06
「へえ、リッカちゃん視野拡大なんて使えるんだね。さすがだなぁ」
「当然です。現存する魔術は一通り習得していますから」
イェレの口から紡がれる心地のいい褒め言葉に得意げな表情を披露しながら、もうすっかりと慣れた手つきで印を結んで魔術をかける。ふわりとイェレを包み込んだ淡く白い魔力は身体へと吸い込まれるように消えてゆき、瞬きの後、彼のヘーゼルの瞳をぼんやりと光らせた。
これは古い魔術書に書かれていた鷹の目を得るという触れ込みの魔術だ。
失われた、なんて大層なものではないが知名度の低さから会得している魔術士は滅多にいないだろう。だがヘンリッカは目につく魔術全てを貪欲に吸収してきたと自負する身である。こういった魔術もしっかりと守備範囲である。
とはいえ正直なところヘンリッカは補助系の魔術は得意ではない。だから習得したといってもその効果時間は僅か三秒ほどであったが、相手がイェレならば話は別だ。
「どうです? 使えますか」
しばらく光る瞳であたりを見渡していたイェレは、ヘンリッカの言葉を受けて彼女を見るとゆっくりと首を振った。それと同時に瞳から光が弾けるように消えてゆく。
「うーん、ちょっと感覚が普段と違いすぎてキツいかなぁ。歩くくらいなら問題ないけど魔獣との戦闘中に使うのはムリだ」
「そうですか……」
「でも色々使いようはあると思うよ」
確かに偵察などには非常に有用だろう。
一瞬沈みかけた気持ちがイェレの言葉で上向きになってゆく。なにかに役に立つはずだ、という曖昧な動機のまま費やした時間がこうして報われていくのはとても嬉しい。今まで孤独に努力を重ねてきたヘンリッカが、彼との訓練に夢中になるのはあっという間のことだった。
「それにしても、もう少し攻撃系魔術の威力が上げられるといいのですが……」
イェレとペアを組むことを決心してから数日、彼らがこうして二人で訓練を重ねることはすでに日常となりつつある。合同訓練の際に騎士と一時的なパートナーを結んだ経験は何度かあったが、顔すら覚えていなかったイェレと共闘した経験はもちろんない。
試験まであと一ヶ月しかないのだ。
ただでさえ纏魔という特殊な事情がある上に、いい成績を残すためにはなにより二人の連携が大事なのは明白だ。訓練の虫であるヘンリッカにイェレは特に嫌な顔もせず根気よく付き合ってくれていた。みてくれや言動はなにかと軽薄な印象が強い男だが、内面はけしてそうではないのだと今ではヘンリッカも理解している。
「んー、オレもリッカちゃんの魔力にだいぶ慣れてきたし、確かにそろそろもう少し上げてもいいかも」
攻撃系の魔術を纏った場合、剣での攻撃に魔術の属性が乗るだけではなく、どうやら器用なことに魔力を解放して魔術のように当てることもできるらしい。だが残念ながらずいぶんと手加減しないとうまく纏えない現状では、実際にそれを見ることすら叶ってはいなかった。
当然ヘンリッカはあの衝撃的な出会いの後、イェレから纏える魔力の詳細を聞き出している。
ヘンリッカにはイェレのように魔力の質が見えるわけではないため、彼がだいぶ感性に任せて説明する『キレイな魔力』がなんなのか理解しがたかったが、何度も繰り返し是非を聞くうちに感覚のようなものは掴めてきていた。
密度はできる限り高く、層はできる限り薄く、勢いはできる限り殺す。
最初にイェレに炎の魔術を放ったときには薄く広げていたが、どうやら広さは重要ではなさそうなので、今は柔らかく長いリボンのような感覚で魔力を織れるように心がけている。
だがこの薄くと言うのが実にくせ者で、威力を上げようと魔力量を増やすとその分厚みが増すのである。それがわかっていたからイェレも最初手加減しろと言っていたのだろう。そうして不幸な事故を何度か起こしては治して誤魔化して。端から見るとヘンリッカがイェレを攻撃しているようにしか見えないために、彼らはできるだけ人目を忍んで訓練を行う羽目になっていた。いちいち事情説明をするのも面倒くさい。
そうして今は一度攻撃系の魔術は休憩して本家の纏魔よろしく補助系の魔術を試している最中だった。補助系は失敗してイェレが纏えなくてもただ弾けて消えるだけなので、かなり安心して取り組める訓練である。
もちろん補助系魔術もその効力を最大限発揮するためには威力を上げる必要があるが、傷つける心配がないという安心感ゆえか攻撃系よりも制御がしやすいように感じた。
「……ちょっと試してみても大丈夫です?」
「いいよー」
相変わらず軽い返答だ。
失敗したときに傷つくのはイェレだというのに、どうにも気の抜ける声に逆に心配が募る。信じていると言われてしまえば悪い気はしないが、ほぼ初対面の人間に告げられた言葉だと思い出せば複雑な気分にしかならなかった。
ヘンリッカ自身は努力に裏打ちされた自分の技術に自信を持っているが、他人がそれを信じるかどうかはまた別の問題だと考えている。
だからこそ誰が見てもヘンリッカの実力を認めざるを得ない絶対的な評価を欲しがるのだ。
「行きます」
だがそんな心配もただ成功させれば、それだけで必要はなくなる。
ヘンリッカは頭を振って懸念をはたき落とすと、ゆっくりと指先を宙に這わせて印を結び始めた。こうして二人で行う訓練以外でも個人的に練習を重ねている。魔力量を倍――それでも普段ヘンリッカが使っている魔術からしたらかなり弱いのだが――に増やすくらいならばきっと問題はない。
見慣れた光芒が視界を灼き放たれた蛇のような炎がイェレへと絡みつく。
「っ!」
一瞬だけ顔を顰めた彼は、それでもずるりと引きずり込むように炎を体内へと受け入れた。鮮やかな赤はすでにどこにもなく淡い燐光だけがイェレを包み込んでいる。
「……成功、ですか?」
「うんばっちり。前よりかなりイイ感じ」
へらりと笑うイェレの顔を見て、知らずしていた緊張が一気に解けていく。
この調子でどんどん練習を重ねていけばもっと高威力の魔術を纏うことも夢ではないだろう。イェレが前衛で戦っているうちにヘンリッカが魔術を放てば倒せない魔獣などいないように思えた。英雄へと至る確かな手応えを感じて喜びがわきあがってくる。
「はー、やっぱリッカちゃんの魔力ってめちゃめちゃ気持ちいいよね。好きだなー」
そうやって一人静かにヘンリッカが喜んでいると、しみじみとしたイェレの声が耳へと届いた。
「と、当然です!」
ふい、とイェレを振り返って彼のうっとりするような表情を目の当たりにして動揺する。眦を僅かに赤く染めてため息をつく姿には妙に色気が漂っていてヘンリッカをそわそわと落ち着かない気分にさせた。魔力に対しての感想なのはよくわかっているが、そう気軽に好き好き言わないでほしい。
ヘラヘラと笑っているときのイェレに対してはもう何も思わないが、ふとした瞬間に見せる見慣れない表情が、たぶん、ヘンリッカは苦手だ。どうしていいかわからなくなる。
確かに元々対人能力が高くない自覚はあったが、自分がいかにそれを疎かにしてきたのか見せつけられるような気分である。
パートナー探しを経て、ヘンリッカはただ己の技術だけを磨けばいいと思っていた過去の自分を僅かに後悔し始めていた。どの師団に所属することになっても軍人になる以上、一人で戦うものではないのだとわかっていたはずなのに。
こうしてヘンリッカにとっても満足のいくパートナーであるイェレに声をかけてもらうことができたのは、きっととてつもない幸運に恵まれた結果なのだろう。ヘンリッカの炎を指先から解放している騎士の姿をぼんやりと眺めながら、ふと思いつく。
「……あの、イェレはどうして第二師団を希望しているのですか?」
「え、オレ?」
それは初対面から今まで慌ただしかったのを言い訳に、お互い話していなかったことだった。どうして軍人を志望したのか、軍人としてどう在りたいかは長くパートナーを続けるにあたって重要なことでもあるため、本当は早い時期から話し合うべきことでもある。
「ありがちなヤツだよー。ガキの頃第二のおにーさんに助けられたってヤツ。まあメリルートに生まれた以上軍人になるのかなって物心ついてすぐに漠然と思ってたんだけど、まさか魔力ないなんてねー」
あはは、と笑うイェレが心中でなにを思うのか、彼と付き合いの浅いヘンリッカにはよくわからない。だが続く言葉に嘘はないように思えた。
「でも魔力があったら第一に入ってただろうから、結果的によかったんじゃん?」
基本的に嫡子でもなければ希望する職が家に縛られるようなことはないが、メリルートほどの特殊な家系ともなれば話が違ってくるのだろう。確かに第一師団以外に所属しているメリルートの話は聞いたことがない。貴重な才能は少ない人数で独占されるべきではないということだろうか。
それだったら彼に魔力がなかったことはヘンリッカにとってもよかったことだと――それが彼を傷つけるかどうかもわからない現状で口に出す勇気はないが――言えるのかもしれない。
「リッカちゃんは?」
「私はお兄様に憧れたんです」
「ああ、獄炎のユリウス様! すごいよねぇ、人気も実力も一級品ってかんじ。さすがリッカちゃんのおにーさん。二番目のおにーさんも最近爵位もらってたよね?」
「はい、子爵位を戴きました」
敬愛する兄たちを褒められて嬉しく思いながらも、自分に話が向いたことでイェレにまだ話していないことがあるのを思い出す。本来ならばパートナーの打診をされたときに言うべきだったことだ。
わざと黙っていたわけではないが、話す機会を探るのが億劫で後回しにしていたことでもある。だが、こうしてイェレとの軍人としての未来が明確になり始めた今、このまま黙ったままでいるのは誠実ではないだろう。
ヘンリッカは視線を落とすと、覚悟を決めて口を開いた。
「私……本当は、父には軍人になることをあまりよく思われていないんです。あの人は、私に興味が薄いらしくって、やることに口を出してくることはありませんでしたが、適当に好きなことをやらせて私が満足したらどこかへ嫁がせるつもりだと思うんです。姉が、そうでした」
実家の金に飽かせて、などと色々言われているヘンリッカだが父親は娘の教育費用に必要以上の投資をしようとはしてくれなかった。そのため彼女はそのほとんどを自分で稼ぎ出している。特に工業用の新しい魔術への投資は趣味と実益を兼ねた稼ぎ頭だ。
けして少なくない金額の元手は長兄が出したものであるとはいえ、確かにヴィーアライネの金なのでどちらかというと悪し様に語られる噂に反論する気はない。だが、その噂だけに登場する娘に甘い公爵という現実からかけ離れた父親像には苦笑するしかなかった。
確かに今のところ好き放題やらせている父親はヘンリッカに甘い、と言えるのかもしれない。だがあれはどちらかというと最終的に予定している処遇に支障がなければどうでもいいと放置しているだけのように見える。
そしてヘンリッカが望む軍人の道は、その有力貴族との結婚という予定に支障をきたす可能性があるのだろう。もっともほどほどで辞めさせればいいと思っているのか、今は目こぼしされているわけだが。
「……っですがもちろん! もちろん父の言いなりになる気はありません!」
一瞬自身の中にずっと存在するわだかまりに囚われかけて、しかしイェレに誤解されないように勢い込んで頭を振る。
娘の夢に好意的でない父親の存在はヘンリッカが実績を残すことに貪欲な理由のひとつだった。
ヘンリッカが望む兄のような英雄という夢を実現するためには父親が決めた相手との結婚はなんとしてでも回避したい。どう考えても相手が死と隣り合わせの仕事を続けることに賛成するとは思えないからだ。
だからその前にできるだけ早く魔術士として大成し、国にとって欠かせない人材になるという既成事実を作ってしまう必要があった。
だが父親のことは抜きにしたところで女性の場合、どうしてもこの結婚と出産という人生の転機の存在は大きい。
軍人を志望する女性は婚期が遅れたり果ては生涯独身を貫くこともけして少なくなかったが、総じて見れば男性に比べると引退は早い。だから女性とは組みたがらなかったり、いつまで続けるつもりなのか結婚はどうする気なのかと根掘り葉掘り聞いてくる男性も多いと聞いていた。
そういえばイェレはそういったことを一切聞いてこなかった。
「だから……その、できるかぎり長く続けたいと思っていますし、イェレに迷惑はかけない、と……思うんですが……」
考えれば考えるほど萎んでいく勢いにヘンリッカがおそる視線を上げると、少し意外そうな目でこちらを見ている瞳と視線がかち合った。その意味を深く考えるよりも前に、ヘーゼルの瞳はいつものようにへら、と笑み崩れる。
「大丈夫だよ。むしろ迷惑かけあおーぜってか、別に将来どうなるかなんてわかんないのはお互い様じゃん? リッカちゃんが生半可な気持ちでここにいるワケじゃないのはわかってるつもりだし、そーゆーリッカちゃんがいいなって思ってオレから声かけたんだからさ」
この人は人を喜ばせる天才なんじゃないだろうか。
ヘンリッカは自分が調子に乗りやすいことを棚に上げて、ふわふわと喜びに沸き立つ胸を抑えながらその手腕に戦慄した。軽薄そうに見えるという欠点をもってしても結構モテるのでは、と思うとなぜかほんの少しだけ不安になる。
「あ、もちろんオレだって長く続けるつもりだからね。一緒に英雄目指しちゃお!」
「はい!」
やはり彼と出会えたことは間違いなく幸運だ。
気の抜けるような掛け声に喜び勇んで同調したあとに、ヘンリッカはどうしようもなく湧き上がる感情に突き動かされるように唇を開いた。
「あの、その……あり、がとう……ございます」
衝動に任せたはずなのに、素直な礼を言い慣れていないせいか変に照れてしどろもどろになる。ヘンリッカの拙い感謝の気持ちを受け取ったイェレはそれはそれは嬉しそうに笑った。
「まーもっと色々頼ってよ。オレってリッカちゃんよりおにーさんだし」
「え、そうなんですか?」
「そうそう、一年だけだけどね」
キルカ=サラストは十五歳から一七歳の間に入学が認められるため同期生でも同い年とは限らない。だが教育の機会に恵まれている貴族出身者は早熟な傾向にあり大抵は最年少で入学するのが通例だった。だが彼の場合は少し特殊な状況にあるわけだし、一年遅れての入学というのも頷ける話だ。
そう思って改めてイェレを見上げてみれば、なんだかすごく大人っぽいような気がしてくるのだから不思議である。
たった一年なので確実に気のせいだと思うが、ヘンリッカは羨望の混じる自身の視線に自覚もないままうっそりと目を細めるのだった。




