先輩だし。シラガじゃ絶対勝てないわ。あーかわいそう」
「あのさ」
俺は度々耳にするその表現が、正直嫌いで、今度はちょっとマジだった。さっきとはまるで意味合いの違う本気のため息をついて、麻倉を睨みつける。
「取るとか取らないとかさ、よく俺に言ってくるやついるけど、別にアイツ、俺のものとかじゃないから。アイツ自身のもんだから。で、俺、アイツの幼馴染だから。偉そうでムカつくんだよね、アイツのこと、そんな風に言う奴」
「ちょ——は? ……なにマジになってんだよ」
「口に気をつけろって言ってんの。シラガもやめろ。女だからっていい加減しないと殴るぞ。俺は」
「白上、アンタ、本当に水瀬さんのこと……」
「どうでもいい。でも、次、そんな風に言ったら——お前でも許さねぇ」
麻倉のそんな挑発は、けれどある意味では凄く功を奏して、俺の中の男の子に火をつけてもいた。
「俺は許してくれるよな!?」
重い空気に耐え切れなくなった葛西が突然、教室から飛び出してきて、飯島と並んで俺にすがりつくように言った。
俺も元々こんなのは柄じゃないというか、楽しい方が好きで、だからそんな横槍がたまらなく有難い。だから、コイツらとは一緒にいるのだと思う。
「な? なぁ? 白上ー白上様ー……」
俺はやたらに眉間に皺を寄せて、葛西を睨むと、
「ゆるーーーーーー」
「あわわわ」
「--す」
「白上!」
三の倍数と三のつく数字の時だけバカになるみたいに、俺はその一言と同時にバカ面になって、二人とバカみたいに笑い合い、ふとあからさまに訊いてみる。
「そうだ。須藤って六年生知ってる?」
「うん、知ってる。てか、お前、去年リレーで一緒に走ってたじゃん」
「え。あ……あー、よく覚えてない。いいじゃん、それより、ハリ○ポッターの続きやろうぜ」
「……いいから、アンタら掃除しなさいよ!!」
教室の入り口に立ってるのは、委員長の高橋だった。一人で百面相みたいにコロコロ表情を変えて、少なくとも怒っている。
「え、私一人じゃん?! 真面目に掃除してんの!! 気付いたら、一人で箒掃いてた私の気持ち考えたことある?」
俺たちは箒で履かれるようにして、すごすごと室内の掃除に取り掛かるのだった。
それから、すぐに織姫の班も外掃除から帰ってきて、まだ掃除が終わっていないことに半ば呆れて、手伝い始めたので、
「なぁ、織姫」
「結斗、お喋りはいいから、手、動かしなよ」
机を運びながら、その交差するところで、俺はふと訊いてみることにした。
「須藤って六年生、知ってる?」
「……知ってるけど?」
「良いやつ?」
「うーん。チャラいと思う」
「チャラいの?!」
「チャラい」
「チャラいのかよ。ふーん。……そいつは見過ごせねぇな」
「え、何か言った?」
「いや。何も」
内心、麻倉には感謝していた。織姫に答える傍、ほくそ笑んでやる。
そうやって笑ってやがれ。
見せてやるよ。俺の根性を。
そして、俺はバカで単純だった。




