第12話 「錆びない五芒星」
王都リィンズにある魔術師協会の支部は、五番街の東側、緑が多い地区に建っている。石造りの重厚な建物で、入口の上に五芒星のモチーフが刻まれている。ここは、魔法使いや魔女たちの権利を守るための機関であり、魔術師認定試験を行う場所でもある。
エマが銀星の認定を受けたのは、今から二年前。当時十五歳で、試験官たちに少なからず驚かれた記憶がある。
ロドワール王国において、銀星の魔女は非常に希少だ。エマが五番街に店を開いた当初、魔術師協会の職員が何度か訪れて様子を見ていた。王宮魔術師の斡旋話も二度ほどあった。全て断った。
今日、久しぶりに魔術師協会から連絡が来ていた。
「定期確認とのことです」とハインが伝えた。
「協会の方が午後いらっしゃるそうで」
「分かりました。ありがとう」
「定期確認ってなんですか?」
「銀星以上の魔法使いのローブにある五芒星の色が変色していないかを定期的に確認するものです。つまり、制約を破っていないことを確認しにくるんです」
「銀星……?」
ハインがぽつりと呟いた。
「そんなに凄い人だったんですか、エマさん」
「凄いというか、珍しい、ですかね」
「いや、“ですかね”で済む数じゃないですよ」
ライリーが苦笑する。
「銀星は世界で二十五人前後です。普通は宮廷抱えになります」
「二十五……」
ハインが絶句する。
「制約というのは……?」
「制約は、いくつかあるけど……最も重要なのは、無闇に人を傷つけてはならないという制約かな。魔術師が誰かに制裁を加える時は、協会への申請と承諾が必要になるんです。これを飛ばして攻撃すると、自分の血が媒介になって五芒星が錆びる。一度錆びた五芒星は、容易には戻らない」
「……なるほど」
エマの五芒星は、今日も錆びていなかった。当然だが。
***
午後、協会の職員として来たのは、三十代前半の男性だった。
見た目は真面目そうで、少し緊張している。エマの店に入って、四人の奴隷を見て、さらに少し緊張した。
「エマさん、お久しぶりです。定期確認に参りました」
「はい。どうぞ」
エマはローブの胸元についている五芒星を見せた。銀色で、くっきりとしている。錆の気配もない。
「……問題ありません。ありがとうございます。それと、こちらをお渡しするよう言われていまして」
男性が封書を差し出した。エマは受け取った。
「何ですか」
「魔術師協会の王都本部から、です。詳しくは中をご覧いただければ。……私は内容を存じ上げないのですが、おそらく重要な通達かと」
男性が帰った後、エマは封書を開けた。
内容を読んで、短く息を吐いた。
(また、国からの要請か)
ロドワール王国の国王が、エマを正式に王宮魔術師に任命したいという要請が、協会を通じて届いていた。報酬は金星認定に準じる扱い、宮殿内の専用施設の提供、年間報酬として金貨百枚。
破格の条件だ。普通の魔術師なら飛びつくだろう。
エマは封書を折りたたんで、引き出しにしまった。
「お断りの返書を書きます」
後ろでライリーが少し驚いた声を出した。
「……金貨百枚を断るんですか」
「金貨百枚よりも大切なものがあります」
「何ですか」
「自分の店と、自由です」
ライリーは少しの間、何か言いたそうにしていたが、結局は黙った。エマの意思の固さを、三ヶ月の生活で理解していたから。
エマは返書を書いた。丁寧に、しかし明確に断る内容だ。
(この国が、私に何をしてくれたか。王家は関係ない、と言うかもしれないが——それでも、この国の旗のもとに生きたいとは思えない)
そこまで考えて、エマは思考を止めた。それ以上は、今日は考えない。過去のことを考えすぎると、胸が重くなる。
エマはさっさと返書に封をして、使いに出すようハインに頼んだ。
***
その夜、珍しくロンが話しかけてきた。
夕食が終わり、他の三人が片付けをしている間、ロンはエマの隣に座った。何か言いたそうにして、言えずにいる。
エマは何も言わずに待った。
「……今日、協会から手紙が来たと聞いた」
「そうですね」
「断ったとも」
「そうですね」
ロンは少し間を置いた。
「エマさんは、この国が嫌いなんですか」
エマは少し考えてから答えた。
「嫌いとは、少し違います。……信用していない、という方が正確かな」
「国を?」
「国、というか。誰かの傘下に入ることが。この国だからというより、どこでも」
ロンは少し沈黙した。
「……俺も、人を信用するのが苦手だった」
エマは少し驚いた。ロンが自分の話をするのは珍しかった。
「仲間だと思っていた人たちに裏切られた。それから、ずっと奴隷で。誰かと心を通わせる気がなくなっていた」
「……今は?」
ロンは少し考えてから、静かに言った。
「ここにいると、少しずつ変わってきている気がします。ライリーがいて、ラドがいて、ハインがいて……エマさんがいる。なんというか、まずい状況でないなと」
エマはそれを聞いて、少し笑った。
「まずくない状況で良かったです」
「笑いますか、そこで」
「笑わずにいられないですよ。正直な言い方ですね」
ロンは少し気まずそうにしたが、エマが笑っているのを見て、つられたように口元が少し緩んだ。
(ロンさんは、笑うとこんな顔になるんだ)
それもまた、新しい発見だった。
***
次の週、冒険者ギルドの「ザン」のギルドマスターが店を訪ねてきた。
六十代の大柄な老人で、退役した冒険者だ。エマが十四歳で冒険者登録をした時からの知り合いで、エマが一人で店を始めた頃からずっと心配してくれていた人物だった。
「エマちゃん、奴隷を雇ったって聞いたが、うまくいってるか?」
老人は大きな体を折るようにしてカウンターに肘をついた。
「うまくいっています。ご心配なく」
「そりゃ良かった。実は、依頼を出したくてな。ギルドの連中に、いいポーションを安定供給できないかと」
「今も依頼は受けていますが」
「定期契約という形で。月に五十本を基本として、必要な時は追加発注できるようにしたい。もちろんちゃんとした値でな」
エマはしばらく考えた。今の生産量で五十本は問題ない。四人の助けで作業効率も上がっているから。
「条件を詰めましょう。ライリーさん」
ライリーが後ろから出てきた。
「はい。では詳細をお聞かせいただけますか」
ギルドマスターがライリーを見て、少し驚いた顔をした。奴隷が当然のように商談に加わることを、想定していなかったのかもしれない。
しかしライリーは全く動じず、帳面を取り出して淡々と確認事項を聞き始めた。その手際の良さに、ギルドマスターもすぐに切り替えた。
(ライリーさんは本当に有能だ)
エマはそれを見ながら、店が少しずつ大きくなっていることを実感した。
***
その夜、エマはまた夜更かしして作業をしていた。
新しい調合に取り組んでいると、階段を上がってくる足音がした。
ドアが開いて、ハインが顔を出した。
「……エマさん、また一人で夜起きていたんですか」
「なんでか眠れなくて。それに夜の方が集中できるので」
「体に悪いです」
「分かっています」
「分かっているのに直さないんですか」
「直すほどのことかどうかまだ判断できていないんです」
ハインが少し呆れた顔をしたが、すぐに柔らかな表情に戻った。
「お茶を持ってきました。身体を温める薬草茶です」
「……ありがとう。気が利きますね」
「覚えたんです。エマさんが夜遅くまで作業をした翌日は、肩を凝らせているから」
エマは少し目を丸くした。
(そんなところまで見ていたのか)
ハインは茶を置いて、少しだけ続けた。
「エマさんが一人でいた頃、大変だったと思います。今、ここにいられて……私はよかったと思っています」
「……私もよかったと思っています」
エマは素直に言った。ハインが嬉しそうに目を細めた。
ハインが部屋を出ていってから、エマは薬草茶に口をつけた。温かくて、少し甘い。ハインが選んだのが分かる味だった。
(こういうことが、好きだ。誰かを想って選んでくれたもの)
過去、それを与えてくれていたのは母だけだった。今は、四人がいる。それが不思議で、ありがたくて、少し怖かった。
信用できると思って、また裏切られたら。
それが、エマの心の奥底にある恐怖だった。それでも今は——まだ、様子を見ている段階だ。
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