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『そして世界が終わるまで 〜繰り返される恋の、その先へ〜』  作者: 白雛
現代編

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20/63

20(終). 『デジャヴとニキビ』




 翌年の夏。私は近くの図書館での勉強帰り、ふと思い立って例の家の裏手にある雑木林のルートを辿ってみた。


 すると、不思議なことにいつも通っていたはずの小径がすっかり生い茂って道を成していない。


 一年でここまで伸びるなんてことある? という違和感から、近くを通りがかった農夫らしいおじさんに尋ねてみると、なんとも摩訶不思議な解答が返ってきた。


「なぁに言ってんだ、嬢ちゃん。この先に丘なんかねぇよ」

「は? あるって」

「ねぇよ」

「あるから」

「ねえって」


 農夫のおじさんは続ける。


「五十年近くこの土地さ住んでんだ。間違いねぇっつの。この先はもうずっと森、山。ほれ、そこの看板にもあんべ。クマさ、出るくれぇの僻地だっぺよ。嬢ちゃん、へんな夢でも見てたんでねぇか?」

「ちょっとツネってもらってもいい?」

「あらま。珍しい女子だな。ええけどもよ」


 おじさんの節くれだった指が私の頬を摘む。痛い。

 私はツネられた箇所を擦りながら言った。


「マジですか?」

「マジですだ。今はもう見なくなっちまったけども、昔は狼なんかもいてな、俺がガキんころは神様だってんで大層崇められて——」


 炎天下で聞く地元のおじさんの昔話は命に関わるため割愛するが、その夏の終わりで猿彦が転校するということを聞かされたばかりのことだった。


 全て夢だった?


 夢ってなんじゃ?


 誰かが見ている夢。

 昔々中国の賢人が夢の中で蝶となり飛んでいる夢を見たという。起きてみて、思いつく。はたしてそれは本当に夢だったのか。私の見ているこの世界こそが、蝶の見ている夢なのではないか——と。


 かの著名な哲学者先生もこう言っている。あまりにも有名なので、ご存じの方も多いだろう。


 深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いているのだ。


 夢を見るとき、その夢の登場人物もまた、私である夢を見ているのかもしれない。


 そしてその先生はさらにこうも言っている。


 過去が現在に影響するように、未来もまた現在に影響を与える。


 そんな風に私たちの思考は、実は、私たちの預かり知れないところで、一本の紐のようにつながっているのかもしれない。


 もうはや一昨年の夏、私に白羽の矢が立ち、突然こうして文学的資質を開花せしめたのも、また何かの意思であるのかもしれない。


 デジャヴとニキビ、それは過ぎてしまえば、結局どちらも意味のない時間のいたずらのようなもの。


 けれども、今なら少し、ほんのすこし、それが去年を越えた今日の私を形作っているかのように思えた。


 猿彦と柴田、二人との出会いのように。


 私には今のところこれが限界で、これ以上考えていると頭が痛くなってくるのでやめるけど、そしてその方がいいのだと去年の事件から悟ったわけだけれど、つまり先生方の言いたいことは、ネガティヴにするもポジティヴにするも、全ては自分の心次第。


 日々平坦に見えてつまらなく思えたり、時々、それが過ぎて死にたくなったりもする日常だけれど、そんな私たちに遥か昔から勇気を与えてくれるので、生き方に迷ったら、哲学オススメってことである。なんだそれは。


 さて、猿彦の引っ越し当日。


 あの性格の割に、彼の自宅前には私含む多くの同級生が集まっていた。クラスメイトの寄せ書きと贈り物の小物の数々を車に乗せて、猿彦が振り返ると、私は意を決して言う。


「あのさ、私、ずっと考えてたことがあるんだけど」

「なに?」

「あれ、ほら、基本的信頼感とか、愛を得られなかった子供とかの——あれさ、本当は」


 猿彦は指で私の唇を留めていた——、

 何度となく思ったことだけれど、猿彦の手つきはまるで女の子のように艶かしい。


 柴田がムッとしたのが分かった——、

 でもそれは、初め柴田が言ったことだ。

 柴田が一番最初に気付いたことだった。


「千歳、野暮だよ、それは」

「でも、じゃあ——」

「手品の種に気付かれたマジシャンは引退しなくちゃいけない。恥ずかしくなって出てこれなくなるのさ」


 猿彦は言うと、私を軽くハグした。


「お礼に俺も君に言ってないことがある。白状する。俺は、俺のために君に黙っていたことがある」

「な、なに?」

「いつかあの丘で、この世の仕組みについて話したの覚えてる?」

「うん。この世は永遠に生と死を繰り返している。出会いと別れを繰り返しているって話でしょ? ——だから、生きることは詮無いって」

「その通り。けれど、その解釈はもう一つの事実も孕んでいる。つまり——別れは決して最期じゃない。ここで別れたとしても、例え今生で死に別れたとしても、俺たちは必ず、また会える。何度だって、その時にはまたデジャヴを——懐かしい思いをしながらね」


 猿彦は言いながら、私の頭を撫でていた。


 別れを前に涙でくしゃくしゃになった私の頭を。


「だから、そんなに泣かなくていいんだよ。千歳」

「私もそうだけど……」


 私は後ろの方で隠れていた女の子に譲るように、その背を押した。


 坂東だ。


「まー私、カオス好きだし、退屈しのぎにはなったっていうか……」


 いつもは坂東に冷たく接していた猿彦だが、この時ばかりはその献身ぶりを温かな眼差しで見つめていた。


「菜々子。君には世話をかけた」

「あ……」

「誇れよ。俺は君を信頼してた。だから、君を頼っていたんだ。君は、良い家来だったよ」


 この期に及んでなんちゅう偉そうなことを。

 私が猿彦に一言言ってやろうと思った矢先、坂東が声を張り上げた。


「華くん……!! 私、勉強してそっちの大学行くから!! 絶対、行くから!! もっと勉強して頭良くなるから、だから、そしたらこんな私でも、華くんの隣にいてもいいかな?!」

「ああ。待ってるよ」

「華くん……!!」


 坂東はそう言って猿彦に甘えるようにひしっと抱きつくと、しばらく二人は抱擁を交わしていた。


 私にはよく分からん愛情の表現だけども、二人がいいんならいいんじゃないか。


 そんな風に、高校最後の夏も暮れていった。


 ◯


 高校を卒業すると、私はなんと、海外に旅立った。

 しかも、それは留学などではない。

 世界一周旅行計画であった。


 何年かかるか分からないし、ましてや女の一人旅などと周囲には反対されたが、押し切った。


 何か、そう、自分一人の生活力でどこまでやれるか試したいのと、それで死んだら死んだで、そこまでの人間であったという試しでもあったが、私は柴田に約束した。


 必ず生きて帰ってくる。

 それだけを約束して、時にはやはり命の危険に晒されもしながら、その日その日を懸命に生きようとしてみて、世界中を旅したのだった。


 収入は、路上で絵を描いたり、日本で流行っている歌を歌ったり、パフォーマーとして活動をして、たまに居着いたところではバイトをしたり、その時と地域の治安によって多種多様に変えた。


 持ち前の天真爛漫さが初めて最大限に活用された日々といえよう。


 ◯


 さて、この物語もいよいよ終わりである。


 テンプレだけれど、私にとってやはり、それは長いような短いような、悩むこともあり、焦りに満ちた時もあり、大いに苦しみつつ、しかし、やっぱり、最後にこうして思い返してみると、楽しい作業であった。


 最後に皆の近況を語る。


 晴子はその後、陸上の才能を目覚ましく開花させ、年の離れた交際を周囲に隠しつつ、大学の選手権でテレビに映るまでの活躍を果たした。


 けれども選手としてではなく、教える側に立つことを選び、自らもまた数年来の恋人と同じく、教鞭を振るう職についた。


 猿彦と坂東は近隣の有名な私大を卒業したのち、しばらくして、心中した。


 やはり運命には抗えなかったのかもしれないし、もしかしたら、あえてそこに飛び込むことを彼は抵抗だと示したのかもしれない。


 何の慰めにもならないかもしれないが、けれどその最期まで、傍には坂東がいた。


 彼の今世はそうして幕を閉じた。


 そして、柴田。


 オレンジ頭のニキビの化身として親しまれたコイツはしかし、その後大学に入って、なんと勉強に明け暮れ、院にまで登り詰める学徒となり、堅実に働く一介の研究者となった。


 分野は生物学。植物学。

 その辺が主であり、自宅には彼ご自慢の広い温室が備わって、田舎のど真ん中に彼独自のジャングルを形成せしめてやまない。


 なんでも、あの時、自分たちを助けた白詰草の行動が気に掛かり、調べていくうちに興味の種が尽きなくなってしまったのだという。

 まったく、呆れ果てるほど単純な男である。

 いっそ単細胞なのだろう。植物だけに。


 で、私。


 私は真っ黒に日焼けし、髪を伸ばして、サングラスをかけたポカホンタスままの姿で、幾重にもテーピングがされ、各国のシールやら何やらが貼られた小汚いキャリーバッグをもはやペットのように片手に引き連れ、海外から帰ってくると、柴田の出迎えに思わず、英語で話してやった。


「You're not cheating on me are you?」

「すっげ!! おいおい、マジでペラペラじゃんよ!! どうなってんだ、千歳が頭良く見える」


 私はサングラスを取ると、脚を開いて、大袈裟に笑った。


「はっはっは。ひれ伏したまえ。私はもう勝之の知る私ではなくなったのだ」

「その調子のこきっぷり、まさしく千歳じゃん!!」


 柴田は言うと、私を思い切り抱きしめた。


「おかえり。本当に、呆れるくらい、長かった……何度も死にたくなったもん、俺」

「ふふ。死ぬなよって言ったの、アンタじゃん」

「あー最高。いい匂い。愛してる、千歳」


 よくある光景なんだろうけども、私たちは脇目も振らずにしばらく抱擁を続け、終いにキスをして、存分にイチャつき、光差す出口に向かう。


「んじゃ、行くか」


 と私が言うと、柴田は恭しく手振りを添えて、言った。


「どこまでも、お供します。マドマーゼル?」

「…………」


 その瞬間——、あの数ヶ月、数年の出来事が一時に私の脳裏を包み込んだ気がした——、


 したのだが、私は鼻で笑うと、再度キャリーバッグを引き連れ、歩き出した。


 後ろから柴田の声が続く。


 今までの全ては、その一言を聞くためにあったのかもしれない。


 もしそうなら、私はきっと飛び上がるくらいに嬉しい。

 きっと泣いてしまうくらいに嬉しい。


 だから、言葉にはしない。

 そっとしておく。


 言葉は複雑怪奇、奇妙奇天烈に入り乱れて、真実、それのみを告げることを憚る、息せく少年のように厚かましく、あたかも恥じらう乙女のように儚いものであるのだから——、


 でも、やっぱ無理だった。


「一度しか言わないからよく聞いとけよ」


 私は追ってきた柴田の頬にキスするように言った。


「勝之。好き。大好き」


 その日、その足で市役所に向かい、例の紙を受け取るのだった。


 ◯


 更に数年後。


 白く、薄い視界の向こうで、けたたましい泣き声が、けれど遠く、海の底にいるかのように聞こえた。


 周囲の人たちが慌ただしく、行き交い、私に何か言っている。けれど、その鳴き声がなによりも強く胸を打った。


「お父さん! ほら、男の子ですよ!」


 そんなはっきりした声の後に、よく聞き慣れた男の声が——、

 笑っちゃうくらい震えているその声が、言葉にもならない言葉を口走っていた。


 やがてその影が近づいてきて、薄ぼけた意識がだんだんと明瞭になる。


 勝之が不安なのか、嬉しいのか、笑いたいのか、何もかも分かんないぐしゃぐしゃの顔で、その腕に抱かれた干物のようなものを私に見せてきた。


「千歳、み、み、見て。俺たち……の」

「うん……」


 抱えるので腕は使っていて、二人とも込み上げる涙を止める術がない。


 私は滲んだ視界の向こうにその子の顔を見る。


 まだ顔が赤い。目も閉じて、ぎゅっと手を握り締め、小さな胸の辺りで構えている。


 でも、ゆっくり息をしている。

 息づいている。


 生きようとしている。


 生命が、その脈動が、はっきりと伝わってくる。


 私が指を差し出して軽く触れると、その手がふと、ぎゅっと力強く、指を掴んだ。


「…………」


 言葉にならない。

 涙が止まらない。


千郷(ちさと)……お、お母さんだよ」


 声に反応するように、その、もう微生物みたいな小ささの指にまた力が入った。


 私は頭を移動させて、その子にくっつけると、何度となく神様に感謝して、思い浮かべた言葉を言うのだ。


「産まれてきてくれて、ありがとう」


 その一言を。




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