132.生足魅惑にからかうコルテ
夜の砂漠を駆けるオレ達。
“砂漠の錠前”の異名を持つカデナロックスコーピオン、そしてその後さらに集まってきた強力な砂漠地帯に巣くう魔物達との死闘を乗り越え、しばしの休息を経て調査の旅を継続していた。
蠍の凶悪な神経性猛毒に瀕死になるほどのダメージを受けたオレだけど、辛くもなんとか回復してガンク達と共に調査名目の冒険を再開することが出来た。
水玉模様のキャットドレスはカデナロックスコーピオンの尻尾の一撃を受けて引き裂かれ、血に汗に砂にと使い物にならなくなっていた。でもそれもコルテがラウルトンさんからなのか分からないけれど、持ってきていた修復魔道具で元の綺麗な状態に戻してもらうことが出来ている。
イルマ達が負った激しい傷も既に癒えている。本当に良かった。
前を走っているコルテが振り向かず声を出した。
「ねぇ。あんまりジロジロ見ないでもらえないかしら」
ん、どうしたんだろ、誰に言ったんだ?
現在は先頭からイルマ、コルテ、ガンク、ナノの順になって魔化コッコー達が砂地を疾駆している。
オレは見上げてみる。そこには気まずそうなガンクの顔があった。
ははーん。
臭いで判ったぞ。へぇ、ガンク……。
でもガンクのこの求愛の匂い、コルテのことが好きなのかな。
「ランド、なに俺を見上げて鼻スンスン鳴らしてんだ。やめろよ、嗅ぐな」
〔何照れてんだよガンク!〕
オレは鳴き、一応ガンクの気持ちを後押しするつもりなのだ。
「ニャーニャーうるせーぞ」
「あ~ら。ふふ……。
勘のイイ猫ちゃんだから、スケベ心が察知されちゃったのかしらね?」
「そんなんじゃねーや!
くそっ、見えちまうもんはしゃーねぇだろうが」
コルテが振り返り見ながらニヤニヤしている。
う~ん、なんだかオレも居たたまれないな。
あ、そうか!
ガンクは前方を走るコルテの生足を見てたのか。なるほどね。
「いいじゃねーか足くらい……」と、ブツブツ言っているガンクをもう一度見上げると頭を押さえ付けられた。苦しいよ。
コルテは大人体型になっている。そのせいで着ているワンピースの丈がどうしても短くなってしまい、スラッとして綺麗な白い足が剥き出しになっている。ついそれを見てしまっていたらしいな。
これは求愛って訳じゃなさそうだ、とオレは考えを改めた。
茶褐色の羽毛に覆われた魔化コッコーを両生足で挟み跨がっているコルテの姿は妖艶だしな。これは男だから仕方無いぞ。
後ろから低い声がする。ナノだ。
「サイッテー。ガンクのスケベ!」
「うるせぇっ」
恥ずかしそうにするガンク。そんなに咎めてやらないでくれよ、とオレは思う。
「うふふ。ナノちゃん、男の子なんだからしょうがないものよ」
コルテが付け加える。「死闘の後は本能的に浚ってしまうものなのよ」と。ナノは無言だ。
あぁ、オレもそれは聞いたことがある。
男も女も死線を潜り抜けた後は生殖本能が活発化してしまうという。子孫を残そうとして。
オレは現在がねこで脳味噌だけは元人間だ。だから単にコルテを見てもその整った健康的な足を見たとしても、そこまで性的な刺激を感じることはなかった。
魅惑的だとは思うのだけど。そしてそのことを深く考えてしまったら、少し複雑な気分になってしまうのだけれども。
あまり考え込まないようにしよう。オレは今のままで十分だと思うことにする。
でもこの場にターニャがいたとしたら、オレはねこの魔獣になっていただろうな。ターニャに襲い掛かる狂えるオス猫になりそうだ。
あぁ、ターニャ……。
今頃どうしてるんだろう。前に見た時と同じ深い濃紺の衣装を羽織って踊っているのかな。
オレが時計塔のてっぺんに残したプレゼント、ちゃんと見付けてくれたかな。喜んでくれているかな。
あの宝石はターニャに似合う筈だ。
ネックレスにしたり、ブレスレットに嵌めてみてもターニャの美しさをより一層引き立ててくれるに違いない。
あぁヤバい、ニヤけちゃう。
ターニャがオレのプレゼントを首から下げて踊り舞う姿を空想してみた。
黒のラインが混じった灰色の髪を靡かせるターニャ。揺れる紺のドレスに煌めきを放つ二色の宝石……。頭の中で拡がるのはとても綺麗で完備な光景で胸がドキドキしてしまう。
会いたいなぁ……。
まだまだ当分、愛しのターニャとは再会出来そうに無いオレは激しく胸を締め付けられた。
ナノが声を上げた。オレはターニャとメールプマインの街からこの無情の砂漠へと意識を引き戻した。
「コルテもちょっとはその足を隠しなさいよ。いやらしい! 誘惑しないでよ、ただでさえ単純な馬鹿なんだから」
「誰が単純な馬鹿だっ!」
「黙れスケベ!」
ガンクは口を閉ざした。実に素直だと思った。
「手厳しいのね。僻みもあるのかしら?」
「無いわよ、あるわけ無いじゃんコルテのバカ、アホ、性悪淫乱女っ」
ナノ、ちょっと躍起になり過ぎだぞ。
でも前のコルテは面白そうにしている。
「うふっ、ナノちゃんたら。ウブなんだから。
それにあたしはこの黄色のワンピース以外に別の服は持って来ていないの」
コルテは楽しそうだな。好みの玩具を見付けたように振り向いて笑う。そしてガンクとナノへ、からかうような言葉を紡いでいく。
「嘘付けっ。お前、前に日中はズボン履いてただろ」
「アレは幼児体型用なのよ。この大人のサイズの物は持参していないのよ。
それにズボンだなんて。スパッツって言うものよ、砂漠用のね」
ガンクは、「知るか!」と首を傾げる。「他のが無いなら小さい姿に戻ればいいじゃん」とナノ。
白に近い金色の髪が向かい風に靡いて揺れる。黄色いワンピースの裾がヒラヒラと夜風に遊ぶように腿の横で舞う。愉しそうに揺れている。
コルテは可笑しそうに口の端を上げる。愉快らしい。
「ナノちゃんはああ言ってるけど。
どうするガンク、色気の無い姿に戻った方がいい? それともこのままの格好の方がお好き?」
「……ッ、俺に聞くな!」
ガンクが魔化コッコーを進ませ、イルマの前に出ていく。「オイ、隊列を乱すな!」とイルマ。
「うるせぇっ! 後ろに厄介な奴がいんだよ。魔性の女がよ……」
「ハァ?
何なのだ、まったく……」
今夜は敵との遭遇が少ないな。助かる。
珍しく平和な砂漠の夜だった。
とある日の昼。
致死性の焼け付く日差しが降り注ぐ煌々とした煌々とした砂漠を目を細めて眺めながら、オレはイルマと見張りの番をしていた。
周囲はテントを中心にアイテムの防御結界とコルテの魔法結界が張り巡らされている。
時折細かな白砂の上を蟻みたいな昆虫や蜥蜴に鹿にと通行していくのを目にした。隠匿魔法が効いているらしく、こちらを見ることもなく通り過ぎていくタフな砂漠の生き物達を安全な野営テントの片隅からじいぃっ、と見守っていた。
ハッキリ言って暇だった。
イルマは隣で測量の魔道具『ノードラバース』の親機を熱心に操っていた。これまでに地中へ埋めてきた子機からの測量結果の資料を整理しているらしい。顔をしかめながら何やら寡黙なまま検討しているようだ。
暇だなぁ……。
早く交代の時間にならないかな。魔道具のお陰で砂漠の真ん中にいてもまるで温度管理されクーラーが効いた夏場の室内にいるように、比較的快適な見張りの時間を過ごしていた。
白茶けた照る砂漠を眺め続けていれば眠気が遠退くのが悩ましい。
一応見張りだし、横のイルマは趣味に夢中になってしまった熱中小僧みたいになってるから、オレがしっかり目を光らせていないといけないのだ。
はぁ。
普通のねこみたいに丸くなってのんびり欠伸しながらうつらうつら過ごしていられればいいのにな……。
眩しくて目やにが止まらないし。
オレは何度も何度も前足で目を擦り、たまに身体を舐め、持ち上げた足の先の肉球の指の隙間の砂の入り具合を点検し、背伸びをして絶え間ない時間を潰していた。
暇だなぁ……。
ずっと無言だったイルマが呟く。
「むぅ……」
ん、どうしたんだ?
そう思いオレは横のイルマを見上げた。
「詳細は専門外の俺では解明出来ぬが、おそらく大昔に地殻変動があったらしいな。
しかし……、ちと自然発生で起こった場合とはズレがある様ではあるが……。
ふむ……」
イルマはラウルトンさんから手渡された測量術のテキストと測量結果を睨みながら、現状求めているものとはおよそ異なる結果を導き出しているようだ。
いいなーイルマはいい暇潰しがあって。
それにどうでもいいよ、地殻変動があったとか無いとかなんてさ。
前に言ってたじゃん、そろそろ水が不足してきているって。装備もこのまま進めば心配だって。
オレ達が求めているのは、砂漠の中のオアシスとかもう随分前に一度きりナノが見付けたストーンヘンジ(真竜教が使っていたと思われる岩の祠)とか、そういうものを導き出してもらうことなのだ。
それらは測量から発見出来るような類いのものじゃないってことはオレにだって何となく理解出来るけれどさ……。
大型の白いワームが砂地に立ち上がり、その上の地表を歩いていた野生の猫を一思いにくわえ飲み込んでいった。
可哀想に、と他人行儀になってオレはそれを眺める。
オレ達がメールプマインを出立してから既に二ヶ月以上の月日が経過していた。
この砂漠地帯を進む過酷な調査の旅にもだいぶ慣れ、全員がそれなりに逞しくなっていた。
環境に適応する能力って凄いな、と実感する。
こんな昼でも夜でも常に死神に追い立てられるような地域だってなんとか生き抜くことが出来るようになっちゃうんだから。
それには砂漠の炎天下を耐えられる相当な準備と、夜間に跋扈する凶悪な魔物や凶暴でハイレベルな野性動物に昆虫達を凌げる強さがあればなのだけれどね。
ここまで旅してきて実感する。
確かに、ここは人間にとってまともな生活が可能な場所じゃない。
コルテもラウルトンさんも、メールプマインの街からカダストロフ山脈に向かった者のうち、無事に戻って来た者はほぼいない、とそう言ってたことは頷ける。
普通の思考なら死にに行くようなものなのだ。
独り言を呟き唱え続けるイルマの横に座り、オレはぼんやりとそんなことを考えている。
二つの黒い影が何度も何度もオレ達がいる周りを移動していた。
ぼうっとしながら白い砂地の海の上を動いている二つの黒い影に目が追い掛けている、そんな自分にハッ、と我に返る。異常に気付く。
なんだ?
顔を上へ向けた。
見張り用の日除けパラソルから少し顔を出して強烈な日差しを浴びながら覗いてみると、二頭の鷲が空を旋回しているようだった。
鷲にしては大きいぞ……。
ゾッとした。
あれは……、ハルピュイア?
「む、どうしたランド?」
〔イルマ、あれあれっ!〕
オレはイルマの横へ戻り、鳴きながら薄毛が生えた脛を前足で掻いて敵の襲来を報せる。
たぶん、アイツらオレ達の存在に気付いてるぞ!
イルマ無用心過ぎ!
測量結果に熱中してる場合じゃないぞ、今は。
イルマは、「ちと後にしてくれ。暇なのは分かるがな……」と、だらしないことを言っている。
現実のこの危険な砂漠地帯から乖離したままでいるイルマの頬を、オレはねこパンチで叩いた。