第15話 王の風格
1.第五の指、動く
その時だった。和解の空気を切り裂くように、乾いた拍手の音が響いた。
「……素晴らしい。実に素晴らしいよ、深海凪。そして深海明日美」
今まで戦いに参加せず、柱の陰で沈黙を守っていた「第五の指」。黒いフードを目深に被ったその人物が、ゆっくりと歩み出てきた。
「五指の心に巣食う闇を「鏡」で顕在化して、「海」で浄化する。……オメガが求めていた「統合」とは違う、個を保ったままの「共鳴」。……君たちなら、あるいは辿り着けるのかもしれないね」
その声に、凪の心臓が早鐘を打った。聞き覚えがある。だが、それはあり得ない人物の声だ。
「……貴方は、誰ですか?」
凪が問う。Ego Cubeを構え直す。この人物からは、先ほどの四人とは比較にならない、異質で強大な「記憶の重圧」を感じる。
「私か?……私は「残響」だ。……かつて世界を救おうとして、時空の狭間に消えた男の、成れの果てだよ」
男がフードに手をかけ、ゆっくりと脱ぎ捨てた。露わになったその素顔を見て、明日美が悲鳴に近い声を上げた。
「……嘘……!?その顔……まさか……ジンさん!?」
そこに立っていたのは、かつて太陽たちを導き、最後には光となって消滅したはずの未来の太陽。ジンと同じ顔をした男だった。だが、その瞳はジンのような慈愛に満ちたものではない。生気が消え、絶望と虚無だけを映す、死んだ魚のような目をしていた。
「ジン……いえ、正確に言えば違います」
凪は冷静に看破した。
「貴方はジンさんではない。……外見は同じでも、中身が違う。……貴方のEgo Cubeからは、太陽さんのような重力を感じない」
「ご名答。……私はジンではない。オメガが「無限の記憶」の中に残っていたジンのデータ……すなわち「神野太陽の未来の記憶」をサルベージし、再構成した人工自我だ」
第五の指「偽りのジン(オルタ)」は、空虚な笑みを浮かべた。
「オメガは知りたかったのだ。Gaeaを宿し、世界を書き換えた男の思考回路を。……だから私を作った。だが、私は失敗作だ。……「愛」という不可確定要素だけが、どうしても再現できなかったからな」
オルタの手元に、灰色に濁ったEgo Cubeが出現する。それは、サンの黄金色とも、ジンの深い青とも違う、不気味な鉛色をしていた。
「凪。お前は父の呪いを超えたと言ったな。……ならば、この「救世主の影」も超えられるか?」
オルタがCubeを展開すると、神殿の白亜の壁が黒く塗りつぶされた。彼が放つのは、魔法ではない。Spell Cardの理論を応用し、空間の座標そのものを書き換える「強制執行」。
「Spell「重力崩壊」」
ズンッ!!空間そのものが押し潰されるような重圧が、凪と明日美、そして和解したばかりの四人を襲う。それは、サンが使う「命を生かすチカラ」ではなく、全てを一点に圧縮し押しつぶす「ブラックホール」の力。
「……くっ、重い……!これが、Gaeaのチカラ……!」
凪は膝をつきそうになりながらも、鏡面を展開して耐える。
「お兄様、ダメ!この重力は、私の海でも受け流せない!……データの密度が違いすぎる!」
明日美が叫ぶ。
「ハハハ。無駄だよ。私はオリジナルの神野太陽が持つ「命を奪うチカラ」だけを抽出し、極限まで強化された存在だ。……愛などという不純物を持たない分、純粋な戦闘力なら私の方が上だ」
オルタは無慈悲に歩み寄る。その背後には、オメガの意思……いや、深海一族が恐れ続けてきた「Gaeaの破壊的側面」そのものが、黒い巨人の影となって揺らめいていた。
「さあ、見せてみろ深海凪。……お前の「鏡」は、救世主の絶望さえも反射できるのか?」
凪は、ギリギリと歯を食いしばり、顔を上げた。その瞳は、絶望的な状況にあっても、決して曇ることはなかった。
「……面白い。……父さんの次は、太陽さんの影ですか」
凪のEgo Cubeが、きしみをあげながら光を発する。七色の光が収束し、一本の細く、鋭い針のように具現化された。
「偽物風情が、太陽さんを語らないでください。……彼が持っていたのは、力じゃない。……「未来を信じる意志」だ!」
かつての神童と、作られた救世主。無限の記憶の深淵で、最強の遺伝子を持つ二人の激突が始まる。
「Spell「重力崩壊」……再執行」
オルタが指先を振るうたび、神殿の空間が黒い球体となって抉り取られていく。それは、かつてサンが、大震災や大切な人を守るために発現させた「命を奪うチカラ」を、オメガが破壊のためだけに再構築したプログラムだった。
「……くっ、速い……!しかも、隙がない」
凪は、白衣をボロボロにしながらも、Ego Cube「鏡面」で多面体バリアを具現化し続けていた。直撃すれば即死。掠っただけでも精神を持っていかれる。だが、防戦一方の中、凪の瞳は銀色の輝きを失っていなかった。
「……見えましたよ。貴方の絶望の「法則」が」
凪が呟く。オルタの攻撃は完璧だ。出力、速度、タイミング、すべてが理論値の最大。だが、完璧すぎるのだ。「過去の太陽のデータ」を参照している限り、そこには必ず「参照元の癖」が存在する。
「貴方の攻撃には「迷い」がない。……だからこそ、読みやすい!」
2.アイデンティティーの芽生え
凪は、迫りくる重力球に対し、あえて一歩踏み込んだ。鏡の角度をミリ単位で調整する。
「Spell「万華鏡」……演算反射!」
凪のCubeが回転し、重力のベクトルを「受け流す」のではなく「滑らせた」。黒い球体が凪の体をすり抜け、後方の柱を粉砕する。
「……ホウ。私の攻撃からロジックとアルゴリズムを読んだか。だが、はたしてそれを継続できるかな?」
オルタは表情を変えず、さらに攻撃の密度を上げた。
「……そこには「歪」がある」
戦場に割り込むように、明日美の声が響いた。彼女は凪の背後から飛び出し、自身のEgo Cube 「母なる海」を、あろうことか敵であるオルタに向けて展開した。
「……何をする気だ? お前の海でも、私の重力は相殺できないぞ」
「相殺なんてしない。……ただ、繋がるだけよ」
明日美の青い波動が、オルタの足元へと広がる。それは攻撃の意思を持たない、純粋な「接続要求」だった。
「貴方はジンさんじゃない。作られたデータかもしれない。……でも、貴方の中にある「孤独による歪」は本物よ。誰かに見つけてほしくて、誰かに認めてほしくて……だからそんなに、大きな音(破壊)を立てているんでしょう?」
明日美の言葉が、オルタの思考回路にノイズを走らせる。「愛」という変数を計算できない彼は、この非合理なアプローチを「攻撃」として処理できず、フリーズに近い状態に陥った。
「……孤独だと?否定する。私は完璧な球体(個)だ。他者など必要ない」
「いいえ、個では完璧な球体は再現できないはずよ。……愛はね、一人じゃ成立しないの。貴方がいくらジンさんのデータを完璧に再現しても、それを向ける「誰か」がいなければ、それはただの自己満足なのよ……」
明日美の海が、オルタの足元から這い上がり、彼の体を優しく包み込んだ。冷たい重力の鎧が、温かい海水に溶かされていく感覚。
「……なんだ……これは……。熱い……不快だ……」
オルタが動きを止めた。彼はその「不快」を振り払うことができなかった。なぜなら、それは彼が深層心理で最も渇望していた「他者の受容」だったからだ。
「……そうか。私は……探していたのか」
オルタの瞳から、殺気が消えていく。凪もまた、攻撃の手を止めていた。鏡である凪には見えていたのだ。オルタの内側で、「オメガの命令」と「個としての芽生え」が葛藤している様子が。
「僕も同じでした」
凪が静かに語りかける。
「父に作られた「器」として、自分には何もないと思っていました。……でも、空っぽなら、そこに入れればいい。誰かの想いを、誰かの痛みを。太陽さんが「命を奪うチカラ」で刻んでくれた新たな基準点ゼロ……そうやって、自分のアイデンティティーを新たに作っていきました」
「……アイデンティティー。存在意義か」
オルタは、自分の手のひらを見つめた。そこにある鉛色のEgo Cube。それは、サンの黄金色でもなければ、ジンの青でもない。まだ何色にも染まっていない、混沌とした灰色。
「……愛を再現するには、他者が必要。……私を観測し、私を私たらしめる「誰か」が……」
オルタは、凪と明日美を交互に見た。そして、フッと自嘲気味に笑った。
「……お前達ではないな。お前達は、オリジナルの神野太陽と結びを得た者たちだ。……私が私であるためには、私の「誰か」を見つけなければならない」
オルタは、展開していた重力魔法を解除した。神殿に静寂が戻る。
「……戦いは、終わりですか?」
凪が問う。
「ああ。……勝敗など無意味だ。私は自らが創られた「偽物」であることは受け入れていた。……ならば、ここからはアイデンティティーを見出すために動こう」
オルタは背を向け、神殿の奥、さらに深い闇が広がる「未踏領域」へと歩き出した。オメガの支配下から離脱し、無限の記憶の深淵で、納得できる自分の「答え」を探すために。
「……待って。貴方は、何か知っているの?「深淵の少女」のことを」
明日美が呼び止める。
オルタは足を止め、振り返らずに答えた。
「……深海一族の抱えている呪い。それは、お前達が思っているよりも、遥かに根深く、そして「悲しい」ものだ。……深淵の少女は待っている。だが、それは救いを待っているのではないかもしれない……」
「どういう意味ですか?」
「……自分で確かめることだ。……私は、私の役割を探す。……さらばだ、鏡の王と、海の女王。とでも呼んでおくか……」
オルタの姿が、灰色の霧の中に消えていった。彼が残した言葉は、新たな謎を含んでいるようだったが、我々への敵意はもう無かった。
「……行っちゃったわね」
明日美が、少し寂しそうに呟く。
「彼も、いつか見つけられるかしら。自分のアイデンティティーを」
「見つけられますよ。……彼はもう、ただのデータじゃない。悩むことを知った一つの「人格」ですから」
凪はEgo Cubeを収め、神殿の広間を見渡した。そこには、戦いの成り行きを見守っていた、始まりの女性の因子を受け継ぐ四人が、こちらに歩み寄ってきていた。
騎士アーサー、計算のシャオ、信仰のラシード、破壊のエルザ。彼らは武器を構えてはいなかったが、その瞳にはまだ、自分たちの正義とオメガへの忠誠、そして凪たちへの興味が複雑に混ざり合っていた。
「……さて。僕たちが戦っていた理由を振り返りましょうか」
凪は、かつての「神童」の顔で、堂々と彼らに向き直った。
「対話しましょう。……オメガの命令ではなく、貴方たち自身の「意志」について。……僕の鏡は、まだ貴方たちの本当の姿を映しきれていない」
戦いによる決着ではなく、対話による解呪。無限の記憶の深淵を舞台に、世界の意志を知るための新たな物語が始まろうとしていた。




