残されし者の韜晦、あるいは地球にいないことの意味
メリル・キャンティーンは憂鬱だった。
50万ドルというのは結構な金額だと思っていたが、使って見たら簡単に減った。
なくなったら、そこでオサラバすれば良いとメリルは思っていたから、そのことをマルティナ・ファリアスに告げると、あっさり追加の資金をくれたので、それも使った。
ファリアス・テクノロジー社の研究員は優秀だったから、機械は2度目の追加資金をもらったところで大型化できた。メリルは教授の忠告どおり宇宙服を着込んで中に入った。機械はきちんと動いたが、何のことはない、メリルが速く年寄りになるだけの機械だった。
まあ、しょうがない。
ファリアス社長に報告しに行こうとしたら、もう彼女はとっくに社長を辞していた。
社員にはきちんと退任の挨拶があったみたいだった。メリルは社員ではなく、ただの出資相手だったから問題はないんだろう。社長は誰かよくわからない人になっていたけど、メリル・キャンティーンが困っていたら相談に乗ってあげて、と言われていたそうだ。「何か困ってる?」と聞かれたメリルは「別に…」と答えた。
メリルは、ファリアス・テクノロジーの社屋を後にした。不思議なことだが、メリルはマルティナのことにもう興味がなかった。その代わり、空を見上げてため息をついた。
ーー教授がいた頃は楽しかったなあ
メリルはバッグから教授宛の手紙を取り出した。教授の机からくすねてずっと持っていた、あの日本の男の子から来た手紙だ。
「行ってみようかな、日本に」メリルは自分でも気づかなかったが、声に出してつぶやいていた。
「先輩、ちゃんとメール読んでくれました? そもそもですね、先輩は…」
所内電話を取った途端に、相手も確認せずに元部下は捲し立てる。あいかわらず、これだ。玉置は全然変わっていない。
「あのね、玉置課長」二瓶は課長を強調した「知的財産室が人探しなんか関係ないでしょう?」
「それを言ったら、経産省が、そもそも関係ないです」玉置はまったく動じない「添付の写真、ちゃんと確認しました?」
ーー写真?
二瓶は大急ぎでP Cのメーラーを検索すると玉置からのメールを表示した。添付があるのは一通だけ、それを開くと…
「これは? 吉祥の?」
「やっぱり、見てなかったか。電話して良かったですよ」電話の向こうの玉置は嬉しそうだ。
「何故、吉祥からの手紙を? Y u t aって誰だ?」二瓶は玉置のメールをスクロールして斜め読みする。
「最初は外務省ですよ。外国人だからね。でも探してる人間が教授だったって言うんで、次に文科に行って、それで、吉祥がらみだって言うんで、上からストップがかかって…」
「上から?」
「内閣官房」
「マジでか?」
「マジ、マジ、だって吉祥ですよ、一介の公務員が手なんか出せるわけない」
いくら省内とは言え、電話口で内閣官房とかがなる課長もどうかと思うが。
「それで、何で一介の経産省総務課長が、それより下っ端の特許管理なんかに案件押し付けるんだ?」
「興味ありませんか? 吉祥ですよ?」
「いや、興味はあるけど…、妻が…」
「夫婦の取り決めは、夫婦で話し合ってくださいよ。じゃ、よろしくお願いしますね」
それだけ言って電話は切れた。
「お初にお目にかかります。メリル…」
勉強した日本語は窓口をたらい回しにされるたび流暢になり、ようやくすらすらと挨拶できるようになったな、と思った矢先のメリルだったが、目の前の担当者に絶句し、思わず英語が出た。
「あんた、日本人? ほんとに?」
「ええ、まあ、一応は」
しかたなく苦笑いで返す二瓶亮二だったが、無理もない。石膏像を思わせる無垢の額に被る髪、半白の髪は灰色といよりは灰銀、ほりの深い顔立ちに、そして際立って妖しく煌る翠の双眼。皆、亮二の貌に慣れてしまっているから、誰も何も言わないが、初めて見たら驚くだろう。初めて二瓶に会って、お若い頃はさぞかし…、などと言えたらそれこそ大したものだ。
「どうぞ、おかけください。お話しはゆっくりお伺いしますよ」
言葉を出せないメリルに、二瓶は席につくようにうながす。二瓶の顔から目を離せないメリルは、体だけ動かしてぎこちなく椅子に腰掛けた。
「遠いところお疲れ様です。アメリカから?」
「ええ、南アメリカから」
「お預かりした手紙は、ニューヨーク州立大宛でしたが?」
「そうです。ドゥーマ・アッシャー教授、彼を探しています。南アメリカは私がさっきまで働いていたところです」
「ファリアス・テクノロジー?」
「そうです」
「前の社長が創設者の?」
「知り合いです」
「なるほど」
二瓶は一時、目をつぶって考えていたが、メリルに向き直ると、訊ねた。
「ドゥーマ・アッシャー教授に会いたいのですね?」
「そうです」
「すこし、いや、かなり難しいことだと思います」
「そうでしょうか? 彼は日本にいるのではないのですか?」
「日本にはいません」二瓶は言った「むしろ、地球にはいないと言ったほうが良いか…」
「宇宙にいるんですね。教授は」
とっさに口を出た言葉にメリル自身が驚いていた。その問いに二瓶は黙って頷いた。
「彼と最後に話した時、宇宙に行くのだと言っていました。ユータ君と言う子が宇宙に行く手助けをするのだと、そのために日本に行くのだと」
「なるほど、そういうことでしたか」二瓶は希望とも諦めとも、いや、むしろ運命を待ちかねていた者のような表情になった。
「メリル・キャンティーンさん」二瓶は目の前の女性に問いかけた「我々の情報でも、ドゥーマ・アッシャー博士は宇宙にいることがわかっています。それを踏まえてもう一度あなたにお尋ねしたい。それでも、あなたは彼に、ドゥーマ・アッシャー博士に会いたいですか?」
もともと、教授の部屋でおかしな機械をいじるのが好きだった。教授の説明も素直に聞いた。時間を操る研究をしていると聞いても、そんなものかと思った。宇宙に行くんだと言われ、宇宙に行くんだな、と思った。
そう、だから、教授に会いに行くのならば、宇宙に行かなければいけない。それは薄々わかってはいた。
いま、尋ねられているのは、そういうことだ。教授に会うために、本当に、宇宙に行くのか。
「会いたいです」メリルは答えた「教授に会うために宇宙に行きたい」
わかりました、と二瓶は言った。ただ、その前にあなたの元社長にも会わなければいけませんね、とも言った。
「元社長?」
「マルティナ・ファリウス氏ですよ」二瓶は言った「ドゥーマ・アッシャー博士がいるのは、宇宙には違いないんですが、ちょっと普通の宇宙ではない。普通の宇宙にすら四苦八苦している我々にはなかなか手の届かない領域です。でも、マルティナ・ファリウスはアレシボ茶会のメンバーだ。デザイナーズチルドレンなんですよ。とても頭の良い人たちです。彼らも会おうと思った。博士ではなく、ユータ君にですが。一緒にいるんだから、この際、あまり問題ではない。だからマルティナ・ファリウスに会って話しを聞く。そこから始めていきましょう」




