とりかえる女
「ここ座ってくださいね」
シノノメに椅子を勧められ、セセは背もたれの大きな肘掛け椅子にすっぽりと収まった。目の前にまったく同じ椅子に座らされている人形がいる。
「まだ、調整中ですから気にしないでください」
シノノメにそう言われて、セセは首を傾げた。目の前の人形はセセと目の高さが同じ。どうしても目が合ってしまう。
セセ、というか光子体には鏡を見る習慣がない。変にまぶしくて、落ち着かないのだ。だから、こうして対面で自分の姿らしきものを見たことはほとんどない。
たぶん人形はセセに似ているのだろう。空色のワンピースを着ているのも同じだ。セセが目の前にあるものを人形だと認識したのは、動かないから。それに光子体みたいに光ってもいない。マル様みたいに艶やかで滑らかなほっぺと赤い唇。そして引き込まれそうな深い瞳をしていた。
セセは人形に魅入っていた。それはセセの憧れの姿のように思えた。
セセは震えた。
マル様のところに来て、セセの望みはもうほとんど叶ったのだ。これ以上、望むことは良くない。
セセは最初の光子体のことを思い出した。望みは少しずつ叶えるのが良い、と最初の光子体は言っていた。
いろんなものを急ぎすぎたのだよ
ピスリーニアは言っていた。だから、いろんなことが上手くいかなかった、と。
だから、ゆっくり行きなさい、と、ピスリーニアは言った。ワタシがもしまだ居たら、キミのような者を生み出すことを決して許さなかった。
セセはいらない者ですか、その問いにピスリーニアは頭を振った。
そうではない、キミはこれから変わる。ワタシの娘と同じように、娘にもキミにも友だちがいる。きっとキミは変われる。変わることができる。
ピスリーニアは変わりましたか? だから、もう居ないのですか?
ワタシはダメだった。たった1人の友だちすら、助けられなかった。変われなかった。ただ居ない。キミにも何もしてあげられない。ワタシはおろかだった。でもキミは違う。変われる、変わっていける。
不意にセセの目の前の人形が、光り出した。もう憧れの幼女はいない。おそろしいことをしてしまった。多くを望みすぎたのだ。望み過ぎると人形すら居なくなってしまう。
セセの頬を涙が伝った、驚いて手で拭おうとした、その時。
ーーえ?
セセの手が光っていない。
あわててセセは立ち上がって、普段は見ない姿見の大鏡の前に走った。
鏡の中に、さっきまで対峙していた幼女がいた。涙を流したまま、驚いて目をまんまるに見開いている。
「あれ? もう入っちゃいました?」呑気なシノノメの声が聴こえる「調整中だったけど、まあ、いいや。後でもできるし」
シノノメはセセを振り向かせると、自分が膝をついて、セセの視線に顔を合わせた。
「いいですか? よく聴いてくださいね」シノノメはセセの目を見ながらゆっくり話す「アイボリーがアナタを強く作り過ぎたので、周りのものを優しく扱ってください。いままでのようにするとたいていのモノは壊れてしまう。マルと、他の友だちは大丈夫ですけど、優しくするのに越したことはない。あと、いまのセセはかなり重いですけど、気にしないように。気に入らなければ作り直すから、しばらく、その体躯を試してみてください。それから…」
シノノメは椅子に腰掛けたまま、光っている光子体のボディを指さした。
「あの光子体核は、シノノメが預かっておきます。戻りたくなったら、いつでも言ってください」
そうしてシノノメはセセにハンカチを渡した。セセはハンカチで涙を拭くと笑顔になった。
「わかりました」
セセは、とても元気な声で返事した。
「セセが光子体じゃなくなったよ」
マルが言うと、ユータは大きく頷いた。
「良かった。これでセセも安心かな」
「本当に良かったのかな?」
不安げなマルの問いに、ユータはしっかりと答える。
「光子体がセセを作った目的は、セセにあの空間から逃がしてもらうためだからね。もうセセは資質を持った光子体ではない。他の光子体を引き連れて超空間ゲートを超えたりはできない。セセはボクらと同じ方法でしか超空間移動できないだろう」
「ふーん」マルはまだ納得していないようだ「セセはどうして逃げて来たの?」
「そりゃ、普通の光子体をまとめて全部、超空間移動なんかできないからだよ」
「セセにはできないの?」
「できないよ。でもセセは1人だけなら他の人の力を借りて超空間ゲートを超えられる。マル、セセを助けてくれて、ありがとう」
「ユータは光子体全部を超空間移動させられる?」
「できるよ。ボクにできないことはないからね」
「でも、やらないよね?」
「やらないよ。それはボクがすることじゃないから」
「誰がやることなの?」
「まあ、向こうにいる光子体がやることなんじゃないかな。またセセみたいな光子体を作ったとしても、逃げられるから、もうしないと思うけど。他の方法を使ったほうが良いと思う」
「他の方法?」
「いちばん簡単なのは光子体をやめることだね」
「できるの?」
「そりゃ、できるよ。現にセセは光子体やめたし」
「じゃあ、どうして、そうしないの?」
「死ぬのがイヤだからだと思うよ。光子体は原理的には不死だからね。死にたくなくて光子体になったから、やめる勇気はないんじゃないかな」
「セセも光子体をやめたから死んでしまう?」
「死なないよ」ユータはマルの不安を笑い飛ばした「セセはボクらと同じになったんだ。アイボリーにも、わざわざ死ぬようには造らなくて良い、って言っといたから大丈夫だよ」
「良かった」
マルは無邪気に笑う。ユータもその笑顔を見て、やっと安心したが、言い忘れていたことを思い出して付け足した。
「セセは死んだりしないけど、そうだな、ヒスパニオラにいる他の生物よりはかなり強い。そこだけ気をつけてもらえば大丈夫だと思う」
「セセ強いの?」マルが目を丸くした。どちらかというと、驚きより興味津々といった感じだ「どのくらい強い?」
うーん、とユータは唸ってしまった。強さを言い表すのにいろんな指標があるが、適当な例が思いつかない。誰に配慮しても必ずまぜっ返す人が出るので、それが面倒なのだ。
「オールインワンかな」ユータは苦し紛れにゾウのぬいぐるみに言及した「オールインワンと同じくらい強い」
「オールインワン?」マルはちょっとガッカリしたみたいだ「オールインワンならあまり強くないな。相撲で勝ったことある」
「オールインワンも手加減してたかもしれない」
「手加減はこっちもしてたし、セセだって手加減できるなら大丈夫だと思うよ」
「セセも慣れれば、手加減できる、とは思う」
「じゃあ、少しの間、気をつけるよ。テーブルとか、ドアとか、そういうことでしょ?」
「うん、そういうことだよ」
窓の外にセセの姿が見えた。マルは猛烈な勢いでドアを開けて外に飛び出した。
ドアはかろうじて衝撃に耐えた。
うん、そういうこと、とユータは窓の外の2人を見て、小声で呟いた。




