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気合いの溢れた状態で進む道中は不思議なことにあまり疲れを感じさせなかった。長時間馬に乗ることによって発生する様々な痛みも気にならない、のは言い過ぎだが我慢することが苦に思えない。
天候も今年は試験に挑む生徒たちへ甘い顔を見せて崩れることはなく、ヘンリッカたちはヤルヴへ着いた翌々日の朝には目的地であるヨキへと辿り着くことができた。
今は依頼主である村長への挨拶もつつがなく終えて、翼竜が出るという森の奥へと向かっている途中である。
ちなみに愛馬たちは村の馬小屋に荷物と一緒に預けていた。目的地は深部ではないため馬たちを連れてくることも可能だが、下手に森の中に放置して魔獣に襲われてしまってはかなわない。
そのため今は徒歩だ。
村の狩人たちに詳しい話を聞けば、討伐対象の翼竜は三時間ほど歩いた先を根城にしているらしい。余談だがそこへ辿り着くまでに昼時を迎えるが、悠長に食べている暇などないため携帯食料をかじることになるだろう。
夜の森は危険だ。たとえ目的が果たせなくても日が落ちる前には村へと戻らねば、いくら経験豊富なセラフィナがいると言えども命を落とす羽目になりかねない。
「イェレ、川です」
余計な体力を使わないように無言で歩いていてしばらく、ヘンリッカたちはようやく最初の目的である川を見つけた。自分たちの位置を見失いがちな森の中で、動かざる指標を見つけてほっと息をつく。
「よかった。これで迷う心配はなさそうだね」
狩人の話によればこの森の中を流れるささやかな小川は、さらに奥地にある沼を経由して流れているらしい。二人はそこで翼竜を討つつもりだった。巣が判明していれば一番なのだが、残念ながら縄張り意識の強い魔獣を刺激することを恐れてそこまでの調査はしていない。
となれば辺り一帯の動物たちが水場としているらしい沼で張り込むのがセオリーだろう。他の友好的とは言えない動物たち、下手をすれば別の魔獣に遭遇する恐れもあるが、翼竜が目撃されるようになってからこのあたりの森で見かける動物や小型の魔獣が減ったとの報告もあったため、それ以上の魔獣はいないと見てよさそうだった。
「念のため確認するけど、予定通り沼近くで対象が現れるまで潜伏でいいのね?」
「はい、そのつもりです」
確認するようにセラフィナに問いかけられ、頷く。彼女は基本的に手出しはしない手筈になっているため、一部始終が確認できて、かつなるべく戦いに影響のない場所にいてもらう必要がある。
森の中でたいそう浮くだろうと思っていたセラフィナだが、その一番目立つ真っ白な髪の毛をすべてフード付きのローブの中へしまい込んでしまうと、意外なことに緑か茶色しかない景色にすっかりと溶け込んでいた。
外見を隠してしまえば妙に気配の薄い不思議な人だ。
「私はずっとそこに隠れてるつもりだから、うまくやんなさいよ」
「りょーかいっす」
「きっと期待以上のものをお見せします」
どうやらセラフィナ――というか今回試験官を務める者たち全員――は受け持つ生徒たちの詳しい情報を持っているわけではないらしい。キルカ=サラスト側から渡されたのは通り一辺倒のことが書かれた書類一枚だけということだった。
だからセラフィナは二人がどういう戦い方をするのかまだ知らない。
作戦を事前に事細かに共有する必要があるかと聞けば、どう戦うのかを楽しみたいので事前に共有するのは最低限のことにしろと言われた。そのあたりは試験官ごとの裁量に任されているらしい。
そのため二人がセラフィナに伝えたのは翼竜の捕捉までの作戦と、いざというときに助けを求めたいときの合図だけだった。
「あった」
先を歩いていたイェレの合図に従って、そっと身を潜める。木々の間からのぞくその沼は森の中にただぽっかりと穴が空いたような様相だった。お世辞にも足場がいいとは言えない場所だったが、その代わり身を隠したままかなり近くまで近づけそうだ。
目視で確認できる限りでは沼の水深は浅く、膝が浸かるくらいだろうか。水質も澄んで綺麗だ。普段は森の動物たちが憩うであろう穏やかな光景だったが、今は現れた侵略者を警戒しているのか動物の気配はほぼなかった。
「イェレ、視野拡大付与しますか?」
「一応お願い」
セラフィナの興味深そうな視線を受けながら、手早く印を結んで術を発動させる。ぼんやりと光るイェレの目を見届けてから、ヘンリッカは緊張に指先が震えないように小さく指を摺り合せた。
本当の意味での実戦は始めてた。いくら自分への信頼が厚いヘンリッカとて緊張しないわけがない。
できれば必要な魔術をあらかじめすべて掛けておきたいところだが、一種類ならまだしも複数種類の纏魔を維持するのにはそれなりの精神力を要するらしい。戦いに必要な魔術は翼竜を目視してからかける手筈になっていた。
セラフィナに倣ってローブを頭からかぶり、ひっそりと木の陰に身を隠す。翼竜は空からやってくるはずだが、他に危険な魔獣が寄ってこないとも限らない。
三人が三人とも周囲に警戒を走らせる中、誰も余計な口はきかなかった。
そうして張り込みを続けて太陽が傾き始めたころ、葉擦れよりも小さなイェレの呟きが耳に届いた。
「……見えた、南東の方角から飛んでくる」
まずは小手で覆われた左手に硬化の魔術を。
そして青白く輝く刀身を引き抜いた右手に炎の魔術を。
最後に両足へ浮遊の魔術を。
視野拡大で見えたのならまだ少し余裕はあるはずだ。焦らず丁寧にしっかりと描くことを優先に織られたすべての魔術が、ずるりとイェレの中に引き込まれていく。
補助系の魔術はうまくかかったかどうかの確認が――先ほどの視野拡大のように露出している部位でもない限り――難しいのだが、イェレがこちらを振り向いて微笑んだのを見れば、成功は間違いないだろう。
イェレが視線を鋭くして空を睨んだのと、木々の向こうから黒色の翼竜が姿を現したのは同時だった。
刹那、目の前で身を屈めていたはずのイェレの姿が消えた。
正確には消えたのではなくヘンリッカが咄嗟に捕捉できない速度で飛び出しただけなのだが、次に空中で彼の姿を捉えた時には思わず予定よりも長く視線を奪われてしまった。
自分で掛けた魔術だが、なんというかすごい。
浮遊の魔法なんて――浮遊とかいうご大層な名称で呼ばれているくせに――せいぜい高い跳躍を可能にするくらいの魔術というイメージだったが、イェレは完全に空中を駆け上っている。もちろんぶっつけ本番というわけではなかったが、訓練室で軽く試走していたのを見るのとでは完全に迫力が違った。
「へぇ」
セラフィナが好奇心に塗れた声を上げるのを尻目に、追従するように茂みから飛び出したヘンリッカも炎の魔術印を組み立ててゆく。射出速度に重きを置いたせいであまり威力は込められなかったが十分だ。
翼竜の意識は完全にイェレに向いている。意識外から弩よりも速い速度で打ち込まれた炎は、当面の敵であったはずのイェレをあっという間に追い越すと翼竜を飲み込んだ。
翼竜の討伐方法は魔術で撃ち落として地上戦に持ち込むのがセオリーだが、今のヘンリッカの魔術では速度が出ず避けられてしまう可能性が高い。だが威力を殺して速さに特化させるのであれば当てるのは造作ない。
金切り声を上げて炎を振り払った翼竜がそのまま墜ちることはなかったが、その代わりにすっかりと体勢を崩していた。そこへイェレの炎を纏った剣先が迫る。
ヘンリッカの目には翼竜を捉えたのように見えた刃は、しかしその胴体を浅く切りつけただけにとどまったらしい。耳障りな鳴き声を上げただけですぐに体勢を元に戻していた。
羽に傷を負わせてそのまま高度を下げさせればと思っていたが厳しい状況だ。
幸い翼竜は大きいのでイェレが気を引いていてくれれば彼を巻き込むことなく魔術を再び当てることは可能だろう。
どうしたものか。
翼竜の爪をなんとか躱したイェレの姿をハラハラと見上げながら逡巡する。だがイェレが右手の纏魔を解き放って翼竜へとぶつけたのを見て、ヘンリッカは腹を決めた。
「イェレ!!」
叫んだ声は彼の耳に届いただろうか。
炎に呑まれて翼竜が再び体勢を崩したのと、ヘンリッカの指先が美しい魔術印を結び終えたのはほぼ同時だった。放ったのは筋力強化の魔術だ。
それをこちらを振り返りもせず受け取ったイェレはそのまま両手で剣を掴んで、翼竜へと振り下ろした。
耳をつんざくような鳴き声がビリビリと空気を奮わせて、ほぼ同時に衝撃音と共に地面が揺れる。透明と赤い飛沫がヘンリッカへと降り注いだ。
青白い刃が翼竜の片羽を切り落としたらしい。すばらしい成果だった。
あとは沼の端へ墜ちて、陸へ上がろうと藻掻いている翼竜が体勢を立て直す前に留めを刺せば終わる。
ヘンリッカはすっと息を吸うと今度は大きな魔術印を描き始めた。緻密に、しかし手早く組み立てられていくのはあまり使うことのない氷の魔術だ。おあつらえ向きに翼竜が墜ちた沼の水を巻き込めば威力が上がるはずだと見込んでの選択だった。
魔力によって空中に描かれた燐光が、始点とつながって魔術印を完成させる。最後にヘンリッカが印をそっと押して放出された魔力は、沼から巨大な氷の槍を生やし断末魔と共に翼竜の心臓を穿った。
一秒、二秒、十秒。
ピクリとも動かない翼竜に、いつのまにか地上へと降りていたイェレがゆっくりと近づいてゆく。
「もう大丈夫だよ」
すぐに手招きされて側に寄れば、体に大穴を空けられた翼竜は疑いようもなく事切れていた。ヘンリッカが魔力で作り出した氷の槍はすでに消え去り、余波で凍った沼の水だけが魔術の残滓を感じさせる。
それにしても飛んでいたときにはよくわからなかったが、仕留めた竜はかなり大きい。頭から尾までゆうにイェレ三人分はありそうな大きさだ。龍系統の魔獣の中では小柄な個体の多い翼竜だが、その中でも大きい部類だろう。
よく初めての実戦でこんなものを相手取れたものだ。
「帰るまでが任務だけど、とりあえず討伐おつかれさま。二年目でもまだ手こずる子もいるような魔獣なのに素晴らしい手際だったわ。対空中戦をこなせる人材は貴重だし、強みとして伸ばして欲しいわね。二人とも冷静に立ち回れていたし評価は期待しておきなさい」
実感が湧かないまま翼竜を眺めていると、いつの間にか隣に立っていたセラフィナが愉快そうに口の端を歪めていた。その顔を見てじわじわと実感が染み渡ってゆく。
「っ……ありがとうございます」
「冷静に見えてたなら嬉しいです」
嬉しさに感極まるヘンリッカとは対照的に、イェレは苦笑いを浮かべながらようやく剣を鞘に収めた。
本当に冷静だ。
つい情動のままにイェレを仰望しているとセラフィナの軽やかな笑い声が耳目をくすぐる。
「試験官やるのも二回目だけど、初めてにしては十分冷静よ。それにすっごくおもしろいもの見せてもらっちゃった」
セラフィナが言うのは纏魔についてだろう。やはり魔術士の性なのかその瞳は好奇心にギラギラと輝いている。
これは帰りの道中苦労しそうだ。
どう答えたものかと思案していると、それを眺めていた翠の瞳がふといじわるそうに細められた。
「ま、でも貴重な水場を荒らしすぎたのは減点ね」
言われてみれば酷い有様である。
魔術による炎は魔力が霧散してしまえば消えるため延焼の心配はないが、木々を焼くのは確かだ。氷の魔術を選んだのはなるべく森を傷つけるのを避けた結果でもあったが、案外選択すべきは炎だったかもしれない。澄んでいた沼は翼竜を中心に赤く染まっているし、ヘンリッカとイェレ自身だって返り血と水とでどろどろだった。
このまま放置すれば腐りおちてゆく屍肉が水をさらに穢すだろう。村の狩人に頼んでうまく処分してもらう必要があった。
ヴィフレア軍が討伐した魔獣は売り物になる素材などを――場合によっては買い取ることもあるが――そのまま渡す代わりに、処分を狩人たちや自警団に任せていいことになっている。
「とにかくさっさと討伐証明にどっか剥いできなさい。ぼやぼやしてると日が暮れるわよ」
どこかまだふわふわした気分を打ち払うような言葉は手助けのうちに入るのだろうか。
セラフィナの号令に気の抜けていた身がすぐに引き締まる。確かに言うとおりだ。ここはまだいつ危険があるかわからないヴィフレアの森の中である。
自由奔放なきらいはあるが、きっとかなり面倒見のいい先輩なのだろう。だが上機嫌な彼女にあえてなにか言う気もおきず、二人は言うとおり各々の仕事を再開した。




