第8話『アレクシス、お前は悪魔だよって』
ランタンの灯りに照らされた、薄暗い懲罰房の奥。
修道長は腰を抜かしてへたりこんでいた。
その視線の先には、古い布をめくられた聖教騎士マーガリンの石像が。
「ああ……ひぃ……な、なんてこと……! おお、女神ヴェリナスよ……!」
修道長の声は、祈りというよりも悲鳴だった。
見られてしまった。
けして漏れてはいけない秘密を。
修道長は青ざめた顔で振り向く。
「アレクシス……これは、これはいったいどういうことなの……?」
その顔には戸惑いでも憤りでもなく、“怯え”がにじんでいた。
うろたえている場合じゃないと自分に言い聞かせる。
深く息を吐くと、私のあたまはすっと冷えた。
大丈夫、まだやれる。
「どうもこうも、見てのとおりだよ。修道長先生」
私は息を整えながら、一歩前に踏み出す。
「騒がないで」
「こここ、こんなものを見せられて騒がずにいられるわけ……」
「他の聖教騎士に聞かれちゃうよ?」
私が言うと、修道長がぴたりと止まった。
そうだ。
この人は騎士が石化されていること、に怯えているんじゃない。
“自分が管理する修道院”の地下にこれがある。
そのことに怯えているのだ。
かわいそう、で済ませたら、私たちが終わる。
私は冷酷に修道長を追い詰める。
「そ、そうだわ……騎士様に報告を!」
「できるの?」
「それは……当然でっ……」
修道長が言葉に詰まった。
そうだ。できないのだこの人には。
顔を上げた修道長と目が合う。
その目に、私ははっきりと恐怖を見た。
「聖教騎士が修道院で失踪して、そのまま地下で石像になってました。しかも修道長はゆうべ、捜索に来た騎士に向かって“地下には古い倉庫しかない”って嘘をついた」
「…………」
「懲罰房の存在を隠したかったんでしょ。だから自分で壊れた椅子やらを運び込んで、嘘さえも誤魔化そうとした」
ひとつずつ指で数えるように言い聞かせる。
「これさ。報告したら誰が困ると思う?」
修道長の喉が、ごくりと鳴った。
「わ、わたくしは……」
「困るよね?」
ひどい屁理屈かもしれない。
だけど私の説得に、嘘はない。
あるのは負い目だけだ。
だがそれさえも、私はいま捨てようとしている。
私はまた一歩、修道長に近寄る。
「修道長先生。もうあんただけ安全な場所にはいられないよ。私たちが終わるときは、あんたも一緒だ」
はっきり言ってやった。
言いながら、自分で自分が嫌になる。
最低だ。
でもこれでいい。
コロリと私自身を守れるなら、最低でいい。
詰め寄られた修道長から、へなへなと力が抜けていく。
「あ、悪魔……」
修道長は顔をぐしゃりと歪めて、それだけ言った。
悪魔、か。
「奴隷扱いされる孤児よりは、いいかもね」
そのとき、ようやくピヨシを抱えたコロリが私に追いついてきた。
ぜえはあとひどく息を切らしながら。
「……へぁ……へぅ……あ、アルさん……」
「ほんとに体力ないね、コロリ。もう大丈夫だよ。修道長は自分の置かれた立場をよくわかってる」
脅迫じみた、ひどいやりかたではあったけど。
私はひとまず安堵のため息をついた。
その安心を、コロリがぶった切る。
「修道長先生。“それ”はやめたほうがいいですよ」
コロリがそう言った。
私はなんのことかわからなかったが。
指摘された修道長が、ぐぎぎとまた顔を歪める。
「壊す、おつもりでしょう?」
私はハッと息をのんだ。
私たちが避けた手を。
この追い詰められたお婆さんがやらないと、どうして言い切れる。
「な、なんのことかしら」
「決定的な物的証拠ですから。小さく砕いて裏庭にでも撒いてしまえば隠せます。でもそれはあなたにとって大変不都合だと申し上げています」
コロリは額にだらだらと汗を垂らしながら話す。
「まず第一に、彼女はまだ死んでいません。石化しているだけです。でも壊せば確実に死にます。そうなれば罪は一気に重くなります」
コロリは苦しそうだった。
だけどその理屈は確実に修道長を刺す。
「第二に、仮に細かく砕いたとしても完全な隠蔽は不可能です。もし誰かが石化を解けば、そこにあるのは石像の破片ではなく、鎧の欠片と無数の肉片ですから」
修道長の顔がどんどん青くなる。
コロリは袖で額の汗を拭いて、三本目の指を立てた。
「そしてなにより。神意の隠蔽です」
もしこのお婆さんが修道長でなければ。
取り乱すことはなかったかもしれない。
だけどヴェリナス聖教という大きな宗教組織に属する者にとっては。
けして無視することができない一撃だ。
「考えてもみてください。その騎士様は“古い魔法”の痕跡を探してこの修道院にいらしたんですよね」
「あなたたち盗み聞きを……!」
コロリはにこりと笑って言葉を続ける。
「魔法は女神ヴェリナスの恩寵……ですよね? だったらその異常な現象を探っていた騎士様の失踪ならびに石化を、聖教騎士団はどう解釈するでしょうか」
古い魔法と、女神ヴェリナスを結びつける。
聖教騎士団は二度も人を送り込んでまで、その謎を解き明かそうとしていた。
戒律で禁じられている魔法を、ただ咎めにきただけではなく。
その理由はただひとつ。
コロリの魔法が、普通の魔法じゃないからだ。
「呪い。奇跡。神罰。問題は、何が真実かではなく“何が真実とされるか”です。これが女神ヴェリナスの御業ではないと、どうして言い切れますか?」
女神様の御業ときた。
コロリの魔法にそんな価値があるとはとても思えないけれど。
でもコロリが言うように。
肝心なのは聖教騎士団、ひいては教団本部がどう捉えるかだ。
「それを修道長先生の判断で壊すんですか?」
「わ、わたくしは……」
「神意の隠蔽ですね」
修道長はがっくりとうなだれた。
効いてる。すごく効いてる。
そりゃそうだ。
この人は信仰の人とちうより、信仰を盾にしてきた人だ。
だからこそ、神に見放されることではなく。
教団に見放されることを、もっとも恐れるのだ。
私は修道長の隣にしゃがみこみ、ぽんと肩を叩いた。
「もう諦めなよ修道長先生。あんたが助かる方法は、私たちと一緒に隠すことだけだよ」
なんて悪質な光景なのだろう。
10歳の女の子ふたりに詰められる修道長の姿は、とてもみじめだった。
修道長はよろよろと立ち上がろうとする。
しかしまだ力が入らないのか、懲罰房の床に両手をつく。
自分がさんざん子供たちを放り込んできた冷たい床に。
そして自分に言い聞かせるように言う。
「わたくしは、あなたたちを守るためにこんなことをするのではありませんよ」
「うん」
「修道院のためです。わたくし自身のためです。これまで築いてきたものを失わないためです」
必死だった。
必死に、自分が善意で動くわけじゃないと確認している。
その様子に、私は少しだけ息をついた。
よかった。
この人はまだ自分の損得で動ける。
その方がずっと信頼できる、今は。
こうして、共犯者がひとり増えた。
不安が解消されたわけではないけど。
それでも、私たちを守る不健全な盾ができた。
「……ふぅ、なんとかなりました……ね……」
「コロリ? コロリ!」
すべてを成し遂げたあと、コロリがふらりと倒れ込む。
私はその細くて軽い体を抱きとめた。
貧弱なくせに、全力走った直後に修道長をガン詰めしたのだ。
そりゃあずいぶん無理をしたことだろう。
だけどコロリは、血の気の失せた真っ白な顔で笑っていた。
「えへへ、アルさん温かいですね……」
「お前が冷たすぎるんだよ! ばっ……!」
ばか。という言葉を飲み込んだ。
もし私がもっと冷酷になりきれていたら。
修道長が石像を怖そうとすることにまで気がつけていたら。
ここまで無理はさせずに済んだだろう。
悪魔。
修道長の言葉が頭の中で響く。
戒律に喧嘩を売って。
石に変えた騎士を隠蔽して。
あまつさえ修道長を脅迫して。
私だって私に言ってやりたい。
アレクシス、お前は悪魔だよって。
それでいい。
ヴェリナス聖教の戒律に、両親を処刑されたあの日から。
人の皮をかぶって生きてきただけだ。
不条理に納得なんてしなくていい、諦めなくてもいいと。
コロリに仮初めの姿を暴かれたその日から、私は悪魔だ。
「コロリ。立てる?」
「無理ですねえ。おんぶしてください」
「わかった」
コロリを背負って地下を出る。
軽い。不安になるほど。
もしこいつに何かあったら。
私は悪魔のままでいられるだろうか。
秋の深まりが、少しずつ迫っていた。




