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『そして世界が終わるまで 〜繰り返される恋の、その先へ〜』  作者: 白雛
現代編

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15. 『花火大会の夜・前』




 私はまず晴子の家に行って、例年のごとく晴子のお母さんに浴衣の着付けを教えてもらいながら、帯を固く締め、久しく髪をも結い上げると、満を辞して戦地に赴いた。


 約束の場所は学校のあるところから家ではなく、駅前商店街のある東に進んで、少しところにある廃線になったバス停の待合所に定めていた。


 こういうとき田舎はわりに便利だと思う。イベントを催せるだけの広い原っぱはどこにでもあるし、大抵近場になる。言うなれば、都会住みの人たちが車や電車を使って長距離を移動してくる立場であって、私たちは来られる側であり、そんなに移動が必要ない。


 この時もそうである。

 花火大会の開催地である河川は、内陸側の奥地から累々と流れて東と西を縦断する一級河川を形成し、高架に大きな橋が建てられており、外からの交通の要所になっている。その土手の周囲は自然と文明を合い食んだ絶妙なバランスで成り立っており、河原はバーベキュー等々の盛場として著名であり、大抵は遠路はるばるワゴンか何かでやってきて馬鹿騒ぎをしていくものだが、私たちとってはそれが日常風景の中にあり、散歩コースにすら容易に選べる距離にある。


 まぁその分、商店の類は少なく、コンビニさえ家からだとそれなりの距離を歩くハメになるし、何なら24時間営業でないところもあったり、移動には車が欠かせないなど、結局は一長一短かもしれないが、私は自然の中をのんびり歩くのが嫌いではないので、田舎暮らしが性に合っているということなのかもしれない。


 さて、待合所に到着し、しばらくすると住宅地側の道路向こうから三人の若い男が一人の可愛らしい艶やかな浴衣に身を包んだ女の子を連れてやってきた。


 男共は良いとして、もう一人の女子は、誰あろう、坂東 菜々子であった。


「……なぜ、コイツが?」


 私はもはや敵意を隠そうともせず、むしろ歯を剥き出しにして、腕を組み、足をイライラ踏み鳴らしたものだが、猿彦があっけらかんと答えた。


「二人が誘ってくれた時、学級委員の仕事中でさ。ちょうど三・三にもなっていいじゃんってなって」

「わー松原さん、遠坂さん、誘ってくれてありがとうねー。一緒に思い出、たくさんつくろーねー? いぇーい」


 坂東はピエロのように孤月型に目を細めて、型でくり抜いたクッキーのような不気味な笑みを浮かべて言った。それからすぐに晴子の頭を指差す。


「あ、遠坂さんのそれ。超可愛い!! いつも付けてるよねー。お守り? かんざしとか雅だなぁって思ってたんだ」

「あ、うん。そうそう。実はこれさ、一年生の時に……」


 さっそく晴子を懐柔しにかかるのを横目で見ながら、猿彦がぼそっとつぶやいた。


「今日は何にも仕掛けてないから。千歳もそんな警戒しないでよ」


 それも重要だが、そうではない。

 三・三。当初目論んでいた二対三の構図が崩れると、そうなるとなると、一人につき一人が組み合わせとして付くのが自然になってしまうだろう。


 で、当初の予定では、晴子と柴田は間違いなく、あとは猿彦を挟みながら犬飼くんと私で、適当にぶらつき、学生という身分に逸脱せず、極めて健全なあり得べき純粋な夏の思い出を作れれば良いと想定していたのだが、そこに坂東が加わったことで——結果、柴田と晴子、猿彦と坂東、犬飼くんと私のペアで回る流れになったのであった。


 おかしい。

 これはおかしい。いったい、何が……と困惑して、議員らをまたしても闘争に誘うかと思いきや——、

 私は心の中にんまりとほくそ笑んだのだった。


 計画通りである。

 私の悪巧みとは、この機に晴子と柴田を良い雰囲気にして、続く夏休みの間に出来上げてしまおうという隙を生じぬ二段構えであった。


 ただ坂東が来たことだけは本当に想定外だった。猿彦と犬飼でバランスと私の面子を保てるはずが、まさか猿彦の奴が別に女を連れてこようとは、まったく想定外であった。


 しょうがなく私は犬飼くんと連れ立って屋台を見て周り、巡るうち、ふと思い出した。


「あ、そういえばさー」


 私は一皿のたこ焼きを犬飼くんとの間に浮かべるように持ち、頬張り、口元を押さえながら言った。もう慣れたもので、私は何の気兼ねもない。


 犬飼くんも同じように別のたこ焼きを突く。


「噂ってなに?」

「え?」

「ほら、柴田に喧嘩売った時。さりげにちらっと言ってたじゃん。あの噂とかって」

「あー」

「あれなに?」


 犬飼くんはたこ焼きをほふほふしたのち、呑み込んで言った。


「うーんと、噂があって。松原さんに関する」

「なに? いいよ、私、そういうの気にしないし。言って?」


 私が催促すると、犬飼くんはやがて重苦しいその口を開いた。


「松原さんが……その、ヤリマンだっていう」

「ふんふ……はぁ?!」


 私はテンプレートに吹き出して言う。


「誰が?」

「松原さん」

「で、誰が言ってる?」

「多くの人たち」

「なんで?」

「いつも帰りに男を(はべ)らせて帰ってて、ちょっと前には公園でやらしいことしてたのを見たって証言とかあって」


 あの時か。

 私は頷く。


「かと思えば、別の男子と使ってない学校の一室でペッティングしてたとか」

 

 あの時だな。

 私には一つ一つしっかりとした心当たりがあったのだった。


 多少拡大して解釈されているようだが、噂は根も葉もないどころか、完全に事実に根付いたものであり、何も間違ってなどいなかった。


「それで、あの時も……えっと、勝之とキスしてたでしょ? でも抵抗してたから、その俺、勘違いして——かと思ったら、松原さんは違うって言うし。あ、じゃあ、本当なのかなぁって」

「え。で、今は?」

「え」

「犬飼くん、今はどう思ってるの?」


 私が覗き込むように言うと、犬飼くんは少し前に戻ったようなもどかしさで続ける。


「……正直、よく分かんない。けど、うん、そうなの?」

「え、違うけど。でも、結局私がそう言ったって、犬飼くんがどう思ってるかじゃん。そんなの」

「俺が……どう思ってるか……」

「そそ。真実はいつも一つかもしれないけど、正論に意味がないのと同じように、あんま意味ないと思う、正直私は。真実って」


 言いながら、腑に落ちていく感覚があった。


 回し車を回すハムスターは可愛い。それを眺めてほっこりする。そこに、実は一ミリたりとも進んでいないという事実は関係ないどころか、むしろ、そうして思い込んで、今日もせっせと短くて5km、長くて20km進んでいるつもりになって、懸命に駆け、そのご褒美とでも言うようにニンジンを頬袋に突っ込む情けない姿は、そうであればこそ尚のこと愛らしいではないか。


 三歩進んで三歩退がるどころか、四歩以上も退いてしまい、負の値に乗り上げることもあろう。

 そんな自分をダメな奴だと思い、卑下して卑屈になったり、嫌になったりすることもあろう。


 でも、他人から見た時、それは紛れもないエンターテイメントだ。その人の人生珍道中は塞翁(さいおう)が馬、外郎売(ういろううり)がごとき鉄板ネタなのではないか。


 成功ばかりの人生を見ろ。金の無心は口先だけの愛に囲まれ、メンヘラじみた信者の集りに美辞麗句に、お膳立て、何にも中身のない、とどのつまりは自分は運が良かった、ということを自画自賛、如何に自分が非凡であるかをあーでもないこーでもないと宣う道化は、哀れなる有名無実どもの、見事に腹の出っぱった裸の王様ぶりを。


 失敗こそエンターテイメントだ。

 過ちこそ甘露だ。


 結局振り出しに戻ってくるような、意味のないことを、あたかも意味があるかのように駈けて、懸命に生きるその姿にこそ、愛着が湧く。応援したくなる。


 それが、人間は可愛いのだ。

 真実がどうであれ。


 これはかの著名な哲学者先生の言うところのルサンチマンだろうか。否、ルサンチマンを超越しているとは考えられないか。


 それは決して慰めでも馴れ合いでもない。


 そこから生まれる新たな感情を楽しむ。

 楽しめること。その素質。


 それこそが先生の言うところの、超人ではないか?


「でも、実際どうなのかは気になる……じゃん。だってやっぱり」

「犬飼くんは私がビッチだったら嫌?」

「……嫌かな」

「でもさ、そう思ってても、キスされたら嬉しくない?」

「え——え?!」

「いや例えな。興奮すんな」


 私は軽く犬飼くんのおでこを叩きながら言った。


「ご、ごめん——」

「でもさ……ってことはやっぱり嬉しいんでしょ? 自分にされたら。その対象に自分が含まれたら。だったら、それで良くね? 私だって、誰でもいいわけじゃない、けど……言っちゃなんだけど、仲の良い奴なら、それでそいつが喜んでくれるんなら、別にちょっとくらいはサービスしてやってもいいかって思うこともあるよ。それってそんな悪いこと? ——そういうことなんじゃないかな。そういう人ってさ、結局自分がされないから、それは間違ってるって言ってるだけのような気がする……流石にエッチは多少、あれだけど——」

「——へ?」


 犬飼くんが更に耳をそば立てたように見えたのと、私が土手を見下ろしたのはほぼ同じタイミングだった。


 川向かいの河原では砲台が立ち並び、遠目に見える職人たちがせっせと作業を進めていたが、それらが落ち着きを見せている。


 何だか、その働くおじさまたちの姿は、私の頭の中の住人たちに見えて、可愛らしかった。


「始まりそう。行こ。——てか、後の四人、どこいった?」


 私は浴衣に着いた埃を払うようにして、ささっと近くの屋台で改めてかちわりを調達し、土手上の道路から四人を探して首を伸ばした。


 その背中はそれぞれ既に坂の中腹に陣取っていた。追いつくと、なんでもないようなことを二、三話して、あとは適当に腰掛けて、並んで、打ち上げを待った。


 次第に周囲の人の声が一瞬どよめいて、対岸の砲台から一閃、煙が蜘蛛の糸のようにひゅるひゅる頭上に棚引かれて、空に花火が打ち上がった。


 そういえば——、

 柴田は如何にもベタでテンプレートをなぞり、月並みを外さないアホなので、お決まりの甚平姿であった。


 極めて先祖の血の色濃い醤油顔をしているから、それでもって小粋に袖を外し、肘で懐を弛ませて佇む様がよく似合う。サボりっぱなしの野球部で培われた、盛り上がるほど逞しすぎず、さりとて骨が浮き出るほど痩せてもいない、まったく良い塩梅の胸筋やら腹筋やらがちらちら見えて、そのたび楽しげに語らう晴子が少し羨ましく、またお似合いである。


 他方、反対を見れば、猿彦はいつも学校で見るように坂東と仲睦まじく、ひそひそと囁き合っている。猿彦も属性的に完全なる闇であり、人を心中に誘うほどの病みの化身であり、そう考えてみると、二人は病み同士で、一見すればどちらも美男美女の組み合わせでもあって、これまたお似合いのように見えて仕方がない。


 そして私の隣にはどちらでもない、犬飼くんがただ話すこともなく、ぼんやりと空を見上げている。これもまた、逆張りにかけたあげくの中途半端で余り物同士、お似合いではないか。(犬飼くんに失礼)


 私も土手の芝生に両手をつき、花火を見上げて、笑った。


 笑えてくる。


 頭の中の議事堂でも、議員勢揃いで網膜の映像を指差し、ばんばん机を叩きながら身を(よじ)らせている。


 これは罰か? 否。そうとも——、

 私は生粋の逆張り人間である。


 脈が根づけば遠ざけ、フラグと見ればへし折り、居丈高に不動を貫き、中心から動くことなく、遂に君臨し続けた、これは真っ当すぎる末路——もとい成果であって、これこそが私の望んだ風景だったのだ。


 我こそは逆張り界の女王、松原 千歳である。

 失敗こそエンターテイメントだとは(いた)ったばかりではないか。


 ふはははは、と、花火のように、心の空模様に高笑い一つ浮かび上がらせてみたはものの、である。

 

 それでもちょっとダメージがあった。


 私はそっと立ち上がる。

 花火の重低音に阻まれて、すぐ近くの声さえ遠目に聞こえた。


「……千歳?」

「わり、トイレ行ってくるわ! この辺、公衆トイレとかあったっけ?」


 晴子が土手の向こうを指して言う。


「……えっと、確か、あっちの公園の方に」

「あ、分かった。サンキュー、晴子」


 すぐに柴田は顔をしかめて言った。


「良いけどさ。お前、少しは言葉に——」

「へいへい」


 私は片手をぷらぷらしながら、さりげなく犬飼くんの肩を叩いて土手を上がり、屋台の並ぶ道路を少し進んでから振り返る。


 犬飼くんは見た目、性格の通りに察しが悪く、まだその場できょとんとしていたので、私は小さく手招きすると、道路を来た時と逆に進んだ。


 当然、トイレのある方角などではない。

 遅れて、犬飼くんが追いついてくる。


「……何してんの? あの、公園、あっちだよ?」

「そんなん知ってるわ。帰るんだよ」

「え?!」


 犬飼くんがアホみたいな声を上げたので、私はとっさに口に人差し指を当てて睨め付けた。


「しっ! 声がデカい!」

「ご、ごめん……っても、花火で聞こえないと思うけど」


 私は嘆息して、土手を指差す。そこには和気藹々と並ぶカップルたちでひしめき合って、その中に四人の姿もある。


「ほら、今、良いとこでしょ? うちら邪魔じゃん。アンタは私で我慢しなさい」

「——う、うん。そ、そっか。うん」


 花火で白む犬飼くんの表情は、さりとてぽっと赤くなっていた。




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