03-2
ソニヤとは先ほど初めて会話を交したようなライネとは違って、けして知らぬ仲ではない。
騎士として功績を認められた者に与えられるミエッカの称号を持つ公爵家の出であり、才能を賞賛されながらも平民に序列一位を譲り二位に甘んじている。なにやら非常に親近感の湧く立場にいる彼女とは、女性同士であることも手伝ってか顔を合せれば挨拶くらいは交す仲だった。
ちなみに幼い頃からの知人ではあるが、残念ながら友人同士とはけして言えない。
「なんだ」
ライネの元から去って程なくして騎士科の校舎の中で見つかった彼女は、近づくヘンリッカの姿を認めると無愛想に用件を問うてきた。
武道をたしなむ者は全員こういう性格なのだろうか。既視感のある態度に鼻白む。
女性にしては高い上背から見下ろされる強い光を湛えた紅い眼光が威圧感を醸し出しているのも、これから交渉を進めなければならないヘンリッカの気を重くさせた。
「お元気ですか?」
「そうだな、お前も息災か」
「はい。おかげさまで」
それでも知り合い同士の気軽さゆえかライネよりもよっぽど柔らかい態度に少し気を持ち直したヘンリッカは、ことさら余裕のある笑みを浮かべて頷いてみせる。交渉はすでに始まっているのだ。自身をよりよく見せる努力は怠ってはいけない。
「なにか用事か?」
「ここではなんですので、あちらへ」
「……わかった」
「ソニヤさん、あなた今度の第二師団試験のパートナーは決まっていますか?」
さりげなく校舎の廊下から人目につかない無人の講義室へと移動したことと、最初に決まったパートナーの有無から聞き出すことにしたのはつい先ほどの反省を活かした結果だ。
さすがのヘンリッカであっても連続でばっさりと切られるのは避けたかったし、それが衆目に晒されるとならばなおさらだ。それにパートナーさえいなければきっと誘いにも乗ってくれるだろう。ヘンリッカの隠しきれない思惑を受け取ったのかどうか、ソニヤは長い黒髪を揺らして顎を引くと思案するようにゆっくりと瞳を細めた。
「……いや、決まっていないな」
「本当ですか!」
彼女が慎重な性格であることは知っていたから、相手の吟味に時間をかけていてまだ決まっていないという期待はあったが、やはり見込みに間違いはなかったらしい。内心の快哉が思わず口からも漏れ出す。
「それなら是非、私と組んでくれませんか!」
たたみかけるようにさらに希望を込めて重ねると、ソニヤはほんの少しだけ――彼女にしては非常に珍しいことに――躊躇うようなそぶりを見せた後にはっきりと首を横に振った。
「……悪いが、他を当たってくれないか」
「な、何故ですか!」
完全に見た流れだ。本日通算二回目である。
「ヴィーアライネと私とでは相性がよくないだろう」
思わず前のめりになって食らいついたヘンリッカは、しかしすぐに冷静なソニヤの声に押しとどめられた。
「私は戦いにおいて防御よりも速さと手数に重点を置いている。だがお前はどちらかというと印を組むのに時間をかけて高威力の魔術を放つタイプだろう。お前の能力を十分に活かしたいのだったら耐久戦を得意とする騎士に声をかけるべきだ」
「……」
それでもなにか言い返そうと口を開いて、返答に窮する。まさにソニヤの言う通りだったからだ。
脳裏に今でも鮮烈に焼き付く入学試験の光景が蘇る。
ミルカの魔術印は怖ろしいほどに簡潔で、速かった。
対してヘンリッカの魔術印は緻密だ。それでも長年の努力の結果工数に対しての所要時間は非常に速いのだが、どうしたってそれなりの時間はかかってしまっていた。
魔術は物理的な武器よりも一度に放たれる威力が高く魔獣への有効打となり得るが、その代わり印を結んでいる間の魔術士はだいたい隙だらけだ。だからこそ後衛を守る騎士のパートナーを必要とするのだが、もちろん相性というものがある。
例えばソニヤのように速攻を得意とする騎士ならば、同じように速さに重点を置いている魔術士か、もしくは癒やしの魔術を得意とする魔術士と組むのが一般的だろう。
どちらもヘンリッカとはまるで重ならないタイプだ。
ヘンリッカの時間をかけても緻密な印を結ぶやり方は、威力を高める為に選択したヘンリッカなりのスタイルで、今更速さを求めて改める気にはなれない。ましてやミルカのように手順を簡略化してしまえば、いったいどれほど威力が落ちてしまうのか想像もしたくなかった。
だいたい普通は魔術の威力と速さは反比例するものなのだ。努力によってその差を緩やかにすることは可能だが、ミルカの速さと威力はまるででたらめだ。
何度も見せつけられた残酷な現実を思い出して唇を噛みしめる。
しかしだからこそ、一人では到底敵わないからこそ相乗効果で何倍にもなる可能性のある二人組の力を信じたい。
「ですがっ……、上位の騎士たちにはそのような戦い方をするような方はいらっしゃいません! それに私たちのような実力者同士で組めば、新しいやり方だって模索できるかもしれないではないですか!」
「もちろん戦い方の相性以外にもなにか理由があるならばそれもいいだろう。だか私たちにそれがあるか?」
どんどん感情的になってゆくヘンリッカに対してソニヤはあくまで冷静だ。
「それになにも上位にこだわる必要はないだろう。長く続くパートナー探しには広く目を向けた方がいい。上位同士でなくとも第二師団で活躍した例などいくらだってある」
本人自身がじっくり時間をかけて見極めているソニヤらしい意見だった。
確かに彼女の言うことは正論なのだろう。
戦い方だけではなく性格などの相性を度外視して、ただ実力の華やかさだけに目を向けて安易に選べば、後々のパートナー解消にだってつながる。それに一般的に上位と呼ばれるのは各科十位以内で、その中で第二師団を志望していないものもいるとなれば選択肢の幅はひどく狭い。
だが自身の強化だけにかまけて、騎士科との合同訓練でも目立つ上位層以外にろくに他に目を向けてこなかったヘンリッカには当てがなく、今から二百人以上いる他の騎士たちを見極める時間はなかった。
それに、なによりも。
「ですが! ですが、それではトゥーリさんに勝てないではないですか!」
叫んだ後で自分の言ったことに気がついて、さっと思考が冷えてゆく。
ミルカがライネと組むと知ったからだろうか、あの規格外の少女への対抗心、そして上位と組むことへのこだわりはヘンリッカの中でより強くなっていた。
僅かに震えるヘンリッカに、ソニヤは気の毒そうな視線を向けると小さく嘆息する。
「……ヴィーアライネ。私はお前のことがけして嫌いではないが、最近のお前は少し目に余る」
「どういう、意味、ですか」
「お前はトゥーリの鼻を明かすために試験に挑むのか?」
そうじゃないだろう。
投げかけられた疑問のあとに聞こえた否定の言葉は、本人の言葉通り僅かなりとも存在するらしいソニヤからのヘンリッカへの好意の表れだったのか。もしかしたらヘンリッカに残る僅かな理性が聞かせた幻聴だったのかもしれない。
「これから他にも声をかけようと思っていたのかもしれないが……今日は少し頭を冷やした方がいい」
「……っ」
ただその言葉だけを残して、カツカツとブーツの音を鳴らしながら去ってゆくソニヤの後ろ姿になにも言えないまま、ヘンリッカはぎゅっと握りしめた拳に力を入れた。
本当に人目につかない場所に移動してよかった。数分前の自身の判断力に力なく賞賛を送る。
もしこの姿を誰か他の人間に見られていたら、きっとしばらく立ち直れないほどに落ち込んでいただろう。それほど無様な自覚が、ヘンリッカにはあった。
ヘンリッカが軍所属の魔術士を目指したのは長兄の影響だ。
残念ながら実際に魔獣を相手取って戦う兄ユリウスの姿を見たことはないが、訓練や御前試合などで戦う姿なら何度も見たことがあった。兄のパートナーは兄と同じくキルカ=サラストを主席で卒業した男の騎士で、組むと決まったときにはずいぶんと周囲から期待されたのだと本人から聞いていた。
幼いときからヴィフレアで最も安全だと言われている王都で暮らしてきたヘンリッカが、魔獣の脅威というものを直接肌で感じたのはたった一度だけ。避暑で訪れた地で魔獣の襲撃を受けたときのことだった。
幸い凶悪な魔獣というわけではなかったが、あのときヘンリッカを救ってくれた騎士や魔術士たちは本当に格好よくて、だけど遠く伝え聞く英雄譚や試合で見るユリウスたちの姿はもっともっと格好いい。
噂に聞くだけの兄たちの活躍はきっと想像よりもずっと素晴らしく華々しいもので、そしてその活躍の裏にはいつだって救われている人々がいるのだ。それはヴィーアライネの家に届く感謝の手紙の数々でも裏付けされていたし、誇らしく思うと同時にますます憧れは強まった。
ヘンリッカは人々を救うユリウスの姿に憧れて、兄のようにありたいとここまでやってきた。
けして、ミルカの鼻を明かすためではないのだ。
いつの間にか見失っていた自身の在り方に衝撃を受けて、そうなってしまった自身のふがいなさに涙がにじむ。もし彼女が幼い頃から描いていたような人生計画のように、比類なき第一位としてあったのならば、きっとヘンリッカは目的を見失ったりはしなかった。
そしてそうならなかったのはきっと、努力が足りなかったのだ。
ミルカの才能を越えるような努力が。
「あっよかった。まだいた」
そんなふうに一人ひっそりと落ち込めるほどに静まり返っていたはずの室内に、場違いなほどに明るい声が響き渡った。
びくりとヘンリッカの肩が震える。聞き覚えのない声だった。
慌てて瞬きを繰り返して悔しさに潤んでいた瞳を乾かす。
いったいこんなときに誰がなんの用事があるというのだろう。ましてやここは騎士科でそうそうヘンリッカに声をかけるような人間がいるとも思えない。
自身がここまでやってきた目的を棚に上げて少々不機嫌になりながら振り返ると、その先にいたのはやはり見覚えのない男子生徒だった。
緩く癖のかかった金髪に、甘さのある垂れ目。顔立ちは整っているのかもしれないがヘラヘラと軽薄な笑みを浮かべているせいでかなり残念なことになっている。比較的細身だがしっかりと引き締まった筋肉とローブのない制服を見れば騎士科の生徒なのは間違いないだろう。
襟元に付けられたブローチの色はヘンリッカと同期であることを示していたが、何度見ても見覚えのない男だった。
誰かと人違いをしているのではないだろうか。訝しみに瞳を細めながら首を傾げる。
「えーと一応はじめまして、リッカちゃん。わー近くで見るとやっぱり美人だなぁ」
ヘンリッカが内心だいぶ失礼な感想を抱いているのも知らず、男子生徒はその長い足で一気にヘンリッカとの距離を詰めると躊躇いもなく彼女の顔を覗き込んできた。
ああ、まるで森の緑と大地が溶け合うような色をしたヘーゼルアイが印象的で美しい。
いや、それよりもリッカちゃんって誰だ。
かつて絡んだことのないタイプの人種に動揺して返事をすることも忘れたヘンリッカは、ただ目を白黒させて呆然と相手を見つめる。
だがそんなヘンリッカの様子をまるで意に介さず、男はにっこりと笑った。
「ねえリッカちゃん。今度の第二師団試験、オレと組んでよ」
衝撃の一言を告げながら。




