神罰覿面
少し肌寒い、抜けるような青空の下。
だだっ広い、通常なら、見渡す限り、大草原の緑しか見えない場所なのだろうが、今日ばかりは様子が違っている。
無数の馬が忙しなく行き交っている。どの馬上にも兵が乗っている。殆どの兵が薄く加工した魔封石をはめ込んだ漆黒の鎧を身に纏い、背には些か小ぶりの、特徴的な弓と矢筒を背負っている。
所々に、それらと明らかに異なる、西洋風の武装をした集団も混じっているが、メルキット=ハン国に下った属国の部隊であろう。
黒い鎧を纏った連中は、一見秩序なくめいめいに移動している様に見えて、何時の間にやら先日の会議で地図に示された配置のとおりに、整然と並んでいく。
(へぇ、これだけの大軍というのに、この短い時間で……大した練度だな。うちの軍でも、こうはいかないだろうな)
姿を消して上空に浮かぶユウヤが内心感嘆している間に、ほぼ陣形が整った。今は属国の軍隊が、多少遅れて配置に着こうとするところだった。
各部隊から、トクタミシュの本陣に配置完了の伝令が飛ぶ。伝令とは言っても下っ端ではなく、それぞれの部隊の長のようだ。最後に報告をしたのも、ロングフォード王国のマクマホン卿であった。どの伝令も、報告が済んだ後、陣には帰らずに整列し、待機している。演習の前の「儀式」のためのようだ。
全ての部隊から配置完了の報告を受け取ったトクタミシュは不機嫌そうな顔のまま一つ頷くと、用意されていた壇上に上がり、声を張り上げる。
「皆、訓練は怠っておらんようだな、中々の動きであった。それでこそ我が軍である。兼ねてから通知しておったように、本日これより当方からの客人の為に、演習を行う。計画は既に伝えた通りである。演習においても、普段の訓練を如何なく発揮せよ。我らが軍の迅速さ、精強さを客人の心胆に刻みつけてやるのだ」
トクタミシュはここで一旦言葉を切る。背後を振り、視線の先にいた司祭と軽く頷き会う。
「演習に先立ち、マルドー神からのお言葉を賜る。司祭殿、前へ」
司祭は静々と、トクタミシュのいる壇と各部隊長の間、ぽっかりと開いた場所の真ん中に進み出ると、ぼそぼそと祝詞のようなものを唱え始めた。
長い詠唱の途中で、司祭の目の前に白い光が現れる。司祭の詠唱の声が徐々に大きくなり、身振り手振りが加わるようになるにつれ、最初はほんの小さな点だったそれは、徐々にその大きさと輝きを増していく。
最後には司祭が金切り声を張り上げ、動きも気が触れたのかと思うほど激しいものになる。光が一人をすっぽりと覆えるほどの大きさとなったころ、やっと司祭は動きを止めた。
司祭は精魂尽き果てたかのようにその場にへたり込み、下を向いて動かなくなった。それと入れ替わるように、司祭の金切り声とは対照的な、重々しい声が響く。
「……我が名はマルドー、唯一の神なり……我が忠良たる、神聖にして善良な司祭の請願を受け、我を崇める全ての善なる民に、ここに言葉を下すものである……」
そこから長々と「神の御言葉」が語られる。目を輝かせ、顔を上気させて「御言葉」に聞きいる遊牧民族の長たちと、どこか鼻白んだような表情の属国の部隊長達の表情の落差が対照的である。
(属国の連中には、流石にネタが割れてるんだろうな。まぁ、指摘するわけにもいかないだろうけど……おっと、ボケっと見てる場合じゃないな。そろそろ始めようか)
予定では、この長々とした説教が終わったら演習開始なのだろうが、部隊が勢ぞろいし、しかも静止しているこの機会を逃す気は、ユウヤにはなかった。
司祭が立っていた場所に、突然爆音と共に、天までも届くような白く輝く光の柱が立った。
皆が唖然とし、腰を抜かす者も数多いる中、何処からともなく陰々とした巨大な声が鳴り響いた。
「……我が名はマルドー、唯一の神なり……」
言葉自体は先程の司祭の腹話術と同じだが、全く次元の異なる光と声の威に、その場にへたり込む者、崩れ落ちるように跪く者、反応は様々だが、属国の部隊長を含め、皆恐怖で顔を引き攣らせている。
「……下らぬ手妻をもって、こともあろうに我が名を騙るなど、不届き千万なり……ましてや、それを以て、周囲を欺き扇動し、己の領分の外なる民を戮し、我欲を貪らんとする以ての外なり」
トクタミシュのいつもの不機嫌な表情が、一転していた。流石にへたり込んではいなかったが、目は大きく見開かれ、わなわなと震えている。その口は何やら言い訳をするかのようにぱくぱくと動いていたが、言葉にはなっていない。
「……既に其方等が『司祭』と呼んでいた下らぬ魔術師は、我が光の中で焼きつくされた。汝らの番である。我が名を騙った罪、我が名を用いて多くの民を虐殺した罪、思い知るがよい……」
その言葉が終わるとともに、大地が揺れる。最初は微かに振動する程度だったのが、あっという間に立っていられないほどの大地震となる。嘶き棹立ちになった馬から転げ落ちる者、その場でなす術もなく蹲る者、わけもわからず絶叫する者、その場は阿鼻叫喚の坩堝と化す。
大地はただ鳴動するだけではなかった。大規模な陥没がそこかしこで始まり、多くの者が部隊ごと飲み込まれていく。
大地震は五分毎で収まった。もっとも、その場にいた殆どの者にとっては、無限とも思われるかのような恐怖の時間であっただろうが。
地震が収まってみると、殆どの部隊は陥没に飲み込まれていた。儀式の前より10m以上も低いであろう巨大な穴の中で、陥没の際に負った大怪我に呻いている。
陥没に巻き込まれなかったのは、トクタミシュの本陣、それに属国の部隊のみである。
(ふぅ……何とかなったな。インぺリアの開発の時の経験が役に立った)
上空に戻り、草原全体を俯瞰して安堵するユウヤ。その視界の端に、疾走する部隊が幾つか映った。
(属国の連中も動き出したな)
全ての属国の部隊が、トクタミシュの本陣目掛けて殺到する。トクタミシュの本隊だけならは最精鋭とはいっても、絶対数が少なすぎる。属国すべての部隊でかかれば、流石に苦戦はしないだろうとユウヤは踏んでいた。
実際には、戦闘にすらならなかったというのが正しいだろう。トクタミシュの本隊は恐慌状態に陥ったまま、属国の部隊の突撃を食らったのだ。多くの者が碌な抵抗もできぬまま、切り倒され、または縛り上げられていく。
ただし、その中にあって極僅かな者達だけは体勢を立て直し、属国軍の馬を奪うなりして、一目散に逃走を始めた。その中心にいるのはトクタミシュその人であった。
「さすがだな……一代で大陸の半分を陥した英傑だけはある。ただ……逃がすわけには行かないんだよなぁ」
猛スピードで逃走する部隊の鼻先に、突如半透明の壁が出現した。トクタミシュ達は交わす間もなく次々と壁に激突し、落馬して呻いているところを、追撃してきた部隊に一人残さず捕縛されたのであった。
「起きろ!」
という怒声と共に、思い切り腹に蹴りを入れられたユウヤ。目を開けると、フレディに呆れかえったという表情で見下ろされていた。
「全く、昨日あれだけの大事件が起こったというのに、どうやったらそう吞気に寝ていられるのだ? 他の者は皆既に情報収集に走っておるのだぞ。ある意味ではその図太さ、寧ろ賞賛に値するかもしれん」
「何も蹴らなくても……」
ユウヤは痛む腹をさする。幾ら神々に与えられた肉体が頑健と言っても、蹴られれば痛い。
「やかましい。よいか、一時間後、会議がある。使節団からの出席者は、ダニエル閣下、とお前だ」
「……何の会議で?」
「昨日あれだけのことが起こったのだ。実質的にメルキット=ハン国が壊滅した今、今後の方針について諸国が協議することになった。それに我らも呼ばれたのだ」
「そんな会議に、何で私が出席するんで?」
「こっちが聞きたいわ! ダニエル閣下も、何でこんなわけのわからん男を重用するんだか……お前、尻でも貸しているのではあるまいな?」
酷い言いようだが、気持ちはわからないでもない。ユウヤ、いやイサムへの風当りこそ強いが、確かにこの男、情報収集の指示から取りまとめ、メルキット=ハン国との細かい協議からダニエルの補佐にいたるまで、この国にいる間、その有能さを如何なく発揮していたのだ。話は長いけれども。
それが、おそらく今後の大陸間の関係を左右しかねない重大な協議から外され、わけのわからぬ男が出席するというのでは、流石に思う所があるだろう。
(うーん……そのうち何か、埋め合わせでもしてやるか……)
などと考えながら、寝ぼけ眼で朝食をほおばるユウヤであった。




