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01

 ヘンリッカが自らの奥歯を痛めつけることになる数刻前。

 彼女は幼い頃志してから十年間くぐることを待ちわびた灰色の城壁を前にして、薔薇柘榴石ロードライトガーネットのような瞳をらんらんと輝かせていた。

 広大な土地をぐるりと取り囲む要塞のような岩壁は、巨大な石を切り出して積み上げただけの無骨なつくりで美しさの欠片もない。しかしこれこそがヘンリッカが誇る自国の勇敢なる歴史の象徴なのだ。


 ここはキルカ=サラスト。

 王国が誇るヴィフレア軍の若き精鋭たちを育成する軍事学校である。


 ヘンリッカの愛する祖国ヴィフレア王国は大陸の北に位置する小国だ。

 小国ながら豊富な魔術資源に恵まれ、魔石の輸出で大陸の魔石庫として国庫を潤す豊かな国である。しかしその豊かさの一方で、国土の半分以上を覆う魔の森に住まう魔獣が国民の生活を日々脅かしていた。

 だがそれでもなおこの豊かな大地を祖国として求めたヴィフレアの民は魔獣に対抗する為に強大な軍事力を欲し、そしてその力を手中に収めた。ヴィフレアの始祖ヴィルヘルムは魔獣に対抗する為に国中の腕に自信のある魔術士や剣士などを集め、自らのその強大な魔術の才をもってして彼らを鍛え上げたという。


 ヴィフレアに住まうのは人ではなく魔人である。


 他国にそう噂され恐れられる強大な軍事力はそうして生み出され、長い長い歴史を紡いできた。

 この国に生まれた子どもなら男女問わず誰でも一度はヴィフレア軍に籍を置くことを夢見るし、とても人の身で敵うとは思えぬような強大な魔獣を切り捨てる姿は国民の羨望の的だ。特に郊外の村や町に住まう人々は一度ならず命を救われた経験があるだろう。


 ヴィフレア軍は国民にとっての英雄なのだ。

 そしてヘンリッカもまた、国の英雄になるべく胸を期待に膨らませる子どもの一人だった。


 ヘンリッカの生家であるヴィーアライネは、魔獣との戦いで目覚ましい功績を上げた魔術士に与えられるタイカの称号を得、王家とも縁付く公爵位を戴く筆頭貴族の一つである。

 彼女の年の離れた二人の兄もヴィフレア軍に所属し、それぞれ将来を嘱望され活躍している。特に第二師団に所属する長兄ユリウスはいずれ魔の森さえ焼き尽くすのではと囁かれるほどの鮮やかな業火の使い手として数々の魔獣を屠り、国民から絶大な人気を誇っていた。


 いずれ自分も兄たちのようにヴィーアライネの名にふさわしい偉大なる魔術士となるのだ。

 幼い頃よりそんな願いを抱き続けた少女は今、ついに迎えた十五歳の年にその一歩としてこのキルカ=サラストの前に立っている。


 陶酔するようにこれまでの苦労の数々を思い起こしていたヘンリッカは、これから始まる自らの輝かしい人生を想像し、不敵に笑って集合場所となっている講堂へと一歩踏み出した。

 彼女がこうして今日キルカ=サラストの城壁をくぐっているのは、もちろん入学試験を受けるためだ。

 キルカ=サラストへの入学条件は幼年教育を終えた十五歳から十八歳未満の健康な男女という至ってシンプルなものとなっている。自ら国の剣を磨き上げた始祖の教えを原点かつ原典としたキルカ=サラストは、優秀な軍人を見出し育てる為に身分など関係なく国全体に幅広く門戸を開いていた。


 当然ヘンリッカは自分が試験に落ちるとはみじんも考えていない。


 彼女は軍人を目指す子どもたちが皆そうであるように、幼少の頃からずっと自らの魔術を磨いてきた。幸い血筋に恵まれたヘンリッカは優秀な兄たちにもけして負けずとも劣らない素晴らしい才能を持っている。

 自身の才能を早いうちに確信した少女は、財産と懐く妹に甘い年の離れた長兄――軍人を目指すことにいい顔をしなかった親の代わりだ――の後ろ盾に飽かせて最高の教育を自らに用意した。おねだり、泣き落とし、金貨の差し入れ、なんでもした。下品とも言えるヘンリッカの貪欲さに口さがない貴族たちがひそひそとよくない噂をしていることは知っていたが、そんなこと夢に燃える少女にはどうでもいいことだった。


 ヘンリッカは努力の人だ。


 金と地位で用意した教育を余さず取り込むために、時間も体力も惜しまずつぎ込んで次々と体得していった。子どもらしい遊びの時間も諦めたし、友人をつくることも諦めた。つまりぼっちだ。

 自分にはこの胸に輝く偉大なる夢と、優しい兄たちがいればいい。

 そうやって金も時間も人間関係も、ことごとくつぎ込んだヘンリッカに少なくとも同世代で敵うものなんていないだろう。

 彼女の天に届くプライドの高さはこうして培われた実力に裏打ちされたものなのだ。


「おい、あれヴィーアライネじゃないか?」


 その自信が如実に現れたような堂々たる歩幅で回廊をカツカツ打ち鳴らして歩くヘンリッカは大変目立っていた。艶やかで豊かな長い赤毛をなびかせながら歩く姿はただでさえ注目の的だったが、それよりも自信満々の表情で歩くその姿は人の目を惹いた。


「止めろよ下手に絡むと燃やされるって聞いたぞ」


 ああ、下々の者どもの視線が気持ちいい。

 ただ歩くだけで誰もがヘンリッカを畏怖するような視線を投げかけてくる。見覚えのある貴族の子女も何人かいたが、どれも取るに足らない者たちばかりだった。

 キルカ=サラストは魔術士志望が集まる魔術科と騎士志望――ちなみに扱う武器に制限はない――が集まる騎士科に分かれている。今日は魔術科の入学試験のみ執り行われると聞いているから、ここにいるのは全員が魔術を扱う者だ。


 ヘンリッカの人生計画ではこの入学試験で華々しい成果を上げて見事主席合格したあとは、そのまま序列第一位を維持したまま卒業し第二師団に所属する予定となっている。もちろん正式に軍籍となったあとの計画もすでに組まれているが、そのあたりのことははまだ先のことなので割愛させてもらおう。主席を争う者たちがこうして取るに足りないものばかりであるのは実に都合がよかった。


 いやもう少し見所があるものがいないと張り合いがないのではないだろうか。このままでは引き立て役にすらならない。

 内心とんでもなく傲慢なことを考えながら講堂へとたどり着いたヘンリッカは、厳しい試験官たちの視線を受けて気を引き締める思いでその場に待機した。




 キルカ=サラストは入学条件がシンプルなのと同様に、その試験内容もいたってシンプルだ。

 試験官の目の前で的を相手に全力の魔術を披露する。たったそれだけ。

 座学力なども加味されるようだが、それはすでに幼年学校での成績をまとめたものが送られており、改めて試験は行われない。そもそも相当な低成績でもない限り試験結果に影響はないとされているから、完全なる武力主義の世界なのである。


 ヘンリッカが講堂へとたどり着いてしばらく、入学試験は厳かに始まりを告げた。

 学長の訓辞を皮切りに一人ずつ呼ばれ、それぞれ自慢の魔術を披露してゆく。


 今年の魔術科への入学希望者は五百人余りだと聞いているが、もちろん今日そのすべてがここに集まっているわけではない。試験はそれまでの幼年学校での成績や、あれば推薦者の評価を参考にしたいくつかのグループに分けられて数日がかりで行われるのだ。

 希望者のうち合格できるのは約二百人。さらに入学中に様々な事情で減り、最終的に入隊するのは魔術士だけで年間百八十人ほどだという。

 今日は特に成績が優秀な者のみが集められているため、集まっている人数こそ五十人くらいだが、試験官たちの視線も厳しいような気がするのはけして気のせいではないだろう。


「次、ヘンリッカ・タイカ・ヴィーアライネ」


 ようやく、その時だ。

 進行役の試験官がよく通る声でその名を読み上げたとき、ざわりと空気が震えたのをヘンリッカは肌でしっかりと感じ取っていた。木の葉が擦れるようなささやき声はきっとあの有名なヴィーアライネの令嬢ヘンリッカへの畏怖と羨望に違いない。


 鷹揚とした態度で進み出たヘンリッカは標的をしっかりと見据えた。

 鋼で作られた人形(ひとがた)のようなそれは、入学前のひよっこ程度の力では傷をつけることすら難しい代物だ。すでに数十人の魔力を浴びてなお倒れることのない的を、ヘンリッカは指先でピッと狙いを定めると素早い動作で力ある印を結び始めた。

 空中に描かれてゆく複雑な文様のような光芒。

 その美しき軌跡を最後にきっちりと結び終えると、ヘンリッカのまわりにぶわりと魔力の圧が増した。刹那、轟音と共に赤い紅い炎が吹き出す。それはまるで意思を持ったようにうねる激流。無駄な広がりを見せずに確かな指向性をもったそれは、あっという間に人形を飲み込み――がらんがらんと派手な音を立てて倒した。


 さきほどまで何人の魔力を受けようともぴくりともしなかった的は、ヘンリッカの強大な魔力を前にその無様な姿を晒すこととなったのだ。


「すごい……見たかあの炎……!」

「こんなのカレヴァ様の入学試験以来じゃないかしら……さすがヴィーアライネ……!」


 ああ、ヘンリッカ自慢の魔術は今日も絶好調だ。


 ざわめく声が興奮故か大きくなり、ヘンリッカの自尊心は最高潮まで高まっていた。尊敬する次兄カレヴァの名前まで飛び出したことにさらに気分がよくなる。

 そうだろうそうだろう、確かに長兄には劣るが次兄だって自慢の兄だ。今も第一師団一の切れ者として次期師団長最有力候補の名を欲しいままにしている。もっとも長兄の時は的を吹き飛ばしたとかいう逸話が残っているから、ヘンリッカとしては今回の結果は少々不満だ。


 しかし試験官が少し感心したような顔つきでなにやら手元の書類に書き込んでいるのを見て、ヘンリッカはぐっとこらえて満足げに頷いた。主席合格は間違いないだろう。

 炎の魔術が傷をつけてしまった人形が慌ただしく片付けられ新しい的が用意されている様を眺めながら、ヘンリッカは髪の毛を自慢げにばさりと振り払った。戻る足取りが無駄にゆっくりとしているのはわざとだ。両脇からの視線がとても気持ちいい。


「次、ミルカ・トゥーリ」

「あっ、は、はい!」


 やはり私は天才だ。

 確信と自慢げな表情を深めたヘンリッカは、次に呼ばれた少女をなんとなしに見やった。正直あとは消化試合のようなものなのでヘンリッカが興味を持つに足るものでもないのだが、彼女のきらきらと輝く大きな珊瑚色の瞳が目を惹いたのだ。


 貴族称号を持たぬ名前からして彼女は貴族ではなく平民だろう。

 魔術の才能は血筋に依る場合が大半だ。騎士ならともかく魔術士の家系はより強力な力を得るために婚姻も魔力持ち同士で結ぶのが普通だったし、そもそもヴィフレアでは平民でも力さえ示せば爵位を得ることはけして難しいことではない。そうしてある程度の力を持つ魔術士がほぼ全て貴族と縁付いた結果、軍人になれるほどの才能を持つ者が平民として生まれることは大変稀だった。

 とはいえ例外がないわけではないため彼女もその一人なのだろうが、こうして上位成績者のみが集まる場に平民がいるのはさらに珍しい。周囲からも――ヘンリッカの比ではないとはいえ――その珍しさから注目を集めているようだった。


 少女(ミルカ)は堂々としていたヘンリッカとは対照的に緊張した面持ちできょろきょろとあたりを見回したあとにミルクティー色の髪の毛をふわりと揺らして小首を傾げた。


「えっと、見せる魔法の種類ってなんでもいいんでしょうか?」

「……試験要項を読んでこなかったのか」

「そ、そうですよね」


 緊張感でぴりぴりと張り詰めていた試験会場にミルカの脳天気な声が響き渡って、どことなく弛緩した空気が流れる。愛らしいともとれるが厳しい声を返した試験官をはじめ大抵の人間は眉を潜めたり、そうでなくとも呆れたような苦笑いを浮かべている。


 ヘンリッカも当然眉根を寄せて不満をあらわにした。

 こんなのがいたらキルカ=サラスト、ひいてはその主席たる自分の権威が薄れてしまうではないか。


「ど、どうしよ……そしたら前の人と同じ炎の魔術でいいかな……」


 ミルカがぼそりと呟いた言葉の意味を深く理解するよりも前に、講堂に集まった人間の網膜を美しく滑らかに描かれた光芒が灼く。

 それは非常に簡略化された印だった。それでいて、洗練された美しい印だった。

 鳥肌が立つほどの魔力の奔流が一気に講堂を支配し、ほんのひとときの間をおいて解放される。我先にと吹き出した天を焦がすような業火は試験官の鼻先を掠め、その場にいる全ての人間の肌を舐めた。灼けつく朱は人形へと集約し、そして後には形を成すものはなにも残らない。


 残ったのは砕け散ったような金属の滓と何かが焦げたような臭い、そしてしんと静まり返った空気だけだった。


「あ、あれ……。私、もしかしてなんかやっちゃいました?」


 気の抜けるようなミルカの声が響き渡り、我に返ったような人々がざわめき始める。つい先ほど自分が起こしたばかりのざわめきよりも大きくなっていくその騒音を聞き流しながら、ヘンリッカは自身の指先が震えているのを感じた。


 なんということだ。


「あれって人形を完全に破壊したのか?」

「うそだろ、そんなこと出来るのかよ……」

「すご……」


 あってはならないことだ。


 ヘンリッカがここまで到達するために一体どのくらいの金が、どのくらいの時間が飲み込まれたか、果たして理解している人間がこの場にどのくらいいるだろうか。文字通り人生を捧げて得た力なのだ。

 それなのにこの間抜けな顔をした小娘がそれ以上の力を見せるだなんて、いったい誰が想像したというのだろう。

 指先から伝わる震えは全身へと巡り、沸騰するように沸き立ち始めた血潮に顔が熱くなってゆく。

 無意識に入った力がギリリと奥歯を痛めつけ、ミシミシと音を立てていた。


「あっ、あっ、もしかしてやり過ぎでしたか? ご、ごめんなさい……これでも気をつけたつもりなんです!」


 その日、霊峰タイヴァスをも凌駕すると言われるヘンリッカ・タイカ・ヴィーアライネのプライドは、バッキバキに、完膚無きまでに叩き折られたのだった。

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