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第13話 深淵の王と鏡の騎士

1.原初の祭壇


回廊の扉を抜けた先は、再び赤い大地が広がる「滅びの庭園」の最深部だった。だが、この世界に入ったとき最初に見た景色とは決定的に何かが違っていた。空は赤黒く濁り、大地からはどす黒い泥が沸き立ち、空間そのものが悲鳴を上げているような重圧感。


その中心に、巨大な黒い祭壇があった。祭壇の上には、無数の黒い管に繋がれた「少女」が眠っている。そして、その傍らに佇む一人の男。


「……よく来たな、凪」


男が振り返る。深海真澄。行方不明となっていた、凪の父だ。だがその姿は、凪の記憶にある父とは変わり果てていた。右半身が黒い泥に浸食され、異形の装甲のように変質している。左目は虚ろな闇を湛え、右目だけがかろうじて理性の光を残していた。


「父さん……その体は……」


「無限の記憶の深淵から湧く泥に直に触れた結果だ。……オメガの意志を受け継いだ代償だよ」


真澄は自嘲気味に笑い、泥に覆われた右手を掲げた。その手には、以前よりもさらに強大化し、周囲の空間さえ歪めるほどの重力を持った漆黒のEgo Cubeが浮遊している。


「ここが終着点だ、凪。……私はこれから、この少女と融合し、全ての記憶を「無」に還す。……それが、私にできる最後の償いだ」


「償い?……違います。それはただの逃避だ!」


凪は叫び、七色に輝くEgo Cubeを展開した。


「父さんは、明日美を守るために嘘をついた。僕を器にするために心を壊させた。……全部、家族のためだったはずだ!なのに、どうして世界から感情を消そうとするんですか!」


「……家族のためだからこそ、だ」


真澄の声が低く響く。


「世界がある限り、明日美は狙われる。お前は苦しむ。……ならば、全ての感情を消してしまえばいい。痛みも、悲しみも、愛すらも存在しない「完全なる静寂」……それこそが、究極の救済だ」


真澄が漆黒のCubeを発動させると、祭壇周辺の泥が一斉に隆起し、巨大な波となって凪に襲いかかった。それは物理的な質量ではない。「存在そのものを抹消する」という虚無の概念だ。


「消えろ、凪。……お前も、私の愛した家族の記憶ごと」


「……消えません!僕は、父さんがくれた命を、こんなところで捨てはしない!」


凪もCubeを発動させる。


「Spell「万華鏡カレイドスコープ」……全方位展開!」


凪の周囲に無数の鏡が出現し、七色の光を乱反射させる。虚無の泥が光に触れると、ジュウゥッという音を立てて蒸発していく。

凪のCubeは、単に相手の攻撃を反射するだけではなくなっていた。放出される感情によるエネルギーを解析し、その対極にある感情を瞬時に生み出しぶつけることで相殺して無力化するという高度な能力にまで進化していた。


虚無には「存在」を。絶望には「希望」を。静寂には「喧騒」を。


「……バカな。なぜ私の虚無が通じない?お前は感情を持たない「器」のはずだ」


「感情なら、取り戻しました。……僕自身と本気で向き合い、ありのままを受け入れることで!」


凪は光の障壁を突き破り、真澄へと肉薄する。Ego Cubeが生成した鋭利な剣が、真澄の黒い装甲へと突き刺さる。


「父さんが僕を「鏡」にしたおかげです。……僕は、自分の中の「弱さ」も「怒り」も、すべて映し出して受け入れた。……今の僕は、父さんが恐れた「愛」を知る器です!」


剣が真澄の装甲を貫いた瞬間、真澄の動きが止まった。その右目から、一筋の涙が流れる。


「……そうか。お前は……私を超えたのか……」


真澄の顔から、憑き物が落ちたように険しさが消えていく。だが、その安息は一瞬だった。


「失望シタゾ、真澄」


どろりとした低い声が、空間全体に響き渡った。真澄の右半身、泥の装甲が意志を持ったように脈打ち、真澄の意識を乗っ取り始めた。


「ぐアアアアアッ!? ……こ、これは……オメガの……!?」


「個人の感情ニ流サレルナド、管理者失格ダ。……我ガ直々ニ、コノ場ヲ粛清スル」


真澄の背中から、黒い泥が翼のように広がり、彼の体を完全に飲み込んでいく。現れたのは、父の姿をした怪物……オメガの意識体そのものだった。


「父さんッ!!」


凪が叫ぶが、オメガの意識体は無慈悲に巨大な腕を振り下ろした。凪は咄嗟に防御するが、その威力は桁違いだった。鏡の障壁が砕け散り、凪は祭壇の階段へと吹き飛ばされた。


「深海凪。……オ前モマタ、排除スベキ「バグ」ダ。……消エロ」


オメガの掌に、超高密度の黒いエネルギー球が収束していく。あれを食らえば、凪の自我どころか、存在そのものが消滅する。


(……動け……!体よ……!)


ダメージで体が動かない。Ego Cubeも光を失いかけている。絶体絶命の瞬間。


「……させないよ」


どこからか、鈴を転がすような、凛とした声が響いた。


祭壇の上。眠っていたはずの少女の身体が、淡いピンク色の光に包まれていた。そして、その光の中から、一つの影が実体化する。


黒髪をなびかせ、強い意志を宿した瞳でオメガを睨みつける女性。それは、本来ここにはいないはずの……


「……明日美!?」


凪が目を見開く。現れたのは、現在の時間軸にいるはずの、妹・明日美の「意識体」だった。


「お兄様……!間に合った!」


明日美のEgo Cube「母なる海」が展開され、オメガの黒いエネルギー球を包み込む。破壊のエネルギーが、青い海の中で中和され、優しい光の泡となって消えていく。


「……ナゼダ。……ナゼ、ココニ明日美ガイル?」オメガの意識体が動揺する。


「太陽さんのGaeaと接続して、時空を超えてきたのよ!お兄様を……お父様を、これ以上好きにはさせない!」


明日美は凪の元へと駆け寄り、その手を握った。


「お兄様、立って! 一人じゃ無理でも、二人なら……!」


凪のEgo Cubeに、明日美の青い光が流れ込む。七色の光に「受容」の深みが加わり、かつてない輝きを放ち始めた。


「……ああ。そうだね、明日美」


凪は立ち上がり、妹の手を強く握り返した。数十年の時を経て、引き裂かれた兄妹が、今ここで再び結びを取り戻したのだ。


「父さんを……オメガの意識体から助け出すぞ!」


兄の「鏡面(反射)」と、妹の「海(受容)」。相反するようでいて、互いを補完し合う二つの力が、深淵の闇を切り裂く光の刃となる。


深海家の呪いを解くための、最終決戦が幕を開けた。



2.鏡面と海


「行くよ、お兄様!」


「ああ。……合わせる」


廃墟と化した祭壇で、兄妹の声が重なる。オメガの意識体に覆われた父・真澄が、背中から漆黒の泥を翼のように広げ、無数の黒い棘を放った。それは物理的な攻撃ではなく、触れた対象の「存在定義」を抹消する、即死級のEgo Cubeへの干渉だ。


「Spell「鏡面ミラー」……偏向反射!」


凪が前に出る。Ego Cubeから展開された七色の障壁が、迫りくる黒い棘の軌道をわずかに逸らす。だが、その威力は凄まじく、逸らした余波だけで空間に亀裂が入る。本来なら、その衝撃は凪のCubeにフィードバックされ、彼を内側から破壊するはずだった。しかし。


「……痛みは、私が引き受ける!」


凪の背後で、明日美の「母なる海」が展開されていた。凪が受け流しきれなかった衝撃、恐怖、痛みを、彼女の青い波動が優しく包み込み、透明な素粒子へと変換していく。


「……すごい。体が、軽い」


凪は驚愕した。これまでの戦いでは、彼は常に傷つきながら、自身の精神を削って敵を反射していた。だが今は違う。背後に全てを受け止めてくれる「海」があるという安心感が、彼のCubeの演算能力を極限まで高めている。


「これが……「愛」によるバッファ(緩衝)か」


凪の瞳が鋭く光る。防御を捨て、Cubeの全ての処理能力を攻撃へと回す。


「Spell「万華鏡カレイドスコープ」……無限連鎖!」


凪の周囲に浮かぶ無数の鏡が、明日美の放つ青い光を反射し合い、幾何学的なレーザー網となってオメガを包囲した。逃げ場のない光の檻。オメガの意識体が、青い閃光に焼かれ、霧散していく。


「グググ……ッ!小賢シイ……!」


オメガの意識体が苦悶の声を上げる。凪の鋭い斬撃と、明日美の浄化の光。この二つが組み合わさった時、それは単なる足し算ではなく、指数関数的なエネルギーの増大を引き起こしていた。


「個ト個ガ、ココマデ共鳴スルカ……。コレガ「愛」ノ不確定性……。……危険ダ」


オメガの瞳……真澄の左目が、赤く明滅する。彼は悟った。このままでは、兄妹の「共鳴レゾナンス」によって浄化されると。それは、彼が守ろうとしてきた「静寂の管理」の敗北を意味する。


「認メヌ……。感情ナドトイウ不確定要素デ、世界ヲ救エルモノカ!」


オメガの意識体が吠えると、祭壇の中央で眠っていた「深淵の少女」に繋がれた黒い管が、ドクンと脈打った。


「……なっ!?」


凪が息を呑む。


オメガの意識体は、真澄のEgo Cubeを少女の胸に押し当てたのだ。強制接続ハード・リンク。数千年間、人類の負の感情を封印してきた「器」を、無理やりこじ開けようとしている。


「目覚メヨ、始祖ノ娘ヨ! ……世界ヲ「初期化フォーマット」スル時ガ来タ!」


キィィィィィィィン……!


少女の口から、可聴域を超えた悲鳴のような高周波が放たれた。その瞬間、赤い大地が白く変色していく。空がひび割れ、そこから「無」が溢れ出す。


「……記憶が、消えていく?」


明日美が叫ぶ。風景だけではない。彼女自身の「手」が、ノイズのように点滅し始めた。時空を超えてきている彼女の存在自体が、世界のリセットに巻き込まれ、消去されようとしている。


「明日美!……くっ、この振動は……!」


凪もまた、立っているのがやっとだった。少女から放たれるのは、圧倒的な「拒絶」の波動。数千年分の孤独と痛みが、制御不能な嵐となって吹き荒れる。


「ハハハ!見ロ!コレガ純粋ナ「感情」ノ奔流ダ!貴様ラノ愛ナド、コノ質量ノ前デハ塵ニ等シイ!」


オメガの意識体は少女の背後に隠れ、その力を盾にして高笑いする。少女は泣いていた。目覚めたくない。誰も傷つけたくない。そう願いながらも、体から溢れ出る泥が、世界を、凪たちを飲み込もうとする。


(……痛い。……苦しい。……もう、嫌だ……)


少女の悲痛な心の声が、凪の「鏡」に直接響いてくる。


泥の津波が兄妹に迫る。防ぎきれない。飲み込まれる。そう思った瞬間、オメガの意識体は動きを止めた。


「……グッ!? ……ナニヲスル、真澄!」


オメガの意識体の右半身、人間のまま残っていた真澄の右手が、自らの左腕(オメガの泥)を鷲掴みにしていた。


「……させる、か……!」


真澄の声だ。彼は、自らの意識がオメガに完全に食い尽くされる寸前で、必死に抵抗していた。


「凪!明日美!……私のことは気にするな!……オメガの意識体ごと、私を撃て!」


「お父様……!?」


明日美が悲鳴を上げる。


「私は間違っていた……。感情を全て消せば、痛みも消えると思っていた。……だが、それはお前たちから「生きる意味」をも奪うことだった……!」


真澄の右目から涙が流れる。それは、冷徹な管理者の涙ではない。子供たちを愛し、守りたかった、一人の父親の涙だった。


「今なら、コアが露出している……!……撃て、凪!お前の「鏡」で、私の罪を終わらせてくれ!」


真澄が自らの胸を引き裂き、漆黒のEgo Cubeを剥き出しにする。そこが、オメガの急所。だが、それを撃てば、父・真澄も消滅する。


凪は震えた。父を殺す?そんなこと、できるわけがない。だが、このままでは世界の記憶が消える。明日美も消える。


迷う凪の手を、明日美が強く握った。


「お兄様。……殺すんじゃないの」


明日美は、消えかかっている体で、力強く微笑んだ。


「……救うのよ。お父様も、あの少女も、オメガさえも!」


「……救う?」


「ええ。太陽さんが教えてくれた。……「愛」とは、相手の全てを受け入れ、新しい形に導くことだって!」


明日美の「母なる海」が、限界を超えて輝き出す。それは防御のための海ではない。全てを包み込み、浄化するための「生命の海」。


「私の海を、お兄様の鏡で「反射」して!……一点に集中させて、お父様のCubeに届けるの!この世界ならSpell Card無しでも意志を固定して放てるはずよ!」


凪は理解した。攻撃ではない。父のEgo Cubeを蝕むオメガの呪いを、海に流し込む。そのためには、明日美の力を減衰させることなく、ピンポイントで父の深層心理にだけ送り込む「照準レンズ」が必要だ。


「……分かった。やろう、明日美!」


凪はEgo Cubeを展開した。


「Spell「集光フォーカス」……!」


巨大な「凹面鏡」が具現化される。

明日美が放つ青い奔流が、凪の鏡に吸い込まれる。凪はその莫大なエネルギーを、一滴も漏らさずに収束させ、父の胸、オメガ意識体のコアへと照準を合わせた。


「Spell「放射レディエイション」……!罪深き魂よ。愛の海に抱かれ、真実の姿へ還れ!」


兄と妹。二人の声が重なり、一直線の光となって放たれた。


青い閃光が、オメガの意識体を貫く。悲鳴を上げるオメガ。光はそのまま真澄へと到達し、Ego Cube黒く固まっていた呪いの楔を溶かしていく。


「バ、バカナ……。コノ私ガ……愛ナドニ……」


オメガの意識体は断末魔と共に、真澄を覆っていた泥の装甲が剥がれ落ちていく。同時に、少女の暴走も静まった。青い光が少女を包み込み、彼女の悪夢を優しい夢へと書き換えていく。


光が収まった時。そこには、泥から解放され、その場に崩れ落ちる父、真澄の姿があった。


「……父さん!」


凪が駆け寄り、父を抱き起こす。真澄は弱々しく目を開け、凪と、その背後に立つ明日美を見た。


「……凪。……明日美。……大きくなったな……」


震える手で、二人の頬に触れる。その手は、もう冷たくはなかった。


しかし、安堵したのも束の間。空間が再び激しく揺らぎ始めた。深淵の少女をコントロールしようとしていたオメガの力が一時的に弱まったことで、無限の記憶が自己修復を始めたのだ。


「……いけない。私たちも記憶の一部として取り込まれるわ!」


明日美が叫ぶ。


「行け、凪。明日美を連れて……」


真澄は凪を突き放した。


「父さんは!?」


「私は残る。……オメガの意識は消えたが、長い期間、外部からの負荷を掛けられていたこの少女の揺らぎを安定させるには誰かが寄り添う必要がある。……私が管理者を続ける」


真澄は、祭壇の少女の傍らへと歩み寄った。そして、優しく少女の手を握る。


「もう、孤独にはさせない。……私が、お前の痛みと共にここに居よう」


それは、かつて凪に強いようとした「人柱」の役目を、父自らが背負うという決意だった。だが、今の父の顔には、悲壮感はない。子供たちの未来を守れることへの、静かな誇りが満ちていた。


「行きなさい。……そして、太陽くんによろしくな」


崩れゆく天井。凪は歯を食いしばり、明日美の手を引いて走り出した。背後に、父の気配を感じながら。


「……父さん。……ありがとう」


兄妹は、ファントムの導きで現実世界へと通じる出口へと飛び込んだ。

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