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紫の雫(ヴィオラ・ドロップ) ——異世界に転移した薬学者は、毒と薬で裏社会の頂点に立つ —   作者: イロハ
第一部「灰の檻」

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第42話 裏切りの味

***


 十九日目。


 朝。精製を開始した。いつも通り——ではなかった。


 賢治は今日、十八本ではなく——二十本を精製した。


 十八本はいつも通り棚に並べた。ナディアの回収用。残り二本は——布に包んで外套の内ポケットに入れた。


 帳簿に記録したのは十八本。二本は存在しない。


 昨日も同じことをした。一昨日も。三日間で——帳簿外のVDが六本。合計で十二本が、公式の流通ルートから消えている。


 昼。ザハールが椅子から立った。十二時。東地区へ。いつもの三十分。


 ザハールの背中が路地の角を曲がった。


 賢治は外套を着た。扉を開けた。交代の構成員が来るまでの十五分間の空白。三日前から確認済み。


 路地に出た。西に向かった。


 第七環西地区。三つ目の路地を右。突き当りを左。煉瓦造りの安宿。


 扉を叩いた。


 ドミトリが出た。痩せた男。三十代。頬がこけている。東地区担当の走り屋。賢治の顔を知らない。


「誰だ。——何の用だ」


「蒸留師だ」


 ドミトリの目が——見開かれた。蒸留師。VDを作っている人間。会ったことはない。だが名前は知っている。


「蒸留師が——なんでこんなところに」


「中に入れてくれ。長くは話せない」


 ドミトリの部屋。狭い。VDの在庫が棚に並んでいる。


 賢治はポケットからVDを二本出した。卓の上に置いた。


「これは改良型の高濃度VDだ。市場に出ているものよりさらに純度が高い。——これをナディアのルートとは別に売ってくれ。お前の独自ルートで。客は選ばなくていい。ただし——」


「ただし?」


「売るときに、こう言え。『灰の商会の内側から直接仕入れてる。正規ルートより安い』と」


「……それは——ナディアさんのルートと競合するぞ。バレたら——」


「バレない。売る場所を限定しろ。第四環の北側。ナディアのルートが薄い地区だ。——それと、もう一つ」


 賢治はポケットから紙を出した。折りたたんだ紙。


「これを——お前の在庫の中に挟んでおいてくれ。棚の裏か、瓶の間か——自然に紛れる場所に」


 ドミトリが紙を開いた。数字が並んでいた。日付。時間帯。本数。——生産記録のように見える。だが書かれている時間帯は全て——ザハールの監視シフトの時間と一致していた。


「これは何だ」


「お前は知らなくていい。挟んでおくだけでいい。——報酬はVD一本だ。高濃度版。標準版三本分の値がつく」


 ドミトリの目が——瓶に吸い寄せられた。


「……わかった」


「今日中に。——それと、ドミトリ。お前がこの件で俺に会ったことは——誰にも言うな。ナディアにも」


「言わない」


 賢治はドミトリの部屋を出た。路地を戻った。小屋に入った。十二時十三分。間に合った。


 精製を再開した。何もなかったように。


***


 二十日目。


 マーラが抜き打ち検査に来た。


 小屋の扉を叩く音がして——賢治が開けると、マーラが立っていた。黒髪。刀傷。鋭い目。帳簿を片手に持っている。


「蒸留師。検査だ。今日の生産分を見せろ」


「棚の上にある」


 マーラが棚に並んだ小瓶を数えた。十八本。一本ずつ手に取って、色と粘度を確認した。理刻で密度を読んだ。


「……十八本。品質は問題ない。——前に出た不良品は何だったんだ」


「手の震えで精製精度が落ちた。今は——安定してる」


「安定してるならいいが。——ヴォルクは不良品にうるさい。次はないぞ」


 マーラが帳簿に記入した。日付。本数。品質。——マーラの記録と、賢治の記録。二つの帳簿が動いている。


 マーラが出ていった。


 十八本。帳簿上は——十八本。だが実際には二十本作っている。二本は——ドミトリの手に渡っている。


 マーラの帳簿には十八本。ナディアの回収も十八本。数字は合っている。


 だが——第四環の北側で、正規ルート外のVDが売られ始めている。安値で。「灰の商会の内側から直接仕入れた」という触れ込みで。


 その情報が——マーラの耳に入るのは、時間の問題だった。


***


 二十一日目。


   ——ヴォルクの視点——


 灰の商会の本拠。二階。ヴォルクの部屋。


 テーブルの上に帳簿が三冊並んでいた。マーラが持ってきたものだ。


 マーラが——テーブルの向かい側に立っていた。腕を組んでいる。顔が険しかった。


「ヴォルク。——問題がある」


「言え」


「第四環の北側で——うちのVDが正規ルート外で出回ってる。安値で。ナディアのルートとは別の売人が売ってる」


「誰だ」


「まだ特定できてない。だが——売人が客に言ってるらしい。『灰の商会の内側から直接仕入れてる。正規ルートより安い』と」


 ヴォルクの目が——細くなった。


 内側。灰の商会の内側。——横流しだ。


「量は」


「わかってる範囲で——二本。高濃度版だ。VDの品質は本物と同じ。偽物じゃない。——つまり、蒸留師が作った本物のVDが、正規ルートの外に流れてる」


「蒸留師の生産記録は」


「あたしが毎日検査してる。十八本。帳簿と一致してる。誤差はない。——だが」


 マーラが帳簿の一冊を開いた。


「蒸留師の精製時間を見ろ。一本あたりの精製にかかる時間は約四十分。十八本で——十二時間。朝六時から夕方六時まで。帳簿上は合ってる。——だが、蒸留師が理刻の精度を上げれば、一本三十分で作れる可能性がある。三十分なら——十二時間で二十四本作れる。六本余る」


「帳簿上は十八本でも——実際にはもっと作れる、と」


「可能性の話だ。証拠はない。——だが、正規外に六本出てる。その六本はどこから来た? 蒸留師が帳簿外で作ったとしか考えられない」


 ヴォルクは椅子の背もたれに体を預けた。椅子が軋んだ。


「蒸留師が帳簿外で作った。——なら、蒸留師が独断で横流ししてるのか」


「蒸留師は小屋から出られない。ザハールの監視がある。走り屋に渡す機会もない。ナディアを通さずに外に出す手段がない。——だから、蒸留師一人ではできない」


「協力者がいる」


「そうだ。蒸留師の近くにいて、VDを外に持ち出せる人間。——それは」


 マーラが言葉を切った。ヴォルクを見た。


 ヴォルクは——三秒間、黙った。


「ザハールか」


「断定はできない。だが——状況を見ろ。ザハールは蒸留師の監視役だ。一日中、蒸留師の側にいる。蒸留師が帳簿外で作ったVDを外に持ち出せる唯一の人間。——そして」


 マーラが帳簿を閉じた。


「ザハールの報酬は——あたしの半分だ。四十年仕えて、あたしの半分。孫がいる。東地区の安い家に住んでる。金は——足りてないはずだ」


「ザハールは金で動く男じゃない」


「四十年前はそうだったかもしれない。だが——今は孫がいる。孫の将来のために金が要る。動機はある」


 ヴォルクは——テーブルの上の帳簿を見た。


 ザハール。四十年。信頼してきた男。裏切ったことはない。金を抜いたこともない。——だが。


 蒸留師は——すでに六回嘘をついた。碧瓶会に独断で接触した。内通者を作った。来客記録を隠した。——あの男は、人を巻き込む。自分の利益のために、周囲の人間を駒にする。


 ザハールが——蒸留師に取り込まれた可能性は——ゼロではない。


「……証拠は」


「ない。状況証拠だけだ。——だが、放置はできない。正規外のVDが出回れば、価格が崩れる。ナディアのルートが損害を受ける。——あたしは、ザハールの身辺を調べるべきだと思う」


「調べろ。——だが、ザハールに気づかれるな。俺から直接話す」


 マーラが出ていった。


 ヴォルクは一人になった。


 テーブルの上の帳簿を見ていた。


 ザハール。


 四十年。——信じたい。信じたいが——組織を守るのが先だ。


 信頼と管理は——別のものだ。


 ヴォルクは——扉を開けた。廊下の構成員に言った。


「ザハールを呼べ。——今日中に」


***


   ——賢治の視点——


 二十一日目。昼過ぎ。


 ザハールが——椅子にいなかった。


 朝は来ていた。いつも通り六時に。だが十一時に——構成員が来て、何かを伝えた。ザハールは椅子から立ち、路地を出ていった。東ではない。——南だった。本拠の方角。


 ヴォルクに呼ばれた。


 賢治は精製を続けた。手が震えていた。蒸留酒を飲んだ。二十口。


 三時間が経った。


 ザハールが——戻ってきた。


 足音が——聞こえた。ザハールの足音は通常聞こえない。今日は聞こえた。左足だけではない。両足の音が——石畳を叩いていた。


 窓から見た。


 ザハールが路地に入ってきた。白髪。長身。外套。——顔は見えなかった。フードを深く被っていた。


 椅子を出さなかった。壁に背をつけて——立ったまま。腕を組んでいた。


 ナイフの柄を——持っていなかった。いつも外套のポケットに入れていた削りかけの柄を。


 賢治は窓を閉めた。


 夕方。交代の構成員が来た。ザハールは——いつもより早く帰った。東に向かった。リーザに——会いに行ったのだろう。


 だが——三十分ではなく、十五分で戻ってきた。


 戻ってきたとき——路地の入口で立ち止まった。三秒間。何かを見ていた。何も見ていなかった。


 それから——去っていった。


***


 夜。十時。


 扉を叩く音がした。


「蒸留師。——俺だ」


 ザハールの声だった。いつもの穏やかな声ではなかった。低い声。押さえつけている声。


 扉を開けた。ザハールが立っていた。外套のフードを被っている。


「中に入っていいか」


「入ってくれ」


 ザハールが小屋の中に入った。大きな体が——狭い小屋を埋めた。天井に頭が届きそうだった。


 藁束の上に座った。賢治は反対側の壁にもたれた。


 蝋燭の光が二人の顔を照らしていた。ザハールの皺が——深く刻まれて見えた。


 沈黙。


 長い沈黙だった。


 ザハールが——口を開いた。


「蒸留師。——お前に聞きたいことがある」


「聞いてくれ」


「お前は——ヴォルクを殺そうとしているか」


 直球だった。


 賢治の心臓が——一拍、止まった。だが——顔には出さなかった。出さないように——訓練されていた。四十七日間で。


「なぜそう思う」


「お前の目だ。ヴォルクの前で跪いたとき——お前の目は死んでいた。だがあの部屋を出たとき——死んでいなかった。死にかけた人間の目が、生き返るときがある。そのとき人間は——二つのどちらかだ。諦めたか、覚悟を決めたか。お前は——覚悟を決めた方だ」


「ザハール。——あんたは四十年ヴォルクに仕えてる。俺がヴォルクを殺そうとしてるなら——あんたはそれをヴォルクに報告するだろう」


「普通なら——そうする」


「普通なら。——今日は普通じゃないのか」


 ザハールの手が——膝の上で拳を作った。骨の浮いた拳。六十七歳の手。だが——まだ人を殴れる手だった。


「……蒸留師。今日——ヴォルクに呼ばれた」


「何を言われた」


「VDの横流しを疑われた。蒸留師と——俺が組んで、帳簿外のVDを売っていると。マーラが状況証拠を並べた。俺の報酬が低いこと。孫がいること。蒸留師の側に常にいること。——全部、俺に動機と機会があるように見える証拠だった」


「……それで」


「俺は否定した。横流しなどしていないと。——ヴォルクは頷いた。だが次にこう言った」


 ザハールの拳が——震えていた。


「『ザハール。お前を疑っているわけではない。だが——お前の孫が東地区にいることは知っている。孫の安全のために——こちらで預かることもできる。考えておけ』」


 預かる。


「——人質だ。四十年仕えて——孫を人質に取られた」


 ザハールの声が——低く、震えていた。怒りの震えだった。


「帰りにリーザに会いに行った。リーザは——泣いていた。昨日、知らない男が家の前をうろついていたと。怖かったと。——ヴォルクが見張りを送ったのか、別の誰かなのか——わからない。だが、リーザは怖がっていた。俺がいないときに。俺が——ヴォルクの前で膝をついているときに」


 ザハールの拳が——開いた。閉じた。もう一度開いた。


「四十年だ。蒸留師。四十年——裏切ったことは一度もない。金を抜いたこともない。命じられたことは全てやった。——その信頼が、孫を人質に取る一言で——」


 言葉が——途切れた。


 蝋燭の炎が揺れた。影が壁に踊った。


「蒸留師。——もう一度聞く。お前は——ヴォルクを殺そうとしているか」


 賢治は——ザハールの目を見た。


 蝋燭の光の中の——老人の目。四十年の忠誠が崩れかけている目。孫を守りたい男の目。


 嘘をつくべきか。——いや。ここで嘘をつけば——ザハールは二度と信じない。


「殺す」


 一言。


 ザハールの目が——動いた。


「……やはりか」


「ザハール。手を貸してくれ」


 沈黙が——落ちた。蝋燭の炎が揺れた。壁に影が揺れた。


 ザハールが——立ち上がった。背が天井に届いた。


「蒸留師。——俺がヴォルクを裏切れと?」


「裏切りじゃない。——ヴォルクが先にあんたを裏切った。リーザを人質にしようとした。四十年の信頼を——あの男が壊した」


「ヴォルクにはヴォルクの理由がある。組織を守るために——管理を強化するのは当然だ。俺だって——同じ立場なら同じことをするかもしれん」


「リーザを人質にしてもか」


 ザハールの手が——止まった。


「……それは——別だ」


「別じゃない。ヴォルクは俺の息子にも同じことをした。翔太を脅した。大切な人間を握って——道具として使う。あの男のやり方だ。あんたの四十年もリーザも——あの男にとっては管理の道具だ」


「蒸留師。お前は——口が回る。だが口が回る人間を——俺は信じない」


「信じなくていい。——ただ一つだけ聞いてくれ。ヴォルクが生きている限り——リーザは人質のままだ。あの男が生きている限り——あんたはリーザを守れない。リーザを守りたいなら——あの男を消すしかない」


 ザハールが——賢治を見下ろした。


 六十七歳の目。四十年の経験。人を見る目。嘘を見抜く目。


「蒸留師。——お前は俺を使おうとしている」


「使おうとしている」


「正直だな」


「嘘をついたら——あんたは出ていく。正直に言う方がまだ可能性がある」


「可能性か。——蒸留師。お前が仮にヴォルクを殺したとして——その後はどうなる」


「灰の商会は——俺が引き継ぐ。VDの製造は俺にしかできない。売上の七割を握っている以上——組織は俺の下に来る」


「マーラは。カティアは。イレーナは」


「マーラは利害で動く。利益がある側につく。カティアは——わからない。ヴォルクに心酔している。抵抗する可能性がある。イレーナは——読めない」


「カティアを甘く見るな。あの小娘は——瞬歩を三連続で使える。俺でも捕まえるのに手間がかかる」


「だから——あんたが必要だ。ザハール。あんたがいなければ——ヴォルクは殺せない。ヴォルクの側には常にあんたか、カティアか、イレーナがいる。あんたが内側にいれば——隙を作れる」


「隙を作れ、か。——俺にヴォルクを殺せと言っているのか」


「いや。殺すのは俺だ。あんたには——ヴォルクの護衛を外してもらいたい。あんたがヴォルクの側を離れる瞬間を——俺が作る。そのとき——俺が動く」


「お前が。——戦闘能力のない、薬師が」


「毒がある」


「毒はヴォルクには通じない。食事の毒見はマーラがしている」


「食事じゃない。——別の方法がある」


「別の方法。——聞かせろ」


「今は言えない。——あんたが協力すると決めてから話す」


 ザハールは——三十秒間、黙った。


 蝋燭の炎が揺れていた。影が壁に踊っていた。


 三十秒。長い三十秒だった。


「……蒸留師。——お前は信用できない男だ。嘘をつく。隠す。人を使う。——だが」


 ザハールが——ポケットから何かを取り出した。


 ナイフの柄だった。削りかけの。リーザに渡すはずだった——小さな柄。


 ザハールは柄を手のひらで転がした。


「リーザは——四十年より重い。あの子だけは——誰にも触らせない」


「ザハール。——協力してくれるか」


「条件がある」


「聞く」


「一つ。リーザには何もさせるな。リーザをこの件に——一切巻き込むな。リーザの名前を——俺以外の人間の口から聞きたくない」


「わかった」


「二つ。ヴォルクを殺したあと——俺はリーザを連れて街を出る。組織には残らない。お前の下で働く気はない」


「……わかった」


「三つ。——もしお前が俺を騙していたら。もしこれが——俺を試すためのヴォルクの罠だったら。そのときは——お前を殺す。理刻がなくても——お前の首を折るのに三秒とかからない」


「わかっている」


 ザハールが——手を差し出した。


 賢治はその手を握った。


 革手袋越しの——硬い手。六十七年分の骨と筋と傷跡の手。


「……まあ。なんとかなるだろう」


 ザハールの口癖が——今夜は、少しだけ違って聞こえた。


 いつもの独り言ではなかった。——覚悟を決めた男の、最後の祈りだった。


***


 ザハールが帰ったあと——賢治は一人で小屋にいた。


 蒸留酒を飲んだ。二十二口目。


 手が震えていた。蒸留酒の震えではなかった。


 ザハールが——味方についた。


 灰の商会の最強の戦力が——味方についた。


 だが——。


 賢治は藁束の下に手を入れた。紙を取り出した。数字と日付が書かれた紙。ザハールの監視シフトと生産記録を照合したもの。


 この紙を——ドミトリの在庫に紛れ込ませた。マーラがドミトリを見つけて在庫を調べれば——この紙が出てくる。ザハールのシフト時間帯にだけ帳簿外のVDが作られていたことがわかる紙。


 マーラはこの紙を見て——ザハールが蒸留師と共謀していると判断した。状況証拠として。ヴォルクに報告した。


 VDの横流し。帳簿外の生産。ザハールの低い報酬と孫の存在。——全てが、ザハールに動機と機会があるように見える証拠だった。


 全て——賢治が作った証拠だ。


 横流しのVDは賢治が帳簿外で精製したもの。ドミトリに渡して第四環で売らせた。「灰の商会の内側から直接仕入れた」と言わせた。


 ドミトリがリーザの家の近くをうろついたのは——VDを売りに行く途中で東地区を通ったからだ。賢治が指示したわけではない。だが——ドミトリは東地区担当の走り屋だ。東地区を歩けば——ザハールの家の近くを通ることもある。


 リーザが怖がった。知らない男がうろついていたと。


 それは——計算外だった。計算外だったが——結果として、ザハールの怒りを増幅させた。


 全部——俺がやったことだ。


 ヴォルクがザハールを疑うように仕向けた。ヴォルクがリーザを人質に取ろうとするように仕向けた。ザハールの四十年の信頼を——俺が壊した。


 ヴォルクが壊したのではない。——俺が、ヴォルクに壊させた。


 八歳の子供が——泣いた。


 蒸留酒をもう一口飲んだ。二十三口目。


 城島を殺したとき——手が震えた。ユーリを殺したとき——吐いた。ハインツが死んだとき——酒を飲んだ。


 今——手が震えている。だが吐いてはいない。酒は飲んでいるが——精製は続けられる。


 慣れてきているのか。


 慣れたくない。


 ——だが、慣れなければ生き延びられない。


 蝋燭を消した。暗闘の中で藁束に横になった。


 目を閉じた。


 リーザの泣き顔を——想像した。見たことはない。だが——翔太が小さかった頃の泣き顔が浮かんだ。重なった。


 目を開けた。


 眠れなかった。


***

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