70.フラグ
過保護な親みたいに、イルマが何度もこちらを振り返り見てはくどくどと注意を告げている。
「いいか、問題を起こすなよ。注意を払うようにしろ。分かったな?」
「くどいなぁ、早く行ってこいよ」
「まったく、子供扱いやめてよね」
鬱陶しそうにしながら、ガンクもナノもしっし、とイルマを追い払った。
そうだぞ、失礼だぞ。信頼してくれよ、とオレも思うけど、何か嫌なフラグのようにも感じるぞ、これは。
顔をしかめたイルマは商業ギルドの受付カウンターへ向かった。ワユビュリュ湿原や森で刈った魔物の買取りをしてもらうためだ。
別れたオレ達は依頼掲示板がある場所に行き、壁一面に貼り出された山の用な依頼書から手頃なものを洗い出して選定するのだ。
掲示板の前には人だかりが出来ていた。というか、恰幅のいい者や嵩張った装備品や所持品で空間を占領している者も多い。押し合い圧し合いの人の渦の中で依頼書の奪い合いが巻き起こっている。
依頼書は冒険者の相当級毎に割り振られ貼り出されている。級が低い程にそこの掲示板前は過密していて、激しい競争を制して人気の依頼を勝ち獲る必要があるようだ。
メールプマインは人口が多いのは分かるけれど、こんなものなのか、本当にハストランのギルドとは状況が月とすっぽんだぞ。
それに比べて『A』の掲示板は貼り紙自体からして少なく閑散としている。反対に『E』の掲示板前は殴り合いみたいな騒ぎだ。
オレ達はガンク組の最低級、オレの冒険者級だけれど、『E』や『D』とは違い活気がある魚市場くらいには落ち着きがある相当級『C』の掲示板前に移動して募集依頼を物色することにした。
相当級『C』の依頼書掲示板には、ここメールプマインを活動拠点と出来る内では大まかに、商隊の護衛,魔物討伐,薬草採集,盗賊狩り,盗人グループ及び犯罪組織の調査などがあった。
拠点を移して南部の町で活動する依頼では、港町サカネや魚宿場町サーモアンでもメールプマインと似たような依頼内容だけれど、漁船の同乗護衛や町内の治安維持なんてものがあった。
町の治安を守るのは冒険者がするものなのか不思議に感じるけれど。
さらに造船の町ミョウビシでは、造船補助作業員,海底探索員という珍しい内容の貼り紙があって目を引いた。
ガンクが海底探索員募集の貼り紙を指差して目を輝かせた。
「見ろよこれ、スゲーぞ。海底探索だってよ」
「面白そう! お魚さんとか綺麗な貝とか珊瑚とか見てみたい」
なー、楽しそうだ。よし、この依頼にしよう!
興奮してオレ達はその依頼書に手を伸ばす。
つば付き帽子を被った男が隣で言った。
「ハハ、兄ちゃん。悪いことは言わねぇから、そいつはよしといた方がいいぜ。何人も死んでる依頼だ、命が惜しくねえってんならやってみなよ」
「何だよ、あんたは」
ムッとしたガンクが、つば付き帽子の男を問い詰めた。
その帽子の男が言うには、冒険者達は皆ろくな潜水技術も設備も無い状況のまま沖合いまで連れていかれ、地質調査と称して重しを付けられ海底に沈められるという。
「何だよそりゃ、まるで拷問や刑罰じゃねーか」
「だろ? だからやめとけって言ってんの。
ま、割はいいし常時募集案件だから、もしどうしようもなく金に困ったなら試してもいいかもしれねぇけど、俺は御免だな」
「アタシもイヤ~」
オレもだぞ。海底は見たいけどそんなことで死にたくない。
他の現実的で堅実な依頼を真面目に探すことにしたオレ達。そして結局のところ、魔物の討伐が無難で報酬もボチボチだ、という結論に至った。
相当級『C』と『B』の掲示板を見ていくと、メールプマイン近郊の荒野でホワイトタイガーの討伐、同じくピンクデビルスパイダー、森林地帯でのゴールドモモンガにレッサーユニコーンなどの討伐や捕獲の依頼に目を付け、イルマに相談することにした。
イルマの奴、早く戻ってこないかな。
掲示板から離れてイルマの帰りを待っているとナノがそそくさと立ち去っていった。
「ごめん、ちょっと失礼」
離れていくナノを不思議に見やっているとガンクが、「ありゃトイレだ。すぐ戻るさ」と教えてくれた。
行き交う人混みの中で、ナノとイルマを待っていると、一人の青い髪を流した女が近付いてきた。
「貴方かしら、霊獣玄武を倒した殿方って」
女はガンクのすぐ傍まで近寄り、しおらしい仕草で尋ねた。オレは強い香水の匂いに鼻をひくひくさせて距離を置く。
見ると、髪と同じ青色で艶のあるドレスの裾が揺れている。女が首を傾げると、開いた胸元から柔らかそうな白く大きい胸がほよん、と揺れ動いて見えた。
ん? どうしたガンク、なんで固まっちゃってるんだ?
挙動不審な様子を見せながらガンクが応じる。
「ああ、そうだけど……」
「まぁっ、素敵! 可愛らしい顔して強いのね」
青髪の女は下ろしたガンクの腕を絡め取って、腕から手先まで手を這わしていった。そしてガンクの手の平を両手で包むように握っている。女の顔は華が咲いたような見事な笑顔だ。
対照的にガンクの方は照れてしまって困ったような表情だ。空いたもう片方の手で頭を掻きながら、助けを求めるようにオレを頻りに見てくる。
デレデレしちゃって、というより見られてもオレにはどうしようもないぞ。
メスからアプローチしてきてるんだ。ここで退いたらオスとして情けないぞ。頑張れガンク!
とりあえずオレは腰を下ろして、ガンクと青髪の女の動向を見守ることにした。
キツい香水のせいで匂いからは判断がしにくいけれど、どこか警戒しないといけない感じだったからよく観察することにした、という面もある。
ガンクが握られた手へ視線を落として言う。
「あ、あの……、もう放してもらえませんか」
逆に青髪の女は手を強く握ったようだ。
「貴方にお願いがあるの。私の家に来てもらえないかしら。
家に、凄い動きが素早くてとんでもない黒いのがいるの。強くて男らしくて、頼りになる殿方を探していたの」
もはや手を放すどころか体を密着させている青髪の女の攻勢にガンクは身を退き始めた。
オロオロするな、ガンク。多分それは、あの虫だぞ。台所とかによく出る黒光りしたあの虫だぞ。
「あー……、でもさ。みんなにも聞いてみないと……」
ガンクは青髪の女に手の平をぐにぐにと愛撫されながら、豊満な胸を押し付けられている。ガンクの目線はその胸元だ。
困り顔のまま口だけニヤついた形になってしまって、ガンクもオスだからこうなるのも仕方無いな、とオレはため息を漏らした。
その時だ。
後方から怒声が響いた。
喧嘩が始まったようで、何事かと思い後ろを振り向くと、どちらも仮面を付けた、ヒョロっとした男とチビの男が言い合いをしていた。「ふざけんな」とか、そんな当たり障りの無いよくある台詞を言い放っている。
そしてチビの方がヒョロっとした仮面の男を突き飛ばすと威勢よく走りだした。そのままガンクの方に向かって数人を弾き飛ばしながらぶつかって来たのだ。
オレの目にははっきりと、完璧に身を翻して突進をかわしたガンクにチビ仮面の方から体当たりした様に見えた。
仮面のチビはそのままガンクと交錯すると、体勢を崩したガンクはよろけながらも踏み留まった。仮面のチビの方はそのままギルドの正面入口へと走り去っていった。
言い合いをしていたもう一人のヒョロっとした仮面の男の姿も既に無くなっていた。おまけに青髪の女も消えてしまっている。
狐につままれたような心境でしばらく見つめ合うオレ達。ざわついたギルドの中が徐々に通常の喧騒に戻った頃にナノが戻ってきた。
「お待たせー」
おいナノ、聞いてくれよ。ガンクの奴が変な女に思いっきり鼻の下を伸ばしてデレデレしてたんだ。
オレはナノの足元にすり寄り、ガンクが青髪の女の胸を見てだらしない姿をしていたことを伝えようとした。
「なに、どうしたのランドちゃん。何かあったの?」
「何にもねぇよ」
不審そうにナノがガンクの顔をまじまじと見つめて、「いーや絶対何かあったね。白状しなよ」と冗談混じりのからかい半分な様子で接近した。
ナノは理解してるぞ、たぶん。女の勘は鋭いからな。
そうして、ササッとガンクの身体に視線を這わせたナノが、ふと首を傾げて顎に指を当てた。考え事でもするみたいに。
「んー……、ガンク? 剣ってしまっていたっけ。無いけど、どうしたの?」
ナノのその言葉に驚き、腰にある筈の自身の剣へと手を伸ばすガンク。しかし、それは空を切るばかりだ。
オレもガンクの周りを歩いて見るけど、鞘だけで肝心の剣が見当たらない。
「無い! おかしいな……、あれ?
しかも、アイテム袋も、無い……」
慌てながら、三人で辺りを隈無く探してもどこにも落ちていないし、結局見付からず出てこない。
「何やってんのよ、もしかして盗まれたの?」
「まさか……、ぶつかってきたあのチビと、それにあの女が?」
「女? 女って、誰?」
ナノに詰め寄られてしどろもどろになってしまっているガンク。
ごめん、オレにはどうすることも出来そうにないぞ。元はといえば、ガンクが鼻の下伸ばしてデレデレしてるから悪いんだしな。
そして、タイミング悪くそこにイルマが戻ってきた。
「遅くなったな。依頼はどうだ、良い案件は見付けられたか」
イルマにガンクの大失態をナノが説明した。聞いていくうちに、みるみるとイルマの顔が鬼の様相へと変貌していった。それはそれは恐ろしいものだ。
「ど阿呆が!
俺があれほど口を酸っぱくして注意しろと言った筈だ。何故問題を起こすのだ」
怒りのままにガンクの首を絞めつつあるイルマ。その手を振りほどいてガンクが懸命に弁解しようとした。
「放せって! 俺が悪いってのかよ、知るかよいきなりだったんだ。
俺は注意してた。俺が怒られるのはおかしいだろ」
「被害者面するな。注意散漫だからこうして盗人にカモにされるのだ」
とどめだと言わんばかりに、ナノがイルマの火に油を注ぐ。
「ガンクは女の人と楽しんでたみたいよ。だってね、ガンクの身体中からすっごい良い匂いがするもん。大人の女の匂い」
香水だな。
イルマが床まで届きそうな深いため息をついた。
「なぁ、俺にこの開いた口を塞ぐ方法を教えてくれないか」
周囲のギルド内の騒々しさと熱気が嘘みたいに感じられる。そのくらいの重い空気と沈黙が場を満たす。
虚ろなまま失望した表情のイルマが、「起きたものは仕方無い」と呟いた。そして続けた。
「ランド、その女も仮面を被った男共もおおよその感じでもいいから分かるか? 臭いでも何でもいいが」
もちろん分かるぞ。オレは犬じゃないけどな。
オレは尻尾を振り回してイルマに応えた。
「ガンク、掲示板に貼り出されている盗賊及び犯罪組織調査依頼を全て受諾しておけ。手当たり次第に狩っていくぞ。お前が責任持って探せ」
「畜生がっ! 全部ぶっ潰してやらぁ」
「ハァ、温泉はおあずけかぁ。
よし、馬鹿なガンクのために、アタシも頑張る」
オレも頑張るぞ!
こうして、オレ達のメールプマインにおける犯罪組織撲滅作戦が始まったのだった。




