西へ
抜けるような青空に、カモメらしき鳥が数羽、軽やかに舞っている。眼下には、光を浴びてキラキラと輝く水面が視界の果てまでも続いている。絶え間ない波音に、マストの軋む音。若干暑いが、その分爽やかな風が体に心地よい。
ユウヤは胸いっぱいに息を吸い込むと、傍らのダニエルに話しかける。
「まさに航海日和ってところですね、ダニエル様。こんなにいい天気なのに、他の方たちはまだ寝込んでるのですか? 」
「はっ、全くだらしないことで……大変申し訳ありません」
「そちらが上司だって忘れてないか?言葉遣いに気をつけろ」
恐縮するダニエルに、ユウヤは小声で注意する。周囲に人がいないのは確認しているのだが、何かの時にポロっとやらかされるのは困る。
「少々、やりにくいですな……いや、やりにくいな」
「しっかりしてください。閣下は我らがヘキサゴニア帝国の代表なのですから」
ユウヤはくすくす笑いながら付け加えた。
今二人は西の大陸に向かうべく、メルキット=ハン国使節の船の甲板に立っている。
使節団は雑用を含めれば30人近くいるのだが、そのほとんどは酷い船酔いになり、船底で呻いている。
「船酔いがこんなにひどいものとは思わなかったな。俺は何ともないのだが……全く、これでは情報収集もできん。メルキット=ハン国の奴らはピンピンしてるというのに……」
大陸間を航行できる船だけあって、船はかなり巨大なもので、乗組員も多い。そのため、航海の間、メルキット=ハン国使節団以外の船員からも色々と情報収集をする予定だったのだが、こちらの殆どの人員が動けないのではどうしようもない。
「まぁ、こればかりは仕方ないでしょう。船酔いは慣れるか、船から降りるまではどうしようもありませんしね。それに……それなりに推測できることもありますし」
ダニエルが目を丸くする。
「どんな推測だ?」
「まず、奴ら自身には碌な海軍力はないでしょうね」
「む? これほど大きな船があるというのにか?」
二人が乗っている帆船は、かなり巨大なものだ。両国の使節団に加え、かなりの数の船員が乗船しているのだが、狭さは全く感じられない。加えて、両国の使節団にあてがわれた部屋も、かなり豪華なものであった。
「この船はメルキット=ハン国のものではないと思いますよ。船員と使節団の人種が違いますので」
「人間族しか見ていないが……」
「種族ではなく、人種ですよ。使節団はみな背が低く、黒髪で顔の彫りが浅い船員たちは背が高く、金髪の者も多く、顔の彫りが深い。気が付きませんでしたか?」
「……言われてみれば、確かにそんな気がするな」
「訛りも多少違うと思います。降伏した国の水夫に船を任せているのでしょう。それに、もしかの国に海軍力があるのなら、このような商船ではなく、軍艦で来るのではないでしょうか? 我が国に対する威圧にもなりますからね」
「なるほど……な」
「次に、メルキット=ハン国軍はおそらく騎馬隊が主力であろうと推察されます」
「根拠は? トクタミシュの出自は騎馬民族であったとは聞いているが、多くの国を併呑した今もって騎馬隊が主力とは限らんだろう?」
「短い期間で急激に膨張したとも聞いております。歩兵主体の軍では難しいでしょう。それに……先程、メルキット=ハン国の奴らがピンピンしてるとおっしゃいましたよね?」
「ああ。昨日もさんざん馬鹿にされただろう、ヘキサゴニア人は惰弱であるとな。しかし……船酔いしないのと、騎馬隊が主力というのはどう繋がるのだ?」
「馬もそれなりに揺れますから、慣れない者は酔うことがあります。閣下が船酔いしないのは、馬に慣れているからでは?」
「まぁ、元は武人だからな。昔は毎日のように馬で遠出しておったが……つまり、奴らが船酔いしないのも、馬に慣れておるからということか?」
「まぁ、そういうことです。外交使節でさえそうなのですから、おそらくかの国の生活には乗馬が相当に根付いているものと思われます。それと」
「それと?」
「彼らと戦う場合、魔法はあまり有効ではないかと」
「む……彼ら自身は魔法が得意そうではなかった、こちらの魔法が有効でないというのはどういうことだ?」
「奴らの護衛兵を見て、何か感じませんでしたか?」
「何やら真っ黒な、変わった鎧を身に着けていたな。金属というより、何か石のような……」
「あれ、封魔石ですよ」
「……! 確かに、オグボモショ城の素材と同じ色だったな。封魔石でできた鎧を身に着けているのであれば、確かに魔法は有効とは言えんな。しかし、石で作った鎧など、重過ぎて役に立たないのではないか?」
「金属製の鎧に、薄く加工した魔封石を貼り付けているようですね。それでも相当重そうではありましたが」
「ふむ……その重さが奴らの弱点ということか。ならば素早く接近し、白兵戦に持ち込めば……」
「そう簡単にはいかないでしょうね。奴らの主力が騎馬隊という推測が事実なら、ですが」
「それなら逆に、奴らの突撃を待ち受けるというのはどうだ? 逆茂木や柵で動きを止めて、白兵戦に持ち込んでしまえば、動きの速いこちらが有利に戦える」
「そんなに甘くはないでしょうね。奴らはまかりなりにも、西の大陸を制覇したのをお忘れなく」
「む……つまり何か、白兵戦への対応策がある……ということか?」
「でしょうね。どんな策か、見当はつきますが……あぁ、あちらを見てください。彼ら自身がわざわざ答え合わせをしてくれそうです」
「はぁ!?」
ダニエルはユウヤが顎をしゃくった所を見ると、二人からかなり離れた所にある扉から、使節団の数名が出てくるところだった。
「みな弓を携えているな、多少小ぶりのようだが。的があるわけでもなし、一体何をする気だ?」
「こんなところで弓を使うのであれば、獲物は二種類しか考えられないでしょう。我々か……」
「おい!?」
ダニエルが血相を変えたが、幸いにもそういうわけではないらしい。彼らのうちの一人が弓に矢をつがえると、空に向かって狙いを定める。その狙いのはるか先には、一羽のカモメが優雅に旋回していた。
「……なんだ、鳥か……随分距離があるな。あんな弓で届くのか?」
男が大して狙いを定めたというわけでもなく無造作に放った矢は、しかし狙い過たずカモメに命中する。カモメは一声挙げたきり、錐もみ回転をしながら海に落下した。
「ほう……この距離で当てたか。しかもあんな小さな弓で……かなりの名手だな」
「多分、驚くのはちょっと早いと思いますよ」
「え?」
男たちは交代でどんどん矢を撃ち続ける。一矢とて外れることなく、あっという間に視界からカモメがいなくなった。
男たちはお互いに肩をすくめると、船室に戻っていく。
「……メルキット=ハン国では、弓が外交官の必須科目か何かなのか!?」
「多分、かの国の民はみな弓が得意だと思いますよ。まぁ、推測通りです」
「ということは……陛、いや其方がさっき言いかけた白兵戦への対応策は、弓だということか?」
「そうです。騎馬のまま白兵戦にならない程度に接近し、弓を放ちながら引く。これを繰り返されれば、歩兵は何もできないでしょう?」
「それはそうだが……待て待て、馬に乗ったまま弓を撃つということか?」
「小ぶりの弓を使っていたでしょう? あれは、馬上での取り回しがよいからだと思いますよ」
「……恐ろしいな」
「確かに。さて、どう対応するか……」
「そうではない。恐ろしいといったのは、其方のことだ」
「え?」
「今までの情報だけで、そこまで読めるとは……」
「なに、似たような戦術を知ってただけですよ」
ユウヤは前世の記憶を引っぱり出していた。
(確かパルチアンショット、だったな。紀元前のペルシャ辺りの戦術だったような……ついでにモンゴル騎兵の偽装退却とか包囲戦術も取り入れれば、さらに有効だろうな。魔法への対応策もできてるし、どうしたものかな……)
「そんな戦術を取るというのであれば、確かに強敵ではあるな。もっとも、メルキット=ハン国ごときがどのような戦術をとろうとも、特に問題はないが」
ダニエルは自信たっぷりに言い放った。
「ほう、それはまた随分と強気な……根拠は?」
「知れたこと。我が国には、あのユウヤ陛下がおられる」
「……おい」
体の力が抜けたユウヤと自信たっぷりのダニエルを乗せて、船はゆっくりと、しかし確実に西の大陸に向かうのであった。




