第4話 「眠らない魔女」
王都リィンズの朝は早い。
まだ陽も昇りきらぬうちから、石畳を行き交う荷馬車の音が響き始める。パン屋は焼き窯に火を入れ、行商人は商品を並べ、冒険者たちは眠たげな顔でギルドへ向かう。
そんな五番街の一角に、『魔女の店』と呼ばれる小さな薬店がある。
木造二階建ての古びた店舗。派手な装飾はなく、看板も手書きで少し歪んでいる。だが、朝一番から店の前には長い列ができていた。
「本日は『魔力酔い軽減薬』ありますか!?」
「銀星の魔女さま! 娘の熱がまた……!」
「予約してた解毒薬を受け取りに来た!」
客たちの声が次々に飛ぶ。
店の奥では、銀色の髪を無造作に後ろで束ねた少女――エマが、巨大な調合釜の前で忙しなく動いていた。
「順番! ちゃんと順番に並んで! 薬は逃げないから押さないで!」
言いながらも、彼女の手は止まらない。
左手で薬草を刻み、右手で魔力を流し込み、足元では別の鍋が煮えている。机の上には完成済みの薬瓶が山積みだ。
普通の魔術師なら、一日に一本作るだけでも疲弊する高品質な魔法薬。
それをエマは、まるで水でも汲むような気軽さで量産していた。
店内で待っていた冒険者の男が、感嘆混じりに呟く。
「相変わらず化け物みてぇな手際だな……」
「聞いたか? この間、西門で暴れてた魔獣を、一撃で吹き飛ばしたらしいぞ」
「銀星だしな。王宮魔術師クラスだろ、あれ」
囁き声は、エマの耳にも入っていた。
だが彼女は眉を寄せるだけだった。
「暇なら棚整理でも手伝って。忙しいの」
冒険者たちは慌てて黙り込む。
王都では有名だった。
『魔女の店』の店主、エマ。
若くして魔術師階級『銀星』を持つ天才。
回復、調合、結界、魔法、その全てが規格外。
王宮から何度も召し抱えの誘いを受けながら、頑なに断り続けている変わり者の魔女。
***
「エマちゃん、ちゃんと寝てるの?」
常連の老婆が心配そうに声を掛ける。
「寝てるわ」
「また三時間くらいしか寝てない顔してるよ」
「三時間寝たら十分でしょ」
「十分じゃないよ……」
老婆は呆れたように肩を落とした。
エマは適当に返事をしながら薬瓶を棚へ並べる。
その動きに、一切の無駄はない。
まるで、自分が止まってしまえば全てが崩れるとでも思っているかのように。
昼を過ぎても客足は途切れなかった。
解毒薬。
魔力回復薬。
火傷用軟膏。
希少な病に効く特殊調合薬。
王都中の貴族や冒険者、商人までもが彼女の店に頼っている。
本来なら助手を雇って当然の規模だ。
だが、エマは一人で店を回していた。
誰にも任せない。
いや、任せられない。
薬の調合を終えたエマは、ふらつく足取りで椅子に腰を下ろした。
机の上には、未処理の依頼書が山積みになっている。
「……終わらない」
ぽつりと漏れた声。
だが、それを聞く者はいない。
店内の客たちは、彼女がどれほど疲弊しているのか気づいていなかった。
いや、正確には。
気づいていても、頼らざるを得ないのだ。
エマの薬は、それほど優秀だった。
「エマさまー! 追加の回復薬を――」
「今やる!」
反射的に立ち上がった瞬間。
ぐらり、と視界が揺れた。
「……っ」
身体が傾ぐ。
客たちがざわつく。
「お、おい大丈夫か!?」
「顔色真っ青じゃねぇか!」
「水! 水持ってこい!」
だがエマは、倒れる寸前で無理やり机に手をついた。
「騒がないで。平気だから」
「平気な顔じゃないだろ!」
「……平気よ」
強引に笑う。
けれど、その声には明らかに力がなかった。
疲労。
魔力消費。
睡眠不足。
積み重なった無理が、限界に近づいている。
それでもエマは止まれなかった。
止まった瞬間、全部失う気がしていたからだ。
――また、一人になる気がしたから。
閉店後。
ようやく最後の客を見送り、店の扉に札を掛ける。
『本日終了』
その瞬間、エマは糸が切れたようにカウンターへ突っ伏し、ぼんやりと帳簿を眺めていた。
今日の売り上げは悪くない。
しかし今月に入ってから、何度か不審な人間が店の周りをうろついていることに気づいていた。強盗の下見だろう。以前も一度、夜中に押し込みに来た男がいた。
あの時は結界が警報として機能し、エマが起きた。相手は魔法使いではなかったので、光の魔法で追い払えた。しかしあの夜は怖くて眠れなかった。
(一人は、怖い。でも人間は信用できない。困った)
この矛盾をどうにかする方法を、エマはずっと考えていた。




