07.下準備
「店長、大丈夫ですか?」
「この姿だと、さすがに疲れわ……」
街道から外れ、迷宮もなければ、素材集めに向いた森や洞窟みたいなエリアもない。冒険者が近づくことがないような岩肌で覆われた荒地に、私とカエデは並んで立っている。
私は見た目通りのヒトの華奢な十代後半くらいの体力しかないので、額に汗を滲ませながら肩で息をする。それに対してカエデは息一つ乱さず、汗は全く滲まず、涼しい顔で周囲を見渡している。
冒険者ギルドに昇級を推薦されても断り続けるB級冒険者の実力の片鱗といったところだろうか。
まあ、そもそもカエデが本気を出せば、ヒトの定めた等級とか関係ないわけだけど。
私は深呼吸して息を整えてから、周囲を確認する。
「んー、普通ならマナも魔素も溜まりなくそうな場所ね。ちょっと離れたところの大きな地脈の流れが淀んで、そのしわ寄せがこの辺りに影響が出ているわけね」
弱体化している身の上だが、それでもヒトより優れた感覚は健在なので、集中しなくてもマナや魔素、地脈なんか手に取るように分かるわけよ。
私の言葉に、わざとらしい大きなため息をつくカエデ。
「そうですね。むかーし、向こうの方で魔王と勇者がガチンコバトルした際に出来たと伝承が残るクレーター湾があります。それが形成された時に周囲の地脈が乱れたようです」
「んんー、そんなこと……あった……かしら?」
カエデの言葉に、私は記憶を探る。
久々に手応えのあった勇者が現れると、テンションが上がりまくってやらかしたことが多々ある。さらにテンションが上がりすぎて、記憶が曖昧なことも多かったりする。
日々の退屈と鬱憤を吹き飛ばす最高の催しだから仕方ないわよね。
でも、この大陸で暴れたことってあったかしら。
「〝暁の大魔導士〟の時です。彼奴が放った切り札を魔王様が高笑いしながら弾いた結果です」
「あーあー、アイツね。弾いた左手が消滅した時は、心が踊り出しちゃったわ。そう言えば弾いた光弾、どこに飛んでいったか確認してなかったわね」
「暁の大魔導士とのお戯れが終わった後、カエデはきちんと魔王様にご報告を差し上げました」
何年越しか分からないカエデのイヤミ。私は頬を伝う冷や汗を感じながら、下唇を噛んで反論を飲み込む。
こんな時のカエデを下手に刺激しても、私が得することは何もないから。
数分のはずだけど、一時間以上に感じた沈黙に耐えると、カエデが口を開いてくれる。
……よかった。
「店長、この魔素溜まりを使って即席迷宮を構築するんですか? 過去の傾向から、地脈の淀みの影響を受けた場所に出来た魔素溜まりは、早急に魔素を除去して正常化させた方がよろしいと思われます。迷宮崩壊や魔物大発生の一因となっていることが多いです」
「確かにね。セオリーで考えれば、早急に処理してヒト勢力圏に想定外のストレスを与えないようにするところね。まー、そんな役目は疾うの昔に放棄しているわけだけど。他に近場で魔素溜まりはある?」
「他の場所は、だいぶ距離が離れています。経験の浅い冒険者を二人も連れて向かうのは、十分な準備と日数が必要になります」
ふう、と息を吐いて私は肩をすくめる。
無い物ねだりは良くない。
「なら、この魔素溜まりを活用するしかないわね。乱数調整のために、顔を洗うときに最初に水に触れさせる部位や朝ご飯のメニューに食べ方、拠点――道具屋の敷地から踏み出す足などなど気をつけた甲斐があったわ」
「何度も進言しておりますが、避けることが出来るリスクは避けるべきではないすか?」
私は、いつも通りの無表情なカエデを、少し目線を上げて真っ直ぐに見る。
「カエデがいるのよ。これ以上のリスク対策がある?」
「――ッ!」
一瞬だけカエデの頬に朱がさして表情が弛む。すぐに彼女はいつもの鉄面皮に戻ると、わざとらしいため息をつく。
「カエデはカエデの出来る範囲のことしか出来ません。店長のご期待には添える様に努力は致しますが」
「ふふふ、カエデの出来る範囲で十分過ぎると思うわ、私は」
私は背伸びをして、カエデの頭をポンポンと撫でる。彼女の尻尾が左右にブンブンと振られていたが、私は見なかったことにする。
一つ咳払いをして、私は仕切り直す。
「さて、始めるわよ」
私は右手を亜空間収納に突っ込み、魔晶石を三つ取り出す。両手のひらに乗せた魔晶石の大きさは、私の拳の三分の一くらい。
当然、全てたっぷりと魔素を吸収した最上級品で、テラテラと怪しげな輝きを宿している。
最高品質の魔晶石には悪魔が宿り、その輝きに当てられると魔が差して悪事を働いてしまうという謂れが冒険者の間でまことしやかに語られる程、妖艶な美しさがあった。
いつまでも手のひらで輝く魔晶石を眺めていたい衝動が沸き起こるが、私は目を細めて魔晶石を睨む。
魔晶石は、ふわりと重力を忘れたように宙に浮き上がる。
私は魔晶石を見つめたまま、右手をくるくると回す。
空中に浮いている魔晶石もそれに合わせてくるくると宙を舞う。
徐々に右手を回す軌道を広げていくと、魔晶石の軌道も広がっていく。
――ギュッ!
私が右手を握りしめると同時に、魔晶石が音も立てずに砕ける。
魔晶石の破片は即座にサラサラと崩れて消え去る。
「……ここからが腕の見せ所、ね」
私は呟いて唇の端をペロリと舐める。
眼前の景色は、魔晶石に封じられていた膨大な魔素が解き放たれた影響で歪んでいる。
「店長、このままで大丈夫ですか?」
「問題ないわ。この姿でも、この程度の魔素の操作なんて造作もないわ」
「その点は、カエデも心配していません。ただ、いきなり魔素濃度が高まれば、連中に勘付かれたりしませんか?」
カエデの指摘に私は反射的に眉間にシワを寄せてしまう。
連中の事は考慮していなかったわ、全く。
「……ヒトのマッドな魔導士が盛大にやらかして、神々(くそったれども)の使徒がわんさか顕現した時をカエデは覚えている?」
「はい、鮮明に覚えています。後始末にずいぶんと苦労させれたので」
「あの時の魔素の規模は、これの千倍以上あったはずよね。世界の理を歪ませて彼方此方の魔素を引き寄せて、雪だるま式に魔素が増えたから。それに比べれば、たまたま魔素をたっぷり溜め込んでいた魔晶石が自然現象で割れて魔素を放出した程度じゃないかしら。この規模なら世界中のどこかで稀に発生している、はず」
魔素溜まりが発生する原因の一つでもあるし、魔獣が縄張り争いで負けた方の体内にある魔晶石を食らったときに魔素をばら撒くこともある。地殻変動で地脈の流れが変わって高濃度の魔素が溜まるようになることもある。
自分を納得させるように、理由を頭の中で並べてみるが、用心するに越したことはないわね。
「……カエデ、念のために――」
「既に遠見の類などに対して改ざんした情報を流す結界を展開いたしました。よほど接近して入念に調べない限り、正しい魔素濃度どころかカエデたちの姿を捕捉することは出来ません」
さすが出来る子筆頭のカエデ。私が指示をする前に必要な処置を終わらせているなんて。
カエデの頭を撫でて労わってやりたい衝動に耐えつつ、私は魔素が拡散しない様に意識を向けたままにする。
「ありがとう、カエデ。さすがね」
「至極恐悦の極みです」
昔のようにカエデは仰々しく頭を垂れるカエデ。私は懐かしさに思わず頬が弛んでしまう。
ふう、と息を吐いて、私は気持ちを入れ直す。
遠慮なく作業を続けさせてもらうわ。
目の前に漂う高密度の魔素。
それに私の魔力をほんのわずかに練り込んでいく。
大きなプールに一滴の液体を混ぜるような、極々少量の魔力。残り香にも満たない、存在を感じさせないほど希薄な魔力。
これなら〝魔王システム〟も私の存在を検知することが出来ない。
何故なら私の魔力を帯びた物質は、今だに世界中を探せばゴロゴロ転がっているからだ。
魔素に自分の魔力を混ぜて、方向性を制御する。これが魔素溜まりを確実に即席迷宮に変化させるコツ。
混ぜる魔力が多すぎてもダメだし、魔素と魔力の混ぜ方が雑でもダメ。繊細な作業となるのでヒトが真似して出来るものではない。
私は両手を動かして、魔素と魔力を操作する。丁寧に、じっくりと、二つをしっかりと混ぜ合わせていく。
時間にして三十分ほどか、私の額にじんわりと汗が滲み出す。カエデが即座に清潔なハンカチで汗を拭ってくれる。
私は、魔素に私の魔力が均一に混ざったことを確認し、カエデに目配せをする。
カエデはコクリと小さく頷くと私から離れて待機する。
私は深呼吸してから、右の手のひらを天に掲げる。
――爆ぜろ!
私が右手を下ろすと同時に閃光が空間を白く染め上げた。




