第14話 「魔女狩り未満」
王都リィンズの朝は、今日も騒がしかった。
石畳を行き交う馬車の音。露店商の呼び声。焼きたてのパンの香り。そんな日常の喧騒の中で、『魔女の店』の前だけは、妙な熱気に包まれていた。
「銀星の魔女って、あの子か?」
「欠損治癒をしたって本当?」
「いや、奴隷を囲ってる危険人物らしいぞ」
ひそひそと交わされる声。
店先に並ぶ客は減っていない。むしろ以前より増えている。しかし、その視線の質が変わっていた。
好奇。
畏怖。
警戒。
エマはカウンター越しに薬瓶を棚へ戻しながら、小さく溜息をついた。
「……面倒ね」
「噂というのは、得てして尾ひれがつくものですから」
会計台の横で帳簿を整理していたライリーが、肩を竦める。
「昨日の時点では“凄腕の治癒魔女”程度だったのに、今朝には“禁術使いの怪物”ですよ。人間の想像力には感心します」
「感心してる場合?」
「半分は面白がってます」
さらりと言う辺り、彼らしい。
だが、店の空気は確実に変化していた。
特に目立つのは、ロンとハインへの視線だった。
狼獣人の血を引くロン。
鷹と狐の混血であるハイン。
以前なら「珍しい獣人」程度の扱いだったものが、今では「危険な魔女の手先」という色まで混じっている。
エマはそれが気に入らなかった。
非常に。
かなり。
思っていた以上に。
「エマ様」
店の入り口付近を掃除していたハインが、小声で呼びかける。
「……また、です」
店の壁。
そこには赤い塗料で乱暴に文字が書かれていた。
――人攫い魔女。
――獣人の巣。
――危険。
エマの眉間に皺が寄る。
「……子供みたい」
怒鳴りもしない。
叫びもしない。
ただ、温度の消えた声だった。
ロンが静かに雑巾を取りに向かう。
「俺が消しておく」
「いいえ」
エマは彼を止めた。
「私がやる」
そう言って壁へ近づく。
指先を軽く振る。
瞬間、赤い塗料だけが霧のように分解され、空気へ溶けて消えた。
壁には汚れ一つ残らない。
周囲で見ていた通行人が息を呑む。
「……相変わらず規格外ですね」
ライリーが呆れたように笑う。
「これくらい普通でしょ」
「普通の基準が壊れてるんですよ、エマ様は」
その時だった。
店の前に、派手な白ローブ姿の男たちが現れた。
胸元には金糸の刺繍。
治癒術師協会の紋章。
中央に立つ中年男が、鼻につく声音で言った。
「ここが噂の『魔女の店』ですかな?」
店内の空気が変わる。
ラドスティンがさりげなくエマの前へ半歩出た。
「どちら様でしょう」
「私は治癒術師協会・第三派閥顧問、ベルノルト」
男はわざとらしく周囲を見回した。
「随分と胡散臭い店だ。獣人までいるとはね」
ハインの肩がぴくりと揺れる。
ロンの目が細くなった。
だが、エマは無言だった。
「最近、“欠損を治した”などという虚偽が出回っていてね。我々としても看過できんのですよ。治癒術とは体系化された神聖技術だ。小娘一人が覆して良いものではない」
「……へえ」
エマが短く返す。
ベルノルトは続けた。
「しかも奴隷を囲い、獣人を侍らせ、危険な魔術を使っているとか。王都の秩序を乱しかねない。あまり悪目立ちすると、“制裁申請”も視野に入る」
その言葉に、周囲がざわめいた。
魔女の制裁。
王国で定められた特殊制度。
高位魔女による被害申告が一定数を超えた場合、国家権限で行動制限を課す制度だ。
もっとも、本当に発動される例は極めて少ない。
理由は単純。
高位魔女は国家戦力だからだ。
だからこそ、これは脅しだった。
エマは数秒黙っていた。
やがて、静かに口を開く。
「……言いたいこと、それだけ?」
「何?」
「営業の邪魔なんだけど」
空気が凍る。
ベルノルトの顔が引き攣った。
「き、貴様……!」
「あと、うちの子たちを馬鹿にしたこと、訂正して」
「奴隷と獣人を庇うと――」
「庇う?」
エマが、ゆっくり顔を上げた。
銀色の瞳。
温度のない光。
「違うわ。家族を悪く言われたから、不愉快なの」
その瞬間だった。
店内の薬瓶が、一斉に震えた。
棚が軋む。
空気が重く沈む。
魔力。
圧倒的な銀星級の魔力が、何の詠唱もなく空間を満たしていた。
ベルノルトの額に汗が浮かぶ。
「ひ……っ」
「帰って」
エマは一歩も動いていない。
だが、背後に巨大な何かが立っているような錯覚を与える。
「次に嫌がらせしたら、今度は“営業妨害”として正式に訴えるわ。銀星からの申請って、結構面倒らしいわよ?」
にこり。
笑顔だった。
だからこそ怖い。
ベルノルトたちは青ざめ、逃げるように去っていった。
沈黙。
そして。
「……エマ様」
ハインが小さく呟く。
「何?」
「今、“家族”って……」
「あ」
エマが固まる。
数秒後、耳まで真っ赤になった。
「ち、違う! その! 店の仲間って意味で!」
「なるほど」
ライリーがニヤニヤする。
「店の仲間、ねえ?」
「からかわないで!」
エマが魔導書を投げつける。
ロンが珍しく声を上げて笑った。
ラドスティンも、静かに口元を緩める。
つい数ヶ月前まで、冷え切っていた店。
一人で食事をし、一人で眠り、一人で朝を迎えていた魔女の住処。
そこには今、笑い声があった。
エマは照れ隠しのように咳払いをすると、乱暴に前髪を掻き上げた。
「……ほら、仕事戻るわよ。今日はまだ閉店まで時間あるんだから」
「はい、エマ様」
四人の返事は、どこか嬉しそうだった。




