11-2
「えっ、じゃあ先輩はもともと第一にいらっしゃったんですか?」
「そうよ。だからヘンリとも二年くらい同じ部隊に所属してたのよね」
宿屋の離れに作られたこぢんまりとした酒場にヘンリッカの驚きの声が響き渡った。
グラスに入った琥珀色の液体を揺らすセラフィナはまるでなんでもないことのように語るが、彼女のように一度第一師団に配属されてから所属変えになるというのはあまり多い事例ではない。キルカ=サラスト在学中に第二師団行きを決められなければ夢破れたと判断する者がほとんどだった。
なにせまずパートナーが見つからない。何らかの理由でパートナーを失った第二師団所属者を捕まえるか、同じ志を持つ第一師団所属者を捕まえるかの二択だ。
前者は第二師団内の同じ境遇の人間でまとまるか、さもなくばさっさと第一師団への異動を決めてしまうのが普通で、後者は新人の頃に与えられた仕事を必死でこなすうちに折れてしまうことが多い。
さらに運良くパートナーが捕まったとして採用してもらえるかどうかは両師団に調整の上、直談判になる。人員が減りすぎた場合にのみ第一師団を対象に登用試験が実施されることもあるらしいが、そんなものは数年に一度あるかないか。
とにかく超えなくてはならない障害が多すぎるのだ。
「パートナーの騎士も元第一師団の方ですか?」
「んーん、第二。マイユ……相方の元パートナーだった子が家の事情でどうしても退団しないといけなくなっちゃって、向こうから私に声掛けてきたの。同級生だったから」
「へえ」
感心の声を漏らすイェレにヘンリッカも一緒になって頷く。
セラフィナがもともと第一師団志望だったのか、第二師団志望で残念ながら落ちたのかはわからないが、どちらにせよ受かった人間から組んでみたいと思われていたということだ。この妖精のような佇まいの魔術士がどんな戦いをするのかがぜん興味が湧いてくる。
今回の試験ではその腕前を披露させることは避けたいが、同じ第二師団所属となれば見る機会だってあるかもしれない。それを思えばなおさら無様な結果など出せない気がした。
「ま、試験駄目でもゼロじゃないからあんまり気負いすぎるんじゃないわよって話なんだけど。アナタたちはそうそう落ちそうな感じしないわね」
「はい、当然です!」
したり顔で言い切ってみせたヘンリッカだったが、目の前に置いてあるのが妙にかわいらしい装飾のジュースのせいかいまいち決まった感じがなかった。
隣のイェレと目の前のセラフィナの視線が妙に温かいのが気になるが、これは仕方がないのだ。
食事を終えた後セラフィナに奢るから一杯付き合えと絡まれて、じゃあ紅茶をと言えば酒場で紅茶なんて洒落くさいと言われ、選択肢がなかった。
ヴィフレアでは十六歳から飲酒が可能になるが、在学中にようやっと十六歳の誕生日を迎えたヘンリッカは酒を飲んだことがない。自分がどれほど酒を飲めるのかわからないのに飲むわけにもいかず、ついでにどうしても甘いものが飲みたくなってしまった。
一杯だけと念押しした上で、何でもない顔でシードルを飲んでいるイェレを恨みがましい目で見上げるが、にっこりと微笑み返されただけで終わりだった。
「さて、と。私はもうちょっと飲んでいくからお子様たちはさっさと寝なさい」
「ほどほどにしてくださいよー?」
「酔うほど飲まないわよ」
本当に一杯で解放してくれたことにホッとして立ち上がる。二人よりも早いペースで飲んでいるように見えたセラフィナだったが、言葉通り酔っているようなそぶりはまったくなかった。つくづく容姿に似合わない行動が目立つ人である。
普段であればまだ眠るような時間ではないが、旅に慣れない身だ。明日の出発予定時間の早さを思えばさっさと寝てしまうのがよいだろう。
挨拶もそこそこにイェレを連れ立って酒場を出ると、気持ちのいい風がさらりと吹き抜けて、賑やかな酒飲みたちに当てられた熱が冷めてゆく。離れにある酒場から宿屋へ戻るためには屋根だけが造られた渡り廊下を通る必要があった。
「あ、満月だね」
イェレの言葉につられて視線を上に向けると、見事な月と星に彩られた空は雲一つないことが見て取れた。この分なら明日も天気の心配はいらなさそうだ。
小雨ならばまだしも万が一本格的な雨に降られてしまえば人も馬も体力の消費は著しい。雨の利点もあるといえばあるが、晴れるに越したことはなかった。
「リッカちゃん、ちょっとだけ夜風あたってかない?」
「はい、構いません」
イェレの様子はいつもとなんら変わらなかったが、もしかしたら酔ったのだろうか。イェレに誘われて渡り廊下から隣接している中庭――というにはあまりにささやかだが――に下りる。
隅に置かれたベンチに二人して腰掛けると、一面に瞬く星空がよく見えた。
「イェレは結構お酒を飲むんですか?」
「まあ、そこそこかな。騎士科だとなにかと飲ませてくる先輩とかいるんだよねー。魔術科はそーゆーのない?」
「ええと、その私は……」
友人がいなかったのであったかどうかもわからず、たぶんあったとしても誘われませんでした、などというのは憚られてごにょごにょと口ごもる。
「自主訓練で手一杯でしたので」
「あー、リッカちゃんはそうだよね。さすが真面目だなぁ」
それらしいことが言えたと思う。
五秒ほど考えて無事導き出せた答えに自分でも満足した上にイェレに褒められてしまった。大戦果である。
ヘンリッカはひとしきりイェレの笑顔を堪能すると、ぎゅっと膝の上で手のひらを握った。それからそわそわと指を摺り合せたあとに、思い切ったように顔を上げる。
「あの、イェレ」
「んー?」
「ええと、その、好きな食べ物はありますか?」
宿屋の看板娘と同じ質問を選んだのはわざとだ。
「え、うーん何でも食べるから、特にコレが好きってのは……。あーでもシェニだけはダメなんだよね」
好きなものじゃなくてごめん。そう苦笑いを浮かべながらばつが悪そうに口に出したシェニは、ヴィフレアの名産品でキノコの一種だ。よく食卓に上がる割には味に癖が強くて食べられないという子どもも多い。大人になれば食べられるようになると言われる食べ物の代名詞みたいな存在だが、どうやらイェレは未だ苦手らしい。
あまり見られない彼の子どもっぽい一面に、ちょっときゅんときてしまった。
「リッカちゃんは?」
「私は……苺が好きです」
「さっきおいしそうに苺のジュース飲んでたもんね」
いくつかある好きなものの中から、一番かわいらしく見えそうなものを選んだのはちょっとした乙女心だ。
「じゃあ、趣味はありますか? 私は魔術書の蒐集です」
「あははリッカちゃんらしいね。趣味かー……あ、鍛冶屋に行くこととか。王都にある鍛冶屋の主人と仲良くなって見学させてもらってたんだけど作ってるとこ見るのけっこーおもしろいんだよね」
「鍛冶屋ですか? そういえばイェレの剣って不思議な色をしてますけど……」
「魔導鉱石が混じってるんだ。お願いして作ってもらった特注品で、魔力の伝導力が高いから魔道具とかによく使われる金属なんだけど、リッカちゃんなら知ってるかな。普通なら武器に使う金属じゃないんだけどね」
いつかリッカちゃんみたいな子に出会えるんじゃないかと思って。
囁くように言ってから、イェレは首を傾げた。
「なに、どしたの?」
いつになく質問を重ねるヘンリッカに疑問を覚えたらしい。瞳が愉快そうに輝いているのは彼女のおかしな様子に好奇心を刺激されたからだろうか。
その琥珀に森を閉じ込めたような目を見返して、ヘンリッカはもじもじと制服のスカートの端を掴んだ。
「その、私イェレのことなにも知らないなと思って。イェレはいつも私の話を聞いてくれるでしょう?」
「あはは、オレのことなんか知ったってなんもおもしろくな」
「そんなことないです!」
なんてことを言うのだろうか。
イェレの言葉にびっくりして食い気味に否定する。よくある自虐文句と言えばそれまでだったが、ヘンリッカにしてみればとんでもないことだ。
「私昔から魔術以外のことにほとんど興味を持とうとしなくて、別にそれが悪いとも思ってなかったんですけど、セラフィナ先輩や、その宿屋の娘さんとかがイェレのことを聞いているのを見て、わ、私もパートナーとしてイェレのこともっと知りたいなと思って……その駄目、でしょうか」
セラフィナが、宿屋の娘がイェレになにかを聞くたびに湧いた感情は、嫉妬だが、嫉妬だけではない。ようやく自分がなにをしたかったか自覚したヘンリッカは、慣れない対人交渉につかえながらも思いの丈を言い募る。
こうして改めてあなたのことを知りたい、だなんてお願いするのは存外恥ずかしい。
「……」
「あ、あの、イェレ」
だから二人の間に落ちた沈黙に耐えかねて、しっかりと目を見つめたまま催促すると、珍しくイェレの方から視線が外された。
「……ダメじゃ、ないです……」
俯いて顔にかかった髪の毛の隙間からのぞく顔が赤いのは、ヘンリッカの都合のいい勘違いだろうか。
きゅっと胸が締め付けられて、中身が詰まった袋を割ったみたいに感情の奔流がはじけ飛んだ。
「っ本当ですか! あの、聞きたいことはいっぱいあるんです! 騎士科では普段どんな風に過ごしてらっしゃるのかとか、仲の良いご友人の話とか、休日はなにをして過ごしてるのかとか、剣術はどなたに教わったのかとか、そうだ紅茶に砂糖はいくつ入れますか? あっ好きな色も知りたいです! ええと動物は好きですか? もしお好きなら犬派? 猫派? あとあと、ご兄弟は何人いらっしゃるのかとか、子どものころどんな子だったのかとか、イェレのその綺麗な目はお母様譲りなのかとか……っ」
「ま、待って! 待ってリッカちゃん!」
欲望のままにツルツルと口を滑らせていると、ぐいと肩を掴まれてはっと正気に戻る。
「……その、近い……」
気がつけば、目がまんまるに見開かれたイェレの顔が目の前にあった。
「っ! ご、ごめんなさい!」
慌てて体を離して、ベンチの隅で体を縮こまらせる。
いくらなんでも常軌を逸した異常行動だった。幼少のころから好きなことに夢中になるとびっくりするほど周りが見えなくなる性質だったヘンリッカだが、大人に近づくにつれ矯正したつもりだった。なんて恥ずかしい。
「あー、いや、その、リッカちゃん。すごく……いや……うん」
ヘンリッカが一人で赤くなったり青くなったりしていると、隣ではイェレが要領を得ない様子でぶつぶつと呟いていた。何を言っているのか聞き取れず、抜けきらない恥ずかしさと不安に眉根を寄せながらイェレを見上げる。
すぐにヘンリッカの視線に気がついたイェレは、ゆっくりといつものように視線を合わせると、やっぱり僅かに赤みの残る顔で小さく笑った。
「えっとオレなんかの話でよければいくらでも話すし、オレもリッカちゃんのこともっと聞きたい。だから試験終わったらゆっくり話そっか」
「……っ!」
さっと頬に熱が走って、言葉にならない喜びにただコクコクと頷く。
頭の中のミルカが祝砲を上げた。まっさきに思い出したのは両思いに太鼓判を押す彼女の声だ。これはもしかして、もしかしなくても彼女の言うことが正しいのではないだろうか。いや、しかし調子にのって油断するのはヘンリッカの悪い癖だ。
だけどもっとイェレのことを知って、そしてヘンリッカのことを知ってもらえばいつかは進展が望めるのではないだろうか。
そのためにはなんとしてでもいい試験結果を持ち帰らなければならないだろう。満ちあふれる気力にぐっと拳に力を入れる。
油断してはならないなんて思っていたはずのヘンリッカの脳内は、確実に浮かれ始めていた。




