第37話 「魔女仲間」
領域の宣言へ向けて動き始めた頃、エマが最初にしたことの一つは、魔女仲間であるリアへ手紙を書くことだった。
領域は、一度宣言すれば後戻りはできない。
だからこそ、誰かに相談したいと思った。
思い浮かんだのは、リアだけだった。
***
リアと出会ったのは三年前。
魔術師認定協会で銀等級試験を受けた日だった。
当時のエマは十五歳。
試験会場の待合室には、年上の魔術師ばかりが並んでいた。皆が静かに魔導書を読み返したり、詠唱を確認したりしている。
その中で十五歳の少女は明らかに浮いていた。
視線だけは何度も向けられる。
――子供が銀等級?
そんな空気が伝わってきた。
エマは慣れていた。
伯爵家でも、冒険者ギルドでも、いつも同じだった。
だから気にしないようにしていた。
そんな時だった。
「あなた、若いわね」
隣から柔らかな声がした。
振り向くと、一人の女性が笑っていた。
黒髪に黒い瞳。
二十代前半くらいだろうか。
肩の力が抜けた笑顔だった。
「何歳?」
「十五です」
「……十五で銀等級?」
一瞬目を丸くしたあと、リアはくすっと笑った。
「それはすごいわ。」
驚いてはいたが、馬鹿にした様子はまったくない。
純粋に感心している声だった。
「終わったら、一緒にご飯でも食べましょうか。」
「……え?」
「こういう場所って空気が重いでしょう?」
それだけだった。
理由も、打算もない。
ただ隣に座った少女へ、自然に声を掛けただけ。
エマは少し戸惑った。
こんなふうに話しかけられたことが、ほとんどなかったからだ。
伯爵家では空気のように扱われた。
冒険者になってからも、「魔女」として距離を置かれることが多かった。
だから普通に話しかけられること自体が、少し不思議だった。
「……ありがとうございます」
その時の会話は、それほど長くなかった。
けれど試験が終わったあと、本当に二人で食堂へ行き、一緒に食事をした。
他愛もない話ばかりだった。
好きな薬草。
魔法の失敗談。
旅先で食べた美味しい料理。
その何気ない時間を、エマは今でも覚えている。
"魔女だから"ではなく、
"エマだから"話しかけてくれた人。
リアは、初めてそんな存在だった。
***
それ以来、二人は頻繁ではないものの手紙を交わすようになった。
リアはルーゲの街へ嫁ぎ、今では夫と幼い子供と暮らしている。
幸せそうな近況が手紙に綴られるたび、エマは少し安心した。
その一方で、リアだけが知る苦しみもあった。
魔女だけが持つ五芒星。
その胸元に刻まれた印は、本来なら生涯輝き続ける。
だが、リアの五芒星は錆びていた。
エマは理由を知っている。
王国から領域を築くよう命じられた。
拒めば、幼い子供を危険な土地へ送る。
そんな脅しを受けた。
リアは迷った末、自らの血で五芒星を錆びさせた。
錆びた五芒星では、領域宣言はできない。
魔女としての可能性を、自分の意思で閉ざしたのだ。
あの日。
リアは泣かなかった。
ただ静かに笑っていた。
『あなたはちゃんと生きなさい』
その言葉だけが、今も耳に残っている。
『国に食い潰されるために魔女になるんじゃないわ』
あの言葉があったからこそ、エマは魔素結晶化の能力を隠し続けようと決めた。
生き残るために。
自由でいるために。
***
手紙を送って十日ほど経った頃、リアから返事が届いた。
便箋は一枚だけ。
近況が少し書かれ、最後に短く添えられていた。
『会いに来てください。話しましょう』
それだけで十分だった。
***
一週間後。
エマはロン、ラドスティン、ハインを連れてルーゲの街へ向かった。
街外れの小さな家。
庭には薬草が植えられ、木柵には洗濯物が揺れている。
扉が開くと、リアが笑っていた。
「久しぶりね、エマ。」
三年前と変わらない笑顔だった。
「少し背が伸びた?」
「……多分」
「ふふ、そこは素直に『はい』って言いなさい。」
自然と笑い合う。
その様子を見ていたハインが、小さく目を丸くしていた。
普段のエマより、少しだけ表情が柔らかい。
そんな姿を見るのは初めてだった。
リアはエマの後ろに並ぶ三人へ視線を向けた。
「紹介してくれる?」
「ロンさん、ラドスティンさん、ハインさんです。」
三人が順番に頭を下げる。
リアは少し目を細めた。
「あなたが"仲間"って呼ぶ人を初めて見たわ。」
その一言に、エマは少し考えてから答えた。
「……そうですね。」
以前の自分なら、一人だった。
誰にも相談せず。
誰にも頼らず。
全部、自分だけで決めていた。
でも今は違う。
「一人で決めることではないと思ったので。」
リアはその言葉を聞き、どこか安心したように微笑んだ。
「あなたも変わったわね。」
***
話し合いは夕方から夜まで続いた。
領域宣言の計画。
候補地。
王国の動き。
懸念点。
エマが静かに話すたび、リアは一つ一つ丁寧に聞いていた。
「場所はどのくらい絞れているの?」
「二つあります。ロダリック平原近くの森林地帯と、キルシュ廃城近くの魔素溜まり地帯です。」
「どちらも馬車で二、三時間くらいね。」
リアは地図へ視線を落とした。
「その距離なら、何かあっても駆け付けられる。」
少し考えてから顔を上げる。
「一緒に下見へ行きましょう。」
「リアさんも?」
「もちろん。」
リアは優しく笑った。
「あなたが宣言するなら、少しでも安心できる場所を選びたいもの。」
エマは少しだけ目を伏せた。
「……また国に目を付けられるかもしれません。」
「私はもう大丈夫。」
リアは胸元へ手を当てた。
そこには錆びた五芒星がある。
「利用する価値がない魔女だもの。」
その言い方は冗談めいていた。
けれど、少しだけ寂しかった。
「でも、あなたは違う。」
リアは真っ直ぐエマを見る。
「あなたの五芒星は、まだ輝いている。」
一呼吸置いて続けた。
「だから守りなさい。」
「……はい。」
「約束して。」
「約束します。」
その返事を聞き、リアは静かに頷いた。
「それなら安心。」
そして微笑む。
「下見は一週間後。それまでに私も調べておくわ。」
***
帰り道。
馬車の中でロンがぽつりと言った。
「リアさん、優しい方ですね。」
「そうですね。」
「エマさんが信用している理由が分かりました。」
エマは少し考えてから答えた。
「私が信用している数少ない人の一人です。」
「奴隷以外では。」
「……そうですね。」
ロンが苦笑する。
「奴隷の方が信用されているというのも、少し複雑ですが。」
ハインが吹き出した。
「でも、それだけ信頼されてるってことですよ。」
「光栄です。」
ロンも少し笑う。
そのやり取りを聞きながら、エマも静かに口元を緩めた。
リアがいてくれたから、今日まで歩いてこられた。
そして今は、その隣に歩いてくれる仲間がいる。
そのことが、少しだけ嬉しかった。




