10-2
ヘンリッカたちが討伐対象として選んだのは翼竜だ。
知能はさほど高くはないが性質は残忍で動きが素早く、なにより飛ぶのが非常にやっかいな魔獣である。正式配属されて二年も経てば軽くいなせなくては話にならないレベルの魔獣ではあるが、実戦経験の浅い学生たちにとっては十分脅威的な存在だ。
通常人里近くに出てくることはあまりないはずだが、ここから馬を駆って二日ほど行った先にあるヨキという村の近くに数日前から巣くうようになったらしい。被害はまだ出ていないようだが秋が近づけば翼竜の活動範囲が広がり人間を襲うようになるのは確実。その前に駆除をしてほしいというのが今回の任務だった。
教官に言われた通り、翼竜は時間をかけて威力の高い術を放つヘンリッカの魔術傾向とは相性の悪い存在である。だが、それはあくまでヘンリッカが一人だった場合の話だ。
「よしっ」
彼女にしてはいささか上品さに欠ける声を上げて気合いを入れると、ヘンリッカは昨日から準備していた荷物を背負って誰もいない部屋を後にした。寮の同室の生徒には今日の試験を受ける者も受けない者もいたが、試験を受けない者たちには通常通りの授業があるのだ。
任務を選んだあとそれぞれの準備をするために、一度別れたイェレとは荷物と馬を回収したら正門前で落ち合う約束をしていた。
いくつかある魔術科の厩舎の一つに預けているヘンリッカの愛馬コッコは、彼女が十歳になったときに長兄からプレゼントされた鹿毛の牝馬だ。軍人になる以上必須とも言える乗馬の技量だが、正直ヘンリッカはあまり高いとは言えない。
もちろん乗馬の演習もあるため入学前よりはだいぶましになった、とはいえ泊まりがけの遠征に連れて行くのは始めてのことだった。
しかし不安があろうとも四の五の言っている場合ではない。ずっと背負って歩くにはだいぶ持て余すであろう荷物の重みを感じながら厩舎に向かうと、三日ぶりに会う愛馬――馬の好きな者ならば様子を見に毎日のように通い詰めているらしいが、ヘンリッカは基本的に学園の馬丁に世話を任せっぱなしなのだ――はちょうどのんきに飼葉を食んでいる最中だった。
コッコは飼い主に似ず穏やかな気性の馬である。いや、というよりも兄であるユリウスがあまり運動神経が良いとはいえない妹の為に、穏やかな馬を選んだと言った方が正しいだろうか。
「ああ、ヴィーアライネ様。師団所属試験ですか?」
「ええそうなんです。コッコを連れて行っても?」
「もちろんですよ。今日はご機嫌なので早く走ってくれるでしょう。コッコは気分にムラのないいい馬だ」
そっと近づいて食事中の彼女を撫でていると、下働きの馬丁が奥から満面の笑顔をのぞかせる。ヘンリッカからすればご機嫌なのは彼のほうに見えた。コッコを世話してくれている馬丁は、たいそう馬が好きらしくいつも笑顔だ。もちろん一人でやっているわけではないとは言え、この厩舎で管理しているだけでも何十匹もいる馬たちの名前と持ち主をすべて覚えているのだから恐れ入る。
ヘンリッカなんてコッコ以外の馬は毛並みの色くらいしか見分けがつかない。
手際よく鞍を取り付け、ついでにヘンリッカから受け取った荷物を積んでいく彼の手際を感心しながら見届けて、ようやくヘンリッカはコッコと共に厩舎を後にした。
「……よろしくね?」
正門へと向かいながらなんとなく首筋に触れこれからの旅路の無事を祈ると、彼女は小さく嘶いてそれに応えてくれる。ろくに顔を見せない主人に対して健気だ。
この試験が終わったらもう少し頻繁に様子を見に行くことにしよう。
「リッカちゃん、こっち」
決意も新たに辿り着いた正門では、遠征用の外套を身につけたイェレが青鹿毛の馬を連れて手を振っていた。
「すみません、お待たせしました」
「んーん、全然」
まだ十二の鐘が鳴るまでにはしばらくあるため問題はないはずだが、イェレと待ち合わせをするといつも待たせてしまっているような気がする。だがまったく気にした様子のない彼は、興味深そうにヘンリッカの連れている馬を覗き込むとにこりと笑った。
「名前、なんていうの?」
「コッコです」
「よろしくー、コッコちゃん。美人だね」
ヘンリッカとの出会いのときと大差ない反応なのは気のせいだろうか。
いや絶対気のせいではない。
うっすらと腹に立ちのぼるモヤモヤと、馬にまで嫉妬する自分の精神レベルに涙が出そうだ。当然そうなんです私に似て美人でしょうなどと余裕のある返答ができるはずもなく、ひとしきりコッコを撫でてご満悦――彼も馬が好きなのだろうか――のイェレを眺めたヘンリッカは、彼の連れている馬に視線を移した。
「……イェレの馬は?」
「ハル。うちのは男の子だよ」
騎士科は装備が重いためか、男女ともにたいてい牡馬を連れているような気がする。例に漏れずイェレのハルもそうらしい。
「ハルさん、よろしくお願いしますね」
とりあえずこちらもヘンリッカ渾身の笑顔でハルの素晴らしい青鹿毛を撫でてみたが、もちろん嫉妬しているような様子はイェレからみじんも感じられなかった。
不毛である。
「まだ試験官はいらっしゃっていないのでしょうか?」
「んー、たぶんまだ……あ」
ヘンリッカの言葉にあたりを見回していたイェレが、ふと視線を止めた。つられるようにヘンリッカもそちらを見ると、一瞬で見事な白髪に目が奪われる。ふわりと腰のあたりで揺れる神秘的な白は、毛先の鮮やかな翠と相まってまるで妖精のようだ。
彼女は若葉のような新緑の瞳でこちらを認めると、にっこりと笑って近づいてきた。名はセラフィナ・リンナと言ったか。現役の軍人なのだから年上なのは間違いないはずなのに、美しく無垢な少女のような雰囲気に呑まれてどうしていいのか戸惑う。
「アナタたちがヘンリッカとイェレね?」
「……っはい、魔術科所属、ヘンリッカ・タイカ・ヴィーアライネです」
「騎士科所属のイェレ・タイカ・メリルートです。よろしくお願いします、リンナ試験官」
咄嗟に敬礼をしながらも戸惑いをしっかりと態度に出してしまったヘンリッカとは対照的に、イェレはあくまで平静だ。心なしか――というか確実に――いつもと違うしゃべり方の彼を見て、ヘンリッカはすっと背筋を伸ばした。パートナーがこんなに落ち着いているのに、いつまでも緊張しているなんてプライドが許さない。
セラフィナはこちらを一通り興味深そうに眺めると、妖精のような雰囲気にまったくそぐわないあけすけな表情で笑った。
「セラフィナって呼んで。私堅苦しいの嫌いなの」
鈴の音のような可憐な声なのにあまりにさばけた口調だ。
その落差に驚くべきなのかもしれないが、最初の印象に完全に呑まれていたヘンリッカにとっては逆に拍子抜けした思いだった。これで見た目通り儚く消えてしまいそうな人物だったらどう接していいのかわからず、道中ずっと戸惑いを抱え込んでいた気がする。その代わり評価には厳しそうな人物である予感がして身が引き締まった。
「では、セラフィナ先輩と」
「セラフィナ、先輩。よろしくお願いします」
ヘンリッカは初対面の人間を名前で呼ぶのにいささか抵抗があるタイプの人間なのだが、ここは空気を読むべきだろう。少しつかえながらもイェレに倣って呼ぶと、セラフィナは満足そうに笑った。
「ん、まいっか。六日間くらいの道程になると思うけどよろしく」
それからぞんざいに手を振ったセラフィナは、腰にくくりつけていた鞄から書類を取り出すとなにやら書き付けていく。すでにもう評価され始めているということだろうか。内容に気を引かれつつ黙ってそれを見ていると、突然セラフィナが視線が上げて顔をぐっとイェレに寄せた。
「ところでアナタ、ヘンリと全然似てないのね」
実に遠慮のない視線だ。不躾、というか近くないだろうか。
再び腹の底から揺らめいたモヤモヤに動揺していると、その様子になにを思ったのか、イェレに長兄だよ、と小さな声で教えられる。
イェレの口元に浮かぶのは苦笑いだ。タイカ・メリルートの騎士に対しての言葉、となるとどうしても含みがあるように聞こえるが、その手の質問に慣れているのかイェレは気分を害したようには見えなかった。
だがどこか諦観のようなものが見え隠れしているのは気のせいだろうか。
「兄弟の中で私だけ母親似なので」
「あー、なるほど」
セラフィナは納得した様子を見せるとその件についてはそれきり興味を失ったようだった。含みなどなく本当にただ思ったことを言っただけなのかもしれない。
「兄と知り合いなんですか?」
「同級生なの」
「そうでしたか」
「ヘンリ元気? 師団が分かれてから全然会わなくなっちゃったのよね」
「……私も入学してからはなかなか家には帰れていないので」
「まー、そっか。そうよね」
ヘンリッカがなんとなく聞くべきではないと思っていたイェレの家族の話に、遠慮無く踏み込んでいくセラフィナを見ていると次第に腹の中心に渦巻くモヤが濃くなってゆく。その気持ち悪さが嫉妬なのは間違いないが、それだけではないなにかを自分でもうまく言語化できないのがさらにわだかまりを重く不快にさせるようだった。
初対面のヘンリッカに自分の境遇をあっけらかんとしゃべるようなイェレだ。ヘンリッカにだって聞けば教えてくれたのだろうし、そもそもセラフィナはきっとイェレが家族と折り合いが悪いことなんて知らない。それを抜きにしたって彼女の質問は常識の範疇だろう。ただ単にヘンリッカが敏感になっているだけだ。
というか、やはり近くないだろうか。
なんでもない澄ました表情で取り繕いながらも一人で悶々としていると、セラフィナは突然ぱっと何か思いついたような表情をしたあと今度はぐいっとヘンリッカに詰め寄った。肌と髪の白さも相まって輝くような満面の笑顔である。
「ヘンリッカはユリウス様そっくりね」
「そう、ですか?」
家族以外から初めて言われた。
違う、ヘンリッカに対してその手の雑談を振る人間が今まで家族以外にいなかった。
男女の違いはあれど容姿の系統が同じヘンリッカとユリウスは、よく姉や次兄から似ていると言われる。容姿の華やかさも人気の一つであるユリウスと似ていると言われて当然悪い気がするわけもなく、それが身内以外からの言葉ならひとしおだ。
現金なヘンリッカはさきほどまでのモヤモヤも一気に忘れて微笑んだ。いささか無神経なきらいはあるがセラフィナは悪い人ではないのだろう。なにより彼女は試験官だ。うまくやれるに越したことはない。
「光栄です」
「うんうん、ヴィーアライネは美形一家よね。羨ましい」
そういうセラフィナも十分に美形だと思うのだが、それでもやはり他人の容姿を羨むものなのだろうか。ちなみにヘンリッカは兄に似ていると言われる自分の顔をたいへん気に入っているので、少なくとも顔に関しては他人を羨ましいと思ったことはない。
ヘンリッカの機嫌がよくなったことを察したのかどうか。
セラフィナはさらにこちらへの距離を詰めると、目をギラリと光らせる。
「ところで、次男のカレヴァ様って独身だったわよね? ぜひ紹介して欲しいんだけど!」
その勢いに気圧されて、ヘンリッカはやはり道中に一抹の不安を抱くしかなかった。




