04-1
「あ、あの、失礼ですがどなたですか」
衝撃の言葉を聞いてからたっぷりと数十秒かけてなんとか動揺を押さえ込んだヘンリッカは、とにもかくにもこの男の正体を明かさねばなるまいと名前を聞いた。
「オレ? イェレ・タイカ・メリルート、よろしくねー」
「は、はい。よろしくお願いします」
軽い。とても軽い。
雰囲気に流されて思わず差し出された手を握った後に、その名が持つ意味に気がついて目を見張る。
「え……タイカ・メリルート?」
ヘンリッカの家名であるヴィーアライネもその名に戴くタイカとは、魔術士として功績が認められた家に対する称号だ。爵位と同時に与えられてその子孫にも引き継ぐことが許される。
もちろん家を継ぐ嫡子ならばともかくタイカの子全員が魔術士にならなければならない決まりはないが、大抵はヘンリッカのように親と同じ道を進むのが通例だ。特に魔術の才能は血に依る――例外はある――ため、称号を得るほどの才能はその子にも受け継がれる。
ちなみにヴィフレアでは近隣諸国とは違い貴族に領地は与えられない。何世代にも渡って功績を上げなければ戴けないような上位貴族ならばともかく、下位はただの名誉称号に近いものだ。
それゆえ爵位を与えられる基準は緩く男爵程度の爵位持ちは貴族制を取っている他の国々よりかなり多いらしい。
閑話休題。
だが確かにタイカの子どもが騎士を目指したり、逆に少ない例ではあるが騎士家系のミエッカの子どもが魔術士になることだってある。家がどうだろうとより自身の才能を生かせる方を選ぶのはごく自然なことだし、例えばあのミルカの取り巻き黒猫のヴィヴィだって政務を担う貴族ティーカの娘だ。
だからヘンリッカが驚くべきところはそこではない。
「メ、メリルートって……あの纏魔のメリルートですか?」
驚くべきなのは、そのタイカの中でもかなり特殊な家柄であるメリルート侯爵家の人間であることだ。
「そうだよー。あ、オレ実家とあんま折り合いよくないから、家名じゃなくてイェレって呼んでね」
そんな今日初めて話したような人間にあっさりと言っていいことなのだろうか。
どこまで本気かわからないイェレの態度に戸惑いながらもあらためて彼をまじまじと見つめる。ヘンリッカが顔を合わせたことのあるメリルートは現侯爵と夫人くらいのものだ。
あとはキルカ=サラストの魔術科に次男が在籍していると噂に聞いたことがあるが、残念ながら見かけたことはなかった。
言われてみれば侯爵、には似ていないが夫人の面影——正直おぼろげだ——はあるだろうか。
しかし纏魔はその扱う魔術の特殊性ゆえか職人然とした静かで真面目な印象が強く、どうしてもこの目の前のヘラヘラチャラチャラした男とメリルートを繋げることはできそうになかった。
纏魔とは文字通り魔力を纏わせる魔術、及びそれを扱う人間のことである。
そもそも魔術というものは基本的に放出することしかできない。
実体を伴って顕現できるのはせいぜい十数秒。ヘンリッカのように爆炎を生み出し攻撃に利用するような使い方には問題がないが、例えば土の魔術などを防御に使おうとすれば、印を結ぶのに時間がかかることも鑑みて一、二撃を防ぐのが関の山だった。
ヴィフレアの名産品である魔石を使えば魔力を滞留させて長時間効果の続く魔力の壁を作り出すことも可能だが、いかんせん実戦で常用するにはコストがかかりすぎる。魔石は硬度が低く、魔獣との戦闘に持ち込むには耐久性に不安があるのだ。いくら自国から大量に出土するとはいえ、やみくもに使えばその損害は莫大だ。
それに魔力で人体自体が強化できれば騎士たちの力がもっと強化できるのではという考えの元、身体硬化や能力向上の魔術なども開発はされたものの、人体に一度放出し変質させた魔力を留める方法は見つからずやはり効果はもって十数秒。
あまり実用的とはいえないため、そういった類の魔術を好んで使う者は滅多にいなかった。使いどころが難しい魔術を訓練する暇があるなら攻撃魔術の腕を磨いた方がいいからだ。
だが唯一、メリルート家だけは違う。
纏魔と呼ばれるメリルートの一族だけは自身や他人に魔力を纏わせて、長ければ数時間効果が続く硬化や強化の魔術が扱えるのだ。
使い手が少ないためその逸話はけして多くはないが、大型の魔獣が現れた際に百人の騎士の身体を鋼のように強くし全員無傷で生還させた、などという信じられないような話は多い。
そんな魔術をどうやって可能にしているかはヘンリッカには知る由もないが、やり方を教わったところでメリルートの血を濃く引くもの以外には扱えないのだと聞いたことがある。
例えば炎の扱いがうまかったり氷の扱いがうまかったり、血筋によって魔術に特徴が出るのは珍しくなかったがメリルートほど突出して特殊な例は他にないだろう。
いわば神秘の一族なのだ。
「私、纏魔にあなたのような方がいるなんて知りませんでした……」
呆然と零したヘンリッカの言葉には二重の意味を込められていたのだが、はたしてイェレが両方の意味に気がついたのかどうか。彼は特に気分を害した様子もなくただあっけらかんと笑った。
「だろうねー」
底抜けの明るさにいっそ感心する。
「両親はオレのこと恥だと思って隠してるみたいだし。なんせカケラも魔力ないんだもん、あははっ!」
「え……欠片もって、本当にその、まったく……!?」
「そそ。纏魔に限らずマジでどの属性の低級魔術も使えないよー」
徐々に膨らんでいく彼への好奇心を自覚し始めたヘンリッカは、息継ぐ暇も無く再びもたらされた衝撃に口をポカンと開けて、その事実を自慢しているようにすら聞こえるイェレの顔をまじまじと見つめた。
先ほど実家と折り合いがよくないと言っていた彼だが、その理由が一瞬で理解できてしまった。
魔術の才能は血に依ると言ったが、タイカの子で魔力なしは相当珍しい。
より上の爵位を戴くために、ある程度の地位を得た貴族たちは積極的に魔力の高い人間を貴族平民問わず一族に取り入れようとする傾向にある。その結果才能ある魔術士が平民から生まれる確率は――しつこいがミルカのような例外はいる――かなり低くなってしまっているのだが、逆にタイカを戴く貴族から魔力のない子どもが生まれるのも大変珍しかった。
特にメリルートのような能力に希少性のある家系は家を継ぐ一人が突出していればいいというわけではなく、血を継ぐ者全員に才能が求められる傾向にある気がする。実際折り合いが悪いと言っているのだから、きっと彼の家族は魔力なしの子に対してけして優しくはなかったのだろう。
能力を求められるような環境に置かれつつも魔力がない人間の気持ちはヘンリッカにはわからないが、苦労も多かったに違いない。
もし自分が同じような環境に置かれたとしたら。想像もしたくないが、それでいてこうして騎士としてキルカ=サラストに籍を置くイェレのことを思うと――理解しがたいチャラチャラとした人種ではあるが――ヘンリッカの価値観としては好ましい人間であるように思えた。
だが、その反面けして甘くはなれない。
なっては、ならない。
ヘンリッカは今彼にパートナーになってほしいと持ちかけてられているのだ。
タイカの出で騎士になる人間は大抵魔法と武術を駆使して戦うスタイルになる場合が多い。魔術士として大成は出来なくとも騎士としては重宝される傾向にあるが、彼の場合はその道すら叶わないだろう。
「あなた、序列は……」
「十一位だよ。ギリギリ上位落ち」
つまりそういうことだ。
とはいえ騎士科第百七十八期生は魔術科よりも多い二百五十名近く。上を見ればきりがないが、家の援助も期待できない中で十一位というのは、普通に考えれば十分に賞賛されるべき結果なのだろう。だが合同訓練で目に入ったことくらいはあるだろうイェレのことを、ヘンリッカはまったく記憶に残していなかった。
確かに自身の訓練にかまけていて、人脈作りやパートナー探しを怠っていたことはこの際認めよう。というよりも認めざるを得ないだろう。
それでも目を付けていた人間が数人いたことを考えれば、やはりそういうことなのだ。
記憶に新しいソニヤの言葉は未だヘンリッカの胸に澱を落としている。
だが彼女はミルカよりも好成績を残して師団所属試験を合格する自身の未来を諦め切れていない。確かにヘンリッカは夢を見失いかけていたのかもしれないが、それをきちんと思い出した上であの少女の上を行きたいと思うことのなにが悪いというのだろうか。その二つはけして共存できぬ願いではないのだ。
イェレとではきっとその願いを叶えることはできないだろう。
しかしそれはそれとして、声をかけられたのは純粋に嬉しかった。
二人に連続で振られてさすがにプライドと心に大きな傷を負っていたヘンリッカにとっては、組みたいと言ってくれる人間がいただけでも十分に救われたような思いだ。
珍しく殊勝なことを考えながらその心中を表すような微笑みを浮かべて、それから眉を下げる。
「……申し訳ないですが、あなたと組むことはできません」
「あ、やっぱり? 上位じゃないと視界にも入らないかなー」
非常に残念そうな、それでもはっきりとしたヘンリッカの断りの文句に、イェレは当然予想していたとでも言うようにやはりヘラヘラとした笑いを浮かべて、それからすっと瞳を細めた。
たったそれだけでがらりと雰囲気の変わった彼の口元に上るのは、不敵な笑みだ。
「でも悪いけどオレは引く気ない。キミじゃないといけない理由があるんだ」




