朝市
ユウヤが久々の味に思う存分舌鼓を打った翌日。まだ真っ暗な中、その場所だけは何か所にも設置された篝火で明々と照らし出されていた。昼は殆ど人通りもない閑静な田舎町のはずが、何処にいたんだと訝しみたくなる多くの男が集まり、そこだけは打ち寄せる波音より、はるかに大きい喧騒に包まれている。
「銅貨30枚!」
「銅貨35枚!」
むくつけき男たちが、怒声にも似た声で激しく応酬する。
ここは鄙びた田舎の港町、テッサロニキ。夜も明けぬ早朝、その日の競りが始まったのである。
その脇には競りとは別に大量の木箱が並んでいる。どの木箱にも山と魚が積まれ、その頂上には値段を書いた木札がちょこんと置かれている。
競りを横目に見ながら、その木箱を一つづつ丹念に見て回る、二人の男がいた。
一人はユウヤ、一人は例の店の大将である。
「すげえ活気だな。ところで、大将は競りに参加しないのか?」
「ああ、競りに出るのは大物ばっかりでな。うちの店じゃ持て余しちまうんだよ。客の数もたかが知れてるからな」
「なるほどね。それにしても、村の大きさの割に朝市の規模がでかすぎないか?」
「ああ、大部分は村民じゃねぇ。あっちの山の影にでっかい加工場があってな、そこの連中が来てるんだ。そこで干し魚にして、遠くに持って行って売ってるんだ。遠くじゃ生で食うわけにもいかんしな」
「そういうことか。まぁ確かに、ここらへんじゃ売れる量は知れてるだろうしな」
「それより、そっちにサンマの箱があるぞ。お前さんの大好きな、な」
「お、本当だ。どうやって買うんだ?」
「木札に書いてある額をあそこにいる男に払えばいい」
ユウヤは手早くいくつかの箱を選ぶと、男に金を払い、『保管』で箱を仕舞い込む。男と大将が目を丸くした。
「便利な魔法だなぁ。どこにやったか知らないが、腐ったりしないのか?」
「ああ、この魔法で仕舞った時点で時間が止まるらしい。ところでさっきから気になってたんだけど、ありゃ何だ?」
ユウヤは朝市から少し離れたところに塊になっている、白い何かを指さす。
「ああ、ありゃあ……イカだ」
「へ?」
ユウヤが思わず駆け寄って見ると、それは確かに堆く積まれた大量のイカであった。
下の方は完全に乾いてしまっているが、山の上の方は今日獲れた物らしく、まだうようよと動いている。墨を吐いた奴もいるらしく、所々が黒く染まっている。
「あんまり触るなよ、墨で汚れるぞ」
「わかってる……けど、なんでこんなところに積まれてるんだ?」
聞かれた対象は訝しげな顔になる。
「なんでって、お前、そりゃ……イカなんかどうしろってんだよ」
「え? 食えばいいじゃないか。それともこの辺のイカには、毒でもあるのか?」
「いやちょっと待て。イカは食い物じゃねぇだろう? 魚じゃあるまいし……」
「……はぁ?」
ユウヤと大将は思わず目を見合わせた。
「あー……この辺じゃイカを食う風習がないってことか」
「この辺じゃなくても、イカを食うなんて聞いたことねぇよ。まさか……食えるのか?」
大将が目を丸くする。
(そうか……前世の外国でも食わない国があったな。『悪魔の魚』だっけ? まぁ見た目がアレだしなぁ)
「何言ってんだ、イカは旨いぞ? 刺身で良し、焼いてよし、揚げてよし、干してよし、なんでもありだ」
「そ、そうなのか?」
「捌き方とか教えてやるから、早く自分の仕入れを終わらせちまえよ。俺はここで活きのよさそうな奴を選んで待っとくから」
「わ、わかった」
「さて、始めるか」
既に日は高く登っている。朝市の喧騒が嘘であったかのように、村は静けさを取り戻していた。大将の店で朝飯を食っていた客たちも引け、店にいるのはユウヤと大将の二人だけである。
「まず、捌き方からだな」
ユウヤは大将と並んで包丁を握る。包丁もそうだが、まな板も食器も相当年季が入ってはいるが、全て入念に手入れされていた。ただ大将一人で切り盛りしている店だけあって、厨房があまりにも狭すぎるのが難点であった。
「まず、こうやって頭の中に指を入れて、胴とワタを外すだろ……そうそう、それでいい。で、こうやって、頭から本体を引き抜く。ゆっくりやらないと、ワタが破れるから注意してな。あとは、頭の中に透明なプラスチッ……いや、板みたいのがあるから、それも引き抜くと。で、足の部分とワタを切り離す、と」
ユウヤの見よう見まねで、大将もイカを処理する。おっかなびっくりではあるが、流石に器用にこなしていく。
「これが肝だ。新鮮な奴なら、水気を抜けばかなりいける。酒の肴にぴったりだな。あと、これが墨袋なんだけど、パスタのソースとして使えるな」
「パスタってなんだ?」
大将が不思議そうに聞き返す。
「あ……まだこの辺には広まってないのか、じゃあ聞き流してくれ。ワタのほかの部分は廃棄してくれ。次は頭の処理だけど……」
ユウヤは頭に一本切り込みを入れて開くと一旦洗い、エンペラを剥がし、鰓を取り、皮をむく。
「これで、後は魚と同じように一口サイズに切っていけばいい。こんな感じだな」
ユウヤはイカを短冊状に切っていく。
「で、この目玉と足がついてる方はどうするんだ?」
「ああ、こっちはこう切り込みを入れて目玉と口をちぎり取ってな、後はこうやって切って……こっちの部分は刺身より、焼いたほうがいいかな」
ユウヤはイカの切り身をフライパンに放り込み、醤油とバターで炒める。
「……いい匂いがしてきたな。これは……醤油の匂いか。こんな使い方もできるんだな」
「そうだな……これくらいでいいか」
ユウヤは火を消すと、刺身とバター焼きを皿に盛り付ける。
「出来上がりだ。まぁ食ってみろ」
「ん? どうした? 食わないのか?」
大将はイカ刺しとバター焼きが乗った皿を目の前にして、箸を持ったまま固まっていた。まだ一口も口にしていない。
その顔にはこれ以上ないほどの渋面を浮かべ、脂汗までかいている。
「いや、その……イカを食う、ってのが、な……」
「いや無理に食えとは言わないけど、折角作ったんだし。料理人が自分の作ったものを食わないってのはどうなんだ?」
「まぁ、そうなんだが……クソっ、俺も男だ」
大将はついに意を決したように震える箸でイカ刺しをつまみ上げ、目をきつく閉じて口の中に放り込んだ。
「む……これは……」
大将は口の中でなにやらもごもご言いながら、口の中のイカを何度も噛みしめる。
「この歯触りは……旨味も……」
大将の箸を持つ手の動きが段々早くなる。手の震えもいつしか止まっていた。
時を置かず、大将の皿が空になる。
「どうだった?」
「……悪く、ねぇな。魚とは全然違うが、この歯ごたえ……中々、面白れぇ。旨味も、しっかりとある。これなら……店で出せる」
「だろ? 今日はシンプルな料理だったが、イカ料理も結構な種類がある。おいおい教えてやるよ」
「ああ、頼む。すまないな、朝市を案内するだけのハズだったのが、ここまでしてもらっちまって」
「構わんよ。旨い魚を食わせてもらって、朝市の案内までしてもらった礼だと思ってくれ」
「ああ、またいつでも食いに来てくれ。こっちでもイカを使った料理は研究してみよう……ところで、ずっと気になってたんだが」
「何だよ」
「朝市の後、何か予定があるって言ってなかったか?」
「……あ」
ユウヤは突然現実に引き戻された。朝市はユウヤの起床時間までには終わる予定だったため、特に誰にも何も言わずに城から出てきていたのだ。
慌てて城に戻ったユウヤを待っていたのは、青筋を立てながら表情筋だけで笑顔を作っているアンジェラを筆頭としたいつもの面々だった。朝になってみると一緒にベッドに入ったハズの皇帝陛下がいない、捜索しても何処にも見当たらない、誰も外出の予定を聞いていないというのでは、城中が大騒ぎになるのは当前である。
その日、正座させられたユウヤが、涙目になるまで長々とお説教を食らうはめになったのは言うまでもない。




