前日の仕込み
薄暗い部屋に置かれた机に座り、魔道具の灯りを頼りに黙々と書類を読み込み、署名をしていく二人。片方は些か細身ながら鍛え上げられた長身の男、もう片方は挙措仕草こそ洗練されているが、書類仕事をするには若すぎるのではないかと思われる、まだあどけなさを残す少年である。
ふと男は顔を上げ、気づかわし気な目で少年を見つめる。視線の先の少年は、男が記憶しているものより、少し頬がこけ、表情も暗いものであった。
「陛下、そろそろお休みになりませんか?」
「そうもいかない。まだ少し書類が残っているんだ」
「しかし……お顔の色がすぐれないようですが……」
「幼いころから、己の義務を果たしてこそ貴族たりうるのだ、と口を酸っぱくして教えたのは其方であろう? まして、余は国王である。それが望んでなったものではないとしても、属国の傀儡であっても、だ」
二人は顔を見合わせて苦笑した。
ここはロングフォード王国のテントの中。長身の男は大将軍マクマホン卿、そして少年は国王セックネール2世である。
二人が処理しているのはロングフォード王国の書類、しかも国王が直接裁決すべき重要な書類である。メルキット=ハン国に降伏し、属国になったといっても、国が存在する以上、国王としての仕事がなくなったわけではないのだ。
ここ数日は明日の演習の準備に駆り出されていたため、こうして夜遅くに国王としての執務をせざるを得ない。
「……余らはいいとして、他国の国王は国から遠く引き離されているだろうに、執務はどうしているのだろうな」
「おそらくは、何らかの形で代理の者を立てているのでは? ……誰だ!!」
マクマホン卿の声が、やにわにドスのきいたものに変わったかと思うと、瞬時に剣を構え、セックネール2世を庇うように立ちはだかる。
二人の目の前に、いつの間にか黒いマントに身を包んだ男が跪いていた。
「お静かに」
そう言って顔を上げたマントの男の顔は浅黒く、刺青のような模様が入っており、加えて燃えるような紅い瞳とくれば、間違いようがない。
「其方……確か、イサム、とか言ったか……? 先日もだが、どうやってここまで入ってきた? 無礼であろう! それともヘキサゴニアの者は、儀礼は知らんとでも!?」
「無礼は重々お詫び申し上げます。が、我ら両者にとって、火急の件がございますので」
剣を向けられながらも、落ち着き払って答えるユウヤ。
マクマホン卿が刺すような視線でユウヤを睨み据える。
「ほう……案内も請わず、いきなり陛下の御前に湧いて出なければならぬほどの急用があるとでも?」
「貴国が、メルキット=ハン国の軛を逃れることができる……と言ったら?」
「何!?」
マクマホン卿とセックネール2世の声が揃う。しばしの逡巡の末、マクマホン卿は溜息を一つつくと、剣を鞘に納めた。ユウヤを睨んだままのその目には、あからさまな猜疑の色が浮かんでいる。
「聞くだけは、聞こう。本当にそんなことができる、のであればな」
「明日の演習で、何かが起こります」
「何が起こるというのだ?」
「今はまだ、具体的には申し上げられません。ただ、メルキット=ハン国軍の主軸、つまりトクタミシュと血縁のない遊牧民族達は、戦闘不能に陥るでしょう。その機会に乗じて、トクタミシュの本軍、つまりトクタミシュと親族から成る軍を捕らえてください。貴国と同様の境遇の他国の軍まで糾合すれば、数的には圧倒できますよね?」
「確かにできるだろうな。ただその話、致命的な問題がある」
「どういった問題が?」
「言わねばわからぬか? トクタミシュ達以外の遊牧民族だけが、いきなり揃って戦闘不能になる、などという事態はありえんということだ! 奴らが何十万人いると思っているのだ? 他国のわけのわからぬ魔導士一人の口車に乗り、反乱を起こすなど、できるわけがあるまい!!」
「何もなければ、計画通りに演習を続ければいいだけです。あり得るかどうかはさておいて、実際に中軸全体が戦闘不能になったとしても、貴国は動かない、と?」
「いや、当然動くであろうな。本当に、そんなことが、あればの話だが」
答えたのはマクマホン卿ではなく、クロンターフ2世である。
「でしょうね。私が申し上げたいのは、明日何かが起こる、心づもりをしておいていただきたい、ということです。加えるなら、陣中の貴国以外の属国にも通達しておいて頂ければ、と思いますが」
「通達したことを密告されたらどうするのだ!?」
「そりゃ反乱すると通達したら、密告されるでしょうが……言い方を工夫すればいいだけでしょう? 明日何かが起こった時即応できるように、と匂わすだけでもいいのでは? 貴族には、貴族の言い回しというものがあるでしょう?」
「それはそうだが……」
逡巡する二人を無視するかのように、ユウヤは立ち上がる。
「これで、伝えるべきことは伝えましたので、後はそちら次第です。貴国の命運を左右することですので、くれぐれもよくお考え下さい。私はこれで失礼いたします」
「おい、待……」
静止しようと手を伸ばすマクマホン卿の目の前で、ユウヤの姿がいきなり歪んだかと思うと……次の瞬間、ユウヤの姿はかき消えていた。
「さて、明日はどうするか……」
無数のテント群の上空に浮かんだユウヤは、吞気そうにぽっかりと浮かぶ月を少し恨めしそうに眺める。
先程クロンターフ王国のテントで、「何かが起こる」としか言わなかったのは、言えなかったからである。何しろユウヤは明日どうするかを決めていなかったのだから。
「ヴィキが言ってたように、『隕石』でぜーんぶまとめて吹き飛ばせば、楽なんだけどなぁ……」
本当ならどうするかを決めてからロングフォード王国のテントに乗り込むつもりだったのだが、トクタミシュのテントに長居しすぎ、気づけばかなり遅い時間になってしまっていた。ロングフォード王国から他の属国に情報提供してもらうのであれば、彼らが就寝するより前にロングフォード王国に話を持ちかける必要があるため、考える時間が取れなかったのだ。
もっとも、長居したおかげで、少し派手な手妻を使えば、遊牧民族を引っかけるのは簡単という確信が持てたのではあるが。
「広い範囲に展開してる軍の特定の部隊は無傷のまま、他の戦闘不能にする。しかも、広範囲に……か。攻撃魔法は使えない、しな……」
攻撃魔法を広範囲に使いつつ、その範囲を主軸に絞るのも、ユウヤならやってやれなくはないかもしれない。他の魔導士にはもちろん不可能だが。
しかし、攻撃魔法が命中すれば、当然ながら衝撃が発生する。広範囲に魔法を使うのであれば、当然大量の魔力を込める必要になるわけで、そうなると範囲外の軍にも衝撃による被害が発生するのは当然である。
それ以前に、ユウヤは神々に『虐殺はするな』と釘を刺されている。戦争で敵を倒すのが虐殺と呼べるかどうかは不明だが、あまりやりたくはない。
かと言って、攻撃魔法以外で一部の部隊以外を戦闘不能にできるようなものなど、存在しない。
「『結界』で主軸の奴らを閉じ込める……いや、駄目だな。親玉を倒したとしても、二十万の軍勢を降伏させるとなると、一日や二日じゃ難しい。その間ずっと魔法を維持するのは、無理があるよなぁ……麻痺とか睡眠とか、状態異常系の定番って魔法も、この世界にはないし……演出の目途が立ったからって、肝心な所をもっと考え解くべきだったなぁ……」
ぶつぶつ言いながら、一時間ほどは悩んでいただろうか。ふと顔を挙げたユウヤは
「結局……あれしかないかなぁ」
と一言残して、自分のテントの方へ飛んでいった。




