存在するのは、どっち?
数字が、増えていく。
それは音もなく、ただ静かに増殖する。
フォロワー。いいね。コメント。
画面の中の数字が一つ増えるたび、胸の奥で何かが軽くなる。
朝、目を覚ます。
最初にやることは、もう決まっていた。
スマホを開く。通知が並んでいる。昨夜投稿した写真の反応が、まだ続いている。
『かわいい』
『透明感すごい』
『どこのブランドですか?』
知らない名前。知らない言葉。
でも、その全部が“ユナ”に向けられている。
悠真は布団の中で、ゆっくりと息を吐いた。
現実よりも先に、そこに触れる。それが当たり前になっていた。
フォロワーは、三桁に届いていた。昨日までは二桁だったはずなのに。たった一日で、ここまで増える。意味がわからない。
でも、嫌ではなかった。
むしろ——
安心する。
これだけの人が、ユナを見ている。ユナを“いるもの”として扱っている。
それは、存在を証明される感覚に近かった。
悠真としては、感じたことのない種類の。
会社に向かう電車の中でも、スマホを手放せなかった。
吊り革を握る手が、少しだけ不安定になる。
もう片方の手で、画面をスクロールする。
コメント欄。同じ言葉が並んでいるのに、飽きない。
むしろ、何度も確認したくなる。
その中に、見覚えのある名前。
miyano
『フォロワー増えてきたね。嬉しいね』
悠真は、わずかに眉を寄せた。
嬉しいね。
自分に向けられた言葉のはずなのに、なぜか少しだけ外側から言われている気がした。
けれど、その違和感はすぐに薄れる。
返信を打つ。
『ちょっとびっくりしてる。』
すぐに既読がつく。
『だよね。でも、納得。』
納得。
その一言に、胸の奥がじんわりと温かくなる。
誰かに“当然だ”と思われること。
それが、こんなに心地いいものだとは知らなかった。
昼休み。
いつも通り、一人で席に座る。
けれど、目の前の風景がどこか遠い。
隣の席の同僚が笑っている。
何の話をしているのか、ほとんど入ってこない。
スマホの画面だけが、現実みたいだった。
新しいフォロワーの通知。プロフィールを開く。
女性。大学生。コスメ好き。
その人の投稿には、友達との写真や日常が並んでいる。
普通の人。その“普通の人”が、ユナをフォローしている。
その事実に、妙な重みを感じる。
フィクションじゃない。
現実の中に、ユナが入り込んでいる。
そう思った瞬間、指先がわずかに震えた。
コメント欄に、新しい一文が増える。
『会ってみたいです』
スクロールが止まる。
その言葉だけが、妙に浮いて見える。
会ってみたい。
悠真は画面を見つめたまま、しばらく動けなかった。
会う?
誰が?
ユナが?
そんなこと、できるわけがない。
そう思うのに、完全には否定できない自分がいる。
もし、会ったら。その先の想像を、途中で止める。
心臓が少しだけ速くなる。
スマホが震える。宮野からだった。
『見た?さっきのコメント。』
見ている。
まるで、同じものを見ているみたいなタイミング。
悠真は少しだけ息を詰める。
『見た。びっくりした。』
少し間が空く。
既読はついているのに、返信が来ない。
その数秒が、やけに長い。
やがて、メッセージが届く。
『ユナなら、会ってもおかしくないと思う。』
その一文を見た瞬間、指先が冷たくなる。
ユナなら。悠真じゃなくて。
その区切り方が、はっきりしすぎている。
午後の仕事は、ほとんど手につかなかった。
画面の文字が滑る。何度も同じところを読み返す。
頭の中では、さっきの言葉が繰り返されている。
ユナなら。会ってもいい。
それは、肯定なのか。それとも、切り分けなのか。
考えても、答えは出ない。
帰り道。
人の流れの中で、ふと足を止める。
ショーウィンドウに映る自分。
スーツ姿の男。昨日と同じ。
何も変わっていないはずの外見。
でも。
その奥に、別の輪郭が重なって見える気がした。
ユナ。その名前が、頭の中で自然に浮かぶ。
部屋に戻る。
靴を脱ぐ。鞄を置く。
そのまま、スマホを開く。通知がまた増えている。
フォロワーは、さらに伸びていた。
三桁の後半。コメントも増えている。
同じ言葉。似た言葉。
でも、一つ一つが確実に積み重なっていく。
悠真は、クローゼットの方を見た。
紙袋がある。もう隠す意味は、あまりない気がした。
服を脱ぐ。
手順は、もう迷わない。
下着を身につけるとき、違和感はほとんどなかった。
それが、少しだけ怖い。
ニット。ミニスカート。ウィッグ。
鏡の前に立つ。そこにいるのは、“作ったはずの顔”。
でも、昨日よりも自然に見える。
いや、自然に“なっている”。
スマホを持つ。画面に映るユナ。その顔を見て、思う。
こっちの方が、ちゃんと存在している。
そう思ってしまった瞬間、胸の奥が静かに沈んだ。
取り返しがつかない、という感覚。
でも同時に、どこかで納得している自分もいる。
投稿する。迷いは、もうない。
数分後。通知が一気に増える。いいね。コメント。フォロワー。
その中に、宮野。
『やっぱり、ユナはちゃんと“いる”ね。』
悠真は、その一文を見て、動きを止めた。
ちゃんと、いる。
誰のことを言っているのか、わからなくなる。
鏡を見る。ユナがいる。
スマホを見る。ユナがいる。
コメント欄にも、フォロワーの中にも、確かに“ユナ”が存在している。
じゃあ。悠真は、どこにいるんだ。
その夜、メイクを落とすのが少しだけ遅れた。
理由は、はっきりしている。
落としたら、“いなくなる”気がしたからだ。




