第26話 「やんごとなき客と栄養ドリンク」
騎士団との摩擦が少しずつ広まり始めた頃。
店に、珍しい客が来た。
三十代くらいの男。
服装は平民そのものだが、立ち姿が妙に綺麗だった。
無駄がない。
育ちの良さが隠しきれていない。
「こちらが、宵星の魔女の店ですか」
「はい。何をお探しでしょうか」
「疲労回復の飲み薬を。できれば、効くものを」
「身体ですか、精神ですか」
「両方ですね」
男は少し笑った。
「最近、仕事が立て込んでいまして」
エマは棚から瓶を取り出した。
「こちらを。神経疲労向けです」
「……香りがいいですね」
「薬草が主成分なので」
「名前は?」
「ありません」
「ない?」
「常連の方が勝手に“栄養ドリンク”と呼んでいます」
男が少し吹き出した。
「栄養ドリンク」
「不満でしたか」
「いえ。分かりやすくて好きですよ」
男は瓶を見つめたあと、言った。
「二十本ください」
エマが少し目を瞬く。
「多いですね」
「職場に疲れている人間が多いので」
「……そうですか」
エマは準備を始めた。
男はその様子を眺めながら、何気ない調子で言う。
「最近、騎士団と揉めているそうですね」
エマの手が少し止まった。
「どこからその話を?」
「耳に入りました」
曖昧な答え。
だが、“普通の平民”の言い方ではない。
「問題ありません。手順通りに対応しています」
「そうでしょうね」
男は苦笑した。
「だから余計に面倒なんですよ」
エマはその言葉に少しだけ視線を上げた。
「……どういう意味ですか」
「騎士団側は、正しさで動いているわけではないからです」
男は静かに言った。
「面子や立場、縄張り。そういうもので組織は動きます」
「理解はしています」
「ええ。理解しているから、あなたは感情で怒らない」
そこで男は少し言葉を止めた。
それから続ける。
「ですが、正しい側が必ず勝つわけではありません」
エマは少し黙った。
その言葉には妙な重みがあった。
「……あなたは、何者ですか」
男は少し笑った。
「ヴィアン。ただの常連客です」
エマは、それ以上は聞かなかった。
***
翌日。
リアムが店へ来るなり言った。
「昨日、王弟殿下が来ました?」
エマは少し間を置いた。
「……王弟?」
「ヴィアン殿下です」
店内が静かになった。
ハインが固まる。
ロンが眉を寄せる。
ライリーだけが「ああ、やっぱり」という顔をした。
「ライリーさんは知っていたんですか」
「途中で気づきました。言葉遣いと護衛の気配で」
「護衛いたんですか」
「かなり遠くにいましたね」
エマは少し考えた。
(だから、“普通の平民”にしては隙が少なかったのか)
リアムが苦笑する。
「殿下、最近かなり忙しいはずなんですけどね……」
「そんな方が、なぜここに」
リアムが少し困った顔をした。
「それは……まあ、色々と」
曖昧な返しだった。
だがエマは察した。
王弟は、エマのことをある程度知っている。
少なくとも、“普通の魔女ではない”ことを。
***
それからヴィアンは定期的に店へ来るようになった。
毎回、栄養ドリンクを大量購入していく。
だが、それ以上に増えたのは会話だった。
ある日。
ヴィアンはロンとラドスティンを見ながら言った。
「二人とも、武器はそのままですか」
ロンが少し警戒した顔をする。
「……それが何か」
「状態が良くない」
ヴィアンは即答した。
「研ぎ直しはされていますが、元の質が低い」
ラドスティンが静かに目を細めた。
「詳しいな」
「多少は」
ヴィアンはエマを見る。
「護衛がいるなら、良い武器を持たせた方がいい」
「必要でしょうか」
「必要です」
即答だった。
「最近の王都は、少し不安定です」
「それは、魔物の件ですか」
「それもあります」
ヴィアンはそこで言葉を切った。
本当はもっと言いたいのだと分かる。
だが言えない。
王弟だからだ。
「……私は、表立ってあなたを庇えません」
珍しく、ヴィアンが率直に言った。
「もし私が露骨に後ろ盾になれば、逆にあなたを探る貴族が増える」
エマは静かに聞いていた。
「だから、遠回しな形しか取れないんです」
「武器の話も、その一つですか」
「はい」
ヴィアンは苦笑した。
「私は騎士団を完全には抑えられません。貴族派閥もある。教会にも政治がある」
王弟。
その立場は強い。
だが、万能ではない。
むしろ立場があるからこそ、好きに動けない。
「だからせめて、あなたの周囲が自衛できるようにしたい」
その言葉は、とても個人的だった。
エマは少し考える。
この人は多分、母のことを知っている。
そしてエマの出自にも気づいている。
だが、それを暴こうとはしていない。
むしろ逆だ。
エマが望まない限り、表に出さないように動いている。
「……なぜ、そこまでしてくれるんですか」
ヴィアンは少し黙った。
それから静かに笑った。
「大人には、大人の責任があります」
答えになっているようで、なっていない。
だがエマは、それ以上聞かなかった。
「良い鍛冶師を紹介します」
ヴィアンは言う。
「腕は確かです。口も堅い」
「……分かりました」
「押しつけではありません。必要なければ断ってください」
「いえ。ありがたいです」
ヴィアンが少しだけ安堵した顔をした。
それを見てエマは思った。
(この人は、多分ずっと“間に合わなかった側”なんだ)
だから今、間に合うかもしれないものを、見捨てられないのだろう。




