弟子入り
「ここは……一体……」
きょろきょろと辺りを見回すオルワフェミ。無理もない。
鬱蒼とした森の中の一本道にいたはずが、ユウヤに腕をつかまれ、周囲の景色が歪んだ次の瞬間、辺りは見覚え一つない光景に様変わりしていたのだ。
二人は砂浜に立っていた。目の前には青く美しい海が、ざんざんと絶え間ない波音を立てている。少し離れたところには、今は人一人いない漁港が見える。振り返ると、まばらに粗末な建物がいくつかあるだけの、鄙びた風景。
「ここはテッサロニキ。エピルス王国の片田舎だな」
「エピルス王国!? 陛下の魔力が膨大で、全ての魔法をお使いになられるとは聞き及んでおりましたが……そんなに遠くまでの『転移』を……」
「まぁ、俺は特殊な事情があるからな。大したことじゃない」
「それにしても、なぜこのような場所に……あちらに港がありますな……ん? いささか塩辛い香りが……それに、水面の波……もしかして、これは『海』では?」
「そうだけど……ひょっとして、海を見るのは初めてか?」
「はい、私の故郷は内陸にありましたので。あぁ、初めて見るのに何かこう、懐かしいような、落ち着くような……」
オルワフェミはふらふらと海辺に近づき、しばらく感慨深げに始めて見る海を眺めていたが、ふと気を取り直したかのようにユウヤに話しかける。
「失礼、つい陛下の御前ということを失念しておりました。このようなところで、私に何をしろとおっしゃるのでしょうか?」
ユウヤはペンダントに魔力を通し、魔人の姿になると、
「とりあえずは昼飯にしよう。食ってないんだろう? それと、この姿は正体を隠すためのものだ。『イサム』と呼んでくれ。敬語もなしだ」
「はぁ、承知いたし……わかった、イサム」
ユウヤが店の入り口をがらっと開けると、大将が一人で店の掃除をしていた。
「……アンタか」
「あれ? もう店じまいか?」
「そうだが……まぁいい、入れ」
大将はカウンターの方に顎をしゃくる。
「今日は何があるんだ?」
「もう何も残ってねぇ……と言いたいが、一尾だけ手つかずのがある」
と言うと、大振りの魚を持ち上げ、ユウヤ達に見せる。
「石鯛か! いい大きさだし、丸々として脂もよーく乗ってそうだ。こりゃいいや、そいつをもらおう。造りで頼む」
「あいよ」
大将は石鯛を捌き始める。
「しかし、こんなのよく残ってたな。こんなのが売れないとか、経営大丈夫なのか?この店」
「抜かせ。ここに来る客は大体食うものが決まってるんで、売れ残っただけだ。あんまりにも物がいいんで、つい仕入れちまったがな。これでも最近アガリは増えてる……アンタのおかげだけどな」
「俺のおかげ?」
「例の、イカだよ。試しに出してみたら、意外に好評でな……造りがあがったぞ、ほらよ」
エールをちびちびと啜っていたユウヤ達の前に、石鯛の造りが美しく盛られた大皿がどんッと置かれる。どう考えても二人前などといった量ではないが、大食いのユウヤにとっては却ってちょうどいい。
オルワフェミは真剣そうな、不思議そうな顔でじっと大皿を見つめていたが、
「イサム殿、これは……何でしょう、いや、何だろうか」
「ん? 何って……石鯛の造りだけど」
「造り……聞いたこともない料理だが……この魚を、どうやって食べると……?」
「この醤油を小皿に取ってな、で、この魚を少量付けて食うんだ」
「この魚、生にしか見えないが……」
「生だからな」
絶句するオルワフェミをよそに、ユウヤは早速口に一切れ放り込む。
「んーっ、んまい! やっぱり脂が乗りまくってる。 流石大将、いい物を仕入れてくれたな……ん? どうした、オルワフェミ?」
「い、いや……生魚を……そのまま……」
「心配いらんぞ。海の魚は新鮮なら腹を壊したりはしないんだ、物にもよるけどな。ほれ、とりあえず食ってみろ。文句はそれからだ」
「は、はぁ……」
オルワフェミは慣れぬ箸を使って恐る恐る刺身を一切れ摘まみ上げると醤油につけ、こわごわと口に持っていく。
「……どうだ?」
「……これは……中々に旨味が強い……おっしゃる通り、脂がよく乗っておりますな。思ったほど生臭くもない……」
「山葵を、そこの緑色の奴だな、少しつけて食うんだ。生臭さを消してくれる」
「は、はい。……ん? 鼻に抜けるこの感覚……うん、確かにこれがあった方が美味しく食べられるな」
オルワフェミの箸を持つ手の動きが段々早くなっていく。ユウヤも負けじとどんどん箸を進め、大皿が瞬く間に空になる。オルワフェミは恍惚とした表情になっていた。
「はぁ……生の魚が、こんなに旨いものだったとは……しかし、何故他所にはこの造り……だったか、出す店がないんだろう?」
「新鮮な魚じゃないと駄目だからな。海のそばじゃないと食えないさ」
「ああ、そうか」
「そこで、俺からの頼みなんだが……お前にこの店で修業してほしいんだよ」
「「は?」」
大将とオルワフェミが目を見開き、大将は困ったような表情になった。
「ちょっと待て。そりゃ無理だ」
「無理?」
「さっきアガリが増えたって言ったが、流石に人を雇えるほどの余裕はねぇよ」
「そのことなら問題ないぞ」
ユウヤは『収納』で取り出した袋から、テーブルに金貨を積み上げていく。
「これは束脩……要は、授業料だな。ものを教えてもらうんだから、報酬があるのは当然だろう? 魚の目利きから捌き方、料理方法まで教えてやってくれないか? 一人前にしてくれたら、これと同じ額を追加で払おう」
「え、いや、こんなに……いくらなんでも多すぎるだろう!?」
「この中からこいつに給料を払ってやってくれ。安くても構わない」
「いや、それにしたって……」
「いいから取っとけよ。その代わり、こいつにきっちり教えてやってくれれば、それでいいから」
「うーん、そこまで言うんなら……いや、やっぱり問題があるな」
「問題?」
「報酬はいいし、人手が増えるのはいいことなんだが……俺一人でやってる店だから、厨房が、なぁ……」
「厨房がどうした? あぁ、狭すぎるってことか」
「そういうこった。アンタからもらえる金で増築するって手もあるが、この辺にゃまともな大工もいねぇし、時間がかかりそうなんだよなぁ……増築中はは営業もできねぇし」
「そういうことか。厨房、どれぐらい広くすればいいんだ?」
「そうだな……今の2倍、いや、できれば3倍くらい……」
「わかった」
ユウヤはやおら席を立つと、店の外に出ていく。
「ちょっと離れててくれ」
と二人に言うと、おもむろに『保管』を使った。
一本の大木が、ズシン、という音と共に店のそばに置かれる。
「材料はこれ一本で足りるな。後は……『造型』」
ユウヤの声と共に、大木は不気味な、あり得ないような変形を始める。
まず、一斉に葉が落ちた。枝も幹も根も一つにまとまっていき、一つの塊となったかと思うと、段々と薄い板状に広がっていき、大将の店にくっついていく。
ユウヤの後ろで見ていた大将は青い顔になって、側にいるオルワフェミに質問する。
「な、何だ、こりゃ……魔人族ってのは、こんなことまでできるのか?」
「魔人族だからできるってもんじゃない。陛……いや、イサム殿は、その、何だ、魔法の技量が高くてな……」
オルワフェミはしどろもどろになりながら答える間に、建物の増築が完成する。
「増築部分だけ見た目が違うからちょっと不格好だけど……こんなもんかな。大将、中を確認してくれるか?」
「……お、おう」
三人は店に入る。元々あった壁がなくなっており、厨房の面積が3倍以上に広がっていた。
「広さはこんなもんか?」
「お、おう……」
強張った顔の大将が首を縦にブンブンと振るが、ユウヤは少し不満層である。
「うーん、建物の継ぎ目が目立つなぁ……いっそのこと、全部改築しちまうか?」
「いやいやいや、やらなくていい! これでいいから!!」
大将が慌てて止める。
「大将がそう言うんなら、まぁいいけど……後、なんか問題はあるか?」
大将は弾かれたように激しく首を振る。
「じゃあ、弟子の件、受けてもらえるか?」
「あ、ああ、わかった。この兄ちゃんを、一人前にすればいいんだな?」
「そういうことだ。オルワフェミ、やってくれるよな?」
「イサム殿の願いなら。ただ、聞きたいことがある」
「何だ?」
「何故私なのか? お抱え……いや知り合いの料理人など、いくらでもいるだろうに、素人の私を……」
「この店の料理を、俺の町でも出したいからだ」
「!?……ひょっとして……『保管』か?」
「そういうことだ。優秀な料理人はいくらでも育てられるけど、『保管』を使える奴はそういないからな」
「なるほど。しかし、それなら店を出さなくても、イサム殿ならいつでもここで食べられるのでは?」
「自分が食べる分にはその通りだ。だけど、重要なのは『店を出す』ってところだ。この料理を、俺の町の住民にも食べてもらいたいんだよ」
「何故に?」
「俺は自分の町をもっと盛んにしたいと思ってる。そのためには町に魅力が必要なんだけど、料理にはそんな魅力がある。旨い物があるところには、人が集まるだろう?」
「まぁそうだが、あの町には既に魅力的な店がそれなりにあるだろう? 『レストラン・ド・アンピール』とか……」
「ああ、あの店を知ってるのか」
「もちろん。各国の料理に加え、どの国の物でもない変わった料理を出すだけではなく、どの料理もとても美味な……」
オルワフェミは言葉を切って、ハッとした表情になった。
「一つ心配がになったんだが、あの店でここの料理を出すと言うことはないか? 同じ料理では太刀打ちができないと思うが」
「それはない。絶対にな」
「何故そう断言できる? あの店は相当儲かっているようだし、『保管』を使える魔導士を雇うこともあり得ないとは……」
「俺があの店のオーナーだからな」
「は? 陛……イサム殿が!? オーナー? あの店の?」
「ああ。ここの料理、あの店で出すにはちょっと特殊だから、別に専門の店を出そうと考えててな、お前にはその店の大将になってもらおうと思ってるんだ。嫌か?」
「いや、イサム殿がそう言うなら従うだけだが……しかし私は、『保管』はともかく、『飛翔』や『転移』が使えるわけではない。ここから町までは随分遠いのだろう?」
「大した問題じゃない。『転移』の魔法陣を設置すればいいだけだ。アディオラにでも頼んどくさ。他に問題はあるか?」
「そうだな、後は……経営が成り立つかどうかだな。一度食べれば良さがわかるのは間違いないが、生魚はやはり、敷居が高いと思う」
「そりゃ当面は赤字続きになるかもしれないが、問題はないぞ。オーナーは俺だからな。給料もちゃんと払うさ。経営が落ち着いたら、店は譲ってもいいし」
「……わかった。そこまでするというのであれば、私は従うだけだ。大将、これから暫くの間、よろしく頼む」
こうして、オルワフェミは魔導士から料理人へと華麗なる転職をすることになった。
一方、インぺリアで魚を堪能できるようになる日を心待ちにしながら、どうやって妻たちに刺身を食べさせるか、頭を悩ますユウヤであった。




