第6話 「アルドス奴隷商」
王都リィンズの中心街。
奴隷商アルドスの王都支店は、五番街の大通りに面した、大きな建物だった。
エマはそこを店の斜め向かいに見ながら、毎日暮らしている。リアムが常連になってから、そこがどんな商売をしているかは把握していた。真っ当な商売をしている、という評判は聞いていた。しかし実際に中に入るのは、これが初めてだ。
リアムが出迎えてくれた。
「いらっしゃいませ、エマさん! 今日は来てくださってありがとうございます」
「よろしくお願いします」
建物に入って、エマは少し驚いた。
想像していたよりずっと、明るくて清潔な場所だった。廊下は広く、照明が十分にある。扉には鍵がかかっているが、格子ではなく普通の扉だ。廊下を歩いていると、どこかから声が聞こえてくる。笑い声と、誰かが何かを読み上げる声。
「勉強している方もいるんですか」
「はい。うちでは文字の読み書きや計算、それから調理、裁縫、武術を教えています。奴隷として価値を高めるためという名目もありますが、オーナーの方針で、人として生きていける技術を身につけてほしいというのが本音です」
エマは少し黙った。
(奴隷を人として扱う奴隷商……)
奴隷という制度について、エマは嫌いだとも好きだとも思ったことがなかった。ただ存在する社会の仕組みとして認識していた。だが実際に来てみると、「奴隷をまともに扱わないのは購入者側だ」というリアムの言葉の意味が、少し分かる気がした。
「今日は何名か、ご紹介できればと思っています。エマさんのご要望を聞かせていただけますか」
「採取の補助と、店の防犯。それから在庫管理や雑務を手伝ってもらえれば。複数人でも構いません」
「了解しました。それでは、いくつかご提案させていただきますね」
***
通されたのは、広めの応接室のような部屋だった。
リアムが案内すると告げて一度席を外した間、エマは椅子に座って待った。少しして、扉が開き、最初の一人が入ってきた。
二十三歳の男性だとリアムが言っていた。中肉中背、茶色の目、整った顔立ちだが、どこか飄々とした雰囲気がある。人の目を見る時の余裕が、奴隷らしくない。
「どうも。ライリーと申します。犯罪奴隷ということになっていますが、冤罪です。ご挨拶のついでに言っておいた方がいいかと思いまして」
エマは少し目を丸くした後、吹き出しそうになった。
(開口一番、それを言うのか)
「……詐欺、でしたか。冤罪と言ったところで証明できませんよね」
「できません。でも言わないと、どうせ後から分かりますし、奴隷の分際で最初から言い訳するなという話にもなりますから、先に言っておいた方がお互い楽かと。ちなみに、嘘もついていません」
「得意なことは何ですか」
「経理。料理。一通りの生活スキル。戦闘もそれなりに。魔法は使えませんが、荒くれ者と過ごした時期があるので腕力は人並み以上はあります」
エマはしばらく黙ってライリーを見た。
この男は、賢い。話し方でわかる。頭が良くて、口が上手い。だから今まで買われても売られなかった、買い手がいないのかと思ったが、口が上手すぎて逆に敬遠されているのだろう。
(面白い人だな)
「分かりました。次の方」
ライリーが礼をして部屋を出た。
***
次に入ってきたのは、大柄な男性だった。
三十歳。背が高く、肩幅が広い。穏やかな顔をしているが、鍛えられた体つきが一目でわかる。一見して人間に見えるが、どこか野性的な気配がある。
「ロンと申します。借金奴隷です」
口調は真面目だ。飾りがない。
「元は冒険者でした。仲間が怪我をしたので、治療費を出しました。それが借金になりました」
「仲間は?」
「……」
ロンは少しの間黙った。
「いません。もう」
エマはそれ以上聞かなかった。聞けないというより、聞く必要がないと判断した。この男が真面目で、誠実で、それゆえに傷ついているのは分かった。
「得意なことは」
「戦闘。それから、魔法も補助系なら使えます。採取補助や護衛は問題ありません」
「獣人でいらっしゃいますか」
ロンは少し驚いた顔をした。
「……分かりますか」
「なんとなく。気にしません。私は他人の属性で仕事ぶりを判断するつもりはないので」
ロンはまた少し黙り、それから短く言った。
「……分かりました」
***
三人目は、三十歳の男性で、見た目に特徴があった。
腕の一部が義手だった。古い木製の義手で、動きに不便さが出ていることが分かる。他にも、顔に古い傷跡がある。
「ラドスティンです。戦争奴隷です」
声に抑揚が少ない。感情を殺している、というより、感情を表に出すことに慣れていない印象を受ける。
「七年前の、帝国との戦争で」
「ロドワールではなく、別の国の兵でしたか」
「はい」
敵国だったのか、友軍だったのかは分からない。エマはそれも聞かなかった。七年前に奴隷になったのであれば、当時二十三歳。まだ若かっただろう。
(腕は……治せる、かもしれない)
欠損の回復は、高度な回復魔法が必要だ。エマは試みたことがある。小動物で実験した限り、成功している。人間の欠損への応用は、まだ試みたことがなかったが、理論上は可能だと考えていた。
今はそれを言わない。まだこの人を雇うと決めたわけではないから。
「得意なことは」
「戦闘のみです。他のことは大して」
「……分かりました」
***
四人目が入ってきた時、エマは少し表情を変えた。
二十五歳の男性。背は中程度で、細身だが締まった体つき。柔らかそうな黒い髪に、金色の瞳。何より印象的なのは、その立ち方だった。緊張しているのに、できるだけ小さく見せようとしている。まるで自分が目立たないようにしているかのような。
「ハインと申します。……奴隷の子として生まれました」
生まれた時から奴隷。エマはその言葉を聞いて、胸の中で何かが静かに沈む感覚を覚えた。
「色々と、できることはあります。魔法も、料理も、裁縫も、戦闘も。覚えることが好きなので、何でも言っていただければ」
口調は丁寧だが、どこか機械的だ。「何でもします」「何でも言ってください」という言葉には、過去に何度もそう言わなければならなかった経験が滲み出ている。
「獣人の血があります」
ハインはそう付け加え、少し俯いた。
「ご迷惑でしたら、申し訳ありません。差別的な目で見られることもありますので、先に申し上げておいた方が……」
「迷惑ではありません」
エマは静かに言い切った。
「私は差別に合理的な理由を見出せない性質なので、そういう判断で人を選ぶつもりはないです。気にしないでください」
ハインが、ゆっくりと顔を上げた。
エマは少しの間、その金色の瞳を見た。驚き、戸惑い、そして何か――期待のようなものが混じった目だった。
(この子は、ずっと不安だったんだな)
エマはその感情を飲み込んで、静かに頷いた。
***
リアムと応接室で話し合い、エマは四人全員を選んだ。
「四名全員、ですか!」
リアムが目を丸くする。
「はい。一人では足りないかもしれないので。最初はレンタルで、様子を見てから考えます」
「了解しました。では条件を確認させていただきますね」
レンタルの契約書を交わした。契約には、奴隷の待遇について細かな規定があった。食事は一日三食、暴力の禁止、過度な労働の禁止、報酬の一部は奴隷本人に渡すこと。エマは条項を一つ一つ確認し、異論のあるものはなかった。
「うちの奴隷は、酷い扱いをする方には売りませんし貸しません。エマさんなら大丈夫だとは思っていますが、念のため」
「分かりました。私は人に酷い扱いをするつもりはありません」
(それが自分にできるかどうかは、別の話だけれど。少なくとも、する気はない)
エマは書類にサインした。
こうして、魔女エマと四人の奴隷の生活が始まることになった。
***
帰り際、エマはもう一人、この奴隷商に関わる人物と顔を合わせた。
廊下を歩いていると、向こうから大柄な五十代の男性が歩いてきた。身なりは良いが、どこかヤクザのような貫禄がある。顔はしわがあるが、目が鋭い。
「あなたが魔女さんですか」
声が低くて落ち着いている。
「エマと申します。初めまして」
「ブロンソンです。このアルドスのオーナーをしています」
ああ、先代から受け継いだという人だ。エマは少し表情を引き締めた。
「うちの子たちをよろしくお願いします」
ブロンソンの言葉は、奴隷商らしくなかった。商品をよろしくお願いします、ではなく、「うちの子たち」と言った。
「こちらこそ。よろしくお願いします」
エマも素直に答えた。
ブロンソンは短く頷いた。そしてエマの目を見て、何かを確かめるように少し間を置いてから、また歩き始めた。
すれ違いざまに、低い声で言った。
「大変な人生を生きてきたんですね、あなたも」
エマは足を止めなかった。ただ、背中で少しだけ眉を上げた。
(……見透かしているのか、この人は)
何も答えず、エマは店を後にした。
王都の午後の陽射しが、石畳に伸びている。エマは一度だけ振り返り、アルドスの建物を見た。
(明日から、どうなるんだろう)
少し緊張している自分に、エマは小さく苦笑した。十五歳の時、王都に飛び込んだ時以来の、久しぶりの緊張感だった。
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