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危険な香りにも魅せられ

 危険な香りにも魅せられ


 曲がらなかった息子のスライダーを受けたのが例のミヨだった。子供でも大人でもミヨのほぼ全員がそうであるように、息子のクラスにいる彼もまた優しさとユーモアを持ち、悪戯心と正義感を持っていた。

その日、放課後の校庭で手打ち野球をしていた息子は、最終下校のチャイムが鳴ったとき教室の机のなかに宿題のプリントを忘れていることを思い出した。誰もいない夕方の廊下を首のないポニーが駆け抜けるという上級生たちの噂があるらしく、密かに信じていた息子には、陽の傾く教室へ一人で戻る勇気などなかった。そこで息子は、手打ち野球のベンチにさえ入れてもらえない友達のミヨを強制的に従え取りに行くことにした。彼らはどうやらクラスにおける順列の最下層にいる、ライバル的友好関係にあるらしい。

渋々ついてきたミヨは途中途中、ライバルを何度も冗談で脅すと、息子は優位に立たれた気がしていた。ぼくの方がお前よりも大物なのだと何かをして示さなければ、そう考えた。

そこで息子は教室のたまごでスライダーを投げれば示せるはずだと思いついた。

誰もやれない危険なことをやってのけ、しかも変化球だって投げられるのか! と思わせることまで出来る。火の輪くぐりをするライオンのような勇気ある男になれたら、ぼくのランクは跳ね上がるに違いない。そうなったらこいつも一緒に引き上げてやってもいいが、今しがた階段の踊り場で尻もちついて驚いたことを一生黙っていると誓うことが条件だ。息子は一体何のために教室へ戻っているのかをすっかり忘れた。

まだ幼い、水に揺れる顔を硬直させた学級委員長は説得した。しかし不敵な笑みを浮かべるライバルが何度も首を捻りながら頑なにセットポジションの姿勢を解かずにいると、とうとう良識的説得をあきらめざるを得ないと悟り、また余りに危険な香にも魅せられ膝を折ってしゃがみ込んだ。

OK、それなら次のボールのサインはこれでどうだ? ミヨは教室の後方にあるロッカーの前で独り言ち、床を軽くポンポン叩いて手の指を何本かずつデタラメに開いては閉じた。

こんな試合、とっとと終わらせて今夜も派手に飲み行こうぜ、くらい大物に成っていた彼らは共に頷きあう。

かくしてたまごはただのスローボールとしてうす暗い教室で弧を描き、後にストライクの判定を下されはしたが完全に割れてしまった。

息子はおばけよりも青ざめ、また揺らめいたことだろうが、ちゃんと曲がった? と確かめたあたりは自分の子供ながら褒めてあげたい気もする。ミヨは垂れ落ちる黄身と白身をなるべく床に落とさないよう教室の蛇口へ小走り遠慮がちに首を振った。手を洗って殻をハンカチに包むと、でもコースは外れていなかったよ、と友達の肩を叩いた。


私はゲラゲラ笑った。隣近所が迷惑がるほど愉快だった。一方妻も襖の向こうで電話相手に笑っている。涙の止まない息子だけが渾身の力で罪の深さに耐えていた。



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