第15話 「食卓を守れ」
夜の王都リィンズは、昼間とは別の顔を見せる。
酒場から漏れる笑い声。
石畳を叩く酔客の足音。
遠くで鳴る馬車の車輪。
そんな喧騒から少し離れた五番街の一角で、『魔女の店』だけは静かな灯りを落としていた。
閉店後の店内。
ライリーが洗い物を片付け、ロンは薬草棚の整理をしている。ハインは床掃除を終え、ラドスティンは日課になった戸締まり確認の最中だった。
そしてエマは――。
「……ねむい」
調合台に突っ伏していた。
「エマ様、寝るならちゃんとベッドで寝てください」
「あと三本……あと三本だけ作る……」
「その“あと三本”を三時間聞いてるんですが?」
ライリーが呆れた顔でため息をつく。
しかし、エマの手元には既に高品質ポーションがずらりと並んでいた。
最近、客足がさらに増えている。
理由は簡単だ。
“効く”からだ。
王都の治癒院より早く治る。
冒険者ギルドの回復薬より性能が高い。
しかも値段は法外ではない。
当然、評判になる。
そして評判は、善意だけを連れてくるわけではなかった。
ラドスティンが入り口付近で足を止める。
「……誰かいるな」
その一言で、店の空気が変わった。
ロンが無言で立ち上がる。
ハインは素早く灯りを一つ消し、窓際へ移動した。
ライリーだけが、いつも通り穏やかな顔でエマを見る。
「エマ様」
「んー……?」
「少し静かにしてください」
「え?」
次の瞬間だった。
ガシャァン!!
店の窓ガラスが砕け散った。
悲鳴。
飛び散る破片。
店内へ投げ込まれた石が床を転がる。
「っ!」
エマが目を見開く。
外から怒鳴り声が響いた。
「化け物魔女!」
「獣人と一緒に王都から出ていけ!」
「危険魔術師め!」
昼間の嫌がらせ。
それが、ついに夜襲へ変わった。
エマの瞳から感情が消える。
魔力が揺れた。
銀色の光が、じわりと空間へ滲む。
――まずい。
ライリーは即座に理解した。
このままエマが感情任せに魔法を使えば、店の前の通りごと消し飛ぶ。
ロンも同じことを察したのだろう。
「エマ様」
低い声だった。
「ここは、俺たちに任せてください」
「……でも」
「あなたの店でしょう」
ラドスティンが再生した左腕で剣帯を締め直す。
「ならば、守るのは俺たちの役目です」
ハインも頷いた。
「僕たち、ちゃんと役に立ちたいんです」
エマは言葉を失った。
いつもなら、一人で片付けていた。
誰も頼らない。
頼れない。
でも今は違う。
四人が、自分の前へ立っていた。
「……怪我、しないでよ」
「もちろん」
ロンが牙を見せて笑った。
次の瞬間。
店の扉が勢いよく開かれる。
酔った男たちが三人、棒を片手に雪崩れ込んできた。
「ぶっ壊せ!」
「獣人を引きずり出――」
最後まで言えなかった。
ロンの拳が、先頭の男の腹へめり込んだからだ。
「がっ!?」
男が吹き飛び、床を転がる。
同時に、ラドスティンが二人目の腕を捻り上げた。
「ぎゃあああっ!」
「騎士団式拘束術だ。暴れるな」
流れるような動き。
無駄がない。
さらに背後から逃げようとした男の足元へ、ハインの投げナイフが突き刺さる。
「ひっ!?」
「次は当てます」
にこり、と笑う。
だが目が笑っていない。
一方、ライリーはカウンター越しに静かに立っていた。
「さて」
逃げ遅れた男の前へ帳簿を置く。
「窓ガラス、棚、床。器物損壊ですね。請求書を書きますので、お名前をどうぞ」
「はぁ!?」
「払えない場合、正式に騎士団へ提出します。証人もいますよ?」
男の顔色が変わる。
そこへ。
ギギギ――。
空気が軋んだ。
店の奥。
調合室の扉の隙間から、銀色の魔力が漏れている。
「……」
エマだった。
黙っている。
だが、怖い。
ものすごく怖い。
男たちは完全に青ざめた。
「ひっ……」
「ば、化け物……!」
「訂正して」
エマが静かに言う。
「私のことは別にいい。でも、うちの子たちを悪く言うのはやめて」
空気が重い。
圧力だけで呼吸が苦しくなる。
男たちは半泣きで何度も頷いた。
「す、すみませんでした!!」
「二度と来ないなら、許す」
その瞬間、魔力が霧散した。
男たちは転がるように逃げていく。
静寂。
しばらくして。
「……終わった?」
エマがぽつりと呟く。
「ええ」
ライリーが微笑む。
「今回は、ちゃんと俺たちだけで守れました」
ロンが割れた窓を見て苦笑した。
「まあ、窓は壊されましたけど」
「直す」
エマが即答する。
指を軽く鳴らす。
すると砕け散ったガラス片が宙へ浮かび、時間を巻き戻すように窓へ戻っていった。
数秒後。
窓は完全に修復されていた。
「相変わらず反則ですね……」
ハインが呆然と呟く。
エマは少しだけ困ったように視線を逸らした。
「……でも、今日は助かったわ」
四人が顔を上げる。
「私、一人だったら、多分あのまま通りごと吹き飛ばしてた」
「やめてください」
「王都地図から五番街消えますよ」
「エマ様なら本当にやりそうです」
口々に言われ、エマは不満そうに頬を膨らませた。
「そこまでしないわよ」
「“そこまで”の基準が怖いんです」
ライリーが即答する。
思わず、笑いが零れた。
壊されかけた店。
襲われた夜。
それなのに、食卓には笑い声が残っていた。
エマはその光景を見渡して、ふと気づく。
守られている。
自分が。
ずっと一人で戦ってきた魔女は、その事実にまだ慣れなかった。
だから少しだけ照れ臭そうに、そっぽを向きながら呟く。
「……ありがとう」
その小さな声を、四人はちゃんと聞いていた。
***
襲撃騒ぎの翌日。
『魔女の店』は、何事もなかったかのように営業していた。
割れた窓は修復済み。
荒れた床も元通り。
商品棚には薬瓶が綺麗に並び、店内には薬草と紅茶の香りが漂っている。
だが、昨日の出来事は確実に爪痕を残していた。
客たちの視線。
「昨日、騒ぎがあったらしいぞ」
「危険な連中に狙われてるって」
「でも、あの店の薬、本当に効くんだよな……」
噂は止まらない。
けれど以前と違うのは、好奇や悪意だけではなく、“庇う声”も混ざり始めていることだった。
「獣人の店員さん、丁寧だったわよ」
「この前、息子の熱を一晩で治してくれた」
「少なくとも悪い店には見えねえけどな」
ライリーは会計をしながら、その変化を静かに観察していた。
(……流れが変わり始めてる)
完全な敵意ではない。
理解しようとする人間が増えている。
それはきっと、エマが無意識に積み重ねてきたものの結果だった。
当の本人は。
「ライリー、眠い」
「でしょうね」
カウンターに突っ伏していた。
「昨日あれだけ魔力漏らしておいて、夜中まで調合してたんですから」
「だって在庫減ったし……」
「減らした原因、半分エマ様ですからね?」
そんなやり取りに、近くにいた客が思わず吹き出す。
以前の『魔女の店』ではありえなかった空気だった。
柔らかい。
温かい。
それがエマにはまだ少し不思議だった。




