第35話 「話し合い」
領域の宣言を決めた翌日、エマは一人ひとりと話をするつもりだった。
領域に行くのは、これまでと違う生活になる。王都の店を完全に畳むわけではないが、エマの拠点は変わる。そこに全員を連れていくことが、本当に正しいのかどうか。
一人ひとりに確認しなければならないことがあった。
***
最初にライリーを呼んだ。
「話があります。ライリーさんの冤罪を晴らすことを、私が動こうと思っているんですが」
ライリーが少し間を置いた。
「……どういう意味ですか」
「あなたが奴隷になった経緯の証拠を探して、冤罪を正式に申請することです。実名で動けば、今の私には多少の影響力があります」
「…………」
ライリーは少しの間、窓の外を見た。
「エマさん、それは……ありがたい話ですが、断ります」
「なぜですか」
「もう、いいんです。晴らしたいと思っていた時期はありました。でも今は、もう……」
ライリーはエマを見た。
「エマさんと出会えたから、もういいかなって。過去を清算することより、今の方が大事になっています。晴らすことは、もう考えていません」
エマは少し黙った。そして頷いた。
「……分かりました。あなたがそう言うなら」
「ただ、一つだけ」ライリーが言った。「エマさんが領域の宣言をして、王都を出る前に、ここの店のことを——残る仕組みを作らせてください。私はそれを考えることに時間を使いたいです」
「……そうしてください。お願いします」
***
次にロンを呼んだ。
「ロンさんの借金のことです。残りを私が払います」
ロンが少し目を細めた。
「いりません」
「でも、あなたが奴隷になった理由は借金です。それが返せれば——」
「いりません、エマさん」
ロンは静かだが、はっきりと言った。
「あの借金は、仲間に裏切られたことへの証明みたいなものでした。でも今は、もうそれより大切なものができた。エマさんの奴隷でいる方が、借金を返して自由になるより、ずっといいです」
「……自由になりたくないんですか」
「自由の意味が変わりました。俺にとって自由は、好きな場所にいることです。今、俺が好きな場所はここです」
エマはしばらくロンを見た。その顔は真剣で、迷いがなかった。
「……分かりました」
***
ラドスティンに話しかけようとすると、先に言われた。
「エマ、言いたいことは分かっている」
「……え?」
「ライリーとロンから聞いた。俺たちを解放しようとしているんだろう」
エマが少し言葉に詰まった。
「先に断っておく。俺はエマを一人にしない」
それだけだった。それ以上の言葉は出てこなかったが、その短い言葉に全てが入っていた。
「……ラドスティンさんは、後悔しませんか」
「しない」
「本当に?」
「一つだけ、気になることはある」
ラドスティンがそこで少し間を置いた。
「……会いたい人がいる。一人だけ」
エマが静かに聞いた。
「誰ですか」
「同じ部隊だった人間だ。ジェラルドという。戦争で生き残ったが、どこに売られたかは分からない。アルドスに来る前にいたエアニー奴隷商に、まだいるかもしれない」
エマは少し考えた。
「……探してみましょう」
ラドスティンの目が、わずかに動いた。感情を表に出すことに慣れていない人が、それでも少し揺れた時の顔だった。
***
ハインには最後に話した。
「ハインさん、十年経ったら解放すると言いましたが——」
「嫌です」
エマが言い終わる前に、ハインが言った。
「十年と言わずずっとエマさんの奴隷でいたいです。ずっと、一緒にいたいです」
エマは少し呆気にとられた。
「……でも、ハインさんは生まれた時から奴隷で。自由に生きる権利があるはずです」
「自由に生きるというのが、エマさんの傍にいることです。私にとっては」
ハインが真剣な顔で言った。
「エマさんも一人ぼっちだと分かった時から、ずっと思っていました。私もエマさんも、長い間一人でいた。もう一人にならなくていいように、一緒にいたい」
エマはしばらく何も言えなかった。
「……正式な解放は、後から考えます。今はみんなと一緒に決めましょう」
ハインが笑顔で頷いた。
その夜、エマは一人で窓から星を見た。
(みんな、一緒に来てくれる)
涙が出なかった。ただ、胸の中がいっぱいだった。




