第47話 「魔女エマの願い」
国王の言葉を受け、エマは静かに一歩前へ出た。
広間を見渡す。
赤い絨毯の先には国王。
左右には王族。
さらにその先には、この国を支える貴族たち、宮廷魔術師団、魔術師協会、騎士団、衛兵隊の幹部たちが並んでいる。
これほど多くの人の前へ立つのは初めてだった。
それでも、不思議と緊張はなかった。
伝えたいことは、ずっと決まっていたからだ。
エマは一礼し、穏やかな声で話し始めた。
「本日は、このような場を設けていただき、ありがとうございます。」
静かな声が、大広間によく響く。
「新たな領域の誕生を、王国に認めていただけたことを、大変光栄に思います。」
言葉を区切り、ゆっくりと顔を上げた。
「ですが、今日生まれたのは街ではありません。」
広間は静まり返っている。
「家もありません。
井戸もありません。
畑もありません。
市場もありません。」
それは誰の目にも明らかな事実だった。
「人が暮らせる土地になった。それだけです。」
エマは穏やかに微笑んだ。
「けれど、その"それだけ"が、数百年間なかったことでした。」
何人もの貴族が静かに頷く。
建国史には書かれていても、誰一人として実際に目にしたことのない出来事。
それが今、現実になった。
「これから、この土地には家が建ちます。」
「井戸が掘られます。」
「畑が耕されます。」
「やがて人が集まり、子どもたちが笑い、大人が働き、誰かが帰る場所になります。」
その光景を思い描くように、エマは少しだけ目を細めた。
「きっと何年もかかるでしょう。
十年かもしれません。二十年かもしれません。
ですが、急ぐつもりはありません。」
その言葉に、多くの者が意外そうな表情を浮かべた。
新たな領域を得た者ならば、一刻も早く発展を望むものだと思っていたからだ。
しかし、エマは静かに首を横へ振った。
「人が安心して暮らせる場所は、一日では作れません。」
「建物を建てるだけでは、街にはならないからです。」
「そこへ住む人がいて、笑い合う人がいて、助け合う人がいて、初めて一つの故郷になるのだと思います。」
その言葉は飾り気がなく、だからこそ真っ直ぐ胸へ届いた。
国王も静かに耳を傾けている。
「私は、そのような場所を作りたいと思っています。
身分ではなく、人柄で人と人が繋がれる場所。
困っている人へ自然と手を差し伸べられる場所。
病気になれば安心して薬を買うことができる場所。
子どもたちが未来を夢見られる場所。」
それは立派な理想論だった。
だが、その理想を語る資格を持つ者が、この場には一人だけいた。
誰も住めなかった土地を、人が暮らせる場所へ変えた魔女。
その本人である。
「私は王都で、小さな薬屋を営んできました。」
エマは少しだけ懐かしそうに微笑んだ。
「多くの方々に支えていただきました。」
「薬を求めて来てくださる方。
怪我をして助けを求めて来られる方。
常連になってくださった方。」
店で過ごした日々が脳裏をよぎる。
「いずれ私は、その店を閉じることになります。」
広間が少しざわつく。
「ですが、薬を必要とする方々を困らせるつもりはありません。」
エマは続けた。
「薬は冒険者ギルドを通して販売していただく予定です。」
「これまで店へ足を運んでくださった方にも、変わらず薬が届く仕組みを整えます。」
商務を司る貴族たちが小さく顔を見合わせる。
合理的な考え方だった。
店という形にはこだわらず、人へ届けることを優先している。
「私が守りたいのは、お店ではありません。」
エマは穏やかに言った。
「困っている人が、必要な薬を手に取れることです。」
その一言が、大広間へ静かに落ちる。
誰も言葉を発しなかった。
その場にいた誰もが、この魔女は権力や名誉のために領域を作ったのではないと理解したからだ。
エマは静かに後ろを振り返る。
ロン。
ライリー。
ラドスティン。
ハイン。
仲間たちがそこに立っている。
「ここまで来られたのは、私一人の力ではありません。」
「仲間がいてくれました。」
「支えてくださる方々がいました。」
「そして、この領域を認めてくださった皆様がいます。」
もう一度、深く頭を下げる。
「心より感謝申し上げます。」
静寂のあと、大広間には自然と拍手が広がっていく。
先ほどの祝福とは違う。
一人の魔女の人柄へ向けられた、温かな拍手だった。
エマはゆっくりと顔を上げる。
青い瞳はまっすぐ前を見据えていた。
そして、小さく息を吸う。
「……最後に。」
その一言で、拍手は自然と止んだ。
広間が再び静寂に包まれる。
エマはゆっくりと会場全体を見渡した。
一人ひとりの顔を確かめるように。
王族も、貴族も、騎士も、魔術師も。
すべての視線が彼女へ集まっている。
エマは静かに口を開いた。
「最後に、一つだけお願いがあります。」
その声音は、これまでより少しだけ柔らかかった。
「私はこれまで、『魔女エマ』として生きてきました。」
「ですが、この場で皆様にお伝えしなければならないことがあります。」
一拍置く。
誰も息をすることさえ忘れているようだった。
エマは真っ直ぐ前を見据え、静かに告げる。
「私には――皆様へ名乗らなければならない、本当の名前があります。」
その瞬間、大広間の空気が静かに張り詰めた。




