久方のインぺリア城
「起きろ、もう朝だぞ」
不機嫌そうな声とともに、ユウヤは蹴っ飛ばされた。
寝床から半身を起こして眠い目を擦るユウヤを呆れた様子で見下ろしているのは、ここ二週間ほどで見慣れた顔だ。名前はフレディ。ヘキサゴニア外交官の一人である。
ダニエルと使節団の主な者数人以外は、『イサム』の正体を知らない。ダニエルがねじ込んだ臨時雇いということになっている。変装用の設定を知っている人間をあまり増やすわけにはいかないからだ。
このフレディという男、ヘキサゴニアでは珍しくもない熱烈な皇帝信奉者だったはずだが、まさか今自分が足蹴にした男が等の皇帝陛下であるとは夢にも思っていないだろうな、とついほくそ笑むユウヤ。
「何がおかしい?」
「いえ、何でもありません」
「全く、あのダニエル閣下がわざわざ連れてきた人材だから期待していたんだが碌に働かないわ、昨日の夜はどこかに行ってるわ、朝は起きないわ……臨時とは言え、汝はあの皇帝陛下の配下なのだぞ? もっと自覚を持つように」
ユウヤが何もしないのはダニエルが気を使ってるせいだし、寝坊したのは昨日遅くまで調査をしていたせいなのだが、流石に言うわけにもいかない。
「はぁ」
「はぁ、ではないぞ、全く……まぁいい、外に出て見ろ。面白いものが見られる」
「面白いもの……ですか?」
ユウヤがまだ眠い目を擦りながら外に出ると、使節団の一行が殆ど揃っている。それはいいのだが、彼らの眼前には確かにぎょっとするような光景が広がっていた。
見渡す限りのテントの林は昨日見たのと同じだが、それに加えて、無数の人間が太陽に向けて正座していた。それだけではなく、祝詞だか歌だかわからないが、とにかく声を合わせて何やらぶつぶつと言い続け、それに合わせて上半身を前に倒す、という動作を繰り返しているのだ。手をまっすぐ前に伸ばしたままの土下座を繰り返す、と言ってもいいだろう。
「……これは?」
「光の神への礼拝、だそうだ。毎日朝に行うらしい」
「光の神……マルドゥク神ですか。こんな儀式、ありましたっけ?」
「ヘキサゴニアにはないな。神の名前もマルドゥク神ではなく、マルドーというらしい。少し似た名前だというのがなんともまた……な」
「他の神々への礼拝もあるんですかね」
「いや、神はマルドー神だけらしい」
「随分とお詳しいですね」
「朝早くに随分大勢がごそごそしていたので、至急情報を集めさせたのだ。私の配下は優秀だからな、あっという間に情報を集めてくれた」
私の配下、という言葉を強調したのは、イサムが役立たずだと言外に言っているのだろう。
「昨日このテントに案内されてすぐ、休む間もなくこの辺りのテントに挨拶して回ったからな、無論贈り物持参で。其方だけは、どこかに行ってしまったようだが」
(優秀であることを認めるのは吝かじゃないが、嫌味が多いのは何とかならんかなぁ)
「よいか、外交官というものは常に人脈を整える努力を怠らず、一見意味がないような情報もつぶさに集めて回るものなのだ。どのような情報が、何時役に立つのか分からんのだからな。ましてや、我が国の皇帝陛下は常人にあらず。巷間に伝わる陛下の無双なる武勇と魔力、建国戦争での比類なき功績については流石に知っているだろうが、実は知謀においても、並ぶ者のない御方なのだ。こうして我らが集めた情報も、きっと役に立てていただけることだろう。其方もダニエル閣下に仕えるのであれば……」
説教が延々と続く。
(そんなに期待されても困るんだけどなぁ……しかし、説教が長いな。ん?長いといえば……)
「随分と、長い礼拝ですねぇ」
ユウヤはフレディの説教の隙間を狙って、疑問をねじ込んでみた。
「ん? ああ、二時間ほどかかるらしい。絶対の存在である神に対する礼拝が短いのは、大変な不敬であるということらしい」
「それはまた、信仰に篤いというか……」
「あぁ、凶暴な連中と思って接してみたら、意外と純朴で、信仰篤い民族だと部下たちが驚いていた。意外なことに、トクタミシュは特に敬虔な信徒らしくてな、それが遊牧民族の支持を集めた理由の一つでもあるらしい」
(へぇ……何かに使えないかな)
フレディの説教と遊牧民族の祝詞をBGMにしながら、ぼんやりと考えるユウヤであった。
「ん? 誰だったっけ?」
その日の昼、ユウヤは対策会議のため、インぺリア城に戻った。無論、『転移』を使ってである。
使節団の顔であるダニエルを戻すわけにもいかないので、代理として序列二位のマイクという者を同行させたのだが、使節団にごまかしつつ『転移』をするのは一苦労であった。
会議室に入り、既に来ていた者たちと軽く挨拶を交わしていたのだが……
(ん? ……誰だっけ?)
ユウヤの記憶にない人物が、アディオラ、それにフェイと親しげに話していた。
皇帝夫婦や六国の王を始めとした、ごく高位の者しか参加できないこの会議に参加するにしては若い、中年の魔人。やや痩身で背は高く、上等ながらも派手ではない、趣味のよい衣服を一部の隙なく着こなしており、高位の貴族特有の雰囲気を身にまとっているのだが、ユウヤの頭の中の人物録には、間違いなく存在しない人物だ。
「失礼、どちら様でしたか?」
ユウヤが問いかけると、その人物は一瞬アディオラ、フェイと顔を見合わせた後、苦笑を漏らした。
「これは酷い……陛下に忠誠の誓いまで行ったこの忠臣を、お忘れかな?」
「ん? ……どこかで聞いたことがあるような、ないような声だが……ひょっとして」
「アデバヨですじゃよ。我が姪御のおかげでこのとおり、ですじゃ」
大げさな身振りで礼をするその姿は、確かにあのリッチのものである。
「このとおり、って……『復活』でも使ったのか?」
「馬鹿言わないでよ、聖属性の、しかも第七階梯の呪文なんて使えるわけないじゃないの、ユウヤじゃあるまいし。残っていた伯父様の絵を基にして、ユウヤに渡した変装用のペンダント、あれを応用した魔道具を伯父様に差し上げたの。リッチの姿のままじゃさすがに、ねぇ」
ユウヤの脳裏に、アデバヨを初めて城に連れ帰った時のことが浮かぶ。あの時は城中がパニックになりかけた。確かにリッチが城を徘徊するというのは、誰にとってもやりづらいであろう。
「まぁ確かに、その姿の方が無難だよな。それはいいとして、伯父とか姪とかいうのはなんなんだ? 本来は、はるか昔の人だよな?」
「国元で協議して、カネム=ボルヌ王族であるオウォド家の伯父として扱う、ということになったのよ。帝国公爵になっちゃったから、国元で何かに任命するわけにもいかなかったし」
「そういうことか。で、声はどうやって変えたんだ? ほら、リッチの時には、何処から聞こえてくるかわからない、辺りに反響するような独特の声だったろ? 今の声と似てはいたけど」
「あれは、魔道具で声を反響させていただけですじゃよ。たまに迷い込んでくる愚か者を追い払うにはちょうどよかったので……今の声が、本来の声ですじゃ」
「そうだったのか」
そんな話をしている間に出席者が揃い、会議が始まった。
最初に東の大陸で収集した情報をマイクが説明し、それに基づいて議論が始められる。
事が事だけに、会議は白熱した。メルキット=ハン国の大兵力、騎馬戦術、魔封石を仕込んだ鎧などに表情を曇らせる者も多かったが、だからといって降伏を考えている者は誰もいないようだ。
「平原で会戦は避けたほうがよかろう。隘路に引き込んで叩いてはどうだ?」
「いや、上陸させずに海上で叩いたほうが被害が少なく済む」
「そう言われても、軍船として使えるような巨大な船など、数が限られているぞ。民間から借り受けるにしても……」
「小舟を大量に用意して、火矢を射かけては?」
「それは無理がある。報告の限りでは、弓は向こうの方が上だ」
「では水際で叩くか?」
「上陸地点が読めぬであろう」
「あのさ」
少し議論が止まった隙を狙ったかのように挙手したのは、意外なことにヴィキである。
軍事は完全に素人のはずだが……
「今、向こうは全兵力が集結してるんだよね? ってことは、今がチャンスじゃない。あいつらのど真ん中に『隕石』を放り込んじゃえば?」
その発言に、全員がぴたりと静まる。視線がドヤ顔のヴィキと、ユウヤに集まった。
乱暴この上ない案だが、実は、ユウヤもその手は考えないではなかった。なかった、というのは、その手を使いにくい理由があるからである。
「却下だ」
「え? 折角考えたのに、なんでー!?」
「確かに、奴らを壊滅させることはできそうなんだが……問題は、壊滅するのは奴らだけじゃない、ってことだな」
「他に、誰かいるって言うの?」
アンジェラが首を傾げる。
「まず、うちの国の使節団。まぁ彼らは事前に退避させるなりできるだろうけど、クロンターフ王国はそうはいかない。港町はもちろん、国土の相当部分が壊滅するだろうな。以前『隕石』を使ったのは盆地だったから、被害もあの程度で済んだけど、あんな平地で使ったらどれだけの被害が出るかわからん。ましてや、メルキット=ハン国に帰順した各国の王が従軍している。彼らまで殺すのは、さすがに、なぁ」
出席者の大半ががっくりした表情を見せたが、流石に軍務の関係者は冷静さを保っている。クァンメイが質問した。
「『隕石』の規模を抑える、というか、調整することはできないのですか? ユウヤは魔力の調整も得意ですけど」
「調整は、できるだろうな。できるんだが……実は前のアレが、最低限なんだよ」
ユウヤは前に『隕石』を使ったあの時、中々発動しなくてどんどん魔力を追加していったことを思い出していた。あの時より魔力を多く込めることはできるだろうが、あれ以下の魔力では『隕石』は起動しないだろう。
「……ユウヤが守るべきはこの国。東の大陸じゃない」
いきなり酷いことを言いだしたのはファニーだ。
ユウヤは背もたれに身を預け、天を仰いで大きなため息をついた。
「酷いことを言う……けど、確かにそれは間違いじゃない。間違いじゃないけど……」
「けど?」
「六神に、止められてるんだよ」
別に嘘ではない。六神がこの世界でのユウヤの使命が終わり、以後自由の身であると宣言した時に、虐殺の類はしないようにと釘を刺されている。
もっとも、ユウヤは別に神々に止められなくても、そこまでする気はなかった。前に『隕石』を使った時は相手が人間ではなかったため躊躇しなかったが、数十万人を、それも一方的に抹殺するというのは流石に抵抗がある。
できれば死人など、少ない方がいい。クロンターフ王国やその他の国の王たちはもちろん、できればトクタミシュに半ば無理やり従わされている連中も、だ。
ユウヤの中で、まだ案とも言えない茫洋としたものが、少しずつ浮かび始めていた。
ユウヤは椅子からおもむろに身を起こすと、出席者全員に宣言する。
「この会議の主目的は、使節団からの情報を共有することだったよな。いくつかの案も出たことだし、ここまでにしよう。今日方針を決める必要はないしな。それぞれ、今日出た情報や案も含めて、各自検討してみてくれ。それと」
ユウヤは新しい姿を得たばかりの、この国有数の重鎮の方を見る。
「アデバヨ、これからちょっといいか? ちょっと話がある」




