第9話『ともだちでしょ』
あれから、修道院は少しだけ安全になった。
戒律にしばられた息苦しさは変わらないけど。
しいて言うなら、子供が懲罰房に放り込まれることがなくなった。
そりゃそうだ。
行方不明の聖教騎士マーガリンは、相変わらず見つからない。
でも捜索の熱は、思ったよりもずっと早く冷めた。
その理由は単純で、優先度だ。
どうやら聖教騎士にとってはマーガリン本人よりも。
彼女が追っていた“古い魔法”のほうがよほど重要だったらしい。
たしかに家畜化されたコカトリスを、原種にまで回帰させてしまうコロリの魔法はすごい。
だけど聖教騎士団の騎士の安否よりも大事だとは、とても思えなかった。
その点、修道長は空気を読むのが上手い。
あれだけいた騎士たちは、新米の魔法探知要員ひとりを残してみんな帰っていった。
その残った一人も、修道院という場所柄をわきまえて大人しくしている。
というより、魔法を探知する装置が大きくて持ち運べないので。
用意された部屋にこもって待機するしかないらしい。
数週間でこれらの手筈を整えたのが修道長だった。
保身がかかっているからこそ、やるべきことをやってくれる。
「アレクシス。朝食を運びなさい」
「はい。修道長先生」
このやりとりも変わらない。表面上は。
別に秘密を共有する間柄になったところで、私が偉くなったわけでもない。
でも絶対的な怖さはすっかり感じなくなった。
この人は修道長で。大人で。
孤児たちの上に立つ人間で。
だけどそれだけ。
悪魔じゃない、人だ。
「……うう、さむ」
「ぴよっし」
「これはお前のじゃないよピヨシ」
足もとにまとわりつくピヨシをあしらいながら。
パンとスープを持って廊下を歩く。
窓から見えるリンゴの木は、すっかり黄色くなっていた。
あの一件からずいぶん経った。
もうすっかり秋も終わりだ。
私はというと、毎日のようにコロリとピヨシに振り回されている。
……というわけでもなかった。
「コロリ、入るよ」
修道院の一室、本来は客間として使われている部屋。
そこはいま、ほとんどコロリの私室と化していた。
「けほっ。おはようございます、アルさん。今日の朝ごはんは何ですか?」
「いつもどおり。硬いパンと薄いスープだよ」
「わあ、お芋が入ってます」
コロリはもそもそと食べながら、たまに咳こむ。
秋の中ごろから、コロリは体調を崩すことが多くなった。
好奇心からトラブルを起こしまくるくせに。
生まれつきなのか、いかんせん虚弱だ。
いまでは月に何度も、こうして風邪をこじらせている。
怪我や病は司祭様にお願いして治してもらうのが通例だが。
どういうわけか司祭様の治癒魔法は、コロリにはまったく効かなかった。
なので私がこうして看病している。
「アルさん。今日は元気いっぱいなので外に出てもいいですか?」
「嘘つけ」
「ほんとですよう!」
コロリを寝巻からチュニックに着替えさせ、ピヨシを連れて裏庭に出る。
丘をのぼると、リンゴの木のたもとから町を一望できた。
「アルさん、あの茶色い建物はなんですか?」
「あれは冒険者ギルドだよ」
「おおー、私も冒険者やってみたいです」
「カブトムシに勝てたらね」
たぶん無理だろうけど。
コロリは目につくものを次々と指さし尋ねてくる。
それを私はわかる限りで答える。
「あの大きな白い建物は?」
「司祭様のお屋敷。このまえ会ったでしょ。あの人の家だよ」
「へぇ、初めて知りました」
「そんなことないでしょ」
ヴェリナス聖教の司祭屋敷なんて、どの町にもある。
教会と並んで、教団の金と権威の象徴みたいなものだ。
私はこれまで抱えていた疑問を口にした。
「コロリはさ。この修道院に来る前、どこにいたの?」
素朴な疑問だった。
修道院に預けられるのは、たいがいその町の孤児だ。
なのにコロリは何も知らない。
常識がないのはさておき。
このビタークリークの町で10年も生きてきたなら。
知っていて当然のことも、まるで知らない。
「んー? 難しい質問ですねえ」
「そうかな?」
もちろん孤児の中には、自分の生い立ちを話したがらない子もいる。
私のように、親が処刑されたならなおさらだ。
だけどコロリはそういう。
出自を頑として隠すようなタイプには見えなかったから意外だ。
ひょっとして、どこかの貴族の隠し子だったりして。
コロリは考えこむと、あの大きなリンゴの木を指さした。
「しいて言うならあそこですかね」
「いやまあ、うん。あの木から落ちてきたのはそうだね」
なにかしら言いづらい事情があるんだろう。
ならば踏み込んで聞くこともないか。
秋の冷たい風が頬をなでた。
ううさむ。ピヨシであったまろ。
「アルさん」
「なに?」
「楽しいですね」
なに言ってんだこいつ。
私はじとっとした目でコロリを見た。
いつものようにコロコロ笑っている。
「楽しいって……なにが?」
「生きてるって、楽しくないですか?」
「別に。意味わかんないんだけど」
そりゃあ生きていれば楽しいことも、苦しいこともあるだろうさ。
だけど生きてるってのは、ただ生きてるだけでしょ。
そこに楽しいとか、そういうのを感じたことはない。
「私は楽しいです」
秋風にベールを揺らしながら、コロリは言う。
「冷たい風が楽しいです。リンゴの葉っぱが黄色くなるのも楽しいです。もっと楽しいことがいっぱいあるのかと思うと、とっても楽しいです」
「ふーん……」
私は黄色い落ち葉を一枚ひろって、ながめてみた。
……楽しいかこれ?
「こういうのを楽しむのってさ。もっと小さな子供のすることでしょ」
「私たちは小さな子供ですよアルさん!」
「そりゃそうだけど、そうじゃなくて……」
コロリの感性は、ときどきわからない。
楽しいから毎回草食ってお腹壊してるのかこいつは。
おかげで植生にはずいぶん詳しくなったけど。
私が手で葉っぱをもてあそびながら、眉間にしわを寄せていると。
「えいやっ!」
「ちょま……なに!?」
油断していた私の背後から、コロリがとつぜん抱きついてきた。
思わずバランスを崩して転びそうになる。
「アルさん。こういうの、楽しくないですか?」
「いやこれそういうのじゃ……ふ、普通」
「嘘つき」
なんだか少し、頬が熱くなるのを感じた。
子供みたいなことしやがって……子供なんだけど。
そのとき、私の赤い頬に冷たいものが当たった。
「……わ」
「わあーーーっ! アルさん、見てください!」
見えてるよ。
風が冷たいなとは思ってたけどさ。
「……雪だ」
「雪ですアルさん! 私はじめて見ました!」
「それはさすがに嘘でしょ」
どんよりとした空の下。
コロリは、今年初めての雪に目を輝かせていた。
「もう少しこのまま見ていたいです」
「その前に背中から降りてよ。重いなあ」
嘘だ。
すごく軽い。
また軽くなったように思う。
「冷えるから中に戻るよ」
「このままお願いします」
「仕方ないなあ……」
私はコロリをおぶって、修道院に戻った。
部屋に帰るころ、コロリは私の背中でぐーすかいびきをかいていた。
………………。
…………。
……。
それからひと月ほどが経った。
冬が本格的に始まり、窓の外は雪景色だ。
最近は吹雪になる日も増えた。
だからだろうか。
その日、コロリは食堂で倒れた。
「……すごい熱……」
いつもの風邪じゃないのはすぐにわかった。
コロリは顔中に汗を垂れ流しながら、苦しそうに荒い息を吐いている。
すぐにみんなで部屋へと運び、交代で看病する。
雪を詰め込んだ氷嚢が、あっという間にぬるくなった。
「司祭様を呼ぶべきかしら」
「……それは無駄かも」
「そうねえ、どうしましょう……」
あの修道長が本気で心配している。
半分は、騒ぎを起こしたくないという保身からだろうが。
とはいえ、打つ手がない。
病の治療はヴェリナス聖教の専売特許だ。
だけど司祭の治癒魔法は、コロリには効かない。
ただ時間だけが過ぎていく。
「……アルさん」
コロリがかすれた声で私を呼ぶ。
「大丈夫だよ。すぐに良くなる」
「ちょっと今回はダメかもです……」
らしくもない。
弱音なんて今まで一度も吐いたことないくせに。
私はコロリの手を強く握った。
「ダメとか、そういうのじゃないでしょ。今回もただの風邪だって」
「さすがにわかりますよ。自分の体ですから」
そう言って弱々しくほほえむコロリの頬に、ピヨシがすり寄る。
「ぴよっし……」
「すみません、ピヨシ。私、ピヨシが大きくなったら、大きいフライドチキン食べれるなぁーって思ってました……」
「ぴよっし!?」
ピヨシが抗議とばかりに、コロリの頬に頭をぐりぐりとなすりつける。
笑えないなあ。
「アルさん。ありがとうございました」
ほとんど聞こえないほどの声で、コロリが言う。
なんで“ました”なの。
「……コロリ」
「めいっぱい楽しめました。夢だったんです。人生を、楽しむの」
「コロリ!!」
私は叫んだ。
自分でもびっくりするぐらい大きな声が出た。
「なんだよ、夢って。人生なんてまだまだこれからでしょ」
「アルさん……ずっと黙っていたんですが、実は私……」
「ちょっと黙ってて!!」
感情的になったって、良いことなんてひとつもない。
そのことを、嫌というほど知っているのに。
「なに、楽しめましたって。ばかなんじゃないの」
「……アルさん?」
「私に諦めないことを教えたくせに。納得なんてしなくていいって言ったくせに。自分だけさっさと諦めてんじゃねえよ!!」
心臓がうるさい。
心がさわぐ。
不条理に納得するな、抗えと。
「自分ばっかり楽しんで、ずるいよコロリ。私にもさ、もっと教えてよ。楽しいこと」
泣いたりしない。
強い目で、コロリをにらむ。
「ともだちでしょ」
その瞬間、コロリの目が大きく見開かれた。
驚いた顔しやがって。違うとでも思ってたのか。
正直、私もこれを言うつもりなんてなかった。
でも言った。いま言わなきゃいけないから。
「ともだち命令。おとなしく寝てて。すぐ戻るから」
私はそう言って部屋を出る。
背後でコロリがなにか言おうとしていたけど、聞かない。
言えば止められるのはわかってたから。
私の後ろを、ピヨシがとてとてとついてくる。
「いいの? あいつ元気になったらお前のこと食うよ?」
「ぴよっし!」
「わかった。行こう」
私は修道院の誰にも見られないよう、準備を整えた。
そして修道院の外へ出る。
少し吹雪いているが、やっぱりやめたなんて言えるわけもない。
何をするかって?
決まってるでしょ。
抗うんだよ。
修道院の蔵書を読んだだけの、半端な記憶をたよりに。
私は今からこの雪の中、山を登るって言ってるんだ。
「悪かったね。私、薬草にはちょっと詳しいんだ」
「ぴよっし!!」
あるかどうかもわからない希望を求めて。
小さな子供と、ひよこ一匹の足跡が。
雪の上に、今にも消えそうな道を描いていく。
生まれて初めての家出にしちゃあ。
まあ、上等でしょ。




