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任務を達成するためにすべて自分たちで考えて動きなさい、とセラフィナは言った。
試験官が行うのはあくまで候補生達の評価のみで手助けをする存在ではない。彼女が動くのはヘンリッカたちに命の危機が迫ったときや、討伐不可能と判断された場合だけだ。つまり試験で好成績を修めるにはセラフィナに手を出させてはいけないのである。
「ヨキまでの道は補整されてるし、いちおう問題はなさそうだねー」
「天気の崩れがないといいですけど」
「少なくとも今日は大丈夫じゃないかな」
馬を休ませるための最初の休憩地点で、二人はさっそく地図を覗き込みながら唸っていた。
まだ出発地点からほど近い街道の脇は天気も見晴らしもよく穏やかだ。近くではまばらに生えた木に繋がれた彼らの馬が暢気に草を食んでいた。
目的のヨキ村へは約二日間の距離を移動することになる。キルカ=サラストを十二の鐘を過ぎたころに出立したため、二日後の昼頃に着く計算だ。
行程の資料は任務の記された書類に添付されていたので基本的に地図通りに進めば目的地に着くはずだが、遠征に不測の事態はつきものだ。座学でも、資料に加えて可能な限り自分たちでも目的地への道程について事前確認はしておいた方がいいと習っている。
幸いあたりを付けていた任務がそのまま引けたので、前日に二人で調べてはいるもののやはり不安は尽きなかった。だが今回は試験のためにずいぶんとお膳立てされているのだ。この程度こなせなければ、第二師団に配属された暁に到底やっていけないだろう。
「そういえばリッカちゃん乗馬苦手だって言ってたけど行けそう?」
「は、はい。今のところは」
「絶対ムリしないでね。なにか問題あったらオレにすぐ言って」
セラフィナに聞かれるのはあまりよくないと思ったのだろうか、顔を寄せて囁くように聞いてくるイェレにどきりと心臓が跳ね上がる。浮ついている場合ではないので努めてイェレを意識しないようにしているヘンリッカだったが、不意打ちは駄目だ。
「……イェレも、なにかあったら私に言ってくださいね?」
「うん」
元々甘めの顔立ちをしているイェレだが、笑うとさらに甘さが増すことをヘンリッカは最近嫌と言うほど思い知らされている。落ち着かなくなって視線を彷徨わせていると、馬に草を食ませながらにやにやとこちらを眺めているセラフィナと目が合った。
彼女の駆る馬はヴィトという真っ白な牝馬だ。乗っているセラフィナを含め白すぎてものすごく目立つのだが、任務に支障は出ないものなのか少し心配になる。相手の魔獣によっては潜伏することも必要になるだろう。
そんなことを考えながらセラフィナを眺めていたら、すっかりと頭が冷えてきた。
――ありがとうございます、先輩。
心の中でこっそりと礼を告げながらこれからの行程を確認する。
ヨキは魔の森の浅いところに生える薬草を採集して生計を立てている村だ。ヴィフレアでは勇敢――蛮勇なのかもしれない――にも魔の森のかなり深いところに存在する集落も珍しくはないため、比較的危険の少ない立地だと言えよう。だからこそ半人前たちが派遣されているわけだ。
そのため道中に立ち寄れる集落は多く、今回予定している道程でも夜を明かす場所として野営は避けられそうだった。そもそも今回の試験で野営を必要とする任務自体が少ないため幸運というより順当だろう。
一日目は町で宿を取り、二日目の夜は旅の宿――任務を受けた軍人や商人たちが寝泊まりするために行き来の多い場所に点在している――と呼ばれる無人小屋で夜を明かす予定だった。
「そろそろ出発しましょうか」
「りょーかい」
一通りこれからの再確認も終わった。
腹ごなしを終えたコッコたちが暇そうなのを目に留めたヘンリッカが、手に持っていた地図をしっかりと鞄に収めてからイェレに提案すると、異論のないらしいイェレはすぐに出発のための準備をしに馬たちの元へと向かった。
ヘンリッカもそれに続いて、コッコよりも先にセラフィナに声をかける。
「セラフィナ先輩、出発しようと思います」
「はーい。あと一回休憩挟めばヤルヴに着くかしら」
「そうですね。空の様子も穏やかですし、特に問題はないかと」
なにが評価につながるのかわからないため彼女と話すのはやはりまだ緊張が解けない。
つい言葉を重ねてしまうが、セラフィナは特に気にした様子もなく出発の準備を始めた。
そして行程を再開してしばらく、最初の目的地へは予定通りつつがなく到着した。
魔の森から距離もあるためか、そもそもこのあたりでなにかが起こることは滅多にない。あったといえば道中商人の馬車とすれ違い幸運を祈られたくらいだろうか。
そうやって辿り着いたヤルヴは、資源の宝庫である魔の森と国の中央との中継地点にある、ほどほどに賑わう町といって過言ない規模の集落だった。到着したのはちょうど夜が始まったばかりで、食事を求めているのか街中を行き交う旅人と思わしき姿もそれなりに多い。
どこからか流れてくる食べ物の匂いはとても魅惑的だったが、とにかく今夜の寝床を確保しなくてはならない三人はまっすぐにあたりを付けていた宿屋へと向かった。ヤルヴは特に観光資源があるような町ではないが、街道を行き交う人々が立ち寄る町でもあるため宿泊施設は充実している。幸いにも特に混んでいる様子もなく、すんなりと部屋は確保できた。
「去年もキルカ=サラストの生徒さんを泊めたんです」
キラキラと瞳を輝かせながらイェレを見上げているのはこの宿の看板娘らしい。年頃はヘンリッカたちと同じくらいであろうか、ご多分に漏れずヴィフレア軍に憧れを持っているらしく、こうして直接部屋まで案内されている程度には一行は歓迎されていた。
去年も泊めたという少女の言葉も当然のことで、ここはキルカ=サラスト、というよりもヴィフレア軍がよく利用する宿のひとつだ。設備は他と比べて突出したものなどない宿だが価格が良心的なのが一番の理由だろう。任務の際に持たされる経費はそれほど多くない。
「やっぱり第二師団の騎士様を目指してらっしゃるんですか?」
「ええ。今も所属試験の最中なんです」
「わっ、すごい! わたし応援してますっ」
「ありがとうございます」
「あのあの、お好きな食べ物とかありますか? ウチ酒場もやってるんですけど、わたしお父さんにお願いしてサービスします!」
「お気持ちだけ。夕食楽しみにしていますね」
どうやら彼女はイェレのことがたいそう気に入ったらしい。黄色い声を上げてはしゃぐ様子は、憧れの範疇に収めていいのかちょっと悩ましいレベルだ。イェレのまだ学生という身分が自分でもイケそうという期待を持たせているのかもしれない。
半歩遅れて歩くヘンリッカにできることは、複雑な気分でそれを眺めることだけだった。
よそ行きの姿なのか、まともなしゃべり方をしているイェレはつやつやと輝く金髪も相まって物語の騎士のような華やかさがあるのだと今更ながらに気がつく。もしやこれから何度もこうして女性に纏わり付かれているイェレを隣で眺める羽目になるのだろうか。
腹の底に発生したモヤは最近おなじみの嫉妬心だが、二人の会話を聞いているとさらに紐解いた姿の正体をなんとなく掴みかけたような気がした。
「アナタの彼氏モテてるけどいいの? 牽制してきたら?」
気分が落ち込んでいくのを隠すのも面倒でうなだれていると、隣を歩いていたセラフィナが小声でそんなことを耳打ちしてきた。
そうだ、この人がいた。
慌てて背筋を伸ばしてつん、と顔を逸らしてみせる。だいぶもう手遅れだったがヘンリッカのプライドの安寧という観点からはやらないよりはましだ。
「かっ、彼氏じゃありません」
「え、嘘でしょ?」
「嘘じゃないです」
本当に嘘じゃないのだ、残念なことに。
ヘンリッカの心の声が伝わったのかどうかはわからないが、セラフィナは口を噤むと思案するように顎に手を当てた。それから首を小さく振って続ける。
「ふぅん。ま、時間の問題ね」
「それはどういう意味です……?」
「第二師団の男女ペアなんて付き合ってない方が珍しいわよ。考えてもみなさい」
セラフィナが相変わらず顔立ちにそぐわない表情でにやりと笑って、ちょうど先を行くイェレたちが辿り着いたらしい扉を指さした。今日夜を明かすために取った部屋だ。基本的に遠征中の経費は最低限という決まりがあるため一部屋に三人で寝ることになっている。
「遠征中は二人きりでずっと一緒。もちろん宿も同室。手、出されないと思ってるの? あ、今日は私っていうお邪魔虫がいてごめんねー」
二人きり。
手を出す。
一瞬セラフィナの言うことがよくわからずに考え込んだヘンリッカの思考能力は。
「……!?!?」
理解した途端、限界を超えた。
いや二人きりなのはわかっていたはずだ。そんなのはキルカ=サラストに入学する前から知っていた。だからペアは同性同士しか端から選択肢にない人間がいることだって知っていた。しかしそこに男女関係のあれこれが絡んでくるというのは完全にヘンリッカの認識外だったのだ。
いや違う、それも知っていた。有名な第二師団の英雄たちの中では引退後結婚した二人だってざらにいたし、その手のロマンス小説が出回っていることだって知っている。
そうではなく――そうだ、ヘンリッカには関係のないことだと思っていたのだ。
しかしヘンリッカはイェレのことが好きで、すでにもし叶うならばイェレに同じように想って欲しいという欲望を抱いてしまっている。
つまりそれはもはや関係がないことではなくなってしまった、ということで。
「ちょっと顔真っ赤。てか部屋ぐらい分けて取らせてもいいじゃんって思うけど、うちの軍ってどうも締り屋なのよね。一応有事の際に一緒だとすぐに対応できるからって建前があるけど街中で滅多なことなんて……あ」
「……先輩、彼女のことからかわないでくれますか」
顔が信じられないくらい熱い。鏡など見なくともセラフィナの言うとおり顔が赤くなっているのがよくわかった。いつの間にか側に近づいてきていたらしいイェレに見られたくなくて必死で俯く。こうすればヘンリッカの赤い髪の毛に紛れて気がつかないでいてくれないだろうか。
「てかアナタ私の前でも取り繕わなくていいわよ、洒落くさいから。先輩命令ね」
「うわ横暴……」
「おほほ、私のいいところよ」
とん、と軽く背中を押されてよろけた肩をやんわりと支えられる。
背中を押したのはセラフィナだろうか。遠ざかる軽やかな足音と扉の開閉音で二人きりで放置されたのだと察する。慌てて正面上方を見ないように周りを見回すと、いつの間にか例の看板娘も姿を消していた。
逃げ場を失っておずおずと顔を上げると、困ったように眉尻を下げるイェレと目が合う。
「安心して。オレ絶対そんなことしないから」
そっと肩から手を下ろしながら笑うイェレの態度は真摯で、疑う余地はない。
いくら好きだからといって性急な関係変化を望んでいるわけではないヘンリッカとしては、それは彼の言うように安心するべき言葉だ。だけど絶対と言い切られてしまうのもあまりに悲しすぎないだろうか。
昔うっすらと聞きかじった知識では男性というものは据え膳を食べぬことが不名誉となる生き物だったはずだ。それともよっぽどイェレにとって魅力がなくてそもそも膳として認識されていないのだろうか。
考えてみればヘンリッカはわかりやすいらしいのに、なにかと気の利くイェレが彼女の態度に気がついていないのはおかしい。
それはつまり言外に関係性を変える気は一切ないのだと、そう言われているのではないのだろうか。
「……はい、私とイェレは信頼で結ばれたパートナーですもの」
「ん。行こ、リッカちゃん。おいしいご飯食べて明日にそなえよう」
つきりと刺すような胸の痛みを無視してヘンリッカは笑う。別に決定的なことをイェレから言われたわけではない。これはたぶん、ただイェレが紳士的であるというだけだ。
だけど先ほどまでの熱は嘘みたいに冷え切っていた。




