第11話『春はやさしくなんてないんだよ』
昔むかし。
世界にはよく働く女神様がいました。
病の子を癒したり。
飢えた村に実りをもたらしたり。
嵐に沈みかけた船を助けたり。
泣いている人がいれば手を差し伸べ。
困っている人がいればどこからでも助けに行きました。
みんな女神様に感謝しました。
祈り、捧げ、涙を流して崇めました。
ありがとう、すごい、さすが、尊い。
女神様はいつもそんな立派な言葉に囲まれていました。
立派だけど、遠い言葉でした。
女神様が、本当に欲しかったものは。
そこにはありませんでした。
………………。
…………。
……。
厳しい冬が終わりを告げ、春の風が吹きはじめた。
ただちょっとばかり、ビタークリークの春一番は強い。
「アルさぁぁぁぁ…………」
広い修道院の裏庭を、風にあおられたコロリがコロコロ転がっていく。
いやあ。本当に風が強いな、今日は。
ようやく元気になったと思ったらこれだ。
私はため息を吐き、草まみれになったコロリを起こしてやった。
「楽しいですよ。アルさんもやります?」
「絶対やだ」
私とコロリは修道院で、息苦しいながらもそれなりに平穏な日々を送っていた。
まあ、いろいろと抱えている問題から目を逸らしながらではあるんだけど。
そんなある日のこと。
朝食のあと、修道長が私たちを呼びつけた。
「アレクシス、コロリーヌ。買い出しに行ってちょうだい」
相変わらず笑顔でそんなことを言う。
この超問題児を抱えて町におりるの?
正気かな?
「はあ、そんな顔をしないのアレクシス。年長の子が交代で行く決まりです……が。わかるでしょう?」
修道長はちらりとコロリの顔を見た。
うん。まあこいつを一人で行かせるのは私も反対だ。
「春の山菜と根菜を仕入れてきてほしいのよ。倹約は美徳だけれど、冬を越えたばかりでは少し栄養も必要でしょうから」
口ではたいそう殊勝なことを言っている。
もっともこのお婆さんの場合。
“栄養”の中身がしなびたカブ2個とかだったりするから油断ならないけど。
「そういうわけだから、よろしくお願いね」
「はい、修道長先生」
私がそう返事をすると、隣でコロリがしゅびっと手を挙げた。
「はいはい質問です! 買い出しって楽しいですか?」
「遊びに行くのではありませんよ……」
修道長のこめかみに青筋が浮いていた。
ぎりぎりの笑顔をたもって、私に買い物かごとお金の入った袋を渡してくる。
「くれぐれも頼んだわよアレクシス。くれぐれも」
「……はい、修道長先生」
不安だ。
だけどまあ、石に囲まれた修道院の外に出られるなら。
今回はちょっとマシかもしれない。
………………。
…………。
……。
私はコロリと並んで町におりた。
コロリは買い出しだというのにピヨシを抱えていた。
なんだか売りに来たように見えるぞそれ。
ビタークリークの市場は、春だというのにあまり明るくなかった。
雪解け水でぬかるんだ道。
軒先につるされた、数の少ない干し肉。
かごに盛られた小ぶりの根菜。
山から採ってきたらしい山菜が、申し訳程度に並んでいる。
人はいる。
けれどみんな声が小さい。
商売のための呼び込みも、世間話も。
どこか周囲をうかがうようだった。
「……なんか、思ってたより活気ないですね」
「冬のあとはこんなもんだよ」
「春ってもっと浮かれたりしませんか?」
「浮かれてもお腹が減るだけだからね」
通りの端でしゃがみこんでいる老人。
空の袋を抱えてうつむく母親。
乾いたパンくずをつまんでいる子供。
みんなやせている。
冬のたくわえをギリギリまで切り詰めて。
どうにかこうにか春まで生きながらえた町の人たちに、笑顔はない。
「春はいつもこうだよ」
「そうなんですか……」
コロリはピヨシをぎゅっと抱くと。
口をつぐんで前を向く。
破天荒児も黙るほどの光景か。
春はやさしくなんてないんだよ。
私は見慣れてるけど。
あの修道院の薄いスープから察せないものかね。
私たちは妙に押し黙ったまま、市場の奥へと進んだ。
目指すのは、春先の野菜を売る農家の露店だ。
この季節でも、ここだけは活気がある。
いや、活気というか、生き意地というか。
やがて食料を求める人だかりの向こうから、大きな声が聞こえてきた。
「ほら押すんじゃないよ! ちゃんと並ばないやつにはやらないよ!」
声の主は、50代ぐらいの女性だった。
日に焼けた肌。土のついたエプロン。袖をまくった太い腕。
快活というより、もはや豪快という言葉が似合う。
露店にはカブ、タマネギ、細いニンジン、それから春の山菜が山積み。
……ってほどではないけど、他よりは景気よく並んでいる。
「ちゃんと家族で分けるんだよ。ひとりで食ったら承知しないよ!」
女店主はやせた子供たちに、形の悪い野菜をポンポン渡している。
でも代金を受け取っているようには見えない。
たぶん、払えない客にも配っているのだろう。
「すみません。修道院から来ました。山菜とカブを……」
「ああ、なんだい? 修道院?」
女店主にギロリとにらまれた。
「悪いけど後回しだよ。見りゃわかるだろ、こっちは今それどころじゃないんだよ」
露骨に嫌そうな顔をされる。
「修道院様はいつだって腹をすかせちゃいない。けどこっちは冬を越えたばっかの連中がいるんだ」
「……ですよね」
そうなる気はしていた。
私たちは修道服を着ている時点でヴェリナス聖教の関係者だ。
とっくの昔に、配給を止めた側の人間だもの。
言い方はきつい。
でも間違ってない。
私は一歩下がって買い物かごを抱え直した。
そのときだった。
「この露店に並んでいるのは、まだ供出されていない作物だな」
場の空気が、急に冷えた。
鎧の上から白の外套。
腰にぶら下げた剣。
世界の秩序と戒律の守護者。
聖教騎士の一団だ。
露店にたかっていた子供や客がいっせいに黙り。
逃げるように道をあける。
先頭の騎士は露店の前に立つと、女店主と作物を無遠慮に見回した。
「春の初物は、まず教団に納めるのが決まりだ。勝手に配っていいものではない」
「次の収穫分は納めるって言ってるだろ」
「規定は“次”などという、あいまいな運用をしていない」
「運用もなにも、ここにはいま腹をすかしている連中がわんさかいるんだよ。見てわからないのかい」
ものの数秒で、いっきに一触即発の空気だ。
「だからこそ教団が管理すると言っているのだ」
「そのご立派な管理のおかげで、去年の冬はずいぶん死人が出たもんさ」
「教団への侮辱か」
「事実を言っただけさね」
人だかりから、息をのむ音が聞こえる。
女店主、強い。
だけどそいつは長生きできない強さだ。
騎士の目が鋭くなった。
「供出品の横流しに加えて、聖教への不敬。貴様を罰する理由ならばいくらでもあるぞ」
騎士が片手を挙げると、他の騎士たちが露店の作物へ手を伸ばす。
それどころか、周囲の客が持っている野菜にまでも。
やせた小さな子供が、カブを抱えて後ずさった。
「ダメ……これは、お母さんの……」
「離しなさい」
騎士の声は、子供相手とは思えないほど冷たかった。
私の背中にぞわりとしたものが走る。
見覚えがあった。
戒律を口にしながら、人の事情をひとつも見ようとしない声だ。
「ちょ、ちょっと待ってよ」
気づけば、私の口が先に動いていた。
まずい。
と思ったときにはもう遅い。
「修道院の子供か」
「あ、あの、その子からも取り上げるのは……」
「口を慎みなさい。これは教団の規則に基づく正当な徴収だ」
ダメだ、これは。
こういう相手には正論めいたことを言っても無駄だ。
相手はルールに守られていて、かたや私は無力な孤児で。
感情で人を動かせるほど、偉くもなんともない。
この問題に、私たちは首をつっこむべきじゃない。
仕方ないんだ。
……そう思って下を向いた瞬間。
「その規則って、なんのためにあるんですか?」
私の隣からのんきな声がした。
確かめるまでもない、コロリだ。
お前はほんとに待てができないな。
騎士が眉をひそめる。
「なんだ貴様は」
「作物をまず教団に納める、という規則です。目的を伺っています」
その場にいる全員が。
私も、騎士たちも、女店主も、周囲の人だかりも。
みんな、ぽかんとした。
「はあ、決まっているだろう。町の秩序を守り、女神ヴェリナス様の慈悲を公平に行き渡らせるためだ」
「なるほど、そうなんですね」
コロリはうなずく。
妙に素直だ。
みんな、なに言ってんだこいつって顔をしている。
この嫌な予感に、私はもう慣れた。
「じゃあその目的はすでに果たされていますね」
「……なんだと?」
「困っている人たちがいて、店主さんは春の食べ物を分けています。飢えた人々に慈悲が行き渡っています」
騎士のこめかみがぴくりと動いた。
いいぞ、もっとやれ。
ってたぶん。ここにいる人たちはみんな思ってる。
私は胃が痛い。
「本旨は“人を生かすこと”ですよね。そのために規則があるのはわかります」
「そうだ、我々聖教騎士団は……」
「ですが規則そのものを守るために、今ここで飢えている人たちから食べ物を遠ざけるなら」
コロリは一歩前に進み出る。
「それは目的と手段が逆です」
群衆がざわめいた。
騎士は言葉失い、顔をしかめる。
「死んじゃってから慈悲を与えても、意味ないですよ」
容赦がない。
なんかコロリが怒ってるようにも見える。
だけどまだ押しきれない。足りない。
“規則の一点張り”を相手にするなら。
理屈をぶつけ合うだけなら、互角に終わる。
コロリもそれを察してか、こちらにちらりと目を向ける。
……わかったよ、選手交代だ。
コロリのおかげで少し冷静になれた。
やれる。
突くべき点は見えてる。
ここでのひと押しをためらったら。
みんな泣かされて終わるだけだ。
怖さを飲み込み、私は息を深く吸った。
「……あの」
心底うるさそうに、騎士が私のほうを見る。
無視されてないだけよしとしよう。
「困っている人に食べ物を分けたことが罰されるなら。町の人たちはもう誰も慈悲なんて口にしなくなるよ」
「慈悲は教団が管理する」
「でも先にやったのはこのおばさん。だよね」
なるべく相手の面子を潰さないよう、慎重に言葉を選ぶ。
悲しいかな、慣れてるんだ。
修道長ににらまれない言い方を、毎日考えてるから。
「教団が目指すものを先んじて実践した。そんな人を処罰したら、騎士様が“女神の慈悲を罰した”と受け取られるよ。少なくとも、ここにいる人たちには」
私は周囲を見る。
やせた顔が並んでいる。
うつむいていた目が、今は少しだけこちらを見ていた。
「そ、それは……」
騎士が言葉に詰まった。
周囲の空気が変わる。
さっきまでは誰も声を出せなかったのに、今はざわめきが広がっていく。
「たしかに……」
「おばちゃんは助けてくれたんだ」
「罰するのはおかしいだろ!」
騎士の顔が赤くなったり青くなったりしている。
そりゃあそうなるよね。
いきなり自分の立場が天秤に乗せられちゃったんだから。
だけど規則をかさにきてここまでやった手前、引くわけにもいかないのか。
……まずったかも。
これは引くか、逆上するか、どっちかだ。
そしてこういう連中は、たいてい後者を選ぶ。
「ええい黙れ! 黙れ!」
怒声が市場に響いた。
子供がびくっと肩を震わせる。
騎士は剣の柄に手をかけ、私をにらみつけた。
「修道院の子供風情が、教団の規則を論ずるな! 秩序の判断は我々、聖教騎士団が――」
「――じつに見事なものだねえ」
やわらかな声が、その怒声を切った。
騎士は動きを止めて顔をこわばらせる。
「修道院の教育も捨てたものじゃないね。この子供たちは、規則と慈悲、どちらもよく理解している。それに比べて我が聖教騎士団はなんたるざまだ」
人だかりがさざ波のように左右へ割れた。
白銀の法衣をまとった女が。
人々の間をゆっくりと、こちらへ向かって歩いてくる。
歳は20代ぐらいだろうか。
若い、不相応なぐらいに。
だけど自然とその場の中心に立ってしまうような。
そんな、うすら寒い圧があった。
「し、しし、司祭様……」
騎士が青ざめて膝をつく。
周囲の人々も、女店主も、みんな膝をついた。
そうするように、幼いころから教え込まれるからだ。
司祭様は女店主の肩をポンと叩く。
「じつに素晴らしい。教団にかわり女神の慈悲を体現するキミはビタークリークの宝だ。統治者として賞賛したい」
「……そ、そうかい」
「市井から信頼される農家の不興を買うのは損だからね。ここは褒め得でしょ」
それ言っちゃうんだ。
司祭様は群衆に見せつけるように法衣をひるがえし。
芝居じみた動きで両手をひろげた。
「やあみんな。ボクだよ」
この町の頂点。
ヴェリナス聖教ビタークリーク支部の長――。
――プルーシィ・ウィズバーン統括司祭。
彼女は私たちに向かって、うっすらと笑ってみせた。




