第10話『もっと教えてよ、楽しいこと』
「死ぬ死ぬ死ぬ無理無理無理!! 寒い! っていうか痛い!!」
いやー、いけると思ったんだけどね。
修道院を出て10分もしないうちに、私はひどく後悔していた。
夜の山は、思っていたよりずっとずっと寒かった。
風が冷たい。
頬も耳も、刺されるみたいに痛い。
それでも私は足を止めなかった。
止めたら、そのまま戻ってしまいそうだったから。
「ぴよっし!」
ピヨシが雪の上をトテトテとついてくる。
羽毛はあっても、さすがに寒そうだ。
悪いけど、コロリみたいに抱えて歩く余裕なんてない。
だけど帰るつもりはなさそうだ。
ばかなひよこ。
私も似たようなものだけど。
後ろを見ると、ずいぶん小さくなった修道院が薄っすらと見えた。
前を見ると、山道はどこまでも白くぼやけている。
日は傾いて周囲はすでに薄暗い。
夜、雪、子供ひとり。あとひよこ。
どう考えてもまともな状況じゃない。
「……ほんと、何やってんだろ私」
答えは簡単だ。
ともだちを助けに行く。
ただ、それだけ。
それだけのことが、こんなにも怖い。
真っ白な息が、風に流されていく。
あしもとで雪が、ぎゅっぎゅっと鳴る。
念のためにと羽織ってきたマントの襟を引き上げ、肩をすくめた。
そのうち本格的に降り始める。
そうなったらこのマントも意味がないかもしれない。
だから急がないと。
急がないと、コロリが。
その考えが頭をよぎるたびに、胸の奥がキリキリ痛んだ。
満足そうな顔をしやがって。
なにが“ありがとうございました”だ。
「勝手に終わるなよ、ばか……」
吐き捨てるようにつぶやいて、私は雪を踏みしめる。
足の感覚が、少しずつなくなってきていた。
………………。
…………。
……。
山道なんて昼間でも歩きやすいものじゃない。
それが夜で、雪まで積もっているとなればなおさらだ。
風も強くてランタンの灯りがなんともたよりない。
修道院の蔵書で読んだ薬草図鑑の記憶をたよりに、私はひたすら南の斜面を目指した。
たしか寒さに強くて、月光が当たる岩場に生えてて、葉が細くて小さな青い花をつける。
そんなふわっとした特徴しか覚えていない。
我ながらよく山を登ろうなんて思えたものだ。
雪に埋もれた石を踏んで、足首がぐらつく。
危ない危ない。
こんなところで転んで、足でもくじいたら終わりだ。
私は木の幹に手をついて体勢を立て直した。
その瞬間、寒さと疲れを実感して少しふらつく。
あー、ダメかも。
勢いで誤魔化してきたけど。
ちゃんと限界きてるや、私。
私は木の根元にへたり込んでしまった。
寒い。指先の感覚がない。
鼻の先も、耳も、自分のものじゃないみたいだ。
「……へへ、疲れちゃった……」
意識が遠のくと、あの日のことを思い出す。
焦げた臭い。燃える家。
熱くて、痛くて、苦しくて。
あのとき両親は、禁じられた魔法を使って私を助けた。
そして処刑された。
私は、助けられる側だった。
泣いて、何もできずに。
ただ生き残っただけ。
でも、今は違う。
「ぴよっし?」
すっかり雪玉になったピヨシがすり寄ってくる。
元気だなお前。
そうだよね。
こんなところで休んでちゃダメだよね。
まだ何も成し遂げてないんだから。
「……ありがとう。もう大丈夫。さ、行こう」
「ぴよっし!」
私は再び歩きだした。
「今度は、私が助ける番だ」
誰に聞かせるでもなく、私はつぶやいた。
風にさらわれて、言葉はすぐに消えた。
………………。
…………。
……。
斜面が急になる。
木がまばらになり、かわりに大きな岩が増えた。
息が上がる。
喉が痛い。
肺がひりつく。
脚はすっかり重くなり、体はずっと限界を訴えている。
もう帰ったほうがいいよ。
感情的になっても良いことなんてひとつもなかったでしょ。
頭の中にいるもう一人の私が、ずっとそうささやいている。
「……黙れ」
薬草なんて見つからないよ。
もし見つかったとしても、修道院に戻ったころには手遅れかも。
その前に私がここで凍え死んじゃうよ。
やめろ。戻れ。間に合わない。
もう諦めようよ。
無理でしたって納得しとけばいいよ。
そんな声ばかりが、頭の中で大きくなる。
「……うるさい!」
私は歯を食いしばった。
「納得なんてしてやるもんか」
納得なんてしなくていい。
そう言ったのは、コロリだ。
両親の死を諦めることでしか、自分を守れなかった私に。
あのばかは、まっすぐそう言ったんだ。
だったら今さら、自分だけ諦めた顔で終わらせようとするな。
「たぶん忘れてるんだね。自分で言ったこと。ばかだから、コロリは」
思い出させてやるんだ。
諦めたふりなんかしなくていいって。
人を助けることに間違いなんてないんでしょ。
足を前に出す。
また出す。
もう一歩。
一歩。
そのとき、前を歩いていたピヨシが急に立ち止まった。
「ぴよっし?」
どこにあるかわからない首をかしげて、岩陰をつつく。
「なに、こっち?」
私はふらふらと近づいた。
ランタンで照らすと、そこは風を少し避けられる小さなくぼみになっていた。
まばらな雪のすきまから細い葉が何本か覗いている。
突き立つような青緑。
先端に咲く、小さな青い花。
見覚えがあった。
蔵書の図鑑、折り目のついたページ。
そして欄外にあった走り書き。
――高熱に効く。煎じて飲ませるべし――。
「……あった」
信じられなかった。
あった。ほんとにあった。
こんなうろ覚えの知識で、こんな真っ暗な雪山で。
本当に、見つけてしまった。
「ぴよっし!」
「うん、そうだよ。あった。あったよピヨシ……!」
膝から崩れ落ちそうになるのを、どうにかこらえる。
手が震えた。
でもそんなこと今はどうでもいい。
小さな布袋を取り出し、摘めるだけ摘む。
詰め終えるまで、やけに時間がかかった。
見つけた。
見つけたけど。
「……帰れるの? ここから」
口にした瞬間、絶望した。
往路で体力は使い切っている。
むしろ見つけて気が抜けたぶん、さっきより体が重い。
でも歩くしかない。
持ち帰らなきゃ、意味がない。
「よし。やれ、アル」
自分に向かって言い聞かせた。
誰かにそう言ってほしかったのかもしれない。
でもこの世界に神様はいない。
そりゃそうだ。
こんなばかをいつも相手にしていたら、神様だって過労死する。
だから私が私に言うんだ。
やれよアレクシス。
お前がやるしかないんだから。
………………。
…………。
……。
帰りは、行きよりずっと長かった。
手もとに薬草がある。
それだけで、怖さの種類が変わる。
もし転んだら。
もし手を放したら。
もし雪に埋もれたら。
自分の命より先に、小さな布袋のほうを気にしている。
ばかで、滑稽だ。
でも笑う余裕はない。
一度、斜面で足を滑らせた。
尻もちをついて、すぐに布袋を抱え込む。
手のひらが雪まみれになる。
痛い。
でも袋は無事だ。
目の前を、雪にまみれた黄色い背中がちょこちょこ歩いていく。
消えそうなランタンの明かりをたよりに、必死でそれを追いかける。
やがて、木々の向こうに小さな明かりが見えた。
修道院だ。
その瞬間、膝から力が抜けそうになった。
「あ……、あっ……」
戻ってきた。
帰ってこられた。
泣きそうになる。
でも泣いたらたぶん、その場で座り込んじゃう。
だから私は、最後の力を振りしぼった。
「……待ってろよ」
誰に向けた言葉かは、もうはっきりしていた。
…………。
裏口の扉を叩いたのは、たぶん私だ。
でもどうやって中に入ったのかは、よく覚えていない。
気づけば毛布でぐるぐる巻きにされていて。
修道長がものすごい顔で立ってて。
シスターたちが悲鳴みたいな声で叫んでた。
「そうだ、薬草! 薬草は!?」
私が慌てて自分の周りを見回すと、修道長が口を開いた。
「いま煎じています」
その言葉を聞いて、安心と同時に疲れがどっと押し寄せてくる。
間に合ったってことだ。
「よかった……薬草……」
「降雪蘭が熱に効くことぐらい知ってます。だてにババアはやってないの」
吹雪の中、勝手に修道院を抜け出したこと。
怒鳴りつけられるかと思ったけど。
修道長は険しい目をしていたが、諦めたようにため息を吐く。
「アレクシス。起きられるなら、あなたがコロリーヌに飲ませなさい」
心底嫌そうな顔をしていたが。
いじわるで言っているわけではないことは、声色でわかった。
「これでも一応、あなたたちの指導者なの。自分がやったことは、最後まで自分でやりきりなさい」
「……はい。修道長先生」
私は体を起こし、煎じられた薬湯を持ってコロリのもとへ向かう。
コロリはまだ高熱でうなされていた。
頬は真っ赤で、息は荒い。
私が修道院を飛び出したときより、ずっと弱っているように見える。
私はコロリの体を支えて、少しずつ薬湯を飲ませた。
「……アルさん」
「なに?」
「手が、すごく冷たいです」
「コロリがばかみたいに熱出してるだけだよ」
飲ませ終えると、寝かしつけておでこに手を当ててやる。
コロリは少しだけ笑ったように見えた。
「ひんやりして気持ちいいです」
「そうかい。悪かったね冷血で」
「……ともだち」
私は目をそらした。
改めて言われると恥ずい。
「いいから寝てなよ」
「はい、アルさん」
それからコロリはまた目を閉じる。
しばらくすると、小さな寝息が聞こえてきた。
さっきよりも穏やかに。
窓の外では、雪が静かに降っていた。
修道院の地下には、あいかわらず騎士の石像が眠っている。
騎士団だって、古い魔法の痕跡を探るのをやめたわけじゃない。
修道長は保身で繋がった共犯者のままだし。
ピヨシは今日も危険なひよこだ。
なにも解決はしていない。
状況だけ見れば、たぶん少しずつ悪くなっている。
それでも。
「……もっと教えてよ」
私は眠っているコロリを見ながら、小さくつぶやいた。
「楽しいこと」
返事はない。
聞こえていなくたっていい。
むしろ聞かれていたら私が恥ずかしい。
「……はい」
ちくしょう。
起きてたのかよ、ばか。




