第3話 「アベラールの瞳」
その日の午後は、不気味なほどに晴れ渡っていた。
徹夜明けの重い体を引きずりながら、私は工房で希少薬草の選別を行っていた。乾燥した草が擦れる音と、煮詰まる大釜のコトコトという音。それを破ったのは、小気味よいベルの音と、場違いなほど高級な香油の匂いだった。
「ごめんください。……ここが、噂の魔女の店かしら?」
顔を上げると、そこには豪華な装飾を施したドレスを纏う、一組の母娘が立っていた。王都の社交界に身を置くカトリーヌ男爵夫人と、その令嬢だ。彼女たちは扇子で口元を隠しながら、煤けた私の店を、まるで珍獣の檻でも見るかのような目で見渡している。
「……何かご入り用ですか」
私は努めて無愛想にカウンターへ向かった。今の私は、ただの魔術師“エマ”だ。かつての令嬢としての礼儀作法は、とっくに捨てた。
「ええ、相談があるの。来月の夜会に向けて、最高に映える魅惑の香水を作ってほしいのよ。お代は糸目を付けないわ。……アベラール伯爵家の『グラシアーヌ様』に、この子の婚約者を奪われないようにね」
夫人がそう言うと、隣に立つ令嬢が悔しそうに唇を噛んだ。
「あの方、伯爵家の令嬢という立場を傘に着て、他人の婚約者ばかり狙い撃ちにするんですもの。頭が良いわけでも魔術の腕も大したこともないくせに、殿方へのあざとい立ち回りだけは一級品だわ」
ドクン、と心臓が跳ねた。
平静を装って瓶を拭く私の手が、わずかに止まる。
「アベラール伯爵家の血筋にしては随分と『凡庸』なようですけれど」
令嬢は忌々しげに言葉を続けた。
(凡庸、ね……当然だわ。アベラールの魔力なんて宿るはずがないもの。伯爵家の威光を使って、地位を固めることに必死なのね)
ふと、夫人が扇子を閉じ、私の顔をじっと覗き込んだ。
値踏みするような視線が私の顔をなぞり、そして、私の瞳に注がれた瞬間。彼女の呼吸が、目に見えて止まった。
「……あなた。……その瞳、どこかで」
「……何のことでしょうか」
私は俯き、影を作った。
だが、遅かった。アベラール家特有の瞳。光の反射や角度によって、晴れ渡った空のようなスカイブルーにも、星屑を散りばめた夜空のようなミッドナイトブルーにも変わる、不可思議な色彩。
それは直系にしか現れない純血の証。現在、学園で『グラシアーヌ』を名乗っているあの義妹には、逆立ちしても手に入らないものだ。
「……嘘。そんなはずはないわ。だって、あの方は……」
夫人は目に見えて動揺し、後退りした。隣の令嬢も、母の異常な様子に怯えたように私を見つめている。
「……魔女さま? あ、あなた、一体……」
「……少し、調合の計算をしていました。香水ですね、承りました。アベラール家の方と並んでも見劣りしない、最高級のものを。……ただし、お代は金貨五十枚。全額前金で頂きます」
私が顔を上げ、じっと夫人を見据えると、彼女は悲鳴に近い吐息を漏らした。
「……い、いいわ。お金はここに置いておくわ! 香水は後で使いに受け取らせるから!」
夫人は何故か放り出すように金貨を置くと、令嬢の手を引いて、逃げるように店を飛び出していった。
ベルが乱暴に鳴り、再び静寂が戻る。
一人になった店内で、私はカウンターを力任せに殴りつけた。
鏡を覗き込む。
そこには、母様と瓜二つの美貌を持ちながら、決して消えない怒りを瞳に宿した“エマ”がいた。
(……私はまだ、振り回されるのね)
悔しさと、焦りと、そして押し寄せる仕事の波。
机の上には、処理しきれないほどの依頼書が山を築いている。
魔法の力はあっても、私の腕は二本しかない。
「……限界ね」
私は机に突っ伏した。
母が亡くなったあの日、誰も私を助けなかった。だから私は誰も信じないと決めた。
けれど……このままでは、母様との約束である『生き抜くこと』さえ危うい。
強盗への不安、終わらない調合、そして今日のような貴族との接触。
(……裏切らない人……なんて、いるのかな……)
意識が途切れる寸前、私の口から漏れたのは、祈りのような呪いのような、切実な本音だった。
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