第31話 「マーサさんのパイのレシピ」
マーサさんは、エマの店から二軒隣に住んでいる老婦人だ。七十代で腰が少し曲がっている。
五番街に三十年住む古参で、エマが店を開いた頃から「魔女の店の子、元気にやってる?」と声をかけてくれていた。
その冬、マーサさんが困っていることをエマは人伝に聞いた。
薪のことだった。
夫を三年前に亡くし、一人暮らしのマーサさんには、冬の薪割りができない。薪割り業者に頼めばいいが、年金暮らしには費用がかかる。
エマはその夜、薪を買い、自動薪割り器を一つ包んで、翌日の夕方にマーサさんの家を訪ねた。
「あら、魔女ちゃん。どうしたの」
「薪を持ってきました。自動薪割り器も一つ。使い方は簡単ですよ」
マーサさんが目を潤ませた。
「……お代は」
「いりません」
「でも」
「ご近所さんに困ってもらいたくないので。それだけです」
マーサさんが少し黙ってからエマを見た。
「魔女ちゃんは優しい子ね」
「優しくないですよ」
「……ありがとう、魔女ちゃん」
帰ろうとすると、マーサさんが小さなノートを差し出した。
「魔女ちゃん。これを持っておいき」
「これは?」
「私がずっと作ってきたパイのレシピ。魔女ちゃんへのお礼になれば良いのだけど」
「……十分です。ありがとうございます」
エマはそのノートを両手で受け取った。
表紙はくたびれているが、大事にされてきた形をしている。中を開くと、丁寧な字でパイの作り方が書いてあった。
***
その夜、ライリーにノートを見せると、ライリーが少し目を細めた。
「作りますか」
「作ってみたいです。私にもやらせてください」
「……珍しい!エマさんが料理に興味を持つのは」
「マーサさんが渡してくれたので。食べてみたい」
「分かりました。明日の休みに作りましょう。私が手伝います」
翌日、ライリーとエマで一緒にパイを作った。
ライリーが手際よく生地を伸ばし、エマがリンゴを切る。
不器用というほどではないが、ライリーのようには進まない。
「……上手くできない。歪になってしまいました」
「気にしない気にしない。味に関係ありません」
できあがったパイを全員で食べた。
「美味しい!」とハインが言った。
「これ、マーサさんのレシピですか?」
「そうです。今度マーサさんに会いに行きましょう、お礼を言いに」
「行きます、行きます」
ロンが少し照れながら言った。
「俺も……美味かったです」
「そうですか」
「エマさんが作ったと思うと、また」
「ライリーさんが主に作りました」
「エマさんも作ったでしょう」
「ちょっとだけ」
「それで十分です」
ラドスティンが黙ったまま二切れ目に手を伸ばした。それが一番の感想の表し方だった。
***
エマはパイの残りを切り分けてマーサさんに届けた。
「上手に作れたじゃない!」
マーサさんが喜んでくれた。エマは少し嬉しくなった。
料理で誰かに喜んでもらうのは、母と一緒に作ったクッキーを母と食べて以来だと気づいた。
帰り道、少しだけ考えた。
(お母さんも、こうやって色々な人に何かを渡していたのかな)
母のことを思い出す機会は今でもある。そのたびに少し胸が締まるが、今日は少し違う感じがした。痛みよりも、温かさが少し多かった。
それがなぜかは分からないが、悪くなかった。




