02
「おい、噛ませ令嬢だぞ。今日もご機嫌ナナメだな」
うるさい黙れ。
「声がでかいって! 聞かれたら燃やされるって話じゃん……」
本当に燃やしてやろうか。
周囲から聞こえる声にぴくぴくと口元を引きつらせながら、今日もヘンリッカは見事な赤毛と制服のローブをたなびかせ肩を怒らせながら、カツカツと、ガツガツとキルカ=サラストの回廊を歩いていた。
あの衝撃の入学試験から早十ヶ月。
無事次席としてキルカ=サラストへ入学を果たし十六歳になったヘンリッカは、入学後も自身に付けられた不名誉な称号に日々傷だらけのプライドを痛めつけられていた。噛ませ令嬢とかいう称号はもちろん、あのミルカ・トゥーリの圧倒的才能に対するヘンリッカを揶揄した蔑称だ。
なりふり構わずに金をつぎ込み魔術に傾倒し続けていたという過去の所行が悪かったのか、それとも入学試験中ほぼずっとしたり顔を披露し続けたのが悪かったのか。どちらにせよその原因はヘンリッカ本人のあずかり知らぬことだが、同期の魔術科の生徒の中で序列二位という本来なら名誉とも呼べる位置に居るはずの彼女は、不名誉な称号を付けられた上に入学から十ヶ月経った今でも大半の生徒に遠巻きにされていた。
つまりぼっちを極めていた。
もちろんヘンリッカだってこの状況を打破しようと頑張ったのだ。
キルカ=サラストでは月に一度成績が公開され序列を付ける習慣がある。入学からずっと一位であるミルカに大差付けられて二位をキープしているヘンリッカはそれもう努力を重ねた。入学前にそうしていたように寝る間も惜しんで努力をした。今もしている。
序列一位になれば今は己を馬鹿にしている生徒たち――ヘンリッカより実力もないくせに!――も手のひらを返して彼女を崇め奉るに決まっているからだ。しかし残念ながら未だその努力は実っていない。
今ヘンリッカの前には才能という大きな壁が立ちはだかっているのだ。
つい一年ほど前までに自身の才能を奢り誇っていたことも忘れ、ヘンリッカはその理不尽な強敵に地団駄を踏んだ。そう理不尽なのだ。ミルカという少女は見える限りではヘンリッカのように魔術にその人生の大半を捧げることもなく、圧倒的な才能を見せつけてくる。
今日だって訓練で無様にもミルカに組み伏せられたばかりだ。
むかつくことにミルカに追いすがれるような人間は同期ではヘンリッカくらいのもので、試合ならともかく訓練では大抵彼女と組まされる羽目になっている。
そしてやはり勝てない。
彼女を苛む日々のストレスと寝不足による疲労は、ただでさえ釣り目気味で気の強そうな顔立ちのヘンリッカの眦をさらに釣り上げて近寄りがたい雰囲気を倍増させていた。せっかくの美少女なのに彼女へ事務的な用事以外で声をかける人間はほぼいない。
確かに普通の人間ならば華々しい天才であるミルカの前に膝を折り、大人しく陰に甘んじるのが正しいのかもしれない。そうすれば態度の軟化したヘンリッカの元へ集う者だっているだろう。だがあいにくヘンリッカは普通の人間ではない。
なにせ彼女は天よりも高いプライドを持つ、ヴィフレア一の負けず嫌いなのだ。
「ごきげんようトゥーリさん。相変わらず脳天気な顔ですね」
がつりと床を蹴って、前から歩いてきた人物の目の前に立ちはだかる。
神よりも誇り高いヘンリッカは、自分より実力が上の存在にだってけして膝を折らないのだ。たとえ物理的に何度折らされようと。
「あっ、ヘンリッカ様お疲れ様です!」
「げ、ヴィーアライネ。相変わらず偉そー……」
ミルクを垂らしたような紅茶色の髪の毛を揺らすミルカは、攻撃的なヘンリッカの態度をものともせずに足を止めてにっこりと笑った。
その前で顔をしかめながら立つ黒髪の小柄な少女はヴィヴィ・ティーカ・ミュリュス、ミルカの友人である。魔術科の生徒としては珍しい政務を担う貴族であるティーカの子爵家出身で、本人の優秀さもありちょっと目立つ存在だ。
「あらミュリュスさん。いらっしゃったんですね、小さくて気がつきませんでした」
「は?」
だがライバルたるミルカとつるむ人間は等しく敵。剣呑になるヴィヴィの猫のような金色の視線を受け流したヘンリッカはつんと顔を高慢な態度で明後日の方向へと逸らした。
ヘンリッカが噛ませ令嬢と言われる所以は間違いなくこうやっていちいち噛みつきにいくせいだろう。そもそも争わなければ噛ませなどと呼ばれないのである。だが悲しいかな本人はそのことにまるで気がついていない。
人間関係すら魔術に捧げてしまった彼女はそういったことをおもしろがる人の心の機微にだって疎いのだ。
「僕のことは無視?」
「ふん」
ちなみにもう一人、ミルカの背後に控える魔法科の男子生徒アルマースのことは鼻であしらって完全に無視をする。
タイカ・シルヴェン侯爵家の長男である彼とは爵位が近い家同士ということもあり、入学以前から見知った仲だ。しかしどうも昔からヘンリッカを小馬鹿にしたような態度をとってくる節があるため彼女はこの男が大嫌いだった。どこが気に入ったのかミルカに付きまとっているのも気持ち悪くて嫌だが、この男の場合それ以前の問題である。
さらに言うならばプラチナブロンドに薄氷色の瞳というやけにきらきらしい王子様然とした容姿で、魔法科の女子たちからキャーキャー言われているのも気に入らない。とにかく嫌いだった。生理的なやつだ。
「ヘンリッカ様は今から夕食ですか?」
「そうです」
それにしてもこのミルカという少女、ずいぶんと神経が太い。
実をいえばヘンリッカは彼女に対して嫌味を言う以上の嫌がらせを働いていない。そもそも実力が数段上のミルカに対してヘンリッカがなにか出来るわけもなく、ついでにぼっちであるヘンリッカに代わり少女をいじめるような取り巻き――むしろヘンリッカとしてはミルカの取り巻きであるアルマースから精神的苦痛を受けていると主張したいくらいだ――なんてものも存在しない。
だがここまで露骨に敵愾心を抱かれれば思うところだってあるはずなのに、ミルカの態度と言えば初めてあったころから変わらず無邪気そのものだ。
友人と呼べるような仲の人間が今まで一度も出来たことがないヘンリッカに対して、一番好意的な態度をとるのはミルカであるということを薄々ヘンリッカ自身も気がついて――いやいやそんなことはあり得ない。
ヘンリッカはけして敵には膝を折らない高貴なるプライドの持ち主だ。
だいたい今はすっかりミルカの親友面をしているヴィヴィだって、入学したばかりの頃はミルカをライバルだと騒ぎたて噛みつく見所のある人間の一員だったのだ。だというのに鋭い爪を立てる黒豹だった彼女は今やただの飼われた黒猫である。実に嘆かわしい。
「ミルカ。別にヴィーアライネにかしこまる必要なんてないんだよ。軍籍に入ったら爵位なんて関係ないし、私たちも入学した時点で仮所属とはいえヴィフレア軍の一員だもの。それにどうせ成人したら名乗れなくなるんだから」
「え、でもヘンリッカ様ってヘンリッカ様って感じじゃない? 高貴な感じ。大人っぽくて綺麗だし!」
「ミルカ……。そいうところはアナタの美点だと思うけど……」
ほら、ミルカだってヘンリッカの高貴さは認めているじゃないか。
ミルカから紡がれる聞こえのいい誉め言葉に気をよくして、噛みつくことも忘れたヘンリッカは満足げな表情を披露しながら何度も首肯した。
「それにヘンリッカ様も私に敬語使ってくれてるし」
「ヘンリッカの敬語はユリウス様の真似をしてたのが癖になってるだけだよ」
「あ、ヘンリッカ様のお兄さん! そうなんだ!」
「んんっ、ごほん!」
しかし話が都合の悪い方向へと流れ始めたことに気が付いたヘンリッカは大きく咳ばらいをして、アルマースの涼し気な瞳をきつく睨みつけた。
やはりこの男は嫌いだ。
渾身の力を込めて睨みつけてもまったく堪えた様子のないアルマースに内心で激しい舌打ちをしながら、ヘンリッカはことさら余裕ぶるようにゆっくりとミルカの珊瑚色の瞳を見据える。ミルカの姿を見たことでつい反射的に彼女に噛みつきにいってしまったが、本来ヘンリッカは夕食をとりに寮の食堂へ向かう途中だったのだ。
食事をとったあとは日課の夜の訓練をしなくてはならない。無駄に――念のためいっておくがそもそも絡みにいったのはヘンリッカである――時間を浪費してしまった。
「ふん、そうやって余裕ぶって私に追いつかれないよう、せいぜい気をつけることです」
「はい、一緒に頑張りましょうね!」
対するミルカはヘンリッカの言葉のトゲを意に介さず、いつも通りの無邪気な様子でのんきに手を振っている。
「ヘンリッカだってそうやって余裕ぶってて大丈夫? もうすぐ師団所属試験でしょう」
ミルカの態度を苦々しく思いながら脇を通り過ぎようとしたヘンリッカは横から飛んできた、わずかに蔑みの混じった声に思わず足を止めてその声の主を見上げた。薄氷色の冷ややかな瞳はまるでヘンリッカを探るように細められている。
「パートナー、見つかるの?」
気の緩んだ生徒たちで賑わっている夕食時の回廊はけして静かでないのに、その声はまるで突き刺さるようにヘンリッカの鼓膜を震わせる。
ああ、本当になんてむかつく男なんだろう。
ギリリと唇を噛みしめたヘンリッカはそれには答えず、高らかに鼻と靴音だけを鳴らしながら三人から遠ざかっていった。




