105.船上の宴③-135c2
ソルノは左右に大きく伸ばした手を高々と天空へ向けて開いた。そして空を撫でるように翳していく。
オレの足元から背中へとぞわぞわと嫌な感触が伝っていき、全身を覆うように走っていった。
この場から逃げ出したい心境に襲われた。
ソルノが見開いた瞳は汚泥のように濁っていた。
「依り集え輪廻なる前に。
この場に見舞えよ朽ちし者共。
饗宴せしめよ享楽なるままに……」
「ソルノ!
てめぇ何する気だ!?」
般若の形相でドルマックが走り寄り、ソルノの腕を掴んで制止しようとした。だけどソルノは止まる気配を見せなかった。強力なトランス状態に入ってしまっているようだった。
「さぁ出よ、死せる者達よ。
霊位撹拌の法。反魂術、爛魂の位!」
莫大な魔力が発生した。
一斉にその場から飛び退いたオレとガンクにレームスさん、それとドルマック。
大渦のような魔力の流れから身を守るように、誰もが腕で顔を覆っていた。魔力の嵐は船上を掻き回し穏やかだった夜の海をも大荒れに荒れさせた。
激しく揺れ動く甲板に立って、オレは吹き飛んでしまわないように爪を強く立てて血で湿気った床を掴んで身構えた。
反魂だって!?
一体何が始まるんだ?
ソルノがいた場所から改めて強烈な魔力を感じた、と思った瞬間に船上一帯に無数の気配に気付いた。
固く閉じた瞼を薄めながらに開いていく。
見えた視界には嘘みたいな光景だった。
超大型船の甲板のそこら中に人,人,人の人だらけになっていたのだ。
どいつもこいつも寒気が走るような様相だ。
それは、体のどこか一部が欠損してる者から飛び出した眼球を揺らしている者、胴に大きく貫通した穴にどんな意味があるのか腕を突っ込んでいる者に、血どころか緑色の体液をダラダラと滴らせている者まで。
そんな者達で船上は溢れ反っていたのだ。
これは、反魂……、つまりソルノがやったのは甦りってことなのか?
……いや、そんな!
一度にこんなにやったらめったな大人数を死霊術で甦らせられるもんなのか?
あまりにもデタラメ過ぎるし無茶苦茶だ。
というか人間以外の、明らかに魔物風の見た目の奴も中には混じっていた。こいつらが全部人間として数えてみても、ざっと数百人はいるぞ。
超大型船の周囲の広範囲までを今では柔らかな魔力が帯状に展開されていた。
ソルノを探すと、奴は甲板室の上に移動していた。鮮血のような紅のドレスを着た女を腕に抱えながら引き続き狂った調子で、「あはははははははは」と笑い声を上げていた。
……狂人だ!
「あははは……。なんという最上の夜の宵。
さあ、この海で散った悲壮なる魂魄達よ。盛大に宴を愉しもうではありませんか!」
女に髪を下からまさぐられたままソルノは枯らすように声を張り上げた。
「おいソルノ、説明しろや!」
「この方達、どうも我々への敵意は無いようですが。 動機は何ですか」
「なんじゃこりゃあああぁ!」
方々から上がった声にソルノはさも愉快そうに話し始めた。
「この度、このメールプマイン沿岸のオーシャル海で多数の死者が出ました。その殆どは攻め入った魔族の者ですが、報われない霊魂が一定数以上に達した為に弔う必要性があった訳ですよ。
そうでもしなければこの界隈は強い遺恨に汚染され、血に呪われた場所になってしまいます」
それは嫌だぞ、呪われた場所なんて。
「皆さんには霊魂の叫びが聞こえませんでしたか?
私はそのあまりなね多い死者の声に、暑くて暑くて身悶えてしまう程でしたが」
そうだったのか、だから体感的には涼しいくらいなのにソルノは、暑がっていたのか。
……って、霊の叫び声なんか普通のやつに聞こえるかっつーの!
どうやらソルノが言いたいのは、現世を悔やんで成仏出来ない霊達を供養する為にこんな大それた催しをしたということだ。多分そんな感じだとオレは考えた。
それならそれで、宴だとか語弊が生じるような言い方をしないでくれよ、と思う。
船上を埋め尽くしたソルノの反魂術で呼び出された者達。彼らは皆思い思いの動きを見せていた。這い回る者もいれば踊り始める者、歩き回る者に目を閉じて静かにただ佇み続ける者も。
船の正面甲板の方では先程まで同じくワンスタンとジルがじゃれ合っていたのが見えた。
「レームスは感受性も精良ですね」
ソルノに褒められたレームスさんは軽く手を上げた。レームスさんの隣にいたガンクが面白くなさそうにしているのが見えた。
「それはどうも」
「実に的確ですよ。
この者達はうつし世に具現せしめた怨霊ではありますが、思念誘導を施し憎悪の対象を内側へと向けました。
従って、この場に現れし者は皆己の生への強い慚愧の念を持つ者ばかりが募り、晴れやかな成仏を望んでいます」
「だから触れることも出来なければ襲ってもこないのか」
「その通りです」
ガンクは握っていた剣を回して鞘に納めると首を振り俯いていた。おそらく、ガンクの闘争心は暴れたかったようだ。でもその相手は今この場で見繕うことは出来ない。
そうなのだ。
今甲板上に具現している霊達は、オレ達のことなどまるで気にも留めていなかった。見えていないと言ってもいい。
その見た目の格好は恐ろしい。けれど皆思い思いに動いて、未練が残ったままのそれぞれが生きた時間と向き合っているようだ。
泣いている者に怒った顔、泣き笑いしている者、確かにこれは……。
「宴でしょう?」
ソルノはしたり顔ではにかんだ。ソルノが抱いていた女は半分くらい輪郭は霞み始めているようだった。優しい手付きでソルノは紅いドレスの女の髪を撫で返していた。
ドルマックが声を上げた。霊が体をすり抜けながら移動していくことを鬱陶しそうにしているようだ。
「いつも紛らわしいんだよ、クソが。気勢を削がれちまったぜ」
「この様な流れでないとドルマックは宴に参加しなかったでしょう?
苦肉の策ということです」
「チッ……」
ドルマックはその場に胡座をかいて座ってしまった。
その場で掻き消えてしまったり浮遊して飛散したりと、次々に死者の霊は姿を消していった。
憎しみや怒りや悲しみといったそれぞれの思いが晴れたんだろうな。
船上を埋め尽くしていた魂達は順々に成仏していった。
なんだ、オレはてっきり、ソルノは気が狂った危ない奴かと思っていたけど案外イイ奴だったんだな。
そんなことを思いながら、船端の手摺に乗り夜の海を見下ろしていたオレはふと強い視線に気付いた。
振り返るとソルノが甲板室の上からオレを真っ直ぐに見詰めていた 。
なんだろう?
ソルノの二つの瞳は未だ濁った様子だけれど、不思議と先程まで感じていたソルノに対する恐怖感や拒否感は薄れていた。
腕に抱いていた紅ドレスの女は天国へと無事召されたようで消え果てている。ワカメのように黒く重たそうな髪だけが変わらずに潮風にぎこちなく揺れていた。
「ランド。こちらへ来て下さい」
なんだなんだ?
ソルノの奴、なぜオレを呼びつけたりするんだろう。
そんなに悪い奴じゃないってことは判ったけれど、うーん、ちょっと怖いぞ。