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第11話 砂の城のシャドウ

1.深淵との境界線


風が木々を揺らす音だけが響く森の静寂の中にある第ゼロ研究棟の資料室。机には父の残していった「黒い金属片」と「日記」。


「……行きます。無限の記憶の深淵へ」


凪がCubeを起動すると、周囲の景色がデジタルノイズのように揺らぎ始めた。肉体は現代の森に残したまま、意識だけが「黒い金属片」と「日記」を媒介にして、物理法則の向こう側にある「無限の記憶の深淵」へと潜行していく。


視界が反転する。森の冷気は消え、鼻をつくような錆と乾いた土の匂いが充満した。


凪が目を開けると、そこは荒涼とした「滅びの庭園」だった。赤い砂漠の上に、現代のビル群が廃墟となって突き刺さり、空には壊れた信号機や看板が浮遊している。ここは異世界というよりGaeaというシステムの中に蓄積された、人類が過去に経験した「破滅の記憶」や、未来への「絶望」が具現化した、深層心理の掃き溜めだ。


「……ひどい有様ですね。これが、父さんが見続けてきた「世界の裏側」ですか」


凪は裾を払い、赤い砂の上を歩き出した。深層に近づくにつれ、懐のEgo Cubeが熱を帯び、激しく脈動し始める。


廃墟のビル群を抜けた先に、歪な形をした巨大な建造物がそびえ立っていた。それは、崩れたコンクリートや鉄骨を無理やり固めて作った、要塞のようだった。


その要塞の中に入ってみると、玉座のように組まれた瓦礫の上に、一人の青年が座っていた。足を組み、頬杖をついて、退屈そうにこちらを見下ろしている。


「……遅かったね、凪」


その声に、凪の足が止まる。青年がゆっくりと顔を上げた。その姿はまるで自分が成長した姿のようだった。だが、瞳の色が違う。凪の瞳が全てを反射する「鏡」のような銀色なのに対し、その青年の瞳は全てを飲み込む「漆黒」だった。


「……君は?」


「僕は「(影)シャドウ」。父、真澄が作った、君のスペアだよ」


影のシャドウは、嘲笑うように瓦礫の山を滑り降りてきた。その目線の上には、黒いEgo Cubeが浮遊している。


「父さんは合理的だ。お前が妹への「愛」というバグで壊れた時のために、最初から感情を持たない純粋な「器」を用意していた。……それが僕たち、シャドウだ」


シャドウは、凪の周囲をゆっくりと回りながら囁く。


「でも、お前は傍に寄り添ってくれていた母のおかげで完全には壊れなかった。心を閉ざし、全てを拒絶する「鏡」になることで生き延びた。失敗作と呼ばれながらもね。……だから僕たちは用済みとして、このゴミ溜めに捨てられたんだ」


「……恨んでいるのですか? 僕を」


「恨む?まさか。僕たちは複雑な感情なんて持っていない。シンプルだよ。ただ……」


シャドウの漆黒の瞳が、飢えた獣のように細められた。


「お前を喰らって、僕が「本物」になれば、父さんは僕を見てくれる。……そうプログラムされているだけさ」


ドォォォォン!!

シャドウが地面を蹴った瞬間、赤い砂が爆発した。彼のEgo Cubeから溢れ出したのは、ネバネバとした黒い泥。「腐敗した記憶」の濁流だった。


「Spell「泥濘マッド」。あらゆる思考を絡め取り、腐らせて沈める!」


この世界は「無限の記憶」が作り出した仮想現実だ。物理法則は適用されず、精神の強度がそのまま事象を書き換える力となる。

どうやらこの世界では、Ego Cubeと自分の意志をダイレクトに接続することで、精神力をエネルギーとしたSpellいわゆる「魔法」のような事象を引き起こすことができるようだ。


黒い波が凪に襲いかかる。触れればEgo Cubeが汚染され、自我が崩壊する猛毒の波動だ。だが、凪は動じない。表情一つ変えず、静かに自身の頭上に浮かぶEgo Cubeに意識を集中した。


「……汚いですね。掃除します。……反射リフレクション


カァァァァン!! 硬質な音が響き渡り、凪の前に透明な壁が出現した。迫り来る泥の波が、壁に触れた瞬間に反転し、倍の速度でシャドウへと跳ね返る。


「なっ……!?」


シャドウは自身の泥に飲まれ、後方へと吹き飛ばされた。廃墟の壁に激突し、瓦礫が崩れ落ちる。


「僕のCubeの特性は鏡です。あなたの悪意も、汚れた記憶も、すべてそのままお返しします」


凪は静かに歩み寄る。その姿はいつの間にか少年の姿になっていた。


「が……はっ……!さすがだね、オリジナル……」


瓦礫の下から這い出してきたシャドウは、ダメージを負いながらも、なぜか嬉しそうに笑っていた。


「強い。強すぎるよ、凪。君のEgo Cube……やっぱり、父さんの言った通りだ」


「父さんが……?」


「ああ。父さんは言っていたよ。「凪は、最強の拒絶を持っている」とね」


シャドウの言葉に、凪の眉がピクリと動く。


「この砂の城はね、ただの瓦礫じゃない。父さんがオメガを使って世界中から集めた「失敗の記憶」の墓場なんだ。……そして、ここはお前の能力をテストするための実験場でもある」


シャドウが指を鳴らすと、周囲の廃墟が動き出した。地面から無数の黒い触手が伸び、空中に浮かぶ瓦礫が集まって、巨大な黒いゴーレムを形成していく。それは、過去に挫折し、夢破れた人々の「無念」の集合体だった。


「無限の記憶の深淵にはあらゆる感情が溢れている。その感情をコントロールできれば、Ego Cubeを通してそれを具現化して攻撃兵器に変えることもできるんだ!さあ、試してみようよ、凪。キミのその綺麗な鏡のCubeが、どこまで耐えられるのか!」


ゴーレムが放つこぶし形の触手が振り下ろされる。凪は「鏡面」を展開し防ぐが、その衝撃は凄まじく、足元の地面がひび割れた。


(……重い。これが、人の感情の質量……)


この世界では感情の大きさや強さがそのまま物理的な物質として具現化されるようだ。込められた「無念」の強さが、襲ってくる。だが、凪は退かない。この程度で折れるわけにはいかない。あの日、深淵で出会った少女。数千年の間、たった一人でこの「重さ」に耐え続けてきた彼女の苦しみに比べれば、こんなものは微風に等しい。


凪の瞳が、銀色に輝き、脳裏に太陽の言葉が蘇る。


「……Gaeaは、兵器ではありません」


「命を生かすチカラ。……受け入れることで、鎮めるんだ」


凪は「反射」の角度を変えた。襲い来る黒い触手を弾き返すのではなく、その表面に「自分の姿」を映し出したのだ。

鏡に映ったのは、無念の形相をしたゴーレムではなく、かつて夢を追いかけていた頃の、輝いていた人々の記憶。


「……え?」


ゴーレムの動きが止まる。シャドウが目を見開く。


「な、何をした……?僕のゴーレムが、止まった?」


「鏡は、ただ跳ね返すだけじゃない。……「本当の姿」を映し出すこともできるんです」


凪は静かに告げた。


「あなたもそうです、シャドウ。……あなたは父さんの実験道具じゃない。……僕が失ってしまっていた、僕自身の「感情」だ」


凪が手を伸ばす。シャドウは後ろにかわそうとしたが、足が動かなかった。凪の手が、シャドウの頬に触れる。


その瞬間、シャドウの黒い瞳から、透明な涙が溢れ出した。


「……あ……、僕は……ただ……寂しかった……」


シャドウの身体が光の粒子となって崩れていく。それは消滅ではない。凪という本来の器へと還っていく「統合」だった。


「……おかえり。もう、一人にはしないよ」


凪は、粒子となったシャドウを自身のEgo Cubeに受け入れた。銀色のCubeに一筋のラインが入り、より深みのある輝きを帯びる。

廃墟の庭園が静まり返る。砂の城は崩れ去り、その跡地には、地下へと続く深い階段が現れた。


「行くか……。おそらくこの先が、無限の記憶の深淵に続いている」


凪は、シャドウを統合した自身のEgo Cubeを浮遊させながら、暗闇の階段へと足を踏み入れた。 そこは、無限の記憶の深淵。数千年の時を超え、少女が待つ「記憶の最果て」へと続く道だった。



2.失っていた感情


砂の城が崩れ去った後に現れた階段は、石造りの螺旋を描きながら、底の見えない暗闇へと続いていた。凪が一歩足を踏み出すたびに、足元から「カツーン……」という乾いた音が響き、無限の深淵へと吸い込まれていく。


(……空気が、身体にまとわりつくようだ)


凪は、手の中にある銀色のEgo Cube「鏡面ミラー」を少し強く握りしめた。先ほど統合した「寂しさ」のシャドウの影響か、Cubeの表面には紫のラインが走り、以前よりも周囲の気配を鋭敏に反射している。


「キキキ……。来たね、本体。遅かったじゃないか」


階段の踊り場。闇の奥から、嘲笑うような声が響いた。松明が灯るように、空間が赤く染まる。 そこに立っていたのは、またしても凪と同じ顔をした少年だった。だが、その全身からは灼熱の炎が噴き出し、瞳は憎悪で煮えたぎるマグマのように赤く輝いている。


「君は……「怒り」ですね」


凪は冷静に分析する。先ほどの「寂しさ」と同様、かつて父、真澄によって心を壊された際、凪が自ら切り離し、深淵に捨てた感情の一つ。


「そうさ!父に騙され、妹を奪われ、それでもヘラヘラと従順な人形を演じていた、お前の「憤怒」だ!」


怒りのシャドウが腕を振るうと、紅蓮の炎が鞭のようにしなり、凪へと襲いかかった。


「燃え尽きろ!そのすかした仮面ごと!」


轟音と共に、炎の鞭が凪を打つ。凪は即座にEgo Cubeを展開した。


「……反射」


透明な壁が出現し、炎を弾く。だが、物理的な衝撃は防げても、そこに含まれる「熱量」までは完全には遮断できない。ジジッ……と、凪の衣服の袖が焦げ、肌が焼ける匂いがした。


(……熱い。これが、僕が押し殺してきた怒りの温度……)


凪は痛みを感じながらも、どこか懐かしさを覚えていた。あの日、父の書斎で真実を知った時、本当は叫び出したかった。屋敷ごと焼き払ってしまいたかった。その激情を「無意味なノイズ」として封印したからこそ、今の冷徹な凪がある。


「反射だけじゃ、僕の炎は消せないよ!だってこれは、お前自身の炎なんだからな!」


シャドウが両手を掲げると、頭上に巨大な火球が生成された。この空間において、感情の大きさはそのまま破壊力に直結する。数十年分、圧縮され続けた凪の怒りは、小型爆弾並みの威力を秘めていた。


「……そうですね。跳ね返すだけでは、解決にならない」


凪は、防御を解いた。反射先をシャドウではなく、自分自身の内側へと向ける。


「君の言う通りだ。僕は怒っていた。……父を、一族を、そして何もできなかった無力な自分を」


凪は、迫りくる火球から目を逸らさず、自らの胸を開くように両手を広げた。


「来てください。その熱ごと、僕が引き受けます」


「なっ……正気か!?」


火球が凪を直撃する。爆炎が螺旋階段を包み込む。だが、炎が晴れた後、そこに立っていた凪は無傷だった。いや、違う。彼の衣服は炎を纏ったように赤く変色し、その瞳の奥には、静かながらも消えることのない「青い炎」が灯っていた。


「……熱い。でも、力が湧いてくる」


「……くそっ、やっぱり本体には敵わないな……」


用呟いてシャドウは満足げに笑い、炎の粒子となって凪のCubeの中に溶け込んだ。

凪の手にあるEgo Cube、銀色の表面に赤い幾何学模様が刻まれた。防御一辺倒だった「鏡」に、「熱量」という攻撃的な属性が付与されたのだ。


さらに階段を下りていく。熱気を帯びた凪の足取りは、先ほどよりも力強い。だが、深淵はそう簡単に王の帰還を許さないようだ。


次に現れたのは、真っ暗な闇そのものだった。光が届かない絶対の黒。そこから、無数の黒い鎖が蛇のように伸びてくる。


「……「恐怖」ですか」


凪が呟く間もなく、鎖が凪の手足を拘束した。鏡面による反射も、炎による熱量も、実体のない「闇」には通用しない。じわじわと締め付けられる感覚。それは、幼い頃に感じた「無限の記憶」に飲み込まれることへの根源的な恐怖だった。


「ヒヒッ……。怖いだろう?逃げたいだろう?お前はただの子供だ。世界の重圧に耐えられるわけがない」


闇の中から、怯えた目をしたシャドウが顔を覗かせる。彼は震えながら、凪を闇の底へ引きずり込もうとする。


「……ええ。怖いですよ。あの時も、今も」


凪は拘束されたまま、静かに答えた。だが、その声に震えはない。


「でも、恐怖があるからこそ、人は慎重になれる。……恐怖は、危機を察知するためのセンサーとも言えます」


凪は、統合したばかりの「怒りの炎」をEgo Cube内で圧縮した。熱と光。それを「恐怖」という闇の中で炸裂させるのではなく、ランタンのように具現化する。


「Spell「イルミネーション」。……闇を照らし、正体を見極める」


カッ!とEgo Cubeから強烈な閃光が放たれた。光に照らされたシャドウの正体は、やはり幼い頃の凪の姿をした、ただの小さな少年の影だった。シャドウは霧散して「警戒心」という感情に変わり、凪へと吸収された。


螺旋階段の終わりが見えてきた。そこにはまたシャドウが待ち構えていた。


それは、豪奢な椅子に座り、足を組んで凪を見下ろす青年。顔立ちは凪そのものだが、その身に纏っているのは深海家の人間が公式な場で着る儀礼服。そして、彼の周りには、黄金色に輝く数千もの数式と魔法陣が浮遊していた。


「……よく来たね、落ちこぼれ」


そのシャドウは、傲慢な笑みを浮かべた。 彼こそは「神童」と呼ばれた頃の凪。一族の期待を一身に背負い、無限の記憶を統べるはずだった「王としての自負」の化身。


「君を取り込めば、僕は完全に戻れる。……そうですね?」


「ハッ、取り込む?違うな。僕がお前を上書きするんだよ。恐怖や怒りごときで満足している弱者が、この深淵を支配できるものか」


シャドウが指を鳴らすと、浮遊していた数千の魔法陣が一斉に火を吹いた。雷、氷、風。あらゆる属性の攻撃魔法が、雨のように凪へと降り注ぐ。それは、かつて凪が「記憶」としてインプットさせられた、人類が編み出した英知と破壊の術式そのものだった。


「……すごい。これが、僕が持っていた本来の力……」


凪は感嘆しながら、Ego Cubeを展開した。反射だけでは防ぎきれない。熱量だけでは相殺できない。索敵だけでは躱しきれない。ならば。


「……全部、同時に使えばいい」


凪の瞳が、銀、赤、黒、そして黄金色に明滅した。彼の脳内で、並列思考が加速する。数千の攻撃の軌道を「索敵」し、致命的なものだけを「反射」し、隙を見て「熱量」を撃ち込む。


ガガガガガッ!! 激しい衝撃音が響き渡る。凪は一歩も引かず、弾幕の中を歩き始めた。


「な……何だ?なぜ防げる!?お前は心を壊した抜け殻のはずだ!」


「一度壊れたからこそ、耐性が付いたんです。……今の僕は、かつての神童よりも「柔軟」ですよ」


凪は、シャドウの目の前まで肉薄した。そして、Ego Cubeを解放して、鋭利な剣を具現化させた。


「Spell「カレイドスコープ」。……あらゆる記憶と感情を取り込み、無限のパターンで具現化する」


凪の一撃が、シャドウの魔法障壁を粉砕した。黄金の数式が散り、シャドウが膝をつく。


「……バカな。感情を持つことが、これほどの出力を生むなんて……」


「父さんは言いました。「感情はノイズだ」と。……でも、ノイズが集まれば、それは「調和」になる」


凪はシャドウの手を取った。


「来てください。あなたがいなければ、僕は王にはなれない。……その傲慢さと自信、今の僕には必要です」


シャドウは、悔しそうに顔を歪め、やがてふっと笑った。


「……仕方ない。手綱はしっかり握ってろよ」


シャドウが黄金の光となって凪に融合する。その瞬間、凪の全身から眩い七色のオーラが噴き出した。凪のEgo Cubeには、七色のラインが入り複雑に絡み合う魔法陣のような模様が刻印された。美しくも光を放つCubeへと進化した。


防御、攻撃、索敵、そして演算。全てを高次元で兼ね備えた、かつての「神童」深海凪が、約20年越しの覚醒を果たした瞬間だった。


螺旋階段を降りきった凪の目の前に、巨大な扉が現れた。重厚な石の扉には、深海一族の紋章と、古びた鎖が巻き付いている。


「……この先が、忘却の回廊」


凪は、完全体となったEgo Cubeを扉にかざした。鎖が音を立てて砕け散り、扉がゆっくりと開いていく。


そこから溢れ出したのは、カビ臭い空気と、圧倒的な「圧迫感」。行方不明の父、真澄が待つ場所。 そして、あの日出会った「少女」が幽閉されている深淵への入り口。


「行きましょうか。……答え合わせに」


凪は、暗黒の回廊へと足を踏み入れた。その背中には、もう迷いも、孤独な弱さもなかった。あるのはただ、胸に宿った一族の呪いを解くという覚悟だった。

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